14
特館の庭にある温室は、四季咲きの薔薇が満開だった。
温室であるのに暑くもなく、程よい空気が中を包み込んでいる。
競って咲き誇る薔薇の花に囲まれて、奥には長い木のベンチがあった。
ちょうど人一人寝れるくらいの大きさで、白い塗料で塗られた椅子はおしゃれなサイドのカーブに大輪の薔薇の花の枝がからみついている。
そこに眠り姫よろしく、茉理は寝かされていた。
薔薇の花たちは、実はすべて雅人の魔術がかけられた特別なものである。
ここには不審な人物は入れない。すべて薔薇の鋭い棘の餌食となってしまうのだ。
美しい花に守られて眠る少女の前に、帝はそっと立った。
(茉理)
白い頬に触れると、わずかに赤みがある。
胸は気息正しく上下に動いていて、帝はほっとその場に膝をついた。
雅人の治癒魔法で出来た金の薔薇を胸に、少女はすやすや眠っている。
「まったく、人の気も知らないで」
思わずつぶやくと、彼女の睫毛がわずかに揺れた。
指も少し動く。
帝ははっとして、少女を見守った。
ゆっくりと瞼が上がり、瞳が現れる。
首を少し動かして、茉理は横を見た。
(会長?)
「あ……わたし……」
ぼーっとした頭で、茉理は目をしばたたかせる。
「じっとしてろ。お前は今まで気絶してたんだ。すぐに動くな。まだ体は休み足りないんだから」
帝の声に茉理は真っ直ぐ上を向き、ガラスの天井を眺めた。
視界に誇らしげに咲く薔薇の花が映る。
(ここって……)
茉理は、そっと目を閉じた。
何かが彼女の中に渦巻く。
「ここは……あの人のいる場所だわ」
思いもしないつぶやきが、茉理から漏れた。
「何?」
「あの人――世界で一番、美しい人」
「茉理? どうした」
帝は彼女の声がおぼろげで、意識がどこかに飛んでしまっていることを知る。
「わたしを呼んでる……今度こそ行かなくちゃ。あの人のところに」
「茉理、茉理、しっかりしろ!」
帝は少女を抱え、思いっきり揺さぶった。
「行って、そして彼と一つになる。それが、わたしの運命……」
「茉理っ」
帝の必死に叫びに、茉理は横を向き、帝を見る。
「あ……れ……あなたは……」
「おいっ、どうしたんだ。しっかりしろ」
貴方などと呼ばれてあせる帝に、茉理はじいっと目を凝らした。
「あ……会長?」
「俺だ、一体どうした。わけのわからんことを言いやがって」
口調とは裏腹に心配そうな彼を、茉理は怪訝そうに見る。
「会長がどうしてここに? っていうか、わたし、どうしちゃったんですか」
「お前は俺と別れたあと、屋上で倒れたんだ。雅人が気付いて、お前をここに運んでくれた」
「ここって?」
「特館の庭にある温室だ。ここには雅人の特別な魔術を施してある。校内で一番防御に優れた場所なんだ。お前が安全に休めるようにと、ここに連れてきたらしい。もう大丈夫だ」
「屋上……会長と別れたあと?」
身を起こしながら、ゆっくりと茉理の脳裏に記憶がよみがえる。
(そうだ、わたし)
帝が去っていったあと。
あまりにも辛くて、彼を傷つけてしまった自分が情けなくて――体中が痛み、その後の記憶がない。
きっと自分は屋上で倒れてしまい、たまたま通りがかった雅人に発見されたのだろう。
(また迷惑かけちゃったな)
薔薇の花を片手にポーズを決めた雅人の横顔が頭に浮かんで、茉理はため息をついた。
なんだかんだ言って雅人にはけっこうフォローされている。
変態ナルシスト男だが、悔しいけどその点においては認めざるを得ないだろう。
顔色の冴えない少女に帝は顔をしかめ、そっと手を伸ばす。
両手で彼女の頬を包み、自分の胸に引き寄せた。
「また、そんな顔しやがって。今度は一体、誰のことを考えてるんだ」
「……」
「お前は俺のことだけ見てればいいって言ってるのに――余計なことまで気遣うな」
不機嫌そうだが、彼女を気遣う優しい声。
茉理は目を閉じて、彼の心臓の音を聞きながら心が落ち着いていくのを感じた。
(もう怒ってないのかな)
自分は彼にひどいことをしてしまったのに。
嘘の手紙を書いて、帝の心を騙してしまった。
彼は一生懸命だったのに――一生懸命、茉理を好きになる努力をしてくれていたのに。
でもそれは全部自分の義務を遂行するためだ。
(本当にわたしの事を好きだからじゃない)
茉理は顔をあげて、帝を見つめた。
真剣なそのまなざしに、帝も黒く深い瞳で答える。
「会長……帝先輩」
「なんだ」
「その、わたし、考えたんですけど、やっぱり先輩の彼女にはなれません。ごめんなさい」
「……」
茉理は微笑むと続けた。
「というか、わたし、最初は『ちょっとした知り合い』から始めたいんですけど」
「は?」
思いもかけないことを言われ、帝は目を瞬かせる。
「先輩と出会って、まだ2ヶ月ぐらいしか経ってませんよね。それですぐに『彼女』とか『彼氏』とかっていうの、性急すぎないですか。そういうふりをするんじゃなくて、きちんと今のお互いの関係を考えて、それに合ったお付き合いをしたいんです。真剣に」
「お前が何を言いたいのか、よくわからない。お前は今年は俺の『女』に決まったんだ。堂々と付き合って何が悪い」
困惑する帝に、茉理は一生懸命説明した。
「だからそういうんじゃなくて、もっと自由にしたいってことです。わたしを『彼女』に決めなくていいんです。なんていうか、いつかそうなるかもしれない可能性はあるけど、今は別に『顔見知りの後輩』で、名前を知っていて、廊下ですれ違ったら挨拶を交わす程度のところから始めたいってことです」
「なんだ、それは」
ますます帝は困った顔をする。
「それで時々会って話をしたり――その『彼女』としてじゃなくてですよ。方向が合ってたら一緒に同じ場所に行ったり、学校行事で活動するときは一緒にやったりとか、だんだんそうやっていったら『知り合い』から『友達』に昇格出来ると思うんです。そしてもしいつか本当に本気で先輩がわたしのことを1年とか期限付きじゃなくて、いつまでも『友達』でいたいとか思うようになってくれたら、本当の友達になれるし、本気でずっと一緒にいたいって思ってくれたら本当の『彼女』になれる。ふりでもしきたりでも運命でもなくて、本当に本気の『彼女』になって欲しいっていうんなら考えてみてもいいけど、今の段階ではまだ難しいんです。わかってもらえますか」
帝は注意深く茉理の言葉を聞き、ふうっとため息をついた。
――でも考えたことがあるのかい? 茉理姫のことを。
先ほど雅人に言われた言葉が、彼の胸に響いた。
彼は目を閉じ、静かに問う。
「一つだけ聞く。どうして俺に心にもないことを書いた手紙を送ったんだ。俺がそんなに迷惑だったのか」
「今、説明したことですけど、先輩に義務とかしきたりとかで無理矢理『好きになる』ふりはして欲しくないんです。でも先輩は一生懸命でしたよね。どうしてもその先輩の好意を受けることが、わたしには辛くて我慢出来ないことだったから」
俯き、茉理はぼそぼそとつぶやいた。
ごめんなさい、という小さな声が帝の耳に届く。
彼は、そっと右手で少女の頬に触れた。
「まったく。こんなことで泣くな。もういい」
「先輩」
「お前の言いたいことは聞いた。俺には正直言って、お前の気持ちはまだよく理解出来ない。『知り合い』から始めたいなんてわけがわからないが、まあ、いい。お前がそうしたいって言うんなら、そこから始めよう」
茉理は、びっくりして帝を見た。
「え……いいんですか?」
「しょうがないだろう。お前の言ったことを俺も考えてみる。何をお前が言いたかったのかを、きちんと考えるようにするから、もう泣くな」
茉理は目を見開く。
(信じられない。帝先輩が)
自分の主張しかしなかった、自分の思いがすべて正しいと思い続けていた彼が、一歩身を引いて茉理の言葉を受け止めてくれるなんて。
少女の驚くまなざしに、帝は照れくさそうにそっぽを向いて立ち上がった。
「お前は、もう少しここで休め。今日は、あとで斎に送らせる」
「あ……はい」
「あいつの方が同じ学年だし、気楽だろう。明日から俺は本当に『知り合い』から始めるぞ。わかったな」
そう言うと、帝は静かに温室を立ち去って行った。




