三年の時を経て6
戦いが始まってから、数分が経過した。正直なところ、状況は芳しくない。
「炎よ、炸裂せよ!」
ゴブリンの集団の中心で、爆発が巻き起こる。私よりも少し大きな体のゴブリンが数体、爆風で吹き飛ぶ。恐らく、中心近くにいた個体は、吹き飛ぶこともなく熱を直接受けて、大ダメージを負う、もしくは死んでいるだろう。
いや、死んでいて欲しい。既に、爆発魔法による攻撃は三度目だ。しかし、ゴブリンの数は一向に減る気配がない。勿論、私の魔法は中心近くならば致死レベルの威力だし、騎士さん達の攻撃も、死に至らしめるものがいくつもあった。それなのに、だ。
考えられる理由としては、ウィザードが攻撃を受けた個体を即座に回復しているから、だろう。本当かは分からないが、死後しばらくの間、魂は体の中に存在し、その間に体を生存レベルまで回復させれば蘇生出来る、という話があるらしい。もしかしたら、これが事実で、ゴブリンが減らない理由がこれだとすれば、私達はあまりにも不利だ。
「少しの間、回復止めます!」
「了解!」
ギリュスルさんの応えを聞いて、私はすぐに索敵の範囲を限界まで押し広げる。森の中まで広がった索敵範囲内では、戦闘の全貌を見ることが出来た。
前線では、五十を超えるゴブリンのうち一部が入れ替わりながら私と扉を囲む騎士さん達の盾に殴りかかっていた。木製の棍棒だったり、何かよく分からない緑のジェルが塗られた剣だったりを、バコバコと叩き付けている。
そして、攻撃を受けたゴブリンは、その後ろに控えていたゴブリンが抱えたり引き摺ったりして前線から退けさせ、回復している。その間も、別のゴブリンが前線で棍棒や剣を振るう。
その周りでは、残りのゴブリンが西門に殴りかかったり、壁をよじ登ろうとしたりしている。これだけの数に一度に攻撃されては、木製の門が崩れ落ちるのも時間の問題かもしれない。
更にその後ろでは、他のゴブリンよりも体が大きな個体が三体、並んで立っている。攻めてくる気配は無いが、ただ立っているのも奇妙だと思い、その背後に意識を向けると、中央の最も大きなゴブリンの後ろに隠れるように、ゴブリンの肌よりも更に黒い緑の大きい布を被った個体が立っていた。
「……こいつか」
他のゴブリンに比べて、魔力器官が優れている。つまり、この個体がウィザードだろう。
「ウィザード、見つけました! 一番奥の一番大きい奴の後ろです!」
「ありがとう。しかし、参ったな……ホブ三体なんて、ここに居るやつで倒すのは流石に難しい……ぞ!」
言い切ると同時に、ギリュスルさんは右手の剣でゴブリンの首を貫く。音もなく脱力したゴブリンは、後ろのゴブリンに引き摺られながら下がって行った。そして、次のゴブリンがギリュスルさんに襲いかかる。
「プロティア、回復はしばらく大丈夫だ。ウィザードを狙ってくれ」
「分かりました!」
もう一度、索敵に集中して位置を把握する。位置の確認を終え、索敵を維持しつつ意識を呼び寄せる。薄らとゴブリン・ウィザードを感じ取りつつ、その場に跪いて地面に両手を付ける。
「命の大地。深淵の怒りをもって、隆起せよ。岩よ、隆起せよ!」
唱え終わった瞬間、ゴブリン・ウィザードの背後の地面から、先端の尖った岩がゴブリン・ウィザード目掛けて飛び出す。しかし、私の魔法は、ゴブリン・ウィザードの前に立つ大きなゴブリン──ホブ・ゴブリンの持つ棍棒が受け止めた。
「そんな……!」
魔力を感じ取れる? 可能性はあるかもしれないけど、それじゃあ魔法でウィザードを倒すことは出来ない。あのタイミングで防御されるなら、私では無理だ。
背後に向いていたホブ・ゴブリンの視線が、ゆっくりと私の方へと向いた。サーっと、私の体温が下がっていく感じがした。
「プロティア、怯むな! ウィザードはいい、時間を稼ぐことを優先しろ!」
今のを見ていたのか、私と同じ判断をしたのだろうギリュスルさんの声に我を取り戻し、立ち上がって両手を前に伸ばす。
そうだ。私達だけでここにいるゴブリン全部を倒す訳じゃない。私達はあくまで、フェルメウス家の騎士団の本隊が来るまでの、時間稼ぎが役割だ。本隊が来れば、きっとウィザードだってどうにかしてくれる。
それに、ウィザードを直接攻撃出来ないなら、全体にダメージを与えつつ、前に立っているホブ・ゴブリンにダメージを少しずつ与えていけば、ウィザードの回復の手も回らなくなるはず。
「命の泉。生命の根源たる水よ、荒れ狂いて万物を呑み込み、巻き上げよ。水よ、渦巻け!」
唱え終えると同時に、ゴブリンの集団の中心上空に巨大な水の球が現れ、次の瞬間には十数のゴブリンを巻き込みながら渦を作り上げる。渦の中でゴブリンがもがいているが、出ないように渦の形を上手くコントロールする。
「もっと、もっと大きく……!」
水の渦に更に魔力を流し込み、水の量を増幅させる。一瞬、体の力が抜けそうになるが、歯を食いしばって倒れないように重心を整える。
「大丈夫……まだ、行ける……!」
自分に言い聞かせるようにそう呟き、水の渦の回転を止めて空中に球の形にして維持する。
「凍れ!」
頭の中で巨大な氷塊をイメージしつつそう言葉にすると、直後、水の塊が外側から徐々に氷へと変化していった。
全体が凍ると、そこには二十匹近いゴブリンが飲み込まれた、巨大な氷の球が出来ていた。空中の維持を解除すると、ズシンと重い音を出しながら二匹ほどゴブリンを巻き込んで地面に落下した。
一呼吸してすぐに意識を切り替える。ウィザードを狙った時のように跪いて地面に手を付き、氷塊の真下を意識しつつ詠唱を始める。
「命の大地。深淵の怒りをもって、隆起せよ。岩よ、隆起せよ!」
詠唱を終えると、即座に氷塊がぐぐっと動く。次の瞬間には上空へと飛び上がった。地面を隆起させて、打ち上げたのだ。
それを見届ける暇もなく、再び立ち上がって今度は上空へと両手を伸ばす。
「命の灯火。深紅の炎よ、万物を破壊し吹き荒れろ」
そこまで唱えると、ちょうど氷塊が頂点へと達した。
──角度は、ここ!
「炎よ、炸裂せよ!」
魔法名を唱えると、氷塊の頂点から少し私の方へ傾いた位置で爆発が起きた。爆発により生じた衝撃が氷塊をホブ・ゴブリン目掛けて押し出す。
爆発魔法による加速と、重力による落下によって勢い付いた氷塊が、ホブ・ゴブリンに衝突する──そんな光景をイメージした瞬間、氷塊はホブ・ゴブリンの目の前で砕け散った。
「そんな……」
棍棒を振り上げた姿で止まっているホブ・ゴブリンを見て、私の中に絶望が湧き出てくる。今の魔法は、集団戦の中で使えるだろう、と思って練習していたものだ。威力も私の中では上位に入るほどのものだし、あのサイズの氷はそう簡単に砕くことだって出来ないはずだ。しかし、ホブ・ゴブリンは棍棒のたった一振りで砕いてしまった。
そして直後には、ホブ・ゴブリンの頭上に直径一フォティラスほどの火球が現れ、辺りの凍ったゴブリンの氷を溶かしていった。火球が消えると、今度は倒れているゴブリンを光が包み、次の瞬間には全てのゴブリンが立ち上がった。
全てのゴブリンが立ち上がったのを確認するかのように、ホブ・ゴブリンが辺りを見渡す。右、左、後ろと見てから、再び私に視線が向いた。さっきとは比べ物にならない重圧を感じる。
「あの娘を生け捕りにしろ! 孕み袋にしてくれる」
ホブ・ゴブリンがしゃがれた声で言い放った。ハラミ袋が何かは分からないが、狙いが私に向いたことは確実だろう。しかし、私が――いや、ここにいる人間が動きを止めた理由は、そんなことではなかった。
「ゴブリンが喋るとか、なんの冗談だよ……」
ギリュスルさんが、わずかに震えた声で呟く。理由というのは、ゴブリンが喋ったことだ。
本来、魔物というものは言葉を持たない、もしくは人間とは違う言葉でやり取りをするものらしい。最上位種にもなれば、人間の言葉を理解し話す場合もある、という噂はあるらしいが、ホブ・ゴブリンはゴブリンの中でも二段階目の存在だ。最上位種までは、まだ二段階ほど進化があるはず。それに、最上位種が人間の言葉を理解し話す、というのも本当かは分からない。
つまり、完全に予想の範囲外の出来事だったのだ。ゆえに、全員が動きを止めてしまった。
その隙をついたかのように、私たちから少し離れたところの地面が三フォティラス近く飛び出し、その上に乗っていた五体程のゴブリンがギリュスルさんたちの上を通り抜けて私目掛けて飛び降り始めた。
「クソッ、やられた! プロティア、検問室に入って扉を開けさせるな!」
「皆さんは!?」
「何とかする!」
腰の左側に吊るしている剣を抜き、降ってきたゴブリンの棍棒を受け止める。膝を曲げ、衝撃を和らげつつ、弾くと同時に扉の目の前までバックステップで下がる。右手で剣を持ち、迫ってくるゴブリンに牽制をし、左手で扉のノブに手をかける。ニチャ、と唾液を垂らして笑みを浮かべながら近寄ってくるゴブリンに嫌悪感を感じつつ、ノブを握る手に力を込め、ゆっくりと回す。そして、素早く開けて左回りに回転しながら検問室へと入り、回転の勢いそのまま扉を閉める。
剣をもったままノブを両手で握り、開けられないように後ろへと引っ張る。外から引っ張られ、扉はドスドスと殴られているが、何とか持ちこたえている。しかし、中に入って数秒後、ものすごい轟音とともに検問室――それだけじゃなく、防壁、そして西門の上四分の三が崩れ落ちた。大小様々な大きさの瓦礫が私の背後へと落ちていき、防壁は私の頭の頂点から少し高い位置までのみとなった。
絶望に近い恐怖を感じながら、悟った。これは、あのホブ・ゴブリンがやったのだと。そして、検問室の扉も限界を迎え、私の顔程の大きさの穴が開き、そこから一体のゴブリンが顔を覗かせた。
「ひっ!」
反射的に悲鳴を上げ、扉から距離をとるが、先ほどの崩壊のせいで私の背後は瓦礫にまみれている。すぐに扉が開き、深緑の肌の化け物が一体、二体と入ってくる。
「や、こな……っ、来ないでっ!」
右手の剣を型も何もなく、無茶苦茶に振るう。しかし、ゴブリンの動きは止まらない。
恐らく、生け捕りにしろと言っていたから、捕まってもすぐに死ぬようなことはないのだろう。でも、生きてても碌なことにはならないことは、考えるまでもなく想像が出来た。
一歩、また一歩とゴブリンが近付く。先頭に立つ緑の何かが塗られた剣を持つゴブリンが、興奮で目を見開き口角を限界まで引き上げながらその剣を振り上げる。逃げ場がない。背後は高く積みあがった瓦礫の山。右も左も、逃げてもゴブリンに囲まれるとしか思えない。
「やだっ……怖いよ、ユキ……」
涙で視界が滲み、掠れて震える声で最愛の姉の名前を呟く。頭の中で、ユキが私を呼ぶ声が聞こえた気がした。ああ、これが私の走馬灯というやつなのだろうか。
抵抗することも諦め、剣を持つ右手をだらんと脱力させた。
「ティア、助けに来たよ!」
慣れ親しんだ、今最も聞きたい声が聞こえたと思った瞬間、目の前のゴブリン数体が燃え上がった。




