三年の時を経て5
一分程で西門の前に立つ。普段と同じように、大きな門は閉じられており、その横にある円柱状の検問所の人一人分の扉も閉じている。検問所は街の内と外に同じ扉が付けられており、その中に衛兵が一人入って出入りしようとする人の検査をする。と言っても、顔見知りであれば理由を言えばすぐに通してくれる。
これまでそうして来たように、検問所の扉を三度叩く。すると、外開きの扉が動く。
「……ん? プロティアじゃないか。どうしたこんな時間に」
雑に生えた髭をその尖った顎に蓄えた、痩身のおじさん……見知った顔だ。冒険者さんと特訓のために街の外に出る時、何度も顔を合わせたことのあるフェルメウス騎士団の一員、ギリュスルさんだ。
「外に出して貰えませんか? 魔物が来るんです」
「……」
ギリュスルさんが、半分閉じていた目を見開いて、じっと私を見つめる。
「あ、はは、こりゃ驚いた……プロティアがそんな冗談を言うなんてな。でも、君ももう学園の生徒なんだし、そういうのはやめた方がいいぞ。ほら、早く寮に戻りな」
「冗談じゃないです! 本当に来るんです!」
「本当に来るんだとしても、それは俺たちの仕事だ。プロティアは戦わなくたっていいんだよ。まあそうだな、せめて冒険者になってから……って、おい!」
このままでは扉の鍵が掛かったままだと思い、ギリュスルが視線を逸らした瞬間を見逃さず奥の扉へと左手を伸ばす。しかし、さすが領主の騎士団の一員と言うべきか、すぐに私の右腕を掴んで扉から引き離す。
「放してください!」
「ほら、君は早く寮に戻って寝なさい。あんまり執拗いと手荒に対処しなくちゃならなくなるからね」
「もう逃げてばかりは嫌なんですっ!」
体を捻る勢いを利用して右手を振ると、ギリュスルさんの手から逃れることに成功した。再び掴もうと伸びてくる手を屈んで躱し、前傾姿勢のまま扉に突進して街の外へと出る。
扉の両隣には一つずつ篝火があり、その明かりは七フォティラスほど離れたシンド村へと続く森の入口まで照らしていた。
走った勢いを殺しつつ、森に三フォティラス程まで近寄り、索敵を使う。経験上、魔物が攻めてくるのは涙が流れて二時間後……まだ一時間も経っていないから、来るのにはもう少し時間がかかる。
──はずだった。
限界まで索敵範囲を広げた瞬間、薄く拡がった私の聴覚が足音を捉えた。焦る気持ちを抑えながら、意識を森の中へと飛ばし、足音の方へ視覚を向ける。そこには、数え切れないくらいの深緑の肌をした人型の魔物、ゴブリンが街に向けて進んでいた。
「プロティア、いい加減──」
「ゴブリンが来てます。数は正確には分からないですけど……恐らく、五十はいます。でかいのも」
索敵を維持したまま、ギリュスルさんの言葉を遮って伝える。
「んな……冗談じゃ、ないんだな」
「っ……はい!」
ギリュスルさんの声音が、さっきまでの優しいものから、低く威圧感のあるものへと変わる。気圧されて一瞬怯むものの、すぐに返事を返す。
「プロティア、一発魔法を打って牽制したら、すぐに扉の前に移動しろ」
「に、逃げませんよ」
「ああ、この数は今ここにいる衛兵じゃ止めきれない。君の魔法が必要だ。だから、俺達で君を囲んで守りつつ、フェルメウス騎士団の本隊が来るのを待つ。命懸けろよ」
「はい!」
索敵を維持しつつ、両手を前に出す。そして、頭の中に炎のイメージを浮かべ、大きく息を吸う。
「命の灯火。深紅の炎よ、万物を破壊し吹き荒れろ」
そこまで唱えると、手の先に小さな光の玉が浮かぶ。式句を唱え、魔法名を唱えずに維持すると、こうして光の玉がイメージした場所に現れるのだが、これは魔力の集合体だ、という説が有力らしい。私にはよく分からないが。
索敵の範囲内に、ゴブリンのほぼ全てが侵入した。数はやはり、五十を下回らない。
いっその事森ごと燃えて、全滅してくれれば……と思うが、そう上手くいくとは思えなかった。
私の中に、ユキのおかげでなくなったはずの不安が拡がっていく。初めての夜の戦い、初めての対魔物戦、そして初めての本当に命を懸けた戦い。
索敵と魔法の維持という、まだ慣れ切っていない状態が、強まっていく不安のせいで安定性を欠いていく。どちらかをやめれば少しは安定するだろうが、索敵をやめればタイミングを測るのが難しくなるし、魔法をやめればそもそも牽制が出来なくなる。
歯をギリギリと鳴らしながら、索敵の範囲を縮める。手元の明かりが一瞬ブレるが、索敵範囲の調整を一旦止めると安定する。すぐに索敵範囲の縮小を再開し、森の入口から一フォティラス程森の中に入る程度に調整する。
索敵範囲を狭めたことで、多少なり索敵と魔法が安定する。しかし、依然不安は私のココロを飲み込んだままだ。
「やらなきゃ……私が、やらなきゃ……!」
呼吸が浅くなり、心臓の動きも街を三周した後くらいまで早くなる。背中にじんわりと汗が噴き出し、頬を一滴の塩辛い水が伝う。
「深呼吸だ。心配しなくても、プロティアは俺達が絶対に守る」
背後で衛兵さん達に指示を飛ばしながら、ギリュスルさんが私にそう語りかける。言葉に倣い、一度深く息を吸い、数秒止めた後にゆっくりと吐き出す。
「信じますね」
いつもより少し掠れた声が出たのは、意識が魔法と索敵に全集中しているからだろう。だが、私は一人で戦うわけじゃない、守ってくれる人がいる、そう思った瞬間、不安はある程度和らいだ。
せめて、五匹はやる。そう目標を立て、達成できるように魔力を更に込めて威力を底上げする。手元で仄かに光る小さな球が僅かに揺らぎ、ほんの少し大きくなる。
どれくらいの時間が経っただろう。無限かのように感じていたが、遂に索敵の範囲にゴブリンが侵入した。あと少しで、私は牽制の魔法を放ち、そして戦いが始まる。
「大丈夫……私は一人じゃない。怖がる必要なんてない!」
自分に言い聞かせるように、歯を食いしばりながら小さく言葉にする。
あと五秒、四、三、二……
「炎よ、炸裂せよ!」
大きく息を吸い、今までにないくらい気迫を込めて魔法名を言い放つ。
光の球が一際強く光り、一瞬にして人の頭よりも大きな火球へと姿を変え、森から姿を見せたばかりのゴブリン目掛けて飛んでいく。そして、森に接触する瞬間、私は頭の中に爆発をイメージを浮かべ、それと同時に火球は大きな爆発を引き起こした。
吹き付ける爆風を利用して、バックステップで扉の前に移動する。扉の前に立った二秒後には、五人の盾と剣、または槍を持ったギリュスルさんを含む衛兵が、二フォティラス程の距離を空けて私を半円状に囲んだ。
ほんの少し安心感が湧き、視線を森に向ける。私の中では燃える森をイメージしていた──しかし、実際には燃える森など存在せず、葉がなくなり幹が焼けた木が並んでいるだけだった。そして、多数のゴブリンが無秩序にこちらへと向かっていた。
「プロティアは回復をしつつ隙を見て攻撃で数を減らしてくれ。もし余裕があったら、索敵で敵陣を見てくれ。ウィザードタイプがいるかもしれない」
ウィザードタイプ、つまりは魔法が使える個体だ。ここ数日に雨が降った日は無いし、木は燃えるはずだ。だが、実際には燃えていないということは、魔法で消した可能性が高い。ギリュスルさんはそう判断したのだろう。
「分かりました」
私の応えにギリュスルさんは一度小さく頷き、私に向いていた視線を前方に向ける。
既に、最前列にいるゴブリンが、ギリュスルさんに飛び掛かろうとしていた。
「索敵」
私を囲む騎士さん達が入る範囲で、索敵を展開する。私が使う、魔力振動を利用した索敵は、生物の体内の魔力にも干渉することができ、それを利用して怪我や病気なんかを診ることが出来る。そして、怪我の場所や深さが分かれば、必要最小限の時間と魔力で回復をこなせるのだ。
絶対に逃げない。戦って、今度は大事な人達を守るんだ……!




