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帝は自家用車を出すと、疲れた様子の茉理を自宅まで送ることにした。
いつもはそんなのに乗りたくないと走って逃げてしまうのに、おとなしく後部座席に乗った彼女を帝も心配そうに見つめる。
彼女の心のどこに、こんなにも憂う想いがあるというのか。
あの精霊の少女のことで、まだ心を痛めているのか。
(よくわからん)
茉理の横で、腕組みをしながら帝は考え込んだ。
そしていくら考えても、わからないことに苛立った。
(くそっ、なんだっていうんだ)
去年付き合った美奈子とは、彼女はまるで違っていた。
美奈子はどんなときでも彼の側で微笑んでいた。
いつも機嫌よく振る舞い、彼がすることなすこと、すべてを受け入れて賛美した。
何をしても彼女が機嫌を悪くすることはなく、彼がたまにむしゃくしゃしていたときには、とても気を使って彼に接した。
『彼女』たる存在に、そうされることが当たり前のように感じていたのに。
(こいつはまったく違う。ええい、苛つく!)
帝はぎりっと唇を噛む。
自分の思い通りにならないことなどあってはならない。
そう、彼はすべての魔族の頂点に立つ人間。
わからぬことなどあってはならず、常に完璧でなければいけない。
すべてにおいて必ず成功しなければいけない。決して失敗は許されない――そう躾けられてきたのだ。
でも彼女に関しては、まったくさっぱり自信が持てず、帝は一抹の不安にさいなまされていた。
(こいつの心を得ることは、俺には出来ないのではないか……いいや、そんなことがあるはずがない)
認められない心の狭間。
彼は無理矢理心の不安を押し隠し、封印して見ないようにした。
そうしなければ自分を保てなかったのだ。
――表側の自分を。
「着いたぞ」
帝のぶすっとした声に、茉理は顔を上げてうなずいた。
機械的に体を動かし、外に下りる。
まだ雨は降り止まず、そっと傘を彼女の手に持たせて、帝は心配そうに顔を覗き込んだ。
「大丈夫か」
「うん」
ぽつん、と茉理は答え、『送ってくれてありがと』とつぶやくと、一礼してふらふらと家に向かっていった。
そのおぼつかない様子に、思わず帝は車から降りて彼女に歩み寄る。
「おいっ」
「……大丈夫だがら、ほっといて」
突然、茉理は声を上げて彼をにらみつけた。
その目線に帝は思わず一歩引いてしまう。
彼女はふいっと目をそらすと、そのままバシャバシャ雨の中を駆けていってしまった。
(なんだってんだ、あいつ)
また言い様のない不安が彼の心をよぎる。
何かが彼を責めていた。
彼女のあの瞳。
(なんだ、この気持ちは一体……)
帝は今まで感じたことのない想いをもてあましながら、しばらく茉理が去った方を見つめていた。
茉理は玄関までたどり着いて、一息いれた。
勢いよく走ってきたので、制服のスカートは水溜まりの跳ね返しで無残にもぐしょぐしょだった。
とても車に送られてきたとは思えない。
(うーっ、どぶねずみみたい)
茉理は自分の姿のすさまじさと濡れて少々気持ち悪くなっていることにため息をつき、家に入った。
「ただいまあ」
声をかけると、すぐに祖母の藤子がやってきた。
「茉理ちゃん、お帰り」
遅かったね、と目を細めて、祖母は茉理にタオルをくれる。
彼女は、うん、と俯くと、タオルを受け取り、頭や腕を拭いた。
そのままタオルを洗濯籠に放り込むと、彼女は自分の部屋に入る。
そんな茉理を藤子は心配そうに見守っていた。
濡れた服を着替え、茉理はベッドに倒れこむ。
本当は数学の宿題があったが、そんなの今やる気にはなれなかった。
(参ったなあ)
彼女は、天井からぶら下がったベットを覆うカーテンをじっと見つめた。
本当はこんなフリフリでピンクの可愛いカーテンは、彼女の趣味ではない。
だが以前、自分の身代わりにこの部屋に来た雅人が、女の子らしくしないと言って勝手に部屋を改造してしまったのだ。
いろいろ忙しくて、部屋の大部分はまだそのままだった。
ベッドにはテディ・ベアの大きなふかふかぬいぐるみがあるし、棚のところにもぬいぐるみが可愛く並べられている。
タンスを開ければ、まだ一度も袖を通したことのないヒラヒラやフリフリのワンピースやブラウス、スカートがぎっしり入っていた。
(男の子って、こういうの着た女の子がやっぱり好きなんだろうな)
ベッドの脇でくしゃくしゃに丸まったイチゴ模様のピラピラネグリジェを、茉理は手に取る。
それも雅人のお見立てだが、彼女は一度も着て寝たことがなかった。
(こういうの、がらじゃないんだよね)
そう言いながら、しわをのばしてじっと眺めてみる。
(やっぱり会長もお兄ちゃんも……男子ってこんな女の子が好きなんだろうな)
美奈子は去年、とても清楚で可憐なお嬢様のようだった。
もちろん今でもそうだが、それはすべて帝のため。
彼の側で常に可愛くありたいと、彼女は努力を惜しまなかったのだ。
本当の自分を押し隠して――。
(わたしは、そうなれないな)
茉理はぼーっと天井を眺めながら思った。
誰かのために変わりたいと、いつか自分も思うようになるのだろうか。
帝の側で、彼につりあう女の子になりたい、と考えるのだろうか。
(って、やだ、やだ、わたしったら!)
茉理ははっとして起き上がった。
自分でもとんでもないことを考えたと思う。
あの人にふさわしい女の子になりたいなんて。
(しっかりしなきゃ、後野茉理)
茉理は両手でペチッとほっぺたを叩いた。
(会長のことは、これ以上深入りしないようにしないと)
あとで辛くなるのは自分だ。
一年後には別れが待っているのだから。
(さ、宿題、宿題っと)
茉理は頭から余計な考えを振り落とすと、勉強机に向かった。
半分ほど宿題を片付けたときだった。
『後野さん、起きてる?』
突然頭の中に聞こえた声に、茉理は驚いた。
「と、遠野君?」
胸を押さえて、彼女は声を出す。
今まで彼が学校以外で声を送ってきたことは、滅多になかった。
『その……今、どこ?』
「自分の部屋だよ。宿題してるとこ」
『そっか、邪魔してごめん』
素直に謝られ、茉理はあわてた。
「いいって。もう半分ぐらい終わってるから」
『あとどのくらいで終わりそう?』
斎の問いに、茉理は時計を見る。
時計の針は6時半を差していた。
「うーん、あと15分くらいかな」
『そのあとの予定って聞いていい?』
「そのあとの予定? ご飯食べて、お風呂入って、寝るぐらいだけど」
不思議そうに答える茉理に、斎の声が降ってきた。
『あの、さ、もし後野さんが良かったら、ちょっと学校に行ってみない?』
「へっ、これから?」
茉理は首をかしげた。
今から学校に行って何をするというのだろう。
『もちろん、今言った予定を全部終わらせてからでいいよ』
「って、そうなると最低でも8時にはなるよ」
そんなに遅くに家から抜けだせるかなあ、とためらう彼女に斎は言った。
『靴だけ準備しといてくれるかな。お家の人には、うまくごまかす方法があるから、心配しないで』
「わかった」
茉理はうなずく。
考えてもしょうがない。
斎が何か学校に気になることがあるというのなら、ついていけばすぐにわかることだ。
『じゃ、支度が出来たら、思念を送って』
そう言って、斎は会話を切った。
茉理は先ほどまでのもやもやが消え、胸がどきどきする。
(なんだろう)
夜に学校に行くなんて、怖いけれど少しわくわくした。
(早く終わらせて、支度しないとね)
茉理は腕まくりをして気合を入れると、猛スピードで宿題を片付けていった。




