ラプロトスティの退学
「ごめん! 近いうちに大事な試合があるから、今日は追い込みたいの。二人とも、アトラのこと任せていい?」
「了解です!」
「ラプ様が居なくても楽しいって前言ってたので、大丈夫です!」
「アトラ、そんな事言ったの!? お姉ちゃん寂しい!」
「い、言ってません! ……一度しか」
「言ってたー!」
お姉様が頭を抱えて大きく仰け反る。そのまま後ろに倒れそうなのに倒れないのだから、どんな筋力をしているのか気になってしまう。
貴族学院に入学して一年。私は最近、毎週のようにお姉様とお友達お二方と休日に出掛けるようになっていた。毎日一人で頑張っているし、休みの日くらい楽しもうよ、とのことだった。お姉様は勿論、お友達のニーレニアさんとルノリーリアさんもとても優しく、楽しい方なので、大変いい休日を過ごせている。たまにお姉様が抜ける日もあるけど、それでもお二方が街中に連れて行ってくださるので、退屈はしない。
「来週は! 二人で! 出掛けるよ! 絶対! この二人よりも! 満足させるから!」
凄く気迫の籠った声だ。少し気圧されてしまうくらいに。でも、お姉様と二人で出掛けることはあまりなかったから、それはそれで楽しみだ。
「はい、楽しみにしてます!」
「お姉ちゃんに任せなさい! てなわけで二人とも、今日は頼んだよ」
「「はい!」」
二人の返事に一度頷いたお姉様は、そのまま寮の自室へと戻って行った。
背中も見えなくなると、ニーレニアさんとルノリーリアさんは私の方を向いて、中腰になって顔の高さを合わせて話しかけてくる。
「今日は何します? ラプ様にお金いっぱい貰ったから、何でも出来ちゃいますよ」
「そうだ、王都の出店制覇とかどうですか? あんまり買い食いはして来なかったですし、楽しいと思いますよ!」
「いいですね! いつも美味しそうだなぁって思いながら通り過ぎていたので、賛成です!」
朝食を食べて間もないというのに、想像をしただけで少しお腹が空いてしまった。しょうがない、だって美味しそうなんだもん。
「よーし決まった! それじゃあ行きましょう!」
ニーレニアさんが先導し、私達は学院の敷地を後にする。
お城のような立派な建物を出ると、舗装された道に出る。辺り一面人だらけで、少し逸れただけで迷子になってしまいそうだ。というか、今までに何度か迷子になっている。
二人が歩幅を合わせてくれるので、私は自分のペースで歩く。学院を出てすぐのところに、既にいくつもの出店が立ち並んでいる。一番手前の魔物串なる食べたいかどうか微妙なものに目を向けていると、ニーレニアさんが面白そう! と言いながら買いに行ってしまった。そして、見た目は普通の焼いたお肉を、串で刺したものを私とルノリーリアさんにそれぞれ渡してくる。
「……何の魔物なのでしょうか?」
「何でしょうね。まあ、魔物なんて色々居ますし、美味しければ何でもオーケーです!」
そう言って、ニーレニアさんが齧り付く。その横で、ルノリーリアさんも同様に。ここで食べねば恥だと思い、意を決して一番先の肉塊に小さく噛み付く。
歯が触れたところからぐにっと押し込み、滲み出る肉汁が口の中に広がる。味付けは塩だけのようで、お肉の味が直に舌を包む。臭みはなく、塩味の中にほんのり甘みのある液体が喉を潤す。お肉は少し弾力が強めのようで、顎にかなり力を込めて上下の前歯と犬歯でしっかりとお肉を挟んで、串を手前に引っ張る。一瞬の抵抗の後、お肉の欠片が口の中に残る。甘塩い味の欠片を奥歯に乗せ、ぐっと噛み締める。ぎゅっという音と共に、幸福の味がする汁が一気に口の中に飛び出し、広がる。
「これ、すっごく美味しいですね!」
先に飲み込んだらしいニーレニアさんが、目を大きく開いて感想を口にする。
「癖は弱め……肉感は少し硬めだけど、子供でも噛み切れるくらい。味付けはシンプルでむしろお肉の味を楽しめるようになっている……うん。一つ目から当たりを引きましたね。凄く美味しいです」
ルノリーリアさんが、ニーレニアさんとは対照的に落ち着いた様子でお肉を評価する。私としても、当たりどころか大当たり、これからのお肉はずっとこれでいいと思えるくらいに美味しい。
ただ、一つ懸念があるとすれば──
「本当に、何の魔物のお肉なのでしょうか」
「……ですね」
「……家畜として飼われている牛や豚とは別に思いますね。本当に何のお肉なのでしょうか」
三人して考えてみたが、結論は分からない、美味しければ何でもオーケーということで纏まった。
「いやー、美味しかった〜」
「意外とサイズがありましたけど、まだ食べますか?」
「まだまだ行けます! もっと美味しいもの、探したいです!」
満足気なニーレニアさんを他所に、ルノリーリアさんが聞いてくる。考えるまでもなかった。お腹はまだまだ食べられるし、むしろさっきの美味しさのせいで更にお腹が空いたとすら思えるほどだった。
「それでは、次に向かいましょうか」
「はい!」
次に行く、という言葉で現実に戻ってきたのか、ニーレニアさんが辺りを「美味しそうなお店……」と何度も呟きながら見回す。お店探しはニーレニアさんに任せて、ルノリーリアさんに先程から気になっていた事を質問してみる。
「気になっていたのですが、お姉様の言っていた大事な試合とは何の試合なのでしょうか? 成績を決めるトーナメントはまだ先ですし、大きな大会も発表されていませんよね」
「えっ!? あー、えと、それは……そう! 王都騎士団の方と試合があるのよ! ここで結果を残せば成績も加算され、卒業後騎士団に入団試験をパスして入団する権利が貰えるそうです」
確かに魅力的な内容だ。王都騎士団は上級貴族を除いて、国内最も生活が安定する職と言われている。学院内の成績も増えて、王都騎士団入団が簡易になるのだとすれば、実力のあるお姉様が挑むのはなんらおかしさはない。
でも、掲示板にそのようなお知らせはここ数ヶ月で一度も見ていない。それなりの頻度で覗きに行っているため、見落としたということはまずない。これだけ魅力的な内容なのだ、参加したい生徒も多くいるだろうし、王都騎士団と関わりを持っているとアピールすることも出来るため大々的に告知しそうなものだが。
それに、お姉様がいないことはこれまで度々あったが、いつもはもっと軽く、それこそ何も言わずにいない事だってあった。今日は、どこか大袈裟に感じた。
怪しい……何か隠している? だとしたら、お姉様が何かを企んでいる? 私の誕生日はまだ何ヶ月も先だから、バースデーサプライズということもないだろうし。
「次はこのお店にしますか?」
「……え、あ、はい。そうですね」
何かのスープを売っているお店のようだが、お姉様の事が気になって匂いすら感じることが出来ないでいた。これは一度、確かめに行きたい。
二人はスープを購入しようとしている。今、私に意識は向いていない。離れるなら今だ。
二人の視線がこちらに向いていないことを確認して、周囲の人の動きに気を配りながら一歩、二歩と後ろに進み、人の波の中へと入る。小さい体のお陰で、人混みの中でも簡単に進むことが出来たため、ものの数分で学院へと戻る。
校舎の中に入る。入ったはいいのだが、今お姉様がどこにいるのか分からない。一度寮に戻っていたけど、あれから既に三十分近くは経っているし、多分いないだろう。一旦、校舎の中を人から隠れながら周ってみよう。
休日で人影の少ない校舎の中、辺りに耳を澄まして大理石の床と靴とで音が鳴らないよう、慎重に歩く。一階をほとんど見て周り、あとは教員室のある廊下だけになった。そこに一歩足を踏み入れようとしたところ、声が聞こえて来た。
咄嗟に足を下げて、壁に凭れ掛かって息を潜める。
「……ダメです。これは決められたことですので」
「でも!」
この声は……お姉様の声だ。もう一人の男の人の声は、私のクラスの担任の声だろう。
「はあ……ラプロトスティ様。学院では規則を守って頂かなければなりません。成績を評価する剣術も、定められています。いくら他の剣術が得意だとしても、この国の貴族で、この貴族学院の生徒である以上、使う剣術は唯勇流のみです」
他の剣術で成績評価をするように懇願しているのだろうか。しかし、お姉様は既に唯勇流をほぼ完全に習得しているはず。何のために──
「アトラには才能がある! 唯勇流なんて話にならないくらいに! それを潰す気ですか!?」
私の名前……まさか、私のために?
「そうです。唯勇流こそが至高の剣術であり、他は許されません」
「なっ……ふざけるなっ! 何が至高だ! そんなのあんたらの勝手だろう!? 金と自分の欲にしか興味のない下賎の分際で、あの子の未来を、可能性を潰すなぁ!」
ガッ、ダン。
「口を慎め」
「……あの子と私は違う。あの子にはあの子の凄いところがある。あの子と私を重ねるな、あの子を見ろ、あの子の道を進ませろ!」
「……執拗いです。あなたは退学です」
キィ、バタン。
静寂が一帯を包む。壁に背中を預けたまま、その場に座り込む。頭の中はぐちゃぐちゃで、今どんな感情が湧いているのか、言葉に出来ない。ただ、静かに涙が頬を伝っていた。
♢
浅くなった呼吸と、いつもの倍近く早まった鼓動に目覚める。理由は分かり切っていた。今見た夢のせいだ。
「……この夢を見るのも、久々ですね」
意識が覚醒したままの姿勢で、アトラスティは呟く。
頭を打たないように気を付けつつ体を起こし、一度深呼吸をして精神状態を落ち着かせる。
多少冷静になったところで、暗くほとんど何見えない部屋の中の状態を、音で探る。聞こえてくる寝息は三つ。隣のベッドの上段から衣擦れの音がするあたり、三人とも寝ているが、カルミナのみ眠りが浅い状態だと予想がつく。ただ、カルミナは眠りが浅くともちょっとの刺激では起きないことは、これまでの経験から分かっている。
「……少し窓を開けるくらいなら、大丈夫でしょうか」
言葉を発して半覚醒の頭を起こしつつ、梯子で二段ベッドの上段から降りる。部屋唯一の窓に近付き、音を立てないようゆっくりと開ける。
校舎と塀で囲われてあまり時間は読み取れないが、空の明るさから察するにまだ夜明け前だろう。いつもならあと二時間は寝ているだろうが、今日はもう、夢の事もあって頭が起きてしまっている。しばらくどうしましょうか、と小さな悩みを頭に巡らせつつ、白くなくなった息を深く吐き出す。
──あの子の未来を、可能性を潰すなぁ!
夢の中で姉が叫んでいた言葉を、脳内で反芻する。掻き消そうと小さな悩みを割り込ませるが、無意識のうちに残響のように蘇る。
この言葉は、アトラスティにとってある種の呪いであった。周囲の期待には応えなければならない、けれどそうすれば、敬愛する姉の願いを、退学を無下にしてしまう。板挟みの中、最終的には周囲の期待に応えることにしたものの、ずっと心のどこかで引っかかり続けていた。せっかくラプロトスティが残してくれた可能性を、自分の意思で捨ててしまった、と。
「……早起きだね」
不意に話しかけられる。掠れた声だが、誰のものかは考えるまでもない。欠伸をして、目を擦っている白髪の美少女は、この部屋で唯一アトラスティにタメ口を使うプロティアだ。
「……目が、覚めてしまいまして」
「そっか……もしかして、昔のことを思い出させたせいで、嫌な夢でも見た?」
「超能力者か何かですか? あなたは」
姉の勘も人並み外れたものだと思っているが、プロティアも同類なのではないか、という考えに苦笑を零す。
「そんなんじゃないよ。ああいう話をした翌日は、関連する夢を見るのがテンプレだってだけ」
少し理解に苦しむことを言いながら、プロティアは隣に立って窓の外に目を向ける。「夜明け前じゃん」と呟きながら、一度大きな伸びをする。
「……退学前のお姉様は、私が唯勇流以外の剣術を使ってもいいよう、先生に提案してくださっていました」
ふと、言葉が出て来る。無意識下でのことで、一瞬驚きと躊躇いが生じるか、どうせもうほとんど話している、全部話してもいいかな、という思いが過ぎり、そのまま話し続けることにした。