アトラスティの才能1
アトラさんを医務室へ連れて行き、ボクはフルドムの職員室へと移動した。本や紙が散らばっており、少し埃っぽい。というか、この世界じゃ紙はまだ高級品の一つだというのに、こんなに雑に扱えるあたり、この先生も大概肝が据わっている。
「……で、だ。何故あんな事をしたんだと聞くつもりは無い。だが、他に方法はなかったのか?」
部屋の奥にある椅子に腰を下ろしたフルドムが、腕を組み背もたれにもたれかかって聞いてくる。ボクがアトラさんに一撃を入れた理由は何となく察した上でのことなのだろう。
そして、他の方法、か。確かに、探せばあったのだろう。アトラさんを傷付けず、ボクがクラスメイトの敵になることのない方法が。
何度も言うが、ボクはこと人間関係に置いてはミジンコ以下だ。そんなボクが最善の方法を見つけられるかは分からないが、アトラさん達ルームメイトに頼れば何か考えついたかもしれない。だが、そんなタラレバを考えても仕方が無いのだ。既にやってしまった事に言い訳するつもりは無い。
「あったかもしれません。ですが、今はあれが最も有効だと思いました。学園で一番爵位の高いアトラさんに圧勝して、他の貴族を煽る……そうすれば、ボクの苦労と引き換えにみんなやる気になるので」
ここでは言うつもりは無いが、アトラさんの願いも叶えるという意図もあった。全てを満たすのならば、あの方法が最も有効で、簡単だったのだ。
「……学園創設以降、ひとつの課題ではあった。貴族の子供は、面子を保つために鍛錬は真面目にするが、それ以上はないことがな」
「それ以上、というと……主な武器を大体学ぶから、その中から自分の適性に合った武器を探すとか、学んだ武術を応用して自分なりの戦い方を編み出すとか、ですか?」
「ああ、そんな感じだ。全員にやれとは言わんし、やれるとも思っていない。しかし、出来る奴もやらないとなると、話は別だ……今年は、お前のおかげで何とかなるかもしれないがな」
「ムカつく奴も多いですけど、クラスメイトになった以上死んで欲しくないですからね。やれるだけ鍛えますよ」
「そうか、助かる。……教師の立場でこんなことを聞くのも何だが、これから先の生徒をどうやってやる気にさせればいいか、意見を聞かせて貰えないか?」
それを思い付いてたらこんなことしてねぇよ! と思うが、確かにこの課題は解決すべきものではあるだろう。今はまだ何も思い付かないが、卒業までに考えるくらいはしてもいいかもしれない。
「思い付いたら、伝えますね」
「頼む」
また学園での課題が増えてしまった。まあ、どれも一朝一夕で解決出来るようなものではないし、気長に一つずつ進めていくとしよう。いつかアトラさんに言われたように。
「にしても、説教しなくていいんですか? 一応、覚悟して来たんですけど」
「今更叱ったところで、お互いにメリットはないだろう。お前はやったことに対して反省をしているし、アトラスティに関してはお前自身で責任を取ればいい。俺から言えることは、今後なるべく、問題を起こさないでくれ、ということくらいだ」
大抵の大人は叱って終わりにしようとするのだが、フルドムは叱ることが目的ではなく、行動に対して責任を取ることと、行動を通して何を考えるか、得るかを大事にしているのだろう。もちろん、子供のしたことに対して叱ることは大切だ。叱ることでそれが行けないことだと記憶に残る。でも、叱るだけでは何故ダメなのか、やったことに対してどうすればいいのかは分からないままだ。
フルドムの場合は、ボクが既に反省し、アトラさんに対してもちゃんと責任を果たすだろうことを分かっているため、こうして叱らずに居てくれたのだ。ゴブリンと戦いに行った時はそれなりに説教を受けたから、説教をしない人ではないことは確かだし、これまでのボクの振る舞いからそう思ってくれているのだろう。
「善処します」
絶対にないとは言いきれない。そう言外に言ったことが伝わったのか、一度目を細められてしまったが、溜息一つで見逃して貰えた。
「俺は先に修練場に戻っておく。アトラスティもそろそろ検診が終わる頃だろう。付き添ってやれ」
ついでに、言いたいことがあれば二人きりの時に話しておけ、という意図を感じる。ボクも、ちゃんと謝罪はしておきたかったし、ああやって煽った手前、ルームメイトやフルドム以外の前では謝りにくかったからちょうどいい機会だ。提案に乗らせてもらうとしよう。
「分かりました」
一度礼をして、部屋を出る。医務室は校舎の入口左手側すぐの所にあり、フルドムの部屋は右手側すぐの位置であるため距離はすぐそこだ。
会った時、どう話を切り出せばいいだろう。ごめんなさい、といきなり謝るか? それとも、容態を聞いてからその流れで謝る? いや、いきなり謝っても困惑させるかもしれないし、少し雑談してからの方が……
そんな事を階段の前でうだうだと考えていると、一メートル手前にある医務室の扉が開き、ウェーブのかかった金色の髪が姿を見せた。ありがとうございます、と耳に心地よくなってきた声が聞こえてきて、一度礼をしてから姿を完全に見せる。紛うことなき、アトラさんだ。
「あ、えと……」
「あら、プロティアさん。お説教は済んだのですか?」
目を細め、からかうようにして聞いてくる。治療はしたとは言え、かなりの大怪我を負わせてしまった後だと言うのに、アトラさんは何事も無かったかのようにいつも通りに振舞っている。良心が痛み、何か言葉を話そうとするもいたたまれなくなる。腰が九十度になるくらいの深さの、髪がフワッと浮くくらいの速さで頭を下げる。
「ごめんなさいっ!」
ほぼ、反射だった。逃げ出したい気持ちを抑え込むには、これしか方法がなかった。心がそう解釈出来たのか分からないが、そう解釈したのだろう速さで脳が理解するまでもなく体と口が動いていた。
「アトラさんの本気で戦いたいという希望と、貴族の生徒達を奮起させる方法を考えた結果、あれが一番効果的だと思って……言い訳するつもりはありません。煮るなり焼くなり、お好きにしてください」
数秒の沈黙。心臓の動きは、ラプロトスティさんと戦っていた時を上廻る速度まで速まっている。
「ふふっ。煮たり焼いたりしたら、プロティアさんは美味しくなるのでしょうか?」
「え、いや……人が人を食べたら、絶対に死ぬ病気とかに罹ることもあるので食べるのはやめた方がいいかと……」
「でしたら、煮も焼きもしません。初めての友達ですもの、長く傍にいて欲しいですわ」
「アトラさん……」
いい子すぎる。愛おしい。アトラさんが友達で良かった。
「それに、貴族の方々にやる気を出させるのは、本来教師や私のような上に立つ者が行うべきことです。その責務をあなたに押し付けてしまったのですから、あなたを罰することなど私には出来ませんわ」
「それはボクが勝手にやった事なので! アトラさんが責任を感じることじゃ……」
「例えそうだとしても、私はあなたを罰するつもりはありません。もし、それだとあなたの気が済まないのであれば、そうですわね……私を、あなたの弟子にして頂けませんこと?」
「え、弟子?」
「ええ。あなたの強さは本物です。お姉様とあれだけ渡り合えたのですから。この戦いを終えたら、お願いしようと思っていたのです。あなたに、特別指導を付けて頂けないか、と」
学園での鍛錬だけでなく、ボクからも指導を受けたい。あまりの向上心に、脱帽だ。帽子被ってないけど。
それに、今のボクにそれを断る権利は無い。何せ、これはアトラさんに対する贖罪なのだから。
「ボクの指導は、授業とは比べ物にならないくらい厳しいですよ?」
「臨むところです!」
敵わないなぁ、この人には。例え剣で勝てても、人として勝てる気がしない。
「さあ、私も動いても大丈夫との診断を頂きましたので、共に戻りましょう。これからよろしくお願いしますね、師匠」
楽しそうな声色で、年相応な笑顔を浮かべる。ボクが師匠だなんて、烏滸がましいことこの上ないが、アトラさん本人がそう言うのだ。ここは一つ、乗ってあげるとしよう。
「しっかりと着いて来たまえよ、弟子くん。うわわ」
「ええ、もちろん!」
何が楽しいのか、子供っぽくあははと笑いながら、ボクの腕を引いて駆け出した。
この世界に来た最初の頃は、プロティアの人生を奪っているという罪悪感がどうしても拭えなかった。いや、実際を言えばまだその思いはボクの心を苦しめ続けている。でも、数ヶ月この世界で過ごしてきて、少しずつボクの考え方は変わってきていた。折角やり直す機会を、一人の少女の人生を削ってまで貰ったのだ。楽しまない方が、むしろプロティアと日向空翔への冒涜なのではないか、と。
だから、笑った。何が楽しいかは分からないけど、楽しいと思ったから。その方が、きっと記憶を持ったまま、プロティアの日々を奪ってしまったことに対しての償いになるから。
♢
「ふぅ……」
鍛錬を終え、ボク達四人は部屋に戻って着替えていた。剣での鍛錬は初日ということもあってか、あまり厳しくなかった──ボク達が修練場に戻った時には大半の生徒が死にかけだったから、ラプロトスティさんの鍛錬は想像もしたくないが──ため、珍しくすぐに全員で部屋へと戻って来れた。カルミナとイセリーも瀕死だったものの、しばらく休憩すれば復活してその後の鍛錬も普通にこなしていたのだから、大したものだ。
「アトラさん、プロティアに打たれたところはもう大丈夫なのですか?」
肌着の上にシャツだけを着たイセリーが、衣類を全て脱いで肌着だけになったアトラさんに近付いて尋ねる。少し屈んで、ボクが木剣で思いっきりぶった右脇腹に顔を近付ける。色んな申し訳なさで顔を背けながら、制服のボタンを外していく。
「ええ。プロティアさんの回復魔法が優秀なのか、痛みもありませんし、傷跡も残っていませんわ」
「……確かに、かなりの威力で殴られてたと思うけど、痕跡は全然ない。さすがね、プロティア」
「……そりゃ、アトラさんを傷付ける目的はないんだし、ちゃんと治療するよ。これで傷物になんてしたら、ボクの首が飛びかねないし」
「あら、その時は私が庇い、その後、あなたを専属の配下にしてこき使って上げましたのに」
アトラさんのにこやかな笑顔が怖い。もしそうなっていたら、ボクはどうなったのだろう。考えるだけで大変そうな未来しか見えない……まあ、嫌な日々ではないかもしれないけど。
それにしても、二ヶ月間ルームメイトとしてアトラさんのことはかなり観察してきたのだが、相変わらず全体的に細い。食事量はボク達と同じくらいだし、運動量も変わらないはずなのに、まるで筋肉が付いた気配がない。
今日、アトラさんが使っていた木剣は、学園が用意したものの中で一番軽く、重さは約七百グラム、刀身は八十センチといったところだ。このぐらいなら、この世界の人より筋肉量が段違いに少ない地球人の同い年の女の子でも普通に振り回せるだろうに、アトラさんは逆に振り回されそうになっていたくらいだ。つまり、アトラさんの筋肉は、地球人と同等以下ということになる。
師匠になった以上、この問題は何とかしなければ。
「ちょっと失礼」
五つ付いているボタンの上三つを開けた制服を着たまま、アトラさんに近付き、晒されている左腕を両手で掴む。
「え? あ、あの、いきなり何を……ひゃっ」
手、腕、二の腕と触れ、腕を上に持ち上げる。右側も同様にし、その後お腹周り、背中、脚と全身に触れていく。
「い、いい加減にしないと、怒りますわよ!?」
「……アトラさん。もう一度装備を整えて、屋内修練場に来ていただけますか?」
「……別にいいですけど、何なのですか? いきなり全身をぺたぺたと触って」
「後で話します」
触れると、よく分かる。別に筋肉が付いていない訳では無いのだ。今日の戦いを見ても、普段の鍛錬を見ても、動けているし体力もある。無いのは瞬発的なパワー、速筋なのだろう。恐らく、体質的な問題で速筋が付きにくいために、表向きは筋肉が付いていないように見えるのだ。
外していたボタンを留め、防具を着けるか迷うが、攻撃を喰らわなければいいかと思い、そのまま三人を置いて先に屋内修練場に向かう。
屋内修練場は既に無人だった。基本的には授業外は好きに使っていいため、こうして勝手に入っても問題は無い。
「エニアスに勝ったと言うのなら、きっとアトラさんは自分に合った戦い方を知ってるはず」
さっき筋肉の付き方や体の柔軟性を簡単に確認したし、もう一度戦ってみれば、師匠として何かアドバイスが出来るかもしれない。それに、これまでの経験からアトラさんの特技なども多少は把握している。本人が自覚している自分に適した戦い方を見て、ボクの知識にある武器や武術の中から、アトラさんに適したものを見つけることは不可能では無いはずだ。
武具庫に入り、今日ボクとアトラさんが使った木剣と同条件のものを取り出す。一秒もしないうちに、修練場の入口が開く音が聞こえてきた。
「言われた通り来ました。それで、急に人の体をまさぐって、挙句呼び出した理由は何なのですか?」
「もう一度、ボクと戦ってください。それで、アトラさんの適性を見ます」
「……なるほど。先程触ったのは、筋肉の付き方や体の作りを確かめた、という所でしょうか。そういう事でしたら、こちらからもお願いしますわ」
相変わらず察しのいい人だ。
木剣の持ち手を向けると、近付いてきたアトラさんがそれを受け取る。修練場の中央に移動し、互いに五メートルほど反対方向に進んで振り返り、向かい合う。
「イセリーかカルミナ、どっちか審判をお願い」
防具まで装備してきたアトラさんと違い、こちらは部屋着になっている二人に呼びかける。
「分かった」
一歩前に出たイセリーの返答に一度頷いて、左半身を引いて右手だけで持った剣を正面に構える。アトラさんは昼間と同じく、両手で持った剣を正面に構えている。
「初め!」
イセリーの声が響くと同時に、アトラさんが床を蹴って一気に詰め寄ってくる。ただ、ラプロトスティさんと戦った後では止まっているようにすら見える速度だ。
振り下ろしを軽く剣を当てて軌道を逸らして回避する。体が流れながらの斜め切り上げを弾き、顔の正面に剣先を突き付ける。
「ラプロトスティさんの真似ですか?」
「っ! ……だったら、なんだと言うのですか。お姉様は私の憧れです。真似をしても、何もおかしくはないでしょう」
「そうですね……じゃあ、師匠として言う。憧れるのを、真似るのをやめろ」
師弟の関係を頭で理解しやすくするべく、口調を変えて言い終わると同時に、剣を振り上げ首の付け根目掛けて振り下ろす。即座に反応したアトラは、右手だけで持った剣の腹に左拳を添え、ボクの斬撃を受け止める。ガクッと体が沈んだかと思うと、バックステップでボクから離れた。
逃がさない、とすぐに詰め寄り止めどなく攻撃を入れ続ける。一秒に四から五発もの連撃を、アトラはギリギリながらも全て往なしている。
アトラには、幾つか人より優れた才能がある。
一つは、超能力と間違えそうになるほどの観察力。貴族として生まれ、幼い頃から人という人の感情や思考を読み取りながら過ごしてきたことで培ったのだろう。動きや目線、僅かな変化から機微や次の行動を正確に読み取ることが出来る。
次に、動体視力と反応速度。先程の観察力にも繋がるが、僅かな変化を即座に読み解く動体視力と、読み取った情報を処理し即座に結論を出したり動いたりできる反応速度は、少なくともプロティアのそれに勝る。昼の試合で、体勢を崩しながらも防御のしにくい位置や弱点を狙って攻撃出来ていたのも、この動体視力と反応速度あってのものだろう。
最後に、体の使い方の上手さ。体勢を崩しながら狙った位置を攻撃するのは、どれだけ動体視力と反応速度があっても簡単なものでは無い。人並外れた身体操作能力があってこそ成せる業だろう。
ボクの見立てでは、少なくともこの三点はアトラの人より優れた能力だ。
しかし、ラプロトスティさんの戦い方を真似ているアトラでは、筋力の制限があるせいでこれらの利点を活用し切れない。言ってしまえば、アトラは攻めの適性が限りなく低い。
だが、守りに回ったアトラはその才能を開花させる。動体視力と反応速度で相手の攻撃を全て防御、回避出来るし、身体操作能力で多少体勢を崩してもすぐに立て直せる。そして、観察眼で相手の動きを見切ってしまえば、早々負ける事はなくなる。
攻撃の手を止め、アトラから距離を取る。
「アトラ。一度、エニアスに勝った君を見せて欲しい」
アトラの剣先が下がり、足幅が狭まる。どこか、全身から力が抜けたような印象を受ける。俯き気味になってしまい顔はよく見えないが、了承と捉える。
右半身を下げ、右手で持った剣を剣先が地面スレスレまで下がった状態で構える。左手を申し訳程度の防御として正面に添え、腰を深く落とす。