アトラスティとの試合1
「この二ヶ月間で、ある程度体は鍛えられただろう。週明けからは武器を使っていく。学園の決まりで主立った武器は全て扱えるようになってもらうため、これまでの授業で習ったことを復習しておくように」
今日の全ての授業と鍛錬を終え、担任のフルドムがそう言い残して屋外修練場を後にした。その瞬間、その場に集まっていた生徒の過半数が倒れるようにして座り込んだ。
入学から一ヶ月が経った頃から、鍛錬は少しずつ強度が増していった。慣れてきたし余裕だな、と調子こいていた生徒は、その瞬間再び倒れ込む毎日が帰って来るのだった。
かく言うボクも、追加で行っていた自主トレーニングに調整を加えるか迷うくらいには厳しく、結局これまで通りに行ってはいたのだったが、最初の頃は疲れと筋肉痛に悩まされた。鍛錬後のマッサージとクールダウンを念入りに行うことで、その問題は早期に解決したが。
「つ、か、れ、たぁ〜」
「うおっ。カルミナ、重いし暑い」
「じゃあ、はい」
「は? んにゃあ!?」
背後からカルミナがもたれかかって来たことに文句を言うと、離れることもなく背中に何かを入れてきた。冷たくて固いものが入って来たことから、恐らく氷だろう。背中を冷たいものがツーと滑り、シャツをスカートの中に仕舞っているせいでくびれの位置に留まっている。カルミナが引っ付いているせいで取り出せず、ヒンヤリとした感覚が残り、少しずつ溶けて広がっていく。
「こんにゃろ……」
「えへへ〜。プロティアって、驚いた時猫みたい」
「せいっ」
「うわっ」
ボクの右肩から垂れているカルミナの右腕を掴み、背負い投げをする。仰向けになったカルミナのお腹の上に圧し掛かり、仕返しとばかりに頬を上下左右に動かしながら軽く抓る。
「いひゃいいひゃい、ごめんなひゃい~」
「ちゃんと反省しろー」
「よくそのような元気が残ってますね、お二人とも……」
ボクとカルミナがじゃれ合っていると、疲れ切った様子のアトラさんとイセリーが近寄ってきた。見上げる形で二人を見ると、いつも通り頬を大量の汗が伝い、髪は乱れ前髪やもみあげが肌に張り付いている。鍛錬が終わって少し経ったからか呼吸は安定しているが、ポーカーフェイスに長けアトラさんですら疲れを隠せていない。
入学から二ヶ月、つまりカルミナとイセリーの本格治療を初めてから一ヶ月ということになる。その間、ボクは前世の知識を用いて二人の治療にかなりの時間を費やした。結果としては、カルミナはボクが半径五メートルくらいの範囲にいれば自分を維持出来るくらいにはなったし、イセリーはシンド村の話は問題なく出来るようになった。ただ、まだボクがいないとカルミナはイセリーを演じてしまうし、ゴブリンの話をするとイセリーはパニック障害が顔を見せるから、完治には時間がかかりそうだ。
「プロティアさん。この後少し、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
「え? ああはい、別にいいですよ」
「ありがとうございます。では、切り株で待っていますね」
切り株は、寮の西側にある並木の一番奥にある切り株のことだ。ボクがあの場所を気に入ってることもあって、この四人のメンバーの中で何か隠れて話をする時はあの場所に、というのが通例となっている。他に人が来ることも少ないし、内緒話をする場所としては結構適している。
「つーわけで、ボクはアトラさんのとこに行ってくるよ。カルミナ、お風呂先に行ってて。準備しといてくれたら嬉しいなぁ」
「しょぉがないなぁ。早く来てよね」
「うん」
カルミナの上から立ち上がり、既に背中が小さく見えるくらいには離れていたアトラさんの後を追い掛ける。
「カルミナさんとのイチャイチャは、もうよろしくて?」
「イチャイチャじゃないです、仕返しです。早くお風呂に入りたいので、手短にお願いしますね」
「分かりました。そう言えば、以前お話していた学園への要望ですが、お父様からお伝え頂けるそうです。通ればですが、早ければ、夏の長期休暇を終えた頃には準備出来るのではないでしょうか?」
学園への要望……確か、食堂の増設や運動着の導入なんかだったか。あれ以来話題に上がらなかったから忘れられたかと思っていたけど、ちゃんと話してくれていたようだ。というか、ボクの方が忘れていたくらいだが。
「ありがとうございます。また何か思い付いたら、お願いしますね」
「ええ、お任せ下さい」
やり取りを終える頃、十メートル近い木々を過ぎて、目的の切り株へと着いた。周囲を見回してみるが、いつも通りここには人影も人の気配もない。
移動を終え、鍛錬後ということもあり少々乳酸が溜まって怠い脚を休ませるべく、切り株に腰を下ろす。隣に、スカートが広がらないよう手で押さえながら、アトラさんも座った。髪で隠れてよく見えなかったが、顔を顰めながらそっと脹脛に触れているあたり、やはり疲れが溜まっているのだろう。あまり女子とべたべた触れ合うのは……とずっと躊躇っていたが、アトラさん達のマッサージもボクが担当した方がいいかもしれない。
『カルミナとずっと触れ合ってるくせに、何をいまさら』
――それとこれとは別問題なの。
ピクシルの指摘に思考のみで返しながら、座る角度を変えて横を向けばアトラさんが見えるようにする。それに気付いたのか、アトラさんも姿勢を正し、顔を隠していた左もみあげの髪を耳に掛けて体の向きをボクと平行にする。こちらに顔と視線を向けて、微笑みを浮かべる。一つ一つの所作が丁寧かつ美しく、今の一連の動きだけでちょっとドキッとしてしまう。
「さて。ではプロティアさんの要望通り、手短に済ませましょう……週明けからの武器を用いた鍛錬、剣から始まるそうです。私も剣は幼いころから手解きを受けてきたため、それなりに自信があります。ですので、来週の一の日、鍛錬が始まる前に私と一戦交えてもらいたく」
先ほどの微笑は鳴りを潜め、フォギプトスを思い起こさせる雰囲気を纏わせてこちらを真っ直ぐに見つめてくる。
「いいですけど……何でですか?」
「私の実力があなたに――外の世界にどれだけ通用するのか、確かめてみたいだけです。それと……あなたの本当の実力を、皆さんに見てほしいのです」
前半も本心だろう。でも、語気や目から感じる覇気の変化を見るに、後半こそが本来の目的なのではないだろうか。
実際、ボクは鍛錬の最後まで立っていたり、ゴブリンの部隊を殲滅したりした事実があるため、周囲から実力はあると見られているようだが、貴族連中からは平民ということもあり疑いの目を向けられている。それこそ、事実が事実ではないのではないか、と言ったような。
アトラさんは、そのことを知っていて今回の提案をしてくれたのだろう。アトラさんがどれほどの実力を持っているのかは分からないが、少なくともこの学園の中では一番階級の高いアトラさんと本気で戦うのならば、本当の実力を示すには絶好の機会だろう。
「いいんですか? ボクが勝ったら、アトラさんに泥を塗ることになるんじゃ」
「ええ。これでも、幼いころにエニアスさんにも勝ったことがあります。今はさすがに勝てないと思いますが、貴族の中ではそれなりに強いと思いますし、あなたが本気でぶつかってくれるのであれば、泥など付くはずがありませんわ」
あのエニアスに勝ったのか。何年前のことか分からないが、戦いに強い家系であるエニアスは幼いころから強かったはずだ。だとすれば、意外と強敵かもしれない。
強さは戦ってみれば分かるだろう。それに、本気でかかって来いと言われてるのだ。本気で向かわない方が失礼というものだろう。
「分かりました。怪我しても、泣かないでくださいね」
「あなたこそ、いつもの遊びのようにミスった! もっかい! は、なしですよ?」
「あはは……もちろん」
アトラさんの物真似、絶妙に似てて面白いんだよなぁ。
それはいいとして。週明け、アトラさんにがっかりされないようにしっかりと準備しておかないと。体が鈍らないように軽くトレーニングはしつつ、しっかりと休みを取るとしよう。
「お時間を頂き、ありがとうございます。私はここで少し涼んでからお部屋に戻りますので、プロティアさんはどうぞお先に行ってください」
「了解です」
汗で気持ち悪さもあるし、日陰で比較的涼しいとはいえ春も終わりが近付いた六月初めだ、暑さを凌ぎきれないのも確かだ。ここはお言葉に甘えて、足早にお風呂へと向かう。カルミナも待たせている事だし。
部屋に戻ると、イセリーが既に着替えて寛いでいた。自分のベッドに腰を下ろし、土で作ったコップに入った水を飲んでいる。ただ、アトラさんと話していた時間は精々十分だし、まだお風呂には行っていないのだろう。
「おかえり。お話は済んだの?」
「うん。内容はまあ……週明けに分かるよ」
「そっか。ミナはもう先にお風呂に行ったよ。私はアトラさんと一緒に行くけど、プロティアはもう行く?」
「そのつもり。汗が気持ち悪いし、まだ体が熱いうちにお風呂済ませて早く涼みたいからね」
イセリーは「そっか」とだけ言って、水を一口含んだ。
そんなイセリーを横目に、ボクは部屋着に着替え、替えの下着や髪を纏めるための紐を持って部屋を出る。
廊下には生徒の姿は男子数人しか見かけず、脱衣所も人は全く居ない。ボク達一年の鍛錬は大体午後一時に始まり、四時には終わる。大半の生徒、特に女子は疲れでしばらく休んでからお風呂に向かうことが多く、そのため鍛錬終了後三十分はほぼ貸切でお風呂に入ることが出来る。この学園は二年制なのだから、二年の先輩もいるにはいるのだが、鍛錬の終わりが一時間から二時間遅いらしく鍛錬後にお風呂で鉢合わせたことはない。というか、食事以外での交流がほぼない。
二ヶ月の日々を経ての大まかな鍛錬後傾向はこんな感じだから、この時間ならまだお風呂は貸切だ。現に、お風呂の中もカルミナが一人体を洗っているだけで、他に誰の姿もない。お湯は既に、カルミナが入れてくれているようで、浴室内は湯気が立ち上っていて脱衣所よりも体感温度が数度高い。扉を開けた音で気付いたのか、カルミナが桶に座って体を泡塗れにしたまま振り向いた。
「あ、やっと来た。何の話だったの?」
「週明けには分かるよ……お隣失礼」
入り口近くの棚にタオルを置いて、石鹸の入った桶を持ってカルミナから一メートルほど離れた位置にしゃがむ。湯船のお湯を掬い、体を温度に慣らすために手から掛けてみて、問題なさそうだから桶の八割方残っているお湯を左肩から掛ける。もう一度掬って、次は右肩に。
「温度、大丈夫そう?」
「うん、完璧。だいぶ腕を伸ばしたではないか、カルミナ君」
「プロティア先生の教えが上手いからです!」
一瞬の沈黙が生まれ、謎の寸劇に笑いの衝動を耐えられず同時に噴き出す。
ひとしきり二人で笑い、ボクもカルミナの隣に座って全身を洗い始める。一か月前には体を洗う魔法はほぼ完成していたのだが、この頃からボク達以外の生徒が早く入ってくる機会が増えてきたため、傍から見るとなかなかに派手な魔法であることも考慮して、あまり使わないでおこうということになった。お風呂場に入ったらいきなり水に覆われた人がいた、なんてなれば一種のホラーだろうし。それに、カルミナとイセリ―との三人での魔法の特訓や午後の鍛錬の負荷が重くなったことで、意外と制御が難しいこの魔法を使うのは怠い、という考えに至った。
そのため、多少面倒ではあるが、今は以前同様手で洗うようにしている。
十分やそこらで全身を洗い終え、二人揃って湯船に入る。浸かって数十秒ほどすると体の芯までじんわりと温まりだし、ほぼ同時に長く息を吐く。
「来週から武器かぁ……剣は練習してたからいいけど、槍や弓は触ったことないんだよねぇ」
「そうなんだ。ボクも、理屈は頭では理解してるけど、触ったことはないなぁ……」
「頭で理解してるだけであたしより先にいるんだけど……それに、どうせプロティアはちょっと練習したらあたしなんか足元にも及ばないくらい強くなっちゃうんでしょ」
緩く睨むように半目でこちらへ視線を向けながら、唇を尖らせる。
「そんなことはないと思うけどなぁ……そりゃ、表向きは出来てるように見えるくらいにはすぐになるかもしれないけど、使い手の人からすれば見てられないものだと思うよ」
「うっそだぁ」
「えぇ……」
何故疑われているのやら。カルミナはちょっとボクに幻想を抱きすぎではないだろうか、特に最近は。なんでも出来る天才とでも思われているのではないか。
「どうせプロティアは何でも出来ちゃうもんね」
「なんで切れられながら褒められてんの、ボク」
本当に訳が分からないよ。
そうこうしつつ、週明けへの準備を進めているうちに週末は終わり、午前の座学も昼休憩も終わりを終え、ボク達は屋外修練場に集まった。




