エニアスの頼みと、その先
カルミナ達の協力により、夕飯とお風呂を終えた。さすがに、体質の問題で体を洗ってもらうことは出来なかったので、ほぼ完成していた身体洗浄魔法ver.2により、身体を綺麗にしたが。仕組みとしては、身体の汚れを魔法で身体から浮かせてしまう、というものだ。界面活性剤(魔法)とでも思ってくれればいい。
お風呂を出た後は、寮の自室に戻ろうかとも思ったのだが、疲労がかなり酷い状態らしく、念の為保健室で療養に努めた方がいいとイリアーナに言われたので、現在保健室でボケーッとしている。スマホやゲーム機も無ければ、他の三人は寮に戻ってしまったので、中々に暇である。
いっそのこと、もう寝てしまおうか、などと思っていた時だった。保健室の扉がノックされる。
「今、大丈夫か?」
声からして、エニアスだ。アトラが後で来るって言ってたけど、本当に来るとは思っていなかったため、少々驚いた。
「入っていいよ」
そう答えると、エニアスが保健室の中に入ってくる。髪は生乾きで、服もラフなものになっている様子を見るに、エニアスもお風呂に入った後のようだ。ボクはもう魔法で乾かし終えているが。
「……平気そうだな」
「何とかね。ただ、自分一人じゃほぼ動けない」
「試合後に比べれば、幾分かマシだろう」
「……え、試合後どうなってたのボク」
「呼吸は浅いし、脈も弱い。顔から血の気が失せて真っ青になってた。死ぬんじゃないかって皆大慌てだったぞ」
学園長と副学園長はやり過ぎだって滅茶苦茶詰められてた、とエニアスは付け加える。うーん、死にかけ☆
むしろ、そんな状態から一時間寝ただけで起き上がれるまでに回復出来たのだ。イリアーナや他の皆の尽力に感謝しなければ。
「あの程度で死にかけるんじゃ、ボクもまだまだだなぁ……」
「いや、激化したあの二人をあれだけの時間相手していただけでも、充分だろう。言っておくが学園長と副学園長は、十数年前にはこの国最強とまで言われていたパーティーのトップ二人だからな」
「ま?」
「マジだ」
そんな傑物二人と戦ってたのか。
「でも、本気は出させられなかったからなぁ……」
「あの二人に本気を出されたら、俺らなんて話にならねぇよ。精々激化までしか使わないと踏んでいたから、お前一人でも勝てると思っていた」
「ちなみにエニアスは、激化のその先について、何か知ってることってある?」
「……幾つか、段階があるとは聞いている。ただ、激化も使えないお前が知る必要はまだない、つって教えて貰えなかった」
「そっかぁ」
じゃあ、やっぱりその先はあるんだなぁ。
……てか、ピクシルに聞けばいいじゃん。最近、傍に居るマスコット的なキャラに思えて来て忘れてたけど、五千年弱生きてる物知りなサポーターなんだから、聞けば一瞬じゃん。
エニアスがいる手前、今すぐは聞けないけど、後で確認するとしよう。
「……プロティア。一つ頼みたいことがあるんだが、構わないか?」
「内容次第かな。何?」
「ネアエダム領にある洞窟に魔物が住み着いたらしい。父様から、俺にそいつを討伐するように頼まれた。俺の実力を測るつもりみたいで、一人だけ手伝いをつけていいと言われたんだが、その手伝いを、お前に頼みたい」
「ふむ……」
実戦経験も積めるし、特段断る理由はない。ただ、一つ懸念点はある。
「ボクが行くと、エニアスの試練にはならないんじゃない?」
「そうだろうな。だから、お前には後方からの魔法支援だけを担当して欲しい」
「なるほどね。でも、ボクよりこの数ヶ月一緒に特訓してきたアトラとか、魔法中心のカルミナやイセリーの方がいいんじゃない?」
「あいつらを信用していないわけじゃない。三人とも、実力は確かに持っている……ただ、敵が強敵だったり、もし俺が戦線離脱するようなことがあった時、あの三人じゃ危険だろう」
うむ、違いない。ボクなら絶対に大丈夫、という訳では無いだろうが、少なくともパーティー内ではボクが一番強いと自負しているし、実際に魔物との戦闘経験を持っているから、多少は冷静に判断出来るはずだ。エニアスも、そんな感じで考えているのだろう。
「分かった。いつ行くの?」
「夏季休暇の都合のいい日で構わない。今のところ、領地に被害自体は出ていないからな」
「了解。でも、なるべく早い方がいいよね?」
「ああ」
「おっけ。じゃあ、ボクの体が戻り次第ってことで」
怪我は全て完治しているものの、肉体的な疲労は回復魔法ではどうにもならない。この状態を脱却するにも、多分数日は掛かりそうだ。その後、少しリハビリもしたいし。
「ありがとう」
「うん。エニアスも、今日は結構疲れてるだろう? どうせ明日からは時間が有り余る訳だし、あまり長居せずに早く寝た方がいいよ」
「そうだな。お前も、安静にしておけよ」
「言われなくとも。おやすみ」
「ああ、おやすみ」
終始感情表現に乏しかったが、最後の言葉には僅かに笑みが浮かんでいた。妹の件があって以降、エニアスが笑うこととはほぼなくなっていたのだが、少しずつ乗り越えて来ているのだろうか……まあ、アトラに聞く限り、昔からそこまで感情が表に出るタイプではなかったそうだが。
エニアスが保健室を後にする。少しの間、室内が沈黙に包まれた。
「……さてと。へいピクシル」
「はいはい、激化のその先についてでしょう? あと、前にも言ったけど、その呼び出され方なんかイラッとするのよね」
それもそうだろう。ボクの思考はピクシルに筒抜けだから、その理由を口にすることも、思考することも今後一生ないが。
ジトーっと半目で見つめてくるピクシルに、笑顔を向けて「何も悪意は無いよ?」と示す。数秒その状態が続いたが、根負けしたのかピクシルが溜息を零して話を進めた。
「まあいいわ。激化のその先には、あの子も言っていた通り幾つかの段階が存在するわ。あんたが次に目指す段階は、通称『神速』と呼ばれている物ね」
「神速……」
「そう。原理としては、生まれながらに体内にある先天魔力を活性化させ、身体に干渉させることで肉体を強化することで、本来出せる肉体の限界を超えて、力を発揮する、ってところかしら」
「なるほど……でも、以前身体を強化する魔法は今のところ存在しない、みたいなこと言ってなかった?」
「ええ、魔法は存在しないわ。ただ、神速はまた別なのよ。生物の体は、先天魔力だけに干渉を許す機構があるのよ。それのお陰で、神速だけは魔力を使った身体強化を可能にしている」
特定のウイルスだけに反応する受容体、みたいなものだろうか。こんなところでも、地球の生命体とは全く違う身体の構造があるとは。
「……でも、活性化した魔力って、危険じゃないか? 言ってしまえば、火属性とかの現象を発現可能にした状態ってことだろう?」
「そうね。慣れないうちは、先天魔力が引き起こす魔法の効果を、自分の身体に受けることも少なくないわ。それに、無理矢理身体を強化して限界以上の能力を引き出しているわけだから、負担も激化の比じゃない。数秒使うだけで、今のあんたみたいになりかねない」
「だいぶ、諸刃の剣だな……」
まあ、激化も使い始めはすぐに体力の限界を迎えてたし、その後は筋肉痛だの動けなくなるだの影響は出るのだから、身体の限界を出す、超えるというものは総じて諸刃の剣であるのだろう。何度も使って、身体を慣らしていくしかないか。
「神速については、何となく分かった。もう一つ、聞いてもいいか?」
「何?」
「エニアスが激化を使えない理由について、何か心当たりがないか聞きたい」
「心当たりも何も、答えまで知ってるわ。でも、いいの? 自分で解明しなくて」
「元々はそのつもりだったけど、今回の討伐で敵がボク達では及ばない強さだった時、エニアスが激化を使えるかどうかで生存率が大きく変わると思うんだ。だから、悠長な事は言ってられない」
「そう。じゃあ、教えるわ。彼が激化を使えない理由は、彼の資質の問題よ」
「資質? もしかして、激化が使えない体質だ、とか?」
「その逆。剣士としての才があり過ぎて、激化の先に行こうとしてしまってるの」
つまり、神速を使おうとしているということだろうか。でもそれって──
「別に悪いことじゃないんじゃないか? 神速を使えそうなんだろ?」
「ダメに決まってるでしょう。神速は、激化の上に成り立つものなのよ」
「そ、そうなのか」
原理としては全くの別物に感じていたから、正直激化と神速は直接的な関係は薄いものだと思っていた。
「あの子が激化を使えないのは、中途半端に神速を使おうとして、身体の状態が部分毎に異なっているから。そのせいで、身体に余計な強ばりが生まれて、激化に上手く入れないのよ」
「なるほど……」
エニアスが激化にも入れないのに、激化したボクやアトラに着いて来れていたのも、中途半端とはいえ神速によって部分的に身体が強化されていたから、なのだろうか。彼自身の鍛錬の賜物や、才能であるとも思えるが。
「どっちもね。才能があるから、中途半端な神速でも使いこなして身体を強化させているし、血の滲むような鍛錬を積み重ねたからこそ、激化にも劣らない能力を身に付けているのよ」
「そっか。さすがだな……それで、エニアスが激化を使うには、どうしたらいいと思う?」
「簡単よ、戦う時の意識を変えればいいだけ……実践は難しいかもしれないけど。結局のところ、激化も神速もその先も、入ろうとする強い意思が必要なの。つまり、その意思の持ちようこそが、この件の解決策よ」
意思、か。確かに、ボクも激化に入ろうとする際には、いつも意識して入ろうとしている。でも、エニアスだってしていると思うけど……どうなんだろうか。
「そのくらいはあんたが突き止めなさい。人の心情には踏み入らないのが、私の流儀なの」
「ボクのプライバシーは全て薙ぎ払ってやがるくせに」
「あら、いいのよ? あなたが男だってばら蒔いても」
「お願いだから本当にやめて、面倒事が増えるのはごめん被りたいし、せっかく皆と仲良くなれたのにそんな事で今の関係を失いたくない」
例え皆が受け入れてくれたとしても、ボクの魂が男なのだと知れば、きっと今の距離感は崩れる。前世も含めて、生まれて初めての友達なんだ。ボクの前世なんかのせいで、この関係を壊したくなんかない。
「そんなに怖い顔しなくても、ばら蒔きはしないわよ」
「へ……?」
無意識に、ピクシルのことを睨めつけていたらしい。確かに、さっきまではなかった表情筋の強ばりがある。失いたくはない、と言うのは本心だけど、ここまで強く思っていたのか。何と言うか、関係が崩れる事に、妙な焦燥感を感じていた気がする。何かは分からないけど。
「……それにしても、あんたのパーティーは本当に異常ね」
「え、そうかな?」
「そうよ。なんで十歳やそこらの子供のパーティーで、過半数が激化を使えるのよ。本来あれは、心身共に成熟して、それ相応の鍛錬を積んでやっと使える可能性が見えて来るものなのよ。そうポンポンと使えていい物じゃないわ」
「へー……何でなんだろうねぇ」
ピクシルの言葉に思考を巡らそうとしてみたが、頭がふらつき、視界がボヤける。
「あ、やばい……限界近いかも。ピクシルに色々聞こうと思って頑張ってたけど、もう無理」
「聞いてくれれば、またいつでも答えるわよ。今日はゆっくり休みなさい」
「うん、ありがとう……またお願いね」
お礼を伝えたところで限界を迎え、ボクの意識はスっと遠のいた。




