アトラスティの本音
貴族区の整理された道を、学園に向けて進む。
アトラがラプロトスティさんに憧れているのは、間違いなく幼い頃からの事だろう。ただ、ラプロトスティさんの真似をし始めた理由は、周囲にラプロトスティさんの上位互換である事を期待されたためだ。それに応えようと学力を伸ばし、剣の流派も適していないラプロトスティさんと同じものを使うようになった。学力に関しては問題なかったのだろう。ただ、剣については周囲の期待に応えられなかった。
それに、アトラはどこかでラプロトスティさんが貴族学院に対して反抗したことを知っているはずだ。恐らく、その理由も。そして、周りの貴族はアトラに白い目を向けるようになった。アトラは、姉と家名のために貴族達の要求であるラプロトスティさんの上位互換であることに応えようとしたのだろう。頑なにやめようとしないのは、応えなければ貴族の中で今以上に浮いた存在になってしまうと思っているから、だろうか。その辺は正確には分からないが、アトラの事だから、きっと家族を思っての理由だ。
理論的な話は昨日した。だから、あとボクが出来ることは、友達としてアトラの思いを聞くことだけだ。そこから先の感情的な部分は、週末に家族に任せる。この方法が一番有効なはずだ。結局のところ、友達でしかないボクが出来ることは、閉ざした箱の鍵を開ける事だけだ。箱の中に隠された本心を解すことが出来るのは、原因となったラプロトスティさんとアトラの実の親であるフォギプトス、母親くらいだ。
「とはいえ、本心を聞くっていうのも、簡単じゃないんだよな……」
カルミナとイセリーの問題も、二人が歩み寄ってくれたからこそ一ヶ月で進展があったのだ。アトラがもし、この件に関して触れてほしくないと思っているのならば、歩み寄ってくれないかもしれない。そうなれば、問題の解決は難しくなる。ボクがもっとコミュ強であれば、こんなに悩まなくて済んだのかもしれないのに……やはり、前世からのコミュ障が悔やまれる。
「悩んでてもしょうがないか。いつもの事だが、やれるだけのことをやろう。成せば大抵なんとかなる、だ」
前世で何かをする際、心の支えにしていたあるアニメの言葉を声に出し、今回もやる気を起こす。
学園に着いたため、正門から入って校舎を右から回り、寮の中に入る。入口横の部屋にいた寮長に帰ってきたことを告げて、寮の一階、東端に位置する自室へと帰宅する。
「ただいま」
「あっ、おかえりー」
東側の二段ベッドの上段から身を乗り出したカルミナが、一番に返答をくれる。続いて、その下でベッドに腰掛けたイセリーも「おかえり」と言ってくれる。
「おかえりなさい。どこに行っていたのですか?」
最後におかえりと言ってくれたアトラが、そう質問を加える。
「野暮用だよ。ちょっと調べたいことがあってね。ところでアトラ、今週末って暇?」
「ええ、特に予定はありませんが……何かあるのですか?」
「うん。着いてきて欲しい所があるんだ」
「分かりました。予定は入れないようにしておきます」
「ありがと」
何の疑いもせず、アトラは了承してくれた。さて、問題はここから週末までに、どうやってアトラの心の内を見せてもらうかだ。カルミナみたいにお風呂で裸の付き合いをして話してもらうのもいいかもしれないが、多分カルミナが一緒に入ってくるから難しいだろう。となると、時間が空いている時に切り株で話すか。先週のように。
「さて。プロティアさんも帰ってきたことですし、夕飯を食べに行きましょう」
「ご飯だー!」
「ミナ、アトラさんの前よ」
「ご無礼仕りました」
「いつの時代の人ですか」
アトラはそんな事を気にする人ではないので、カルミナの謝罪なのかボケなのか分からない、古いフォーテォラ語での謝罪に笑いながらツッコミを入れる。
「さあ、プロティアさんも行きましょう」
「うん」
四人でいつも通り人でごった返している食堂に向かい、夕飯を済ませた。
後にしすぎると、逆に話を切り出しにくくなると思い、食堂から部屋へ戻る途中、一歩引いた位置を歩くアトラの横に並んで話しかける。
「後で切り株に来れる?」
「……昨日の話ですか? その件については既に結論が出たはずですが」
「ボクもそのつもりだったけど、まだ確定させちゃいけないと思ってね」
「そうですか……週末もこの事でしょう? あなたが諦めなくても私は意見を変えるつもりはありませんが、説得を続けたいと言うのであれば応じましょう」
表情から嫌そうな雰囲気が漂ってくる。ただ、話はしてくれるようだからありがたい。そもそも、ボク一人でアトラの思いを曲げられるとは毛頭思っていないし、今はこのまま進めよう。
「ねえねえプロティア、アトラさんと師弟関係になったって昨日言ってたけど、本当なの?」
カルミナが振り返り、後ろ歩きになりながら聞いてくる。危ないぞと窘めてから、質問に答える。
「そうだよ」
「へー。じゃあさ、あたしも弟子にしてよ! 剣でももっと強くなって、イセリーに勝ちたい!」
「いいけど、朝と鍛錬後に鍛錬が追加されるけど大丈夫?」
「うっ……ちょっと考えさせて」
「そんな覚悟じゃ、私に勝つなんて一生無理よ」
「なにおう! やってやる!」
「じゃあ、私も弟子入りするね。いい?」
「もちろん」
ちらりと横目でアトラの顔を見てみる。兄弟──性別的には姉妹の方が適切だが──弟子が出来たというのに、話を聞いていたのかすら怪しい程固い表情をしていた。あまり辛い思いをさせたくはないが、こればっかりは心を鬼にしてでもアトラに迫らなければならない。このままの未来は、きっとアトラにとって良くないだろうから。
♢
お風呂を出て、ささっと髪を乾かす。鍛錬後、すぐにフェルメウス宅に向かったから、まだ入っていなかったのだ。ちなみに、他三人は既に終えていた。
アトラには三十分くらいで出るから、待っててと伝えてある。部屋に戻ってもいなかったから、先に行っているのだろう。
寮を出て炎で明かりを作り、西へと歩みを進める。西端に達したところで進行方向を右に変え、並木の最奥にある切り株に至る。
暗闇の中、フリルが施されたワンピースに身を包んだアトラが、切り株に腰掛けていた。背筋をピンと伸ばし、憂いた表情で空を見つめている。ボクが明かり替わりにしている炎で煌めく金髪が、芸術作品かのように美しい。
「六の月にもなると、夜でも心地いい気温だね」
「それでも、長居をすれば体が冷えてしまいますわ。特に、お風呂上がりであるあなたは……本題に入りましょう」
こちらに向いた視線は、どこか悲しそうに見えた。
炎を消滅させて、アトラの隣に座る。この位置はほとんど日が当たらないため、切り株は思った以上に冷たかった。しばらく我慢すれば体温で馴染むことを期待して、アトラの言う通り本題に入る。
「夕方、フォギプトスさんを訪ねて、アトラの過去について聞いてきた」
「……出掛けていたのは、そういう理由でしたか」
「うん。勝手なことをしたことは謝る。ごめんなさい」
「いえ。あなたの事ですから、悪気があってのことではないでしょう。気にしていませんわ」
「ありがとう……それで、一つ聞きたいことがある。アトラは、ラプロトスティさんが貴族学院を退学した事について、どのくらい知ってるの?」
布二枚越しの冷たさがお尻を通して落ち着いていく中、数秒の沈黙が暗闇に呑まれる。答えにくいなら、無理に答えなくても、と言葉にしようとしたが、その前にアトラが小さな声で答えた。
「……全て知っています。何があったのかも、理由も。この目で、見ましたから」
「え!?」
隠せてないじゃんラプロトスティさん。
「お姉様のお友達と街へ出ていたのですが、どうも様子がいつもと違うように感じて、迷子を装って学院に戻り現場を見ていました。ですので、全て知っています」
詰めが甘いよラプロトスティさん。
しかし、全て知っているとなれば、アトラがラプロトスティさんに対して負い目を感じてしまうのも仕方ないかもしれない。
「……お姉様が学院を去った後、周囲の私への見方は大きく変わりました。異常者の妹、などと裏で呼ばれていたことも知っています。教師の方々からは、これで成績が悪ければフェルメウス家の名が穢れる、とも言われました」
「だから、成績を良くしようと頑張った」
「はい。私がお姉様と同じ流派──唯勇流を使う理由は、この国の貴族は唯勇流を主流剣術として扱っているからです。貴族学院での成績も、この流派で決まります。そして、卒業した今も、貴族の方々の目はあります。今、唯勇流から離れれば、お姉様とフェルメウスの家名に泥を塗ることになりかねません」
推測は大方合っていたようだ。アトラは、姉と家の為に自分の苦を厭わず、周囲の押し付けにも似た期待に応えている。
人それぞれ悩みはあると思うが、やはり貴族の悩みというものは規模が違う。カルミナやイセリーの件は、あくまで二人自身にほぼ完結していた。だから、ボク一人が手を回してある程度解決へ導くことが出来た。一方、貴族であるアトラの悩みは、アトラ本人だけでなく家族、そして大勢の貴族にまで渡った悩みだ。これに関しては、ボク一人じゃどうしようもない。フォギプトスとラプロトスティさんにアポを取っておいて正解だった。
「……もう分かったでしょう? あなたがどれだけ手を回したとしても、私が唯勇流をやめることはありません。私だけが責任を負うのであれば、喜んで己の剣を磨きます。ですが、これは私の家族、フェルメウス家が雇う方々、そしてこの領地に住まう領民にまで影響が及ぶことなのです」
「アトラの本心は?」
「え?」
「アトラは、もし唯勇流をやめても何も影響が出ないのならば、どうしたい?」
何度か、アトラの喉が鳴る。何かを言おうとして、言えないでいる。
「アトラは、ラプロトスティさんのどこに居たい?」
質問を変えてみる。
「……隣が、いいです。共に過ごし、共に高め合い、たまに喧嘩もして、でも互いを信頼し合える。私は、お姉様になりたいのではなく、お姉様の隣に居たい……隣に居ても、恥ずかしくない私でいたい……ただ、それだけなの」
これが、本音なのだろう。貴族の重圧があるから隠してきた、アトラの紛うことなき本音。
さあ、ここからがボクの大見せ場だ。貴族の問題をどう解決するか、何とかして考え付かなければ。知恵熱程度で休んでられないぞ、ボク。