エニアスと討伐4
妹さんの物だという寝間着と自前の下着を手に、村の外れにあるという温泉に向かう。
ミノタウロスの討伐を終えたボク達は、馬車でカルジャスの下に戻り諸々の報告を終えた。エニアスはそそくさと自室に戻って行ったのだが、ボクは疲れを癒しに温泉に行ってはどうかと提案されて、断る理由もなく受理した。ただ、寝間着として使える衣服を持っていなかったこともあり、エニアスの妹の服を借りることになった。
「この道を抜けた先……だっけか」
村から続く、木々に囲まれた細い道が伸びている。暗くて、遠くまでは見通せない。説明されたところによると、この先に温泉があるらしい。
「熊とか出そうだな……ここの人達なら、何ともなさそうだけど」
何せ、ここの領地の人が集まれば、一国に値するとまで言われているのだ。熊程度、どうって事無さそうだ。
そんな事を考えながら、森の中を進む。今日はほぼ後衛として戦っていたからか、魔法を使ったことによるダルさは多少あれど、身体的な疲れは大してない。これなら、数年ぶりの温泉も堪能出来そうだ。
「……あれかな?」
暗かった森の中を抜け、明かりの中に旅館然とした建物が姿を見せる。入口にこの世界の文字で男女とそれぞれ書かれた暖簾が掛かっているのを見るに、脱衣所用の建物みたいだ。だいぶデカイが。
「人口がどのくらいかは知らないけど、領民皆が使う大衆浴場みたいだし、このぐらいのデカさもいるか」
雑に納得したところで、脱衣施設に足を踏み入れる。屋内は土足厳禁らしく、入口すぐにボクの身長の倍くらいはありそうな靴箱が、両脇に鎮座していた。圧迫感がすごい。
覚えやすい左側の右端一番下に靴を仕舞って、裸足で奥に進む。同じような光景が男性側にもあるのかなぁ、などと思いながら、誰もいない脱衣所をのんびりとしたペースで歩く。大衆浴場としての解放は日が陰り出してかららしく、今の時間は許可を貰った人くらいしか利用出来ないのだそうだ。つまり、今はボクの独り占めだ。
学園でもいつもそうしているように、浴室に一番近い荷物置きに着替えと今身に付けている衣類を置いて、タオルと髪留めの紐を手にお風呂への木製スライドドアを開ける。
「おぉ……なんも見えん」
湯気が立ち込めており、視界は白一色だ。一メートル先も見えない。アニメや漫画なら、ボクの裸を勝手に隠してくれるだろうから、有難い存在ではあるかもしれない。視聴者的には邪魔でしかないだろうが。
「ここからお風呂か」
少し進むと、一際湯気が濃くなる。屈んで目を凝らしてみると、足場が一段下がっており、お湯が太陽光をキラキラと反射していた。
「温度は……うぁっつ!」
指先をお湯に浸けてみる。二十度後半くらいの気温に対し、四十度を超えたお湯に触れたことで温度差に体がビックリしてしまった。いつものお風呂に比べると熱いが、温泉ならば妥当な温度か。
「……は?」
「え?」
ふと声が聞こえたかと思い、索敵で辺りを見てみる。するとどうだろうか。温泉の中央近くにある岩石に寄りかかる、よぉく見知った人物がお湯に浸かっているではないか。
「なんでお前がここに居るんだよ!」
「き、君のお父さんに行ってきたらって言われたから……エニアスこそ」
混浴なのかよ、この温泉!
「俺は昔から、鍛錬後はここに来て疲れを癒してたんだよ。今日もその一環だ……くそ、謀りやがったな、父様め」
「あー……一緒にお風呂に入らせて、既成事実を作らせようとした的な?」
「そんなとこだ……」
ボク達はまだ十や十一の子供だぞ。やるにしても早いだろう。いや、むしろちょうど興味を持ち始める頃合だから、タイミング的にはいいのかいやよくねぇよ。中世だから有り得るのかもとか思ったけど、さすがに早すぎだ。
「はぁ……俺は出る。ゆっくり休め」
「え、いや、ボクが後に来たんだし、エニアスが出て来るの待ってるよ」
エニアスが部屋に戻ってから今まで、まだ三十分と経っていない。ここまでの移動にも十分弱は掛かったし、エニアスもそんなにのんびり出来ていないだろう。
かと言って、脱いでしまったしまた服を着るのは面倒ではある。
「……もういっそ、一緒に入る? お互い、一定の距離を保って相手を見ないことを前提に」
「……岩の反対側に居る。それならその前提も守れるだろう」
「そうだね」
さっさと全身を洗い終え、岩の手前側に陣取る。エニアスはボクが体を洗っている間に、岩の向こう側に行っていた。
岩にもたれ掛かり、長く息を吐く。全身から力が抜け、ほぼ反射的に全身をだらんと伸ばす。
「……ちなみにだけど、さっき、見た?」
「この湯気だ。見えるわけないだろう」
「それもそうだね」
ボクも目視ではエニアスの輪郭を捉えるのが精一杯だったし、見られてはいないだろう。万が一見えていたとしても、気遣いの出来る男であるエニアスは言わないだろうが。まあ、ここは都合のいいように解釈しておこう。
「体は大丈夫?」
「ああ、何とも……激化を使えば、もっと体に影響が出るものだと思っていたが」
エニアスは元々、神速を使いかけてたからなぁ。それに、かなり鍛えているし、激化程度じゃあ大して体の負担にはならないのだろう。ボクやアトラ達は、使い始めの頃は結構筋肉痛に悩まされていたが。
ゴブリン戦の後は何ともなかったじゃないかって? あの時は天獄炎龍後で体力面の心配もあったし、まだこの体に馴染み切れていなかったから、若干セーブ気味な激化だったんだよ。だから、体への負担も抑え気味だっただけ。
「鍛えすぎかもね」
「だとしたら、諦めずに鍛え続けて正解だったな」
間違いない。筋肉痛が生じていないのもそうだが、それ以上に恩恵が出ているのは、尋常じゃないあの速度だ。激化を使ったくらいでは、到底出せるものじゃない。ボクやアトラが馬だとすれば、エニアスはチーターだ。そう言えるくらいに、激化中のエニアスの速さはとてつもなかった。
「いやぁ、エニアスの激化は凄かったなぁ……全部を切り刻む刃みたいだった」
「なんだそりゃ」
「なんかあるんだよね、激化って。こう、その人が纏う雰囲気みたいなのが。アトラが光っぽくて、カルミナは吸い寄せられるような……闇? そんな感じ。二人が言うには、ボクは太陽みたいな炎らしいよ」
「へぇ……まあ、言いたいことは分からなくもない。似たような印象を俺も感じたことがある」
あるんだ。やっぱりこの、激化中に感じる個別の雰囲気って、実際にあるものなのか。
「何なのかなぁ、これ。こうして何人もが感じてるってことは、確かに存在するんだろうけど……」
生前人気だった、鬼を殺す作品の呼吸みたいなものだろうか。実際には見えてないけど、そういう風に見える、みたいな。
「さぁな」
「研究対象だな、これも……」
激化が神速の前段階で、神速は先天魔力を活性化させるものだから、激化の時点で僅かながらにも先天魔力が活性化していると仮定すれば、雰囲気はその先天魔力から感じるもの……という風に予想は出来る。ただ、確証は無い。
この説を立証するには、まず神速を使えるようにならなければ。神速を使っている際に激化と同様、個別の雰囲気を感じなければ、この説は否定されてしまうから、神速下でも感じるのかどうかを確認する必要がある。
とはいえ、神速に関しては、ボクはまだ存在を知ったばかりで、使う糸口すら掴めていない状態だ。恐らくだが、ボクより先にエニアスが使えるようになるだろう、とすら思っている。
「激化を使いこなして、神速を使えるようになって……まだ先もありそうだし、伸び代バツグンだな」
「神速?」
「まだ聞いてなかった? 激化のその先だよ」
「へぇ……じゃあ、次はそこを目指せばいいのか」
「そうなるね」
RTAが始まりそうだな。と、苦笑いを浮かべる。
「……フォルサは、元気にやってるかな」
「ボクはフォルサちゃんについてよく知らないから、何も言えないかな」
「……馬鹿なことを考えてなきゃいいんだが」
「というと?」
「あいつ、強気でお転婆な所があるからさ。自分が強くなって、ティルノントを壊滅させて、自力で逃げてやる……なんて企んでいそうなんだよな」
もっとお淑やかな子だと思ってたけど、予想以上に男勝りなのかもしれない。これは、ラプロトスティさんやアトラよりも、育てるのが大変そうだ。
「でも、そういうところは兄妹だね」
「そうか?」
「一人でどうにかしようとしちゃうところ。そのために、努力を惜しまないところ。そっくりだよ」
「……傍から見たら、そうなのか」
話を聞く限り、フォルサはかなり活発なのだろうが、対するエニアスは基本的に冷静沈着。表向きはあまり似ていないから、エニアス自身はあまり似ていないと感じていたみたいだ。多分、性格は違うのだろうが、心に宿る炎はよく似ているのだと思う。
いつか、話せる機会が来るといいな、フォルサと。剣の才能はエニアスよりも上らしいし、交えてみたいものだ。
「フォルサちゃんが無茶をする前に、助け出さないとだね、お兄ちゃん」
「……お前にお兄ちゃんって呼ばれるのは、気味が悪いな」
「なんでだよ」
ボクも自分で言っていて、気持ち悪いなって思ったけどさ。そういうキャラじゃないし。
「何にせよ、今日の戦いで一歩前進したことは確かだ。まだまだゴールは遠いかもしれないけど、着実に進んでいるよ」
「……そうだな。ありがとう、プロティア。今日のことも、今日までのことも……お前のおかげで、俺は前に進めている」
「どういたしまして。お礼は高級ディナーの奢りでいいよ」
「何だよそれ……今度作ってやるよ。一応、それなりの自信はある」
「え、意外」
エニアスが料理って、イメージ無いな。日本に住んでたら、具なしペペロンチーノとか作ってそうなのに。
「戦地で戦意を維持するには、食によるメンタル回復も大事だからな。簡単にではあるけど、小さい頃から料理の手解きは受けている」
「なるほどねぇ」
どんなものか、食べるのが楽しみだ。ゲテモノ素材から作っためちゃウマ飯とか出て来る可能性も無きにしも非ずだが、普通の料理だと信じよう。
どんな料理が来るかな、と妄想を掻き立てながら、肩までお湯に浸かる。ふと、一年も前の記憶をぼんやりと思い出す。
「ねぇ、エニアス。今度、パーティーメンバーでこの温泉に入らない? だいぶ前に、カルミナと皆で行きたいねって話してたんだ」
「俺は入らないぞ。癒しの場で余計な気苦労をしたくない。お前らだけで入るのなら、許可は取っておく」
確かに、女子と一緒にお風呂は例え十歳やそこらだとしても、男子にとっては気まずいか。ボクも、転生後はかなり苦労していたし。
「……もしかして、今の状況ってかなりエニアスにストレス掛けてる?」
「お前は妹と大して変わらないからな、何ともない」
ほぼ直接的に子供体型だ、と言われているようなものだ。ボクとしては何とも思わないし、どちらかと言えば全くの同意なのだが、プロティアにとってはほっぺ膨らまし案件だろう。代わりに、ちょっと揶揄っておくとしよう。
「ふーん、じゃあそっち行ってもいいよね? ボクの体じゃ、興奮しないんでしょ?」
「はぁ!? バカ言うな!」
「あれれ〜、さっき言ってたことと反応がズレてるぞ〜?」
「……いいぜ、今ここで戦って分からせてやるよ。言っておくが、俺はお前の体質のことも知っているからな」
「ごめんなさい調子乗りました」
エニアスと戦って勝てるかは微妙なところだし、体質を利用されたらもうどうすることも出来ない。何なんだよこのエロマンガ体質、ふざけやがって。
「ったく……まだ出ないのか? そろそろ熱くなって来たんだが」
「あ、そうだよね、先に入ってたし。ボクはもうちょっと浸かってたいから、先に出てていいよ。目は閉じとく……そっちも、見ないでよね? 見たら後で蹴り上げるから」
「怖いこと言うなよ……」
言っててボクも、無いはずの玉がヒュンとした。プロティアのパワーで蹴られたら、絶対に潰れるだろう。
そうして、エニアスは先に出て行った。もちろん、ボクは目を閉じていたし、魔力振動でエニアスの視線がこちらに向いていなかったことも確認済みのため、蹴り上げる必要は無い。分かっちゃいたが、あの年齢の男子が、すぐ側にある女子の裸を見ないと言うのは、なかなかの精神力だと思う。さすがエニアスだ。
「皆で温泉、楽しみだな……カルミナ、喜んでくれるかなぁ」
学園のお風呂と比べても遜色ない大きさの温泉だ。きっと、カルミナなら喜んでくれる。はしゃいでいる姿が目に浮かぶようだし、見られる時が楽しみだ。




