エニアスと討伐1
夏季休暇に入ったものの、ボクは結局、一週間を回復とリハビリに費やした。そのため、エニアスとの約束を果たすのも、結果として夏季休暇に入ってから一週間経ってのこととなってしまった。
馴染みの武器屋を出たボクは、待ち合わせ場所としていた東門へと向かう。一応、約束の時間より五分早く着いたし、遅刻では無いだろう。エニアスはとっくに到着して、買い食いまでして立ち尽くしていたが。
「ごめん、待ったかい?」
「……買い食いするくらいには」
「……そこは、『俺も今来たところ』って言った方がモテるらしいよ。知らんけど」
前世でそんな事を聞いた気がするだけだ。実際どうかは知らんし、買い食いしてる時点で待っていたことは察しがつく。
「そうなのか。参考にする」
「そ、そうかい」
何と言うか、エニアスって性的な関心こそあれど、色恋には興味ないものと思っていたのだが、今の発言を聞く限り多少はあるのだろうか。意外だ。
「武器屋にでも行っていたのか?」
「うん。なんで分かったの?」
「いつもと装備が違ったからな」
そう、今日のボクはいつもと装備が変わっていた。というのも、これまではずっと学園配布の防具を使っていたのだが、さすがに実戦では心許ないと思い、ブレストプレートだけでもきちんとしたものを買おうと思ったのだ。
買って当日に実戦、というのはどうかとも思ったけど、武器屋のおじさんがいずれ必要になるだろう、と前もってボク用の防具を作ってくれていたおかげで、初装備からかなりしっくり来ていた。これなら、問題は無さそうだ。
「そういうところは目敏いね、君。褒め言葉の一つでも送るとモテるよ。知らんけど」
「何も知らないじゃないか」
だって恋愛経験なんてないし、そもそもボクは男なんだから知るはずもないだろう、女の気持ちなんて。
「まあ、なんだ。いいんじゃないか? 動きやすそうだし。お前のスタイルには合っていると思う」
「エニアスのお墨付きなら安心だね」
実際どうかは分かんないが、幼い頃から武器防具に触れているであろうエニアスなら、そっち方面の目利きも効くだろう。知らんけど。
フスと鼻から息を吐いて眉を上げたエニアスが、視線を東門に向ける。
「父様に馬車を用意してもらっている。そろそろ来るはずだから、それに乗ってネアエダム領には向かう」
「了解」
数分もすると、エニアスの言う通り、ネアエダム家の家紋である剣と妖精の羽を組み合わせたような紋様が扉に描かれた馬車が、東門から入って来る。ボク達の前で御者が馬の動きを止めて、馬車を停止させる。それにしても、この世界の馬も地球の馬とあんまり見た目変わらないのは、収斂進化的なやつなのだろうか。気になる。
「エニアス様、プロティア様、お待たせ致しました」
馬車から、一人の騎士が姿を見せる。フルプレートの鎧に包まれ、声もくぐもっているため性別すら分からない。かと思うと、騎士は兜の留め具を外し、顔を見せた。
「お迎えに上がりました、メラキと申します」
いや、兜取ってもどっちか分からん!
声は中性的で、高めの男性とも低めの女性とも取れる音域だ。見た目も同様で、切れ長の目にセミロングの薄紫の髪を紐で纏めており、全体的に線の細い印象を受ける。マジで、どっちなんだ。
「俺の従兄弟だ。こんなだが、れっきとした男だぞ」
「こんなは余計です。どこをどう見ても、かっこいい男でしょう」
どこをどう見てもどっちか分からん。
「ならせめて、髪を短くしたらどうなんだ。長髪のせいで尚更分かりにくい」
「触り心地がいいんです、切りたくありません」
「相変わらずだな……こんなだが、実力は確かだ。少なくとも俺よりは強い」
「だからこんなは余計ですって」
「まあ、仲が良いことはよく分かった」
それに、三つ程度は歳上ではあるのだろうが、エニアスより強いとなればかなりの実力者だろう。冒険者でもCランクは下らないんじゃなかろうか。この歳でその実力となると、かなりの厳しい鍛錬を積んでいることだろう。
「今日はよろしくお願いします」
「お任せ下さい、火炎大蛇様」
「その呼び方やめてください」
そんなこんなで、ボク達は馬車に乗ってフェルメリアを後にした。
木々が生い茂る森の中、馬車がゆっくりと進む。
この世界に転生してから、初めて別の街、というか別の領地に行くな。先んじて、どんな場所かくらいは聞いておこうか。
「ネアエダム領って、どんな所なんですか?」
ボクの質問に、二人の視線が集まる。先に口を開いたのは、メラキの方だった。
「フェルメウス領の東部にある、辺境の領地、と言うのが適切でしょうか。フォーティラスニアの最南東部に位置する領地で、領地の境界は半分が死縁海に面しています」
「し、死縁海?」
「この大陸が囲むようにしてある海だ。外の海とは断絶されているせいか、凶暴な魔物が彷徨いていて、近付くだけでも死ぬ可能性があるから、死の縁の海、死縁海と名付けられた」
エニアスにより、死縁海なる海の補足説明が付け加えられる。今の話が本当だとすると、この大陸ってドーナツみたいな円形の中に円形のくり貫きがある形をしているのだろうか。随分と奇妙な形というか、まるで人の手で形作られたかのような形状だな。
「後、特筆すべきことは……人が住んでいる範囲は、ほとんどが田畑として使われていますね。フェルメリアでの飲食物は、半分近くがネアエダム領から仕入れたものですよ」
「そうなんですね。もっとこう、殺伐とした感じのイメージでした。国内最強の領だ、なんて聞いていたので」
「どんな偏見だよ」
ごもっともだ。
「ちなみに、どんなものを作っているんですか?」
「色々ですね。穀物はもちろん、野菜や果物、香辛料なんかも作っています。一部では畜産も行っていますね」
聞く限り、本当に幅広いな。副業で魔道具でも作ってる人とか居そうだ。
それに、一つの地域でそれだけ多様な作物を作れるというのは、簡単なことでは無い。品種改良を重ね、使える土地で育つようにして、その上美味しく食べられるようにする。きっと、ネアエダムの人達は、沢山の時間を掛けて今の環境を作り出したのだろう。
「ネアエダム領の人達が強いのは、皆農業や畜産に従事してて鍛えられてるっていうのもあるのかもですね」
「そうですね。どちらも、全身を使う仕事ですから。日々の鍛錬も、皆欠かしていませんし」
うん、凄い人達だ。その上、地位を求めないというのだから、物理的にも精神的にも力を兼ね備えた最強集団だ。敵に回さないよう、気を付けよう。
馬車の揺れに身を任せながら、そう決意する。
そろそろ十分が経過しただろうか。エニアスから事前に、馬車で一時間程の距離があるとは聞いていたから、まだまだ時間は掛かりそうだ。ネアエダム領のことは多少聞けたし、そろそろ本題に入るとしよう。
「じゃあ、今回の依頼について聞きたいんですけど……討伐対象について、何か情報はありますか?」
「……実を言うと、これと言った情報が入っていないのです。場所はネアエダム領の山の麓にある洞窟、魔物の種類は人型の大型魔獣ということしか」
「そんな状態で子供に討伐させようとするもんですか……?」
「私もそう叔父上に申し上げたのですが、『あいつの求める強さを手に入れるには、このくらいの受難は乗り越えねばならん』、と仰られまして……」
エニアスの求める強さというと、やはり妹を助け出せるだけの強さだろうか。確かに、ティルノントの連中、特にリーダーのアニクティータは大抵の魔物なんか比較にならないほどに強くはあるが……。
「問題ない……倒せばいいだけだ」
「死ぬかもしれないよ? どんな敵かも分からないんじゃ、戦いながら情報を集めなきゃならないんだから」
「構わない。ここで死ぬなら……その程度の剣士だった、というだけだ。例えAクラスの凶獣だろうと狩れなければ、俺はフォルサを助けられない」
凄まじい覚悟だ。ボクじゃ、到底ここまでの覚悟を持つことは出来ないだろう。
向かいで、メラキも少し気圧された様子を見せる。
このまま送り出せば、本当に死ぬ気で戦ってしまいそうだ。もし死なれたりしたら……ボクは、立ち直れないかもしれない。理由は分からないけど、そう確信出来た。
「……ボクは死んで欲しくないからね。なるべく、生きることを優先して」
「……最善は尽くす」
その言葉を、信じるしかないか。
あとは、ボクの頑張り次第かな。魔法中心の後衛とは言えど、ボクの魔法はかなり自由度が高い。前衛で戦うには及ばないかもしれないけど、エニアス一人を守ることくらいは可能だと信じたいものだ。
その後は、ネアエダム家についての話や、ここまでの話題で気になっていた死縁海などについて、聞かせてもらった。
そうこうしているうちに、馬車はネアエダム領に入り、長閑な田畑が広がる風景へと姿を変えた。
建っている建物はほとんどが木造で、小ぢんまりとしている。大きな建築物は、これだけ視界の開けた空間だと言うのに一つも見つからない。
「何と言うか、静かな場所ですね」
畑で作業をしている人もいれば、家の横で素振りをしている若者もいる。集まって井戸端会議のような談笑をしている婦人方も見かけた。
「田舎でしょう? フェルメリアで慣れていると、ここに初めて来た人は皆驚きますよ。むしろ、プロティアさんは反応が薄い方です」
まあ、前もって聞いていた話からそうかなとは思っていたし、どこか母方の祖父母が住んでいた山奥の田舎を思い出して、懐かしさを感じているのもあるだろう。
老後は、こんな感じの静かで落ち着いた場所に住みたい、なんて思わせる、そんな風景だった。
「ネアエダム家の居宅は、この農村の北端にあります。このまま向かいますね」
「あ、はい」
この世界の貴族は、街や村の北端に住居を構えるしきたりでもあるのだろうか。単に、北側に王都があるからとかか? 分からん。
そして、ボク達はネアエダム家の居宅へと着いた。
木造であることは他の家々とも同じなのだが、サイズは一回り大きいか。それに、母屋と納屋がある当たり、ここら一帯では豪邸とも見て取れそうだ。
馬車を降り、御者に礼を言ってから、メラキの案内に従って日本の古き良き豪邸にも似た、ネアエダム家の邸宅へと足を踏み入れる。全体的に木造で、建築方式にはどこか見覚えがあった。
──まさか、異世界に来て日本風の建物を見ることになるとはな。
この領地に入ってから常々思っていたが、こうして建物の中に入ると尚更思い知らされる。ここは、まるで日本の田舎だ。
「こちらです」
メラキが止まり、ボクもそれに倣ってスライド式の扉の前で立ち止まる。さすがに障子ではないが、日本家屋で見られる車輪なんかの付いていない、木製のスライドドアだ。
メラキが三度ノックをし、中から許可が降りると、「失礼します」と断って扉を開ける。最大まで開けきったメラキは横に退き、ボクとエニアスが、部屋の主と対面する形となった。
その姿を見た瞬間、ボクは正直、右手を剣の柄に添えそうになってしまった。何とか動きには出さずに抑えたが、一瞬見せた右手の力みと、緊張、警戒の色で、相手にはしようとした動作がバレてしまったのだろう。
「……良き反応だ」
フォギプトスよりも重厚で、まるで獲物を狙う熊のような威圧感が伸し掛る。どうやら、殺意を向けてみて、ボクの対応を見たらしい。
「良く来てくれた、プロティア殿。私はネアエダム家現当主、カルジャス・ネアエダムだ」




