アトラスティとの試合2
アトラスティの追撃に次ぐ追撃を、プロティアは難なく防ぎ、躱す。目まぐるしい展開の中始まった試合に、状況の整理に時間が掛かりながらも、イセリーは白と金が陽光に輝く剣舞に見入っていた。
「アトラさん、ずっと攻めてるね。プロティアが劣勢なのかな?」
「どうだろう。私としては、プロティアの方が余裕があるように見えるかな……まるで、実力を測ってるみたい」
隣から聞こえたカルミナの意見に、自分の率直な推測で返す。
実際、試合が始まって以来アトラスティがずっと攻めていて、プロティアは防戦一方。しかし、防御や回避の動きは素人目には無駄が少ないように見えるし、何度も反撃のチャンスがあったのにわざと見逃しているようにすら感じていた。
「平民共は、相変わらず見る目がないな……アトラスティ様が負けるわけが無いだろう? 立場を考えたまえ」
カルミナの向こうにいた貴族が、イセリーとカルミナに目もくれずに言い捨てた。下級貴族の一人だが、二人にとっては名前もよく知らないクラスメイトの一人でしか無かった。カルミナはキョトンとした表情を浮かべているが、イセリーはその言葉の意味を理解していた。相手は権威ある貴族なのだから仕方の無いことかもしれないが、ムカついたこともあって少しだけ言い返すことにした。
「接待しろ、ということですか?」
「言わねば分からぬのか。平民はそんな常識も知らないのだな。階級が上の方に試合で勝っていいのは、貴族間で執り行われる武闘大会のみだ。このような決闘で平民如きが勝っていいお方では無い」
言うて下級貴族の子供のくせに、口が達者だなぁ。と感想を抱きつつも、イセリーは試合に視線を戻す。アトラスティが攻めてプロティアが守る構図はまだ変わらないと思っていたが、不意にプロティアが鍔迫り合いに持ち込んだ。何か話しているようだが、ここまで声は聞こえてこない。
会話が済んだのか、プロティアがアトラスティから距離をとる。一秒もせずに、イセリーの右側から聞き覚えのない声が聞こえてくる。
「……プロティアの勝ちだ。終始、見るに堪えない試合だったな」
片膝を立てて座っていた紫髪の少年は、アトラスティが以前話していたエニアス・ネアエダムだろうとすぐに認識したイセリーが、何故そう思ったのかを聞くか迷っていると、先程の下級貴族のクラスメイトが怒りを露わにしてエニアスに言葉で突っかかった。
「おい、戦闘狂。馬鹿なことを言うな。貴族の癖に、常識すらないのか貴様は!」
「……見る目がないのはお前の方だと、すぐに分かる」
常識については言及しないのだろうか、もしかして私達を庇おうとしてくれただけ? それなら、彼のことを庇うのは私達の方だけど、よく知らないし……と脳内で一秒もかからずに考えていると、だいぶ聴き馴染んできた凛々しい声に、イセリーも含む全員が視線を剣を持つ二人に向けた。
「次で決着を付けましょう。あなたも、本気を出してください」
プロティアは俯いていて、横髪に表情が隠れている。ただ、アトラスティの言葉を聞いた二秒後、右足を引いて剣を両手持ちにし、下段に構えた。それを同意と受け取ったか、アトラスティは正面に構える。最初の一撃と同じく、接近して上段からの袈裟懸け、もしくは斬り下ろしだとイセリーは推測する。
緊張感が空間を支配する。試合中の二人だけでなく、観戦の生徒は皆相対する剣士達に集中し、カルミナとイセリーも視線を離せないでいた。この場でこの空気感に呑まれていない者は誰もいない……かのように見えたが、ラプロトスティだけは笑みを浮かべていた。
「せやあ!!」
アトラスティが地面を蹴る。数メートルを一気に縮め、ピクリとも動かないプロティアに剣を振り下ろさんとする。アトラスティの剣が頭上を通ろうとした瞬間、空気が変わった。ぞわぞわと、全身の毛が逆立つような感覚がイセリーを襲う。他の大半の生徒も同様のようだ。カルミナは胸の前で両手をぎゅっと握り、エニアスは立てた右膝の上に乗せた右手と地面に着いている左手に力が籠る。
数分にも感じた僅か一秒、気が付くと、木剣がぶつかり合う子気味のいい音と、人を殴ったような鈍い音がほぼ同時に聴こえ、生徒達の視界では、アトラスティが宙を舞っていた。
♢
アトラさんと距離を取る。お互い、剣を正面に構えて、試合開始時と同じような構図になる。一つ違うのは、ボクが俯いているだけ。
「次で決着を付けましょう。あなたも、本気を出してください」
アトラさんの声が、鼓膜を揺らす。
この決断をすれば、恐らくこの先一年半、学園生活は困難の連続となるだろう。しかし、ボクが取れる手段は、探せば他にもあるかも知れないが、これしかない。
魔力振動を介して観戦中の生徒達の会話を盗み聞きしていたが、イセリー達平民に対してボクが接待勝負をするべきだと発言した貴族がいた。エニアスは反論していたが、大半の貴族生徒は似たような考えを持っているだろう。この思考を変え、かつ貴族連中により強くなるための理由を作る必要がある。カリスマ性やコミュ力があれば、もしかしたらもっと簡単に済むだろう。だが、ボクはそういった概念とは無縁の人間だ。
だから、ボクは……貴族生徒達の敵になる。
あの構えなら、上段からの攻撃が来るだろうと推測し、相手の性格も勘案してそれを確定すべく、ボクは右半身を引いて、剣を下段に構える。こうすれば、上段と下段の対称勝負にしようとしていると汲んで、アトラさんは乗ってくるはずだ。何せ、真面目で素直な人だから。
「せやあ!!」
アトラさんが地面を蹴る。正面に構えた剣を振り上げ、やはり上段の攻撃を仕掛けてくる。
攻撃が当たるまで、約一秒あるかどうか。ここまでの間に集中を更に深めて、ゾーンにも入っている。必要なのは、あと一つ。
既に古く感じる転生初日。ホブ・ゴブリンの殺意を脳内に鮮明に思い出し、描く。そして、それを演技に落とし込み、アトラさんに──
「っ!」
無音の圧を発する。殺す。アトラスティを殺す。その思考が脳内に染み渡り、全身を奮い立たせる。僅かに残る理性で衝動を抑え、闘志と混ぜ合わせる。
上げた視界の中で、アトラさんの表情が強ばるのが見て取れた。ボクの向けた殺意に恐怖したのだろう。しかし、すぐに歯を食いしばって精神を立て直し、さっきよりも強まった闘志で対抗してくる。
「やあああ──っ!」
木剣がボクの顔目掛けて振り下ろされる。剣先がアトラさんの顔の前に至ると同時に、ボクは下段に構えた剣を左上がりに振り上げる。腰を捻り、曲げた肘を伸ばし、手首のスナップを利用して、最大限の威力を乗せた木剣は、アトラさんの木剣と拮抗することもなく、吹き飛ばした。
だが、まだ終わらない。剣を振り切る勢いそのまま左に構え、下げた右足で地面を蹴り、剣を右手だけで持ち、手首を切り返して、上体が曝け出されたアトラさんの脇腹に先程の威力が残った一撃を入れる。
木剣同士のぶつかり合う音もまだ響き渡ってすらいない中、ガッと鈍い音に演技の奥にある良心を痛める。
剣を振り切る。体をくの字に曲げて宙に浮いたアトラさんは、二メートル以上飛んで受け身も取れないまま、地面に落下した。数瞬後、半ばで折れ曲がった直剣が地面を跳ねる。修練場内が沈黙に占拠される。
剣を右へ振り抜いた姿勢から、仁王立ちへと姿勢を変えてアトラさんを見下ろす。それがトリガーとなったか、貴族の女子生徒が耳を劈く悲鳴を上げた。
それを皮切りに、周囲の生徒も騒然としだす。
「アトラスティ! おいプロティア、お前──」
「待った」
状況に理解が追いついたらしいフルドムがボクを叱責しようと声を荒らげるが、ラプロトスティさんがそれを静止する。
「続けて」
何かしようとしてるのだろう? 目がそう告げている。一度短く瞼を伏せることで感謝を示し、アトラさんに一歩近寄る。
「言ってましたよね、外の世界に自分がどれだけ通用するのか知りたいと……魔物との戦いとは、こういうものです。老若男女なんて関係ない。爵位なんて関係ない。獲物と見れば本能のまま命を奪う」
アトラさんに近付きながら、他の生徒にも聞こえるよう、いつもより低い声を張る。地面で丸まり、剣の直撃を受けた脇腹を抑えながら、リズムの崩れた呼吸で命を繋ぎ、乱れた前髪の下から鋭い視線を向けてくるアトラさんへ、今までにないくらい冷めた視線を下ろす。
「今のあなたでは、ゴブリンにも劣る。相手にもならない。一瞬で動きを封じられ、慰みものにされるだけだ。勝って当然と思われていた人がこの程度じゃ、貴族の連中も高が知れる」
「なんだとっ!」
この場の全員が視線をボクに向ける中、貴族は大半が怒りを隠しもせずに睨みつけている。一人の生徒が声を荒らげると、他の生徒も口々にボクを罵る。
「不敬を働けばどうなるか分かっているのか!? 貴様などいつでも死刑に──」
「死刑? はっ、自分に向けられた軽蔑すらお抱えの騎士様にお任せか! 腹が立っているんだろう? ボクを殺したいんだろう? なら、剣を取れ。ここは冒険者学園、戦いの場だ。己の力で晴らしてみろ! ボクは逃げも隠れもしない。正々堂々、不意打ち、多対一どんな手段だろうと構わない。腕を磨き、殺してみろ。期限は卒業までだ」
死刑と発言した生徒は、ボクの挑発に怯んでいる。他の生徒も、さっきまでの罵りはどこに行ったか、言葉に詰まっている。
「いつでも相手をしてやる。前もって挑戦を申し込めば時間も作る。自信のある奴からかかって来い。……殺せるといいね、卒業までに」
前世で好きだった作品のセリフを真似て、貴族連中に言い放つ。
彼らの闘争心を煽り、標的となることで彼らの戦いぶりを見る機会を作る。その中で指導を行えば、きっとクラスメイトの大半をそれなりの戦士へと仕上げることが出来るだろう。
敵の言葉を聞き入れるかは分からないが……そこは上手くやるとしよう。頑張れ、これからのボク。
生徒達は言い返して来ることも無く静まってしまったため、数分ほどそのままにしてしまったアトラさんの横にしゃがんで、魔力振動で怪我の具合を確認しながら話しかける。
「……泣かないんですね」
顔は痛みのせいでか歪み、呼吸も細く短い。細められた目は、潤んでこそいるものの、目尻に涙が溜まることは無い。
「……約束、しましたから。怪我しても、泣かない……と」
そう言えば、そんな話もしたっけ。
掠れ声で、途切れ途切れの言葉で懸命に答えるアトラさんに、演技の奥底に仕舞った良心が再び痛む。
魔力振動で、右手の指と右の肋骨が折れていることを確認し、最近かなりマスターしてきた時空回復魔法により治療を行う。脇腹を抑えている右手に翳した左手の掌に灰色じみた淡い光球が生じ、薄く拡がった感覚でアトラさんの骨折がものの数秒で治ったことを悟る。
アトラさんも痛みが若干でも引いたのか、表情が和らいだ。ただ、一度知覚した痛みは怪我が治ったとしてもしばらく残るだろう。即座に治ったのだとすれば、尚更だ。
「……治ったのですか?」
「はい。しばらく痛みは残るかもしれないので、我慢してください」
「ええ、分かりましたわ」
体を起こしながら、同意を示す。左頬に土を付けたまま微笑を浮かべる様子に、いたたまれず立ち上がって背を向ける。
「ちょっといいかな」
アトラさんの治療のために魔力振動の範囲を狭めていたせいで、数メートル離れた先にいた人物に、話しかけられるまで気付かなかった。フーデッドケープを脱ぎ、装飾は少ないが威厳を感じる軍服に似た服装に身を包んだラプロトスティさんだ。
「……妹の仕返しですか?」
「いや、単に興味が湧いただけだよ。私と戦わない? 火炎大蛇ちゃん。君も本気を出したいだろうし、皆に本当の君の強さを見せてあげなよ」
確かに、アトラさんとの戦いは不完全燃焼感が否めないでいた。最後に剣だけで出せる最大火力の剣技は見せたものの、あれではただの一発屋に見られてもおかしくないだろう。
それに、アトラさんが憧れる存在がどのくらい強いのか。それも気になるし、強い相手とも戦ってみたい。ボクとの戦いを煽った貴族生徒連中への指標にもなるだろう。戦ってみる価値は充分にある。
「火炎大蛇じゃなくて、プロティアです。その試合、受けて立ちます」