可愛い殺人事件
雨上がりの夜の街は、湿ったアスファルトが鈍く光っていた。
薄暗い路地裏には、まだ雨の名残が水たまりをつくり、そこに揺れる街灯が映り込んでいる。
近頃、この町では立て続けに不可解な殺人事件が起きていた。
若い女性が相次いで行方不明となり、後に冷たい遺体となって発見される。
その様子はまるで見世物のように、荒々しい痕跡をむき出しにしていた。
しかも妙なのは、被害者たちの外見的な共通点だった。
いつも少し長めの黒髪に、柔らかい印象の大きな瞳を持つ女性ばかりが狙われているというのだ。
警察はそれを聞き込みの一環として調べているらしいが、依然として有力な手がかりは得られていない。
るみちゃんは、最近その事件の噂を耳にするたびに胸騒ぎを覚えていた。
どこかで感じる暗い影が、日常の背後にひそんでいるような気がしてならない。
「けいちゃん、聞いた? また人が消えたんだって」
するすると長い髪を指でくるくるしながら、るみちゃんはけいちゃんに声をかけた。
けいちゃんは少し大きめの瞳を伏せ、「うん、聞いたよ。こわいよね」とつぶやく。
そんな二人を見つめながら、さやかちゃんは小さくため息をつく。
「ここ数週間で、もう三人目でしょ。なんだか普通じゃないよね」
さやかちゃんは確かにもっともっと可愛い雰囲気をもっている。
けれど、その可愛らしい外見に似合わず口調ははっきりしていて、事件の真相をつかもうとする探究心も強い。
「私たちで何かわかることがないか調べてみようよ。こんな気味の悪い事件、ほっておけないもの」
るみちゃんは少し気後れしながらも、「さやかちゃん、そんな危ないことしないほうが…」と声を落とす。
けいちゃんはるみちゃんの肩にそっと手を置いた。「大丈夫だよ。私たちだって気をつけながら行動すればいいんだから。何もしないまま不安でいるより、動いたほうがまだ気が休まるかもしれない」
その言葉に背中を押されるように、るみちゃんはうなずいた。
翌日、三人は学校帰りに事件のあった現場付近へ足を運んだ。
警察の立ち入り禁止のテープは取り払われていたものの、路地の奥にはまだ血のような赤黒い染みが残っている。
「あそこに遺体があったのかな」
るみちゃんは思わず小さく声を漏らし、けいちゃんとさやかちゃんを振り返る。
「犯人は、どうしてこんな人目につきそうな場所で…」
けいちゃんは辺りを見回しながら首をかしげた。
わずかに生ぬるい風が吹き、三人の髪をそよがせる。
夕暮れが近づき、空は灰色ににぶく色づいていた。
さやかちゃんは唇をかみながら、指先でスマートフォンを握りしめる。
そして、小さな声で「この通りの端に、防犯カメラがあるみたいだね。何か写っていないかな」とつぶやく。
けいちゃんも顔を上げ、「警察ならとっくに調べてるはずだけど、何もつかめていないんだろうね」と言った。
三人はその場に長居するのも気味が悪くて、いったん帰ろうということになった。
翌朝も、やはり昨晩の路地裏の光景が頭から離れなかった。
るみちゃんは教室の窓から校庭を見下ろしながら、「ねえ、けいちゃん。これ以上被害者が増えたらどうしよう」と声を落とす。
けいちゃんは机の上で指を組み、「警察も警戒を強めているみたいだから、大丈夫だよ。私たちもなるべく早く帰るようにして、夜道は避けよう」と答えた。
その言葉に、ほんの少し安心したような気がした。
しかし、その夜も新たな犠牲者が出てしまう。
被害者は十代後半の女性で、見つかった場所は町外れにある廃墟のアパートだった。
テレビのニュースでその情報を知ったとき、るみちゃんは思わず背筋を強張らせ、冷たい汗が頬を伝った。
「こんなに頻繁に起こるなんて、やっぱり普通じゃないよ」
けいちゃんも震える声でつぶやき、さやかちゃんは窓の外を鋭い目つきで見つめていた。
それから数日後、街の雰囲気は一層険悪なものになっていく。
夜には外を出歩く人も減り、大道りでさえ、足早に家路を急ぐ人の姿がちらほら見えるだけだ。
さやかちゃんはそんな閑散とした通りを見ながら、「本当に嫌な感じ。犯人が捕まるまで気が抜けないよ」と眉間にしわを寄せた。
いつもは元気に笑っていたけいちゃんも、最近では言葉少なにうつむいていることが増えた。
「もし、犯人が私たちの知り合いだったらって考えると、夜も眠れなくて…」
そんな不安げな声を聞いたるみちゃんは、無理に笑顔をつくってみせた。
「さすがにそれはないよ。警察も大規模に捜査してるし、早く解決するよ、きっと」
ところが、その直後に事件はさらに恐ろしい展開を見せた。
遺体は無残な姿で発見され、その場には誰もが目をそむけたくなるような痕跡が残されていた。
ニュースでは、凶器の見当がつかず、被害者には争った形跡がないと報じられる。
まるで相手が人間ではないかのように、一方的に嬲られたあとがあるというのだ。
それを知ったとき、さやかちゃんは震える唇を押さえた。
「ねえ、今回の被害者もやっぱり長めの黒髪だったらしいよ」
けいちゃんがぽつりとつぶやくと、るみちゃんは一瞬眉をひそめたが、すぐに視線を逸らした。
三人目の犠牲者とも同じ特徴があるとわかり、警察の発表はますます混迷を深めているようだった。
けれど、三人にはそれ以上どうすることもできなかった。
夜のコンビニ帰りに、るみちゃんはけいちゃんと二人で人気のない道を歩いていた。
「ねえ、いつまでこんな生活が続くんだろう。早く犯人が捕まってほしいよ」
そうつぶやいたとき、どこからか人の気配がする。
彼女たちは立ち止まり、警戒するように周囲を見渡したが、夜の闇が広がるだけだった。
「気のせいかな…。早く帰ろう」
少し走るように歩き始めたけいちゃんを追いかけながら、るみちゃんは何度も背後を振り返った。
翌日、さやかちゃんから「どうしても話したいことがあるから、二人とも放課後に体育倉庫の裏に来て」とメッセージが届く。
その日の放課後、薄暗くなった校舎の裏手に回ると、さやかちゃんがひとりで待っていた。
「ごめんね、こんな場所に呼び出して。ちょっと他人の耳に入れたくない話なんだ」
そう言うと、彼女はいつになく真剣な表情を見せる。
るみちゃんが「どうしたの? 事件の手がかりでも見つかったの?」と尋ねると、さやかちゃんは申し訳なさそうに首を振った。
「手がかりっていうか、変なことを聞いちゃったの。廃墟のアパートで被害者を見つけた人から話を聞いたんだけど、そこにいた人影が…けいちゃんにそっくりだったって」
聞いた瞬間、るみちゃんは目を見開いた。
「そんなわけないよ。けいちゃんがそんなことするはずない」
けいちゃんもさやかちゃんの言葉に呆然とする。
「私が廃墟のアパートになんて行くはずないし、そもそもその時間は家にいたよ。お母さんも家にいたから証明できると思う」
けいちゃんの声は必死だった。
それを見たさやかちゃんは、「ごめんね。疑うわけじゃない。ただ、気になって仕方なくて」と肩を落とす。
るみちゃんは「誰かがけいちゃんを陥れようとしてるのかも」と言い、けいちゃんの手をぎゅっと握った。
だが、その数日後に起きた事件現場近くでの目撃証言にも、けいちゃんの特徴が重なる人影があったという情報が流れ始める。
「どうしてこんな噂が広まるの?」
けいちゃんは自宅の自室でうずくまりそうなほど混乱していた。
「私はやってないのに。ねえ、さやかちゃん、るみちゃん、本当に信じてくれるよね」
その言葉に、二人は深くうなずいた。
しかし、町の人々の間では「連続殺人犯はけいちゃんらしい」という根拠のない噂が急速に広がり始める。
警察までもがけいちゃんに関心を寄せ始め、何度か事情を聞きに家を訪れるようになった。
そんな状況が続くうちに、けいちゃんの心にはじわじわと焦燥と絶望が染み込んでいく。
ある夕暮れ、けいちゃんは人目を避けるように家を出て、人気のない路地をふらふらと歩いていた。
「私、どうしたらいいんだろう。誰も私の言うことを信じてくれない…」
ぽつりとつぶやいたそのとき、背後で足音がした。
振り返ると、そこに立っていたのはるみちゃんだった。
「けいちゃん、やっぱりここにいたんだね」
優しげな声なのに、その目はどこか冷たさを帯びているように見えた。
るみちゃんは、まるで初めて会う人に接するかのようにぎこちなく微笑んでいた。
けいちゃんは首をかしげる。「るみちゃん…? どうしたの、その顔」
すると、るみちゃんは夜の闇に溶け込むような低い声で言った。「けいちゃんが全部悪いんだよ。こんなにかわいい私を困らせるなんて、許せないでしょ」
その瞬間、けいちゃんははっと目を見開いた。
るみちゃんの背後に、血のような赤い染みがべったりとついたナイフが見えたからだ。
「まさか…るみちゃんが…」
言葉が出ないまま、けいちゃんは後ずさる。
るみちゃんは薄く笑いながら、ナイフをそっと構え直した。
「みんなさやかちゃんの可愛さや、けいちゃんのほうがもっと可愛いって言うようになって。他の子も可愛いってちやほやされて。私だって可愛いのに、誰も私のことなんて見てくれない。だから全員消しちゃえばいいと思った」
闇に溶け込むような冷たい声に、けいちゃんの心臓は激しく鼓動する。
「嘘でしょ…そんな理由で…」
けいちゃんの声は震えていた。
すると、路地の角から姿を現したのは、息を切らしたさやかちゃんだった。
「るみちゃん、やめて!」
さやかちゃんは、るみちゃんの手からナイフを奪おうと必死で腕をつかむ。
だが、るみちゃんは狂気に染まった目を向けたまま刃を振り下ろそうとする。
悲鳴にも似た衝撃音が小さな路地裏に響き、短い沈黙が訪れた。
警察のサイレンが鳴り響き、あたりを赤と青の光が照らすころ、るみちゃんはうなだれるように座り込み、ナイフを落とした。
「私が一番可愛いはずなのに…どうして誰も気づいてくれないの…」
その呟きに応える声はもうなく、けいちゃんは腕に深い傷を負いながらもさやかちゃんに支えられて立ち上がっていた。
「ごめんね、けいちゃん…気づいてあげられなくて」
さやかちゃんの瞳には、深い悲しみだけがゆらめいている。
こうして連続殺人事件は幕を閉じた。
犯人は、可愛いと言われる自分にさらに注目を集めたかったのか、それとも何か他の憎悪が原因だったのか。
警察が調べるうちにわかったのは、犠牲となった女性たちはみな、長めの黒髪と柔らかな瞳を持つ“いかにも可愛らしい”印象を与える外見だったということ。
一見それだけの共通点に思えるが、るみちゃんの目には、彼女たちが自分の可愛らしさを脅かす存在として映っていたのかもしれない。
被害者たちの無念だけが、冷たい闇の底に沈んだまま消えることはないだろう。
その後、町には少しずつ平穏が戻り始めた。
けいちゃんは傷の療養を終えて家に戻り、さやかちゃんも日常の学業に戻っていく。
けれど、二人ともあの夜の記憶を忘れることはできない。
一見すると平和に見える町の風景も、どこか脆い現実感の上に成り立っているように感じられた。
校舎の窓から沈む夕日を見つめながら、さやかちゃんはそっとつぶやく。
「このまま時が流れたとしても、きっとあの出来事は消えないんだろうね。私たちもあの子の心の叫びを知らなかったわけじゃない。気づかないふりをしていただけなんだと思う」
けいちゃんはうなずき、窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。
「人の心がどこまで闇を抱えられるのかなんて、きっと誰にもわからないんだね」
もうすぐ薄闇が訪れる。
遠くに見える街灯が、何事もなかったかのように灯り始めた。
だが、この町に巣食っていた深い闇は、今もどこかで呼吸を続けているのかもしれない。
そう思うと、けいちゃんとさやかちゃんはそっと視線を交わし合い、強く唇を引き結んだ。
新たな夜が今日もゆっくりと幕を下ろしていく。