アトラスティの才能2
「そこまで! 勝者、エニアス・ネアエダム!」
特に歓声が上がるでもなく、フェルメウス家居宅内の闘技部屋は、小声での会話が所々で聞こえるだけだった。
「十五分後に決勝戦を行います。出場のアトラスティ様とエニアス殿は準備をお願いします」
司会の男性が言うと、試合会場にて木剣を持ったまま直立していた紫髪の少年は、試合相手から視線を外して場外の親元へと下がって行った。彼が、次の私の試合相手である、エニアス・ネアエダムさんだ。我が国最強の貴族とも言われている家系の長男で、実力は五歳とは思えないくらい強い。
かく言う私も、今のところ全ての試合に完勝して決勝に進んだ、強々な女の子ではあるけれども。
「準備はお済みでしょうか? アトラスティ様」
「はい! いつでも行けますわ!」
問いかけてくるメイドのウェルシャに元気よく答える。
「ふふっ。頼もしいお返事です」
ウェルシャの言葉に嬉しくなって、ふんすと鼻息が荒くなる。
今日は年に一度のフェルメウス家と近しい貴族間で執り行われるパーティーがあり、これはその余興の一つである子供武闘大会だ。五歳以上十歳以下の子供たちでトーナメント形式の剣での戦いをして、今一番強いのは誰かを競う、ちょっとしたお遊びだ。
でも、私はフェルメウス家のお抱え騎士さんにお願いして、今日のために鍛えてもらった。なぜなら、以前お姉様が三連覇したこの大会で、私も優勝したかったからだ。それに、来年からは貴族学院に通い始めてこのパーティーにもあまり参加出来なくなってしまう。お姉様は学院での成績も良くて、このパーティーのために数日休んでも問題ないくらいに凄いけど、私は同じように出来るか分からない。だから、今年勝たなければならない。
「まもなく試合の時間です。両者、場内へ」
「行ってきますわ!」
「頑張ってください」
細身の軽い木剣を手に、試合会場内へ入る。向かいから、先程の少年も少し離れた位置まで歩いてくる。手に持っているのは、用意されている木剣の中でも一番重いものだ。私は筋力が他の人より弱いから、あの木剣は持ち上げるのも一苦労なのに、エニアスさんは片手で持って自在に扱っている。
「お話するのは初めてですね、エニアスさん」
「……会話に興じるつもりはない。俺が最強だと示すために、あんたに勝つだけだ」
「あら、随分強気ですわね。最強と謳われる家系であるあなたとは、一度戦ってみたかったのです。勝ちに行きますので、ご承知を」
強気に強気を返してみるも、本当に会話をするつもりがないのか、フスと鼻を鳴らして開始地点へ移動した。観戦をしている大人達が、彼の態度に文句を言うのが聞こえてくるが、このような対応をされたのは初めてなもので、少しのムカつきと、嬉しさが込み上げてくる。ここで勝って、無視出来なくしてやる! そんな気持ちでやる気が湧き上がる。
私も開始地点に立ち、正面に両手で持った剣を構える。対するエニアスさんは、右半身を引いて脇腹くらいの高さにほぼ水平に剣を構える。初撃は腹部への水平斬りの可能性が高そうだ。
「初め!」
司会の声が響くと同時に、エニアスさんが一気に詰め寄って予想通り腹部へ水平に剣を振るう。後ろへ跳んで躱す。
視界の端で、剣が振り切られる前に剣先が円弧を描くように動くのを捉え、切り返して右横から右上がりの攻撃が来ると予想。即座に右半身を引けるよう重心を左へ移動させる。剣先が床に向いたため斜め切り上げが来ると攻撃の予想の精度を上げ、少し仰け反るようにして右半身を引く。先程まで私の体があった位置を、木剣が通り過ぎる。
右足をついて地面を蹴り、エニアスさんと距離を取る。その後も、エニアスさんの速く重い一撃必殺の攻撃を、正面から受けることはなく、剣を側面に当てて軌道を変えたり、回避したりして全ての攻撃を躱す。
「一撃一撃を重視する唯勇流をあの年齢でほぼ習得しているエニアス殿と、あらゆる攻撃を防ぎ僅かな隙を正確に突くアトラスティ様……正に、天賦の才と天使の舞の戦いだな」
「どうした急に」
「どっちが勝ってもおかしくないってことだ」
観戦者の会話が少し聞こえてきたが、天使とは私の事なのかな。確か、遠い昔にいた翼の生えた神様が天使と呼ばれていて、その戦い方がまるで舞っているようだったから、天使と舞は結び付けられるようになった……って話を、秘蔵書で読んだ気がする。だとしたら、凄く嬉しいかも。
うきうき気分になりながら、集中力を切らさないよう気を付けつつ防御に徹する。というのも、フェルメウス家の騎士さん達に指導をしてもらっていた時、私は守りの才能があると言われて、それ以来守りの訓練をしまくったのだ。その指摘が正しかったのかは分からないが、現状指導してもらったことを中心に戦っているところ、一度も負けていないしこうしてエニアスさんにも渡り合えている。
ただ、一つだけ文句があった。お姉様なら、もっとガンガン攻めていたということだ。お姉様は、相手に攻撃の隙を与えないくらい攻めて攻めて、圧倒的なスピードとパワーで誰が相手だろうと完勝し続けるような人だ。そんなお姉様に憧れてはいるけど……うん、今、なんか近付いてる気がする。この道を進めば、お姉様に追いつけるかも。そんな感じがする。
「ぜらぁ!」
大きく踏み込んでの水平斬りを、屈んで空振りさせる。空を斬った剣は振り切られ、その反動で跳ね返るようにして持ち上がり、担ぐように構える。その一瞬の隙に、私は屈んだ際に左半身を軽く引いて引き絞っていた剣を、首元目掛けて──
♢
「やああ!」
「っ!?」
剣を振り上げると同時、回避で体勢を崩しかけているアトラさんが、右手で持った剣をボクの首の付け根目掛けて突き出した。剣を振り上げた勢いが残っているせいで、ボクの上体はコンマ数秒だが自由が限られる。このままでは回避は無理だ。かと言って、防御しようにも剣は頭上にあって、防御に回すのも間に合わない。
このままでは為す術なく負けてしまう。無理やりにでも耐えなければ、師匠としての顔が立たない。体を強引に逸らしながら左に捻り、振り上げた剣を強引に顔の前まで引き寄せる。アトラの突きにギリギリ間に合ったため、ボクの剣によって首筋を狙った攻撃は左に逸れる。
しかし、強引に体を回したせいで重心はズレ、バランスを崩してしまった。左足を地面から離し、元の位置より後方に下ろして倒れないよう体を支えようと試みる。
――ヒュンッ
顔のスレスレを剣が横切り、反射的にそれを躱そうとして体を引いてしまった。結果として左足で体を支えることは叶わず、ダンと地面に左手を突いて転倒だけは防いだ。
僅かに残響が残るキュっという音は、アトラが裸足でステップを踏んで体勢を立て直したものだろう。そのアトラの剣は、今はボクの顔に剣先を向けて静止している。
「……うっそぉ」
「アトラさん、プロティアに勝っちゃった……」
入口の方で、試合を無言で見ていた二人が、そんな感想を溢す。そう、負けた。手加減をしていたとは言え、油断をしたつもりはなかった。
最後の一瞬、何が起きたのかはなんとなく察しが付く。
アトラの突きを剣で軌道を逸らしたまではよかった。だが、その後のアトラの対応がボクの予想を超えた。ボクの防御により左――アトラ視点では右――へと軌道が逸れた、つまり右回転の速度ベクトルが僅かながらに生じたのだ。同じく体勢を崩していたアトラだが、その回転を利用し、体を捻ってさらに回転を加え、剣を引き寄せて加速、一回転して当たるかどうかは二の次のボクの体勢を完全に崩すことを主目的とした一撃を振るった。ボクはまんまとその策に乗ってしまい、回転の中で上手く立ち直したアトラにこうして剣を向けられたのだろう。何故剣を引き寄せて加速したのか気になったなら、角運動量保存則とググッてくれ読者諸君。誰だよ読者諸君。このセルフツッコミ覚えがあるぞ、天丼か?
着地体勢に疲れてきたので、その場に座り込む。一度細く長く息を吐いて、呼吸を整える。
「受けの戦い方に向いているとは思っていましたが……予想以上でしたよ、アトラさん」
「呼び捨て、やめちゃうんですか……?」
「へ?」
「先程、私のことをアトラと呼んでくださったの、嬉しかったのに……」
「あ、あれはっ、師弟関係を強調するためでしてっ」
試合中のフォギプトスを思い起こさせる鋭い視線は何処へやら、薄らと涙を浮かべ、剣を持ったまま両手を胸の前でぎゅっと握ってこちらを見詰めてくる。この子は、本当に狡い。こんな顔されたら、断れるわけが無い。そんなこと、トラクターでショック死した彼でも容易には出来ないだろう。将来は魔性の女だな、相手する人は頑張って。
「……分かりました。これからはアトラと──」
「……タメ口もやめちゃうんですか?」
「……分かった。これでいいかいアトラ」
「はいっ!」
満面の笑み。剣を持ってるせいでちょっと怖い。着地した体勢を崩し、胡坐をかいて座る。
「それで、戦い方の件についてなんです……なんだけど。今戦ってみて、アトラはどう思った?」
「……そうですね。私も、こちらの方が向いているという自覚はあります。事実、こうしてプロティアさんに勝てた訳ですし。ただ、お姉様のようになりたいという願いを捨てることは、どうしても……」
数秒前の笑顔は鳴りを潜め、顔に影を作る。
頑なだ。ずっとこの願いを糧に頑張って来たのだろうから、仕方ないのかもしれない。例え、自分が苦しむのだと分かっていても、その道を貫きたいと思うくらいに強い願いなのだとすれば、論理でどうにか出来ることではないかもしれない。でも、ボクは感情を言葉に乗せることが苦手だから……先ずは、論理的に話してみよう。
「アトラは、ラプロトスティさんのどこに憧れているの?」
「えっと……強くて、格好良くて、人を引き付けるところです」
「そっか。強さは、適性に合った戦い方を極めた方が、早く、より高みへ行ける。格好良さは、一つだけじゃない。優しさも、強さも、努力し続けることも、諦めないことも全部が格好良さだ。ラプロトスティさんは天性のカリスマ性を持っているかもしれないけど、言葉や演技で近いものを身に着けることは出来る。ラプロトスティさんになろうとしなくても、アトラは憧れている姿を手に入れることは出来る。それでも、君はラプロトスティさんを真似して憧れに近付くことを、諦めないつもり?」
「それは……」
揺れている? 押せば、もしかしたら意見が変わるかもしれない。
「我儘を押し通すのも構わない。でも、周りの意見に耳を傾けてみることも大事だと思うんだ。どうかな?」
一瞬、何かハッとしたように顔が上がったように思えた。しかし、すぐにまた前髪が顔を隠す。
数秒の沈黙が続く。アトラの次の言葉を固唾を飲んで待つ。
「……周りの意見を聞く。そうですね、大事なことですわ」
「じゃあ――」
「私は、お姉様の姿を追い続けます」




