12
茉理は屋上の風に吹かれて、ため息をついていた。
(あ……気分悪い)
とても気持ちが治まる状況とは言えなかった。
(わかってるけどさ、そういう人だって)
自分の気持ちが帝に伝わらないことぐらい、嫌というほどわかっているはず。
なのにどうして理解されないことに苛立ちを覚えるのか。
(良い人なんだか、悪い人なんだか)
茉理は空に向かって顔を上げた。
彼が不人情な男でないことぐらい、自分でもわかっている。
本当はかなり優しい性格だ。
(それってB君の方なんだけどね)
茉理は屋上から下の校庭を見下ろした。
こないだ空中で助けられたことを思い出し、ふっとここから飛び降りてみようか、なんて思いが沸く。
(そしたらB君が出てくるかも)
何故か彼に会いたくなって、茉理は少々本気で手すりから身を乗り出した。
「おいっ、何してる!」
背後からぐっと抱きしめられ、茉理は驚く。
「わわっ、ちょっと」
体制を崩し、後ろにいた人間ごと彼女は後ろに転んでしまった。
「いてて……ごめんなさい」
茉理を後ろでクッションのように受け止めた帝は、何も言わずに彼女を起こした。
そっと彼女を引き寄せ、抱きしめる。
「やだって、離して」
「嫌だ」
彼はますますぎゅっと彼女を抱いた。
「俺を呼んだろ? さっき」
「呼んでません」
「呼んだよ、会いたいって――もう一人の俺に」
何故か悲しげな顔で帝はつぶやく。
茉理は否定できなくて、身をちぢ込ませた。
「お前は、強い奴は嫌いか」
「え?」
「強くいつも皆の先頭に立って、常に誇り高くある存在――そんな男は嫌いなのかと聞いている」
「わたしは……」
茉理は考えてみた。
(わたしの好きなタイプって)
――お兄ちゃん。
ふっと初恋の少年の面影が浮かぶ。
いつも優しく微笑んで、どんなときも側にいてくれた人。
ほとんど毎日、学校が終わったら彼の家に遊びに行った。
他の誰と遊ぶより、彼と遊ぶ方が楽しかった。
(そういえばどうしてかお兄ちゃんっていつも一人だったな)
茉理は小学校時代を思い出し、ふと気付く。
明人は大抵一人だった。
学校ですれ違うときも、いつも一人で歩いていた。
友達と仲良く笑っていた姿など見たことがなく、遊びに行ったらいつも家にいて、断られたことなど一度もない。
今思えば、その年頃の少年にしては、やけに孤独すぎやしなかったか。
(お兄ちゃんって、もしかして友達とかいなかったのかな。どうしてだろう)
考え込んでいる茉理を見て、帝はぐいっと彼女の顔を自分に向けさせた。
「おいっ、またあいつのこと考えてるだろう」
「……」
「考えるなと言ったろう。お前は今、俺の女だ。他の男のことを想うなど許さん」
強い彼の口調に茉理はかっとなって、その胸を突き飛ばす。
「なっ、何するんだ」
「何度も言いますけど、わたしは会長のものじゃありません。誰のことを思おうとわたしの勝手です」
「何だと? お前は今、俺に夢中のはずだ。あんな手紙を送って寄越して、今更何を言っている」
手紙のことを持ち出され、茉理はここから逃げ出してしまいたいくらいの心境になる。
(あーっ、そうだった)
黙ってしまった茉理を見て、帝の表情が険しくなった。
彼は静かにポケットから手紙を取り出す。
「そうか……そういうことか」
彼の瞳がぞっとするほど闇色に染まった。
「お前、これはわざとだな」
帝の顔がこれ以上ないほど怒りに満ちている。
「俺を好きになったわけじゃない。俺に付きまとわれるのが嫌で、わざとこんな手紙を」
(うっ、気付いたわね)
茉理はどう答えてよいかわからず、俯いてしまう。
「こんな……こんな物を!」
帝はビリッと手紙を破ると、茉理の足元にたたきつけた。
「この俺を騙し、嘘偽りの手紙を送りつけ、言い様に弄ぶとは! うかつだったよ。お前がよもやそんな女だとは思わなかったからな。信じて浮かれていた俺は大馬鹿者だ。面白かったか、そんな俺を見て」
「違う! そうじゃなくて」
茉理は、彼の口調に身を震わせて叫ぶ。
「何が違うんだ。この手紙に書いてある通り、お前は今でも俺を好きなのか。違うだろう」
ごおおおっと一瞬、暴風が帝の体から巻き起こり、茉理を襲った。
「きゃあああっ」
風にあおられ、少女はその場に倒れてしまう。
「この俺を騙した報いはたっぷりと受けさせてやる。覚えていろ。明日からお前は俺の女じゃない。俺を騙そうとした極悪人だ」
誰がお前などを好きで選んだりするものか、吐き捨てるようにそうつぶやくと、帝は踵を返し、屋上から出て行った。
(どうしよう)
茉理は屋上に崩れるように座り込み、顔を俯けた。
帝を怒らせてしまった。
いや、それ以上に――。
(あんな手紙、書かなきゃよかった)
少女の頬を涙が伝う。
彼を傷つけてしまったことが、とても辛い。
ただでさえ家の重圧やいろんなことを背負い、本来の自分ではない人格を演じ続けるほどに精神を追い込んでいる彼だというのに。
(許してなんてくれないよね)
プライド高く、騙されることなど彼にとっては屈辱以外のなにものでもない。
少しでもそんな帝を解放したくて、イベントを勝ち抜き、『好きでもない女の子と付き合わないといけない』義務を、今年一年だけでも失くそうとしたのに。
(わたしのやってることって、全然からまわりじゃない。もっと帝先輩を苦しめてる)
そのことが辛くて、茉理は胸を押さえた。
胸の奥に強い痛みが走る。
それは徐々に体全体に広がり、少女の動く力を奪った。
茉理は気力を失い、どっと屋上に倒れる。
そのまま目を閉じ、彼女は完全に動かなくなった。
(やれやれ、こうも早くにお役目開始とはね)
雅人は屋上に瞬間移動し、ため息をついた。
『お前は後野茉理についててやれ。危なくなったら彼女を保護してやるように――帝からもな』
直樹から先ほど思念で送られてきた言葉。
黒眼鏡の似合う、小憎らしいほど先の読める親友の顔を思い浮かべ、彼は苦笑した。
(まったく君の洞察力には敬意を表するよ)
雅人は少女の手を取ると、昨夜したように癒しの術を施す。
彼女の頬に赤みが差したのを確認すると、そっと抱き上げて空中に浮いた。
「さて、お姫様、君を安全なお城まで連れていかないとね」
どこがいいかな、と微笑みながら、雅人は少女と共に飛び去った。
(くそっ)
帝は苛立ちを抑えきれずに、書物をめくっていた。
特別書庫の中はひんやりとして、夏の訪れをまったく感じさせず、調べ物にはもってこいだ。
(どこかにあるはずだ。あの女を、俺の意のままに服従させる術が)
自分の思う通りにならないものなどあってはならない。
これまでは彼女の心に配慮して彼なりに努力していたのだが、もう我慢出来なかった。
(どんな術を使っても、あいつを俺の前にひれ伏させ、俺の心を求めるようにさせてやる)
このままでは全校生徒の物笑いの種だ。
クリスティ次期総帥の名にかけても後野茉理を自分のものにしなければ――帝は必死に手を模索する。
そんな彼の元に、ふっと薔薇の花が投げつけられた。
「おやあ、こんなところにいたんだ」
この忙しい時に、あまり会いたくない男が帝の側に現れる。
「何か用か」
ぶっきらぼうに言うと、雅人は瞳を上げ、つれないの、とつぶやいてみせた。
「僕は暇でしょうがないんだ。ね、帝、僕と遊ばないかい?」
「暇つぶしならどっか他へ行け! 俺は忙しい」
「ふうん、何でまた?」
にこにこと嫌味なくらいご機嫌な顔で、雅人は帝ににじり寄る。
「うるさい、ほっといてくれ」
「ふふ……君って本当にまだまだお子様だねえ」
可愛いよ、と耳元でささやかれ、帝の怒りは頂点に達した。
「ふざけるな」
思いっきり怒鳴ると、彼は書物を雅人に投げつける。
器用にそれを受け止め、雅人は危ないなあ、と肩をすくめた。
「すぐそうやってむきになる。自分の思い通りにならないものは我慢が出来ない。それで他のものに八つ当たりか。いい加減、少々うんざりだね」
雅人の口調が変わったのを見て、帝は眉を上げる。
「貴様にどうこう言われたくないな。お前の今まで起こした騒ぎの数々を忘れたのか。俺はお前に何かを諭される筋合いはない」
「そうかな」
雅人の口元が引き締まる。
瞳はいつもの酔うような色から、少しきついまなざしへと変わっていた。
その目でじっと見つめられ、帝の体に熱いものが湧き上がる。
(やるか)
彼はにやりと笑みを浮かべた。
「いいだろう、お前と遊んでやる。本家総帥として、貴様には少し立場を教えておかねばならないだろうしな」
「幼い王様のお守役としては、少しやきを入れとかないといけなさそうだからね。言っとくけど、君相手に手加減はしないから」
「望むところだ」
帝は、闘志満々の目で雅人を睨む。
今までのうっぷんを晴らすには、ちょうどいい。
「ここではまずい。外に行こう」
彼はぱちんと指を鳴らす。
雅人も同じ動作をして、瞬間移動した帝の後を追った。




