エニアス・ネアエダム9
はてさて、どれだけ時間が経ったのやら。戦いの後にそれなりの時間眠っていたせいか、ボクは寝付けないまま数時間を過ごしていた。もうとっくに日が変わっている頃合だ。
「……こりゃ、一度気分転換しないと寝られないな」
久しぶりに行くか、と思い、ベッドから起き上がる。靴を履いて、ロッカーからお気に入りの一張羅を取り出し、袖に手を通す。他三人が起きていないことを確認して、部屋を出る。
足音を鳴らさないように意識しつつ、ゆっくりと廊下を西へと進み、玄関から外へ出る。そのまま再度西へと歩みを進めて、並木を北進する。そう、この学園の敷地の北西端にある、例の切り株に向かっているのだ。
すぐそこまで移動して、ふと人の気配を感じる。魔力振動の索敵で探知してみると、切り株にエニアスが腰掛けていた。右足を切り株に乗せ、立てた膝に右腕を置き、左手を切り株に突いて体を支えながら、夜空を眺めている。
どうしたものか、と思ったけれど、一人にしてくれと言われてからかなりの時間が経っているし、話し掛けるくらいは許されるだろうと思い、残りの距離を近付く。ボクの存在には気付いているだろうが、エニアスはそのまま空を見詰め続けていた。
「星、好きなの?」
どう話しかけるか迷った末、そう質問してみる。ちょうど空を眺めていたのだし、話題の切り出し口としては違和感ないだろう。
「……嫌いだ」
「え、なんで?」
予想外の答えに、素でそう尋ねてしまう。
「ずっと空高くで輝いて、俺の手では到底届かない存在だから。俺の事をいつまでも見下して来る」
「……憧れの存在と、重ねているの?」
「……そうかもな。で、何の用だ」
「エニアスに用があった訳じゃないよ。寝付けないから、外の空気を吸いに来ただけ……その切り株、ボクのお気に入りなんだけど」
「悪いな、今は俺の特等席だ」
「なら、仕方ないか」
ボクは立ったまま、夜空を見上げる。少し冷えるなと思い、両手を寝巻きのズボンのポケットに差し込む。
ボクがこの世界に来る前、プロティアはこうして夜空を見上げていた。その時は曇っていて、星も月も綺麗には見えなくて、いつか晴れている時にまた見に来ようと決意していたことを覚えている。結局中々機会はなかったけれど、今日こうして果たせたことは、少し嬉しい。
「……俺は、フォルサを助けられると思うか?」
投げ掛けられた質問に、どう答えるか一瞬迷いが生まれる。しかし、エニアスがここで気休めの言葉を欲するような子では無いことは重々承知しているため、すぐに迷いを捨てて正直に答えを返す。
「今のままじゃ無理だろうね。ティルノントの奴らと剣を交えて思ったけど、アイツらはリーダーだけじゃなくて、配下も尋常じゃなく強い。ちょっとやそっと鍛錬を積んだくらいじゃ、手も足も出ない」
「そうか」
予想していた返答だったのか、短い返事のみが返って来る。今、彼は何を考えているのだろうか。暗いことも相まって、無表情なエニアスの顔からは何も読み取れない。無言も、しばらくの間続いた。
沈黙に、気まずさを感じ始める。ここは一つ、エニアスを元気付けるための例え話でもしてみようか。
「ねえ、エニアス。光があの星に届くまで、どのくらいの時間がかかると思う?」
「……なんだ急に」
「いいから」
「……光に速度なんてないだろう。一瞬で着くに決まっている」
「残念、不正解。光にも速度はあるよ。まあ、一秒やそこらで月に行けたり、一秒でこの星を何周もしちゃうくらいには速いけどね。けど、その光でもほとんどの星に辿り着くには、何千年や何万年ってかかるんだ」
「……お前の話が本当だとして。そうなると、俺達が見ているあの星は、何万年も前のものだってことになるのか?」
「……君、頭良いって言われない?」
今の話でここまで理解出来るとは思わなかった。イセリーなら理解は出来るかもな、とは思っていたが、エニアスも大概頭脳派なのかもしれない。
「エニアスの言ってることは正しい。ボク達が見ている星は、その星が何千、何万年も前に放ったり反射したりした光を見ているんだ。つまり、今はもうあの場所には星自体がないことだって有り得る」
「それで、何が言いたいんだ?」
「えっとね……君が憧れと重ねている星は、光ですら届くのに何万年とかかる存在だ。それと比べたら、同じ星にいる妹を助けることなんて、簡単だと思わない?」
エニアスは、こちらに向いていた視線を落とす。今の話を自分なりに咀嚼しているのだろうか。
「……どうすれば、最大効率で強くなれると思う?」
「強い人に師事する、かな」
「なるほど……プロティア、だったな」
「うん」
「俺を、鍛えてくれ……いや、鍛えてください。お願いします」
エニアスは、ぶっきらぼうに言ったかと思うと、切り株から立ち上がって頭を下げて言い直す。
ボクが提案しようとしていたことも、エニアスをボクが鍛えるということだった。学園にいる間はそれが一番よいと思ったし、ボク自身も罪滅ぼしが出来るからそうしたいと思っていたのだが、向こうから志願してくれたことは願ってもない事だ。
「もちろん。ボクの指導は甘くないよ」
「ありがたい。それに、厳しい鍛錬ならこれまでも積んできた。大抵の鍛錬で音を上げることはない。よろしく頼む」
──翌日。
午前中の座学を終え、ボク達はエニアスを加えていつもの道場へとやって来た。
「と、いうわけで。今日からエニアスも合流して鍛錬を行うことになった」
「エニアス・ネアエダムだ。俺は最強になることを目標としている。足は引っ張らないでくれ」
「エニアスさん、これからパーティーメンバーとして共に過ごしていくのですよ。もう少し相手を敬っては……」
「一番の不安要素はアンタだ、アトラスティ。一度腑抜けたアンタと共にいることで悪影響がないとは、言いきれないからな」
「なっ……!」
うーん、バチバチだ。
「まあまあ……ここにいるメンバーは、皆強いよ。アトラは唯勇流が主流のこの国では珍しいスピードタイプだし、カルミナとイセリーも剣士としては成長途上だけど、魔術師としては優秀だ。絶対に損はしない……とは言えないかもしれないけど、いい刺激にはなると思うよ。だから、上手くやって行くためにも仲良くはしておいた方がいいと思う」
「……確かに、剣も交えずに実力を決め付けるのは良くないな。先程の発言は不適切だった、済まない。手合わせならいつでも受けて立つ。用があれば言ってくれ」
「おおー! 強い人と戦えるなら、いっぱい学ばないと!」
「そうね」
エニアスの言葉に、カルミナとイセリーはそう喜びを見せる。しかし、アトラは唇を尖らせ、細めた目でエニアスをじっと見ていた。何かボソボソと言っているようだが、「なんで……だけ……」と断片的な内容しか聞き取れない。
「じゃあエニアス、早速なんだけどボクと一戦交えてくれないかな? 君の指導をする上で、実力を見ておきたい」
「ああ、構わない」
「アトラ、審判お願いしてもいいかな?」
「え? ええ、構いませんわ」
唐突に呼び掛けられて、肩を跳ねさせながらアトラが同意する。アトラのエニアスに対する感情を考えると、可愛らしいなぁと思いつつ、倉庫から木剣を二本取り出す。エニアスがいつも使っていた木剣は最も重たいものだったため、今この道場にある一番重い木剣と、普段ボクが使っている二番目に軽い木剣を手に戻る。
「はい」
持ってきた木剣をエニアスに渡し、十メートル程度距離を開けた位置に立つ。エニアスは何度か剣を振っていたが、恐らく感触を確かめていたのだろう。剣の癖を掴めたのか、右足を引いて左半身のみを晒し、左手を前に、右手だけで持った剣は下段に構える。
「唯勇流を使うものと思ってたけど、片手で持ってるってことは違うの?」
「そのくらい片手で使える」
一つの流派を習得した上で、我流に落とし込んでいるということか。まだ若いと言うのに、大したものだ。
右手で持った剣を正面に構え、ボクも準備を整える。
「スタートから本気で来ていいよ」
「分かった」
エニアスが目を閉じて、一つ深呼吸をする。そして、ゆっくりと目を開いた。その目を見た瞬間、えもいえぬ恐怖が、ボクの感情を満たした。
とてつもない集中力だ。獲物を狙う獣のように鋭いのに、空間が凍りつくのではないかと思えるくらいに冷めている。しかし、これだけの集中力でありながら、激化はしていないようだ。
激化は、言ってしまえば極限の集中状態だ。地球ではゾーンと言った方が伝わるだろう。つまり、とにかく集中してしまえば、コツを掴んでいる人ならば大抵誰でも使える。そして、地球ではパフォーマンスという形でしか認識出来なかったゾーンだが、この世界では魔力を見ることが出来れば認識出来る。
昨年度末、アトラが激化を使えるようになり、他人が激化状態にある姿を見る機会が増えたお陰で気付いたことだ。現状、ボクの周りで激化を使えるのは、フェルメウス家の姉妹二人くらいだが、ピクシルの記憶も頼りに複数人のサンプルを元に考察したところ、激化状態にある人の周りの自然魔力は、薄紫の色を纏うらしい。これは、強い感情が周囲の魔力に影響を及ぼし、それが色として現れる現象と同じ原理だろう。
そして、今エニアスの周りの魔力は、無色のままだ。即ち、激化状態ではない。
エニアス程の鍛錬を積んだ者であれば、使えるだろうと思っていたが、そうとも限らないのかもしれない。まだコツを掴めていないのか、実際には何らかの条件を満たす必要があるのか、理由は分からない。もし後者なのだとしたら、今後皆に協力してもらって調べてみるとしよう。
エニアスの圧に負けぬよう、こちらも呼吸を整えて集中を高める。ふっと全身から余計な力が抜ける。
「それでは……始め!」
アトラの声が響き、同時にエニアスが地面を蹴った。