三年の時を経て7
「……へ?」
状況が理解出来ないでいると、頭上にいくつかの気配を感じた。
「よう、プロティア。楽しそうなことしてるじゃないか。俺達も混ぜてくれよ」
そう言って爽やかな顔で笑いかけてくるのは、私を三年間指導してくれた冒険者のトルーナーさんだ。その横には、ほかのメンバーよりも重装備で盾を持ったタンクのオリューントさん、紺色のローブを身に纏い艶やかな黒髪を靡かせるウィザードのオプレーダさん、伸びた茶髪を後ろで縛り少し闇を感じさせる見た目の剣士兼弓士のアントレーマさんが各々周囲を警戒しながら並んでいる。
瓦礫の山から飛び降りると同時に、トルーナーさんが私の周りにいたゴブリンを全て切り伏せた。それに続いて、ほかの面々も降りてくる。
「オリとアントは衛兵に加勢してくれ。レーダは壊れた防壁と西門の防衛、のち回復だ」
トルーナーさんが言うと同時に、三人が各々の返事をして検問室から出る。そして、この場に残ったトルーナーさんが私に振り向く。
「状況は?」
そう聞かれて、今は泣いている場合ではないことを思い出す。一張羅の袖で目元を拭い、トルーナーさんに向き直る。
「ゴブリンの数は少なくとも五十です。そのうち、ホブ・ゴブリンが三体、ウィザードが一体います。攻撃してもウィザードに回復されて、こちらは数の不利もあり劣勢です」
「成程。防壁と西門が破壊されて、街の中にゴブリンが侵入しだすのも時間の問題だ。俺はすぐに前線に出て軍勢を押し返す。プロティアは……頑張ったみたいだから、少し休んでくれ。また戦えると思ったら、加勢してくれ」
トルーナーさんが視線を瓦礫の上へと向ける。それに倣って私も上を向くと、瓦礫の頂点から見覚えのある人物が、いや、言うまでもなくユキが覚束ない足取りで降りてきていた。
「わっ」
「ユキ!」
剣をその場に置き、残り少しのところで踏み外して落ちてきたユキを受け止める。
「ありがと、ティア。それと……約束通り、援軍連れてきたよ」
「……ばか。無理しないでって言ったのに」
私の言葉を聞いて、ユキが笑みを浮かべる。安心感が沸き上がり、漏れそうになる嗚咽を無理やり飲み込む。
「顔、怪我してるよ」
そう言って、ユキが私の左頬を撫でる。先程の防壁が破壊されたときに破片でも当たったのだろう。特に痛みがなかったため、気付かなかった。
「時間は稼ぐ。プロティアのタイミングで来てくれて構わない」
そう言って、トルーナーさんは検問室を出ていった。
「ティア、これからどうするの?」
「……戻るよ。怖いけど……逃げないって、決めたから」
「……そっか。強くなったんだね、本当に」
そう言って、ユキがこの戦いに来る途中、そうしてくれたように、私の頭の後ろに手を回して、抱き締めてきた。さっきに比べると鼓動の速さはかなり速く、少し湿気も感じるのは、ここに来るために急いでくれたのと、直前に瓦礫の上から落ちたからだろう。その違いが、私に安心と同時に私のために来てくれたユキに応えたい、そう思わせ、頑張る気力も回復させた。
二十秒ほどでユキの抱擁は解かれ、頭に響いていたユキの命の振動も、額に押し付けられていた布越しの柔らかさも離れていった。でも、ユキのぬくもりはまだ残っている。それだけで、今の私にとっては十分だった。
「じゃあ、行ってくる。ユキは、気を付けて街の中まで戻ってね」
ユキの後ろには、人二人分以上の高さの瓦礫の山がある。私は鍛えているからともかく、ユキは宿屋の仕事をしているだけだ。これを越えるだけでも一苦労だろう。
「うん。待ってるね、頑張って」
ユキの言葉に一つ頷いて、私は後ろに振り返った。このまま前に進めば、五十を超えるゴブリンとの戦いの中に再び足を踏み入れることとなる。
やってやる。そう声にならないくらい小さな声で、一人呟く。
ユキを傷つけないよう地面に置いたままにしていた剣を拾い、正面に構え、左足で強く地面を踏み込む。
扉を潜り抜けると、すぐに戦場すべてが入るまで索敵を広げ、今の戦況を確認する。前線はわずかに人間側が押し返したようだ。さすが、対魔物におけるスペシャリストの冒険者だ、ものの数分でゴブリンの数も人間側の回復も戦況すらも変えてしまった。
蘇生レベルの回復を行うには、どうやらウィザードの近くまで本体を移動させる必要があるらしい。先程、私を襲おうとしてトルーナーさんに斬られたゴブリンも、恐らく絶命しているらしく、扉の向こうで動かないままだ。それを利用しているらしく、致命傷を与えた個体をすぐに人間側の陣地へ運ぶことで、回復させないようにしているようだ。
「プロティア、もういいのか?」
ゴブリンを斬り伏せ、その頭を掴んだまま、オリューントさんと入れ替わりで私の近くまで下がってきたトルーナーさんが話しかけてくる。
「はい、プロティア、いけます!」
質問に対してそう答えると、トルーナーさんは微笑を浮かべ、頷きながらゴブリンの首を斬り落とした。その光景に一瞬絶句してしまうが、戦場だとこんなものなんだと自分に言い聞かせるように頭を振って、今の出来事を飲み込む。
「何とか、個体を減らす方法までは見つけたが、まだ全滅させるには至っていない。もちろん、このまま時間を稼いでフェルメウス家の兵士が来るのを待ってもいいが、せめてホブの一体かウィザードは片付けておきたい。犠牲はなるべく少なくしたいからな」
「そうですね」
相手の主力や切り札を封じることは、集団戦において大きな意味を持つ。そのくらいは、経験の浅い私でもわかる。しかし、それと同時に、そういった存在は制圧が難しいというのも、この状況からもわかる通りだ。
「斬り込んでもいいが、あいつらの剣、何やら小細工をしているみたいだからな。恐らくは植物の毒当たりだろうが……無理に進んで、うっかり一撃を受けてしまえば、それこそお終いになる。プロティアの魔法ではどうだ?」
「裏をかいて狙ってみましたが、前にいるホブ・ゴブリンに守られました。火力のある氷魔法も試しましたが、ダメでした。あと、もうあまりたくさんは使えません」
「エネルギー切れか。分かった、方法は考える。プロティアは回復に回ってくれ。レーダ、攻撃中心に頼む!」
「はい!」
少し離れたところで回復と攻撃の両方を担っていたオプレーダさんが、いつもの優しい声とは似ても似つかない力強い声で答える。そして、数秒も経たずにゴブリンの中心で爆発が起きた。
爆風に耐えるべく、少し重心を落として左腕で顔を守っていると、爆発で巻き上がった土埃の中から、ホブ・ゴブリンが二体姿を見せた。
「まずい……防御態勢!」
指示を飛ばすと同時に、トルーナーさんは前線へと戻っていった。ホブ・ゴブリンと対峙した瞬間、身長が半分ほど高いホブ・ゴブリンの棍棒を大剣で受け止める。ぐわーん、と骨の髄まで響くような音が剣と棍棒の間で生じ、辺り一帯に広がる。
その少し離れたところでは、オリューントさんも同様にホブ・ゴブリンの剣を盾で受けていた。一瞬動きが止まったホブ・ゴブリンの顔を、石の飛礫が襲う。オプレーダさんの魔法だ。
トルーナーさんは棍棒を力で弾き返し、僅かに出来た隙を見逃さず、一撃を浴びせる。そして、バックステップでホブ・ゴブリンとの距離を開ける。これは、特訓の中で見せてもらったことがある、ヒットアンドアウェイ戦法というやつだ。消耗戦になるが、自分への攻撃を最小限に抑えつつ確実に相手にダメージを与えられるらしい。一歩間違えれば破綻する戦法でもあるため、相当な練度と集中力が必要になってくる。
しかし、トルーナーさんはそんなことは気にも留めずホブ・ゴブリンに一発、また一発と斬撃を入れていく。
「私も何かしないと……!」
突っ立っていてもここにいる意味がない。辺りを見回し、今私に出来ることを探す。その時だった。背後で「きゃっ」と小さな声が聞こえ、直後にドサッという何かが落ちる音が聞こえてきた。私は、すぐにそれが何か察した。
「ユキ……!」
まだ逃げられていなかったみたいだ。一瞬気を取られていると、ゴブリンが一匹、扉に向けて走っていた。恐らく、私と同様に、守っていた衛兵さんが今の声や音に気を取られて、抜けられてしまったのだろう。
ユキを助けないと……! でも、私は回復担当で……!
「レーダ、回復に回れ! アントは前に出てオリの援護! プロティア、侵入を許すな!」
トルーナーさんは、ホブ・ゴブリンから距離を取りながら、パーティーメンバーと私に指示を飛ばした。まるで私の迷いを察したかのように――いや、察したのだろう。私の意思を尊重してくれたかのような指示に、
「はいっ!」
今日一番の力強い声で返事をし、検問室に着こうとしているゴブリンへ向けて、地面を蹴った。
しかし、このままだと私の足では間に合わないだろう。魔法を唱えるにも、ゴブリンの動きを止めるに足る、そしてユキへの被害を出さない魔法となると、選ぶのも詠唱も間に合わない。
「だったら……! 燃えろぉっ!」
左手を前に伸ばしつつ、頭の中でゴブリンの足元から炎が噴き出すイメージを強く念じる。ゴブリンが扉の手前まで駆け寄った瞬間、足元から炎が噴き出した。
本来、魔法というものは詠唱を行って、詠唱が意味する現象を魔力を使って具現化するものだ。しかし、強くイメージをする、もしくは頭の中で詠唱を唱えることで、表向きは無詠唱のように見える魔法も使える。私も練習を重ねていたため、今のようにほぼイメージだけで魔法を放つことが出来た。だが、欠点もある。
「っ!」
魔法が消え、全身が黒焦げになったゴブリンが倒れると同時に、私の全身から力が抜け、走っていた勢い余って前向きに転んだ。何とか腕で顔を庇うが、半フォティラス程地面を滑る。
無詠唱の魔法の欠点というのは、慣れないうちは酷く体力を消費する、すなわち燃費が悪いのだ。
「でも、これでユキは……――ッ!」
立ち上がろうと顔を上げる。そして、私の視界に映ったのは、緑の液体が塗られた剣を持つ一匹のゴブリンが、扉へと近づこうとしている光景だった。
もちろん、先ほど燃やしたゴブリンとは別だ。もう一匹、同時か遅れてかは分からないが、防衛線を抜けられていたらしい。
力の入りにくい体に鞭打ち、よろつきながらも立ち上がり、後ろに下げた左足で地面を強く蹴る。
どうする? 魔法は正直、撃つ時間も余力もない。剣を投げる? いや、当たるか分からないし、もし外れてユキにあたったらいけない。全力で走ってゴブリンを斬る? ユキに当たるかもしれないし、斬ったとしてもゴブリンの剣が止まるとは限らない。思いつく方法で、ユキを守れる方法は――。
「ああぁぁぁぁぁっ!」
掠れた声を上げながら、全速力で扉へ向かう。最中、剣を逆手に持ち替え、姿勢を低くする。ゴブリンが検問室に入った二秒後、私も中に飛び込むようにして入り、剣を振り上げるゴブリンと、地面に座り込んでいるユキの間に割って入り、勢いを殺すこともなく、ユキを覆うようにして瓦礫の山に両手を付き肘を曲げることで衝撃を出来るだけ殺す。
「てぃ……」
ユキの声が聞こえたと思った瞬間、背中に鋭い痛みが走る。転んだ時の擦り傷や、包丁で指先を切った切り傷なんかとは比べ物にならない、焼けるような痛みだ。
歯を食いしばり、剣を掴む右手と瓦礫を掴む左手に力がこもり、溢れそうになる涙を瞼をぎゅっと閉じて抑える。心臓の鼓動が、今までにないくらい激しくなる。
「ティア、大丈夫っ!?」
ユキが上ずった声で聞いてくる。瞼を開き、涙で少し滲んだ視界にユキの姿を収める。足元に目を向けると、ユキの左足のくるぶしが赤くなり、僅かに腫れていた。最初落ちた時にこの怪我をしたのなら、この山を越えるのは難しいだろう。
「うん、ただの切り傷だよ」
そんはずがないというのは分かっているし、ユキも嘘だということはすぐに見抜いただろう。でも、心配させたくなくて、ついそう言ってしまった。
重い体を動かして、振り返る。私を斬ったゴブリンは、生け捕りにしろと言われた私を弱らせたことが誇らしいのか、下卑た笑みを浮かべている。
幸い、剣の切れ味が悪いのか、それとも学園支給の防具が役に立ったのか、はたまた両方か、傷は浅い。痛みはまだあるが、斬られた瞬間に比べれば、ずっとましになった。
「こいつ、すぐに片付け……ぅぁ?」
剣を正面に構えた瞬間、全身から力が完全に抜けて、後ろへと、ユキの腕の中へと倒れ込んだ。
「……ぁ」
声を出そうとする。しかし、僅かにのどが震えただけのような音しか出ない。剣を握ろうとするが、右手はピクリと動きはするものの、力は入らない。
そっか。あの剣に塗られてる液体、本当に毒だったんだ。思ったより早く効いたな……痛みが和らいだのも、毒で感覚が麻痺したからかな。こんなに効果が早いのは、心臓が早く動いたからかな。ああ、もうだめだって分かったせいかな、今になって冷静になってきた。
肩を持ってユキが私を揺する。大丈夫!? という声も、聞こえてはいるが遠い向こうから呼びかけられているかのようだ。
ああ、守りたかったな、ユキのこと。このまま私が意識を失ったら、きっとユキは殺されるか、私と一緒にシンド村に連れていかれて、弄ばれるのだろう。その前に、ゴブリンが街へ侵入して、トルーナーさん達はこっちの対応にも人員を割かないといけなくなって、せっかく押し返したのにまた攻められて、もしフェルメウス家の兵士さん達が間に合わなかったら、何人かは犠牲者が出るかもしれない。
……そんなの、やだよ。私は、みんなを守りたくてここに来たんだ。足手まといになりに来たんじゃないんだ。でも、もう動けない。どうすることもできない。毒をなんとかするなんて技術、私にはないし、魔法を使おうにも体力が残っていない。
……だれか、たすけて。みんなを、まもって。
何とか動かせる瞼を動かし、目を瞑り、そう願う。
「分かりました」
声が聞こえた。女性にしては低い……男性の声だろう。でも、歌うように柔らかく、包み込んでくれるような声だ。
「だれ?」
声が出た。周りを見ると、白で統一された世界にいた。死んだのか、という疑問が浮かぶが、
「死んでないですよ。君はまだ生きてる。僕は、そうだな……転生者の、日向空翔。神っぽい人に言われて、君を助けることになりました」
「転、生者……? よく分からないけど、助けてくれるんですか?」
「ま、どこまでやれるかは分かんないですけど……やれるだけのことはしてみます。これでも、前世では結構頭もよかったし、運動もできたんですよ」
状況は理解出来ていない。でも、もうこの人に頼るしかないのだろう。
伸びた黒髪から覗く黒い瞳を見つめる。その目からは、どこか決意のようなものを感じた。うん、この人になら、任せられる。そう感じた。
「お願いします。みんなを……ユキを、助けてください!」
青年は一つ頷き、右手を唇に当てて少し迷うような素振りを見せて、私に近寄ってくる。そして、私の頭の後ろに右手を回し、彼の胸へと私の額を優しく引き寄せた。額からは、青年の鼓動は――感じない。ここは、夢の中のような場所なのだろう。でも、青年の温もりは伝わってきた。そして、ユキが私を落ち着かせるときにしてくれることと同じことをされて、初めて会った人だというのに、妙に安心感が沸き上がった。
「任せてください」
優しい声で青年が言うと、私の意識がすーっと遠退いていった――。