過去の回想5
消毒薬の匂いがする。
おぼろげな意識の中、彼はそう感じた。
(ここは、どこだ?)
目を開ける。
ぼろぼろのTシャツとジーンズのまま、何故、自分はここに横たわっているんのだろう。
(あ……そうだ。僕は死ぬ予定だったんだ)
もう死んだのか。
今、死後の世界に来ているのか。
彼の脳裏に浮かぶ思考とは裏腹に、すぐ横で誰かの泣く声がする。
彼はその悲痛な声に顔をしかめた。
(誰だよ、こんなに耳障りなうるさい声は)
「と……’おる、グスッ……徹……」
(うるさい。僕はもう泣き声なんか聞きたくないんだ)
彼は頭の中で激しく叫んだ。
(うるさい、うるさい、うるさいっ!)
口に出して叫びたかったが、何故か声が出なかった。
体全体に力が入らない。
「小母さん、しっかりしてください」
聞き覚えのある少年の声が耳に入り、徹の意識を混濁させた。
(どうして……なんで、あいつがここにいる?)
一番聞きたくなかった声を、死んでまでどうして聞かなければいけないのか。
徹は白い寝台の上で身動きも出来ず、ただ頭の中で叫ぶのみだった。
「どうして徹がこんなことを……」
病院のベッド。
白い寝台の横に動かない息子の体を見て、母親が泣き崩れる。
「あの子は一体どうしたというの? お医者様にも気絶してるだけだと言われたけれど――体を蝕んでいく、あの黒い物は何?」
「小母さん」
整った顔立ちの少年が困った顔になる。
「あの子が普通の子じゃないことぐらい、わたしにはわかっているわ。でもこんな……まるで呪いにでもかかったみたい」
母親がわっと泣き崩れた。
「智之君、あなたなら説明出来るでしょ。お願い、教えて、徹はどうしてしまったの?」
「彼は自分の中に眠っている欲望や醜さに気付いたんです。本来、人間は誰でもそんな弱い一面を持っているもの。でも彼は自分のそんな部分が許せなくなっていった。自分で自分を嫌悪し、この世に生きるべき存在ではないと思ったんでしょう。自分を追い詰めてしまったのです」
「そんな……あの子はいつもいい子だったわ。物静かで本が好きで、他の男の子に比べたら少しおとなしすぎたかもしれないけど、間違った事をしたことなどほとんどなかった」
「でも彼はたとえ何もしていなくても、これからしてしまうかもしれないという自分の恐ろしい可能性に目覚めてしまい、自分に生きる価値なしと判断して、何度も闇の呪術で自分に呪いを送ってるんです。あの黒い皮膚は呪いの進行状況です。徐々に彼の全身にまわり、いずれは魂にまで及ぶ」
「どうにかならないの?」
「呪いは基本的にかけた術者を倒すか、術者に呪いを返すことで払うことが出来る。しかし本人が自分にかけた呪いなら、どちらの方法も結局彼自身を損なうことになるでしょう」
「そんな」
「どうしても誰にも救えない、一番助からない方法を彼は選んだんです」
「うっ……」
母親はわっと泣き崩れ、それ以上は何も聞かなかった。
智之はそんな哀れな女性の背を優しく撫でる。
「でも他にも彼を救う方法があるかもしれない。呪いの件は僕が調べてみます。ですから体の方は小母さんが、しっかり病院で見ていてください。少しは科学的な方法で、体を維持することも出来るはずですから」
そう言って、智之は思いやり深い少年にしか見えない顔で微笑んだ。
その笑みに若干の妖しさが漂っていたことなど、母親はまったく気付かなかった。




