エニアスと討伐2
エニアスの父親がそう名乗る。先刻感じた、殺意にも似た覇気こそ鳴りを潜めたが、まだ気を抜けば一歩退いてしまいそうな気迫を醸し出している。
「いきなり試すようなことをして、すまない。人様の子の命を預かる以上、死なせるわけにはいかないのでな」
「……いえ、ご配慮ありがとうございます。ですが、今の一瞬で判断が付くものなのですか?」
「もちろん、全てが分かるというわけではない。だが、殺意に対する瞬間的な反応速度、そして相手を見て瞬時に対応を決する判断力は見ることが出来る。後衛に最低限必要である能力だ」
確かに、その二つは今の一瞬でも分かるだろうし、後衛に必要な能力だ、というのも尤もだ。
「なるほど……お初にお目に掛かります。冒険者学園フェルメリア校二年、プロティアと申します」
貴族の場であるため、カーテシーにて一礼をする。
「噂は度々耳にしている。最近では、一人でイレディル、ミューナスと数分間渡り合ったらしいな」
その話、もう広まってるのかよ。しかも別領地にまで。
噂の伝達速度というものは恐ろしいものだな、と思いつつ、カルジャスの言葉に呆れる。もちろん、貴族の手前、表情には出さないよう、最大限の注意を払う。
「あれは、お二人が本気を出していなかったから出来たことですので……ボクの実力なんて、まだまだです」
「そうか。己の実力を過大評価しないことは、素晴らしい。これからも励み、本気の彼らを相手に勝てるようになることを期待している」
「は、はい! 頑張ります!」
これだけ凄い人に言われたら、頑張らない訳には行かない。その為にもまずは、神速を使えるようになる所からだろう。
「そして……エニアス。今回は、お前の成長と実力を測ることを目的として、討伐を命令した。その事は分かっているな?」
「はい」
普段より引き絞るような声で、エニアスが答える。尊敬と畏怖が、いつも冷静で滅多に怯まないエニアスをそうさせるのだろう。
「分かっているのならば構わない……今回の討伐対象は、私も見たことがない魔物だ。強さも、戦い方も、何も前情報はない」
そんな敵に、自分の子供を送り込むのか? さすがに、いくら戦いの家系だとしても、無謀が過ぎやしないだろうか。
「……無謀だ、と思っているのだろう?」
図星を突かれて、ビクッと肩が跳ねてしまう。隣で、エニアスも僅かな力みが見えたあたり、同様のことを考えていたのだろう。
どう思っているのだろう、とは思っていた。エニアスは、この話をして来た時も、ここに来る道中も、ほとんど表情の変化を見せることはなく、カルジャスの指令についてどう思っているのか、何も掴めなかった。でも、ボクやメラキと同じように、無茶な話だと思っていたらしい。
「私はそうは思わない」
「……激化すら使えない俺が、何の情報もない敵を倒せると考える、根拠は何ですか?」
「私が、お前の父親だからだ」
「……ネアエダムの血がそうさせるってことですか? それなら見当違いですよ。剣の才能だけを見ればフォルサの方があるし、剣士としても俺はプロティアに負けています。アトラスティやカルミナにだって、何度も負けている……俺は、ネアエダムの落ちこぼれですよ」
半笑いを浮かべて、エニアスがカルジャスの言葉に反論する。その笑みは、どこか自虐的で、頬を涙が伝っているような錯覚すら覚えるほど、痛々しい笑みだった。
いい刺激になれば、と思って今の環境に引き入れたけど、もしかして悪手だった!? 余計な劣等感植え付けちゃったかな!? い、今からでもパーティーを変えてもらうべきだろうか!? などと、不安が沸き起こる。
「……私が言いたいことは、血筋のことではない。私は父として、お前の事をお前以上に理解しているということだ。だからこそ、お前であればこの戦いを生き抜き……次へと進められる。そう判断した」
「俺が……?」
「ああ。フォルサの方が剣の才があると言ったな。確かに、あの子は私に対してすらも天才と言わしめるだけの才を持っていた……だが、お前はその才能すらも、お前自身の才能と努力で上回っている。お前が激化を使えないのは、ただ一つ、ボタンの掛け違いがあるだけだ。それに気付くことが出来れば、お前はネアエダムの落ちこぼれだなどと、誰も……お前自身も、思わなくなる」
「ボタンの掛け違い……」
この言い方、カルジャスもエニアスが激化を使えない理由を知っているのだろうか。確かに、一つのボタンの掛け違いという言い方は、的を射ているように思える。
「準備が整っているのであれば、既に出立の準備は終えている。どうする?」
「ボクは大丈夫だよ」
エニアスにそう話しかける。エニアスも装備は着用済みだし、今の話で覚悟も決まったのだろう、こちらをチラリと見て頷いた。
数十分後、ボクとエニアスは、再びメラキによりネアエダム領の山の麓へと、馬車によって案内される。
目の前には人工のものと思われる洞窟が見受けられ、恐らくこの中に標的となる魔物が潜んでいるのだろう。入口の大きさからして、最大でも五メートル程度の魔物のはずだ。それ以上は、屈んでも通れなさそうだし、それこそ匍匐前進でもしないと進めないだろう。
「行けそう?」
「ああ」
エニアスに問い掛けると、すぐに返事が来る。覚悟が決まった顔をしており、気合いは充分と言ったところか。
「お二人共、どうぞお気を付けて」
メラキの言葉に一緒に頷いて、ボク達は洞窟の中へと歩みを進めた。
入口に入るところで二人とも剣を抜き、正面に構える。索敵で討伐対象も捉え、そこまでの道中に他の魔物が居ないことも確認済みではあるのだが、ティルノントとの戦いで存在を認知出来なかった相手が居たそうなので、最近はこうして索敵だけに頼らず、警戒を怠らないようにしている。
この洞窟は確かに人工のもののようで、崩れないように一定間隔で木材の支えが組まれている。恐らく、何らかの鉱石を採掘するための、採掘場なのだろう。レアメタルでも採れるのだろうか。
「……周囲に魔物は?」
「索敵では討伐対象だけ。一番奥の広い空間に佇んでる」
「そうか。どんな魔物か分かるか?」
エニアスの質問に答えるため、警戒は一旦エニアスに任せて、討伐対象に意識を集中させる。
「人型なのは聞いた通りだな……ただ、頭が牛。武器は何も持ってなくて、体格はボクより三倍くらい大きい」
「牛頭の人型魔獣か……初めて聞くな」
「え、そうなの?」
「知っているのか?」
エニアスの様子からして、この世界にはミノタウロスは存在しないのか。まあ確かに、ミノタウロスって元々はミノス王がポセイドンとの約束を破ったことで、奥さんに呪いを掛けられて、結果として奥さんが牛との間に子を成して産んだって話だったはずだ。となると、この世界に居ないのも納得は行く。
だとすると、どうしていきなり現れたのだろうか? どこかでミノス王と同じような事をやらかした人が現れたか? いや、それはないか。獣人は居るそうだが、ピクシル曰く人と獣人の間に子供は出来ないそうだし、拡大して魔物と人で子供を作ることも不可能だろう。
「……どうした?」
「あ、ごめん。えっと、以前読んだ本に似たような魔物が載ってたんだよ。ミノタウロスっていう魔物」
えも言われぬ奇妙さを感じて思考に耽ってしまったが、エニアスに呼び戻される。実際とは異なるが、それっぽい理由をでっち上げて質問には答えておく。
「ミノタウロス……初めて聞くな。どのくらい強いか分かるか?」
「さあ……そこまでは。ただ、索敵で見た感じ、今のエニアスで勝てるかどうかは微妙なラインかもね」
と言うか、正直勝てるとは思えない。激化を解放すれば分からないが、今のままでは恐らく負けるだろう。
ボクの評価に、エニアスが口を引き絞る。
『ここ、かなり魔力が濃いわね』
不意に、ピクシルがそう呟く。もちろん、ボクだけに聞こえるように。
エニアスに悟られないよう、思考だけで今の呟きについて聞いてみる。
──そうなの?
『ええ。外に比べると、数倍の濃度があるわ』
その違いはボクでは感知出来ないが、さすが魔力から成る生命体のピクシルだ。とはいえ、それによって何が変わるのかは、イマイチ分からないが。
『多少の濃度変化じゃ大して影響はないけど、ここまで違うと色々と変わってくるわ。人によっては体調に影響が出ることもあるし、一番怖いのは魔物の発生ね』
──魔物の発生? 魔物が勝手に生まれるってこと?
『そう。魔力濃度が著しく大きい場所では、偶発的に魔物が生まれる事があるのよ。まあ、存在としては私達と似てはいるわね』
原理は分からないが、魔力に生命が宿るってことか。もしかしたら、ミノタウロスもそうして生まれたのかもしれない。
──待って、じゃあこのミノタウロスって倒せない?
『倒せはするわ。こうして実体を持つ以上、攻撃も通る……けど、普通の魔物だと思って戦わない方がいいかもね。討伐方法は……確信は持てないけど、恐らく核となる何かがあるはずよ。それを破壊する事が、一番可能性があると思う……ごめん、確かな事を言えなくて。あまりこういった状況に立ち会ったことがなくて』
四千年以上生きててもほとんど出会うことの無いレアケース、か。こりゃ、一筋縄では行かなさそうだ。
──大丈夫、それだけ分かれば、後は自分でどうにかするよ。ありがとう。
お礼を言うと、ピクシルは頑張ってとだけ告げて、話さなくなった。最初の頃に比べると、だいぶ丸くなってきたなぁ、この子。
そうこうしているうちに、ボク達は坑道の最奥へ辿り着いた。枠組みを過ぎた先はどうも広い空間になっているらしく、ミノタウロスはここに居る。
「準備はいい?」
「ああ」
エニアスはすぐに答えた。この様子なら、大丈夫だろう。
二人で剣を正面に構えたまま、ミノタウロスのいる空間に入る。件の巨体は、空間の奥に精神統一でもするかのように目を閉じて、静かに立っていた。
背丈は四メートル、身体は筋骨隆々で肌の色は黒褐色。牛の頭には血管が浮かび、前に突き出る捻れた角は、輝く壁に鈍く照らされている。
「……思ったより明るいね」
「ここは魔光石が主に採取される採掘場だからな。この辺はまだかなり掘り残されているらしい……で、あれがミノタウロスか」
「うん」
まだボク達に気付いていないのか、はたまた脅威とすら思われていないのか、ミノタウロスは動く気配を見せない。
「……動く気配は無いな。本当に生きているのか?」
「生きてはいる……かな。攻撃の意思を見せないと行けない、とか?」
「充分見せてるだろ」
呆れを滲ませながら、エニアスがツッコミを入れる。二人して剣を構えているのだ、違いない。それにもかかわらず、ミノタウロスは動きを見せない。こちらを警戒している様子すらない。
「……支援頼む」
そう言い残すや否や、エニアスは一瞬でミノタウロスに接近する。それでも動かない、かと思ったが、エニアスが腕のリーチに入った瞬間、左腕を予備動作もなく右へ振るった。エニアスは、ギリギリのところで屈んで回避していた。
風圧で前髪が揺れる視界の中で、エニアスが飛び上がって剣をミノタウロスの腹へ振るう。エニアスが今使っている剣はボクの剣と違い、魔力を多分に含んだ剣であるから、魔力を纏わせた剣と同等の切れ味と耐久度があるはずだ。だから、大抵のものは斬れる──はずだった。
「っ!」
「弾かれた……!?」
ミノタウロスの腹に直撃した一撃は、金属にでも打ち付けたかのような音と共に弾かれた。
右へ振り切られていた左腕が、今度は左へ振り払おうと力が篭もる。この一撃を受ければ、エニアスは耐えられないと判断し、双方の間に空気を圧縮して一気に膨張させる。その圧力で、エニアスはボクの近くまで吹き飛ばされ、ミノタウロスの攻撃は空を切った。
「硬すぎる……!」
エニアスが斬った場所には、傷痕どころか、一切の攻撃の痕跡が無かった。以前戦ったホブ・ゴブリンとは比べ物にならない程の硬さだ。
こちらを遂に倒すべき敵だと認識したのか、未だ閉じていた瞼が開かれ、赤く光る眼を現す。
大きく息を吸ったかと思うと、
──ブモオオォォォオ!!!!
と、地鳴りの如き重厚な鳴き声を洞窟内に響き渡らせた。




