カルミナ4
「……これが、あたしとイセリ―の昔の話」
どう、声をかけたらいいのか、分からなかった。辛かったね? もう大丈夫だよ? 話してくれてありがとう? どれも薄っぺらく思えて、ボクはただ、黙っていることしか出来なかった。
カルミナとイセリ―の過去は、ボクの前世と同等以上に辛いものだった。大切な人を喪失した友達のために、己を失う覚悟で支えた。そして、結果として友達は少しずつ良くなっていっているが、自分は自分を見失ってしまった。もっと明るい話だったら、「さすがカルミナ! ボクに出来ないことを平然とやってのけるッ! そこにシビれる! あこがれるゥ!」なんて思っていただろうけど、今はそんなパロディを考えられるような心持ちじゃなかった。
「……ごめんね、暗い話で! 話題変えよっか!」
「……カルミナ。ボクは君を、心から尊敬するよ」
「え? 急にどうしたのさ。そんなこと言われたら照れちゃうよ」
「本当だよ」
真剣な面持ちで、カルミナに顔を向ける。それを見たカルミナは、湯気に中てられて紅潮した顔をさらに紅くして、目線を逸らすようにして俯く。
「そ、そっか。ありがと……」
「……カルミナは、よく頑張ったよ。イセリ―が学園に通えてるのも、ボク達と仲良く出来てるのも、全部カルミナが頑張ったからだ」
だが、それと同時にカルミナが壊れて行ったのも事実だ。偽りのカルミナに本当の自分を乗っ取られ、今はボクの前でのみ本来の自分を曝け出せる。このまま放置すれば、今すぐとは行かなくても、いずれカルミナは本当に壊れてしまうだろう。それが、鬱なのか、二重人格なのか、それ以外の精神疾患なのかは分からないが。今ここで食い止めるべきであることは、迷うまでもない。
「だからカルミナ。これからは、ボクにも手伝わせて欲しい。ボクだって二人の友達なんだ。イセリーを何とかしたいし、同時にカルミナに苦しんで欲しくもない。ダメかな?」
「ダメなんてことはないよ! 手伝ってくれるのなら、助かるし、心配してくれるのも凄く嬉しい。でも、プロティアに迷惑が……」
「迷惑なんて思わないよ。ボクがしたくてするんだから。大事な友達には、辛い思いはして欲しくないんだよ」
前世で友達なんて呼べる存在はいなかったけど、家族に対しては同じ思いだった。あの子にも……あの子って、誰だ? 脳の奥底がチリつくような感覚がしたが、思い出そうにもノイズが掛かっているかのように鮮明さに欠ける。だめだ、今は目の前の友達に集中しよう。
脳内で起きた違和感のために逸らしていた視線を、再度カルミナに戻す。お湯の高さが丁度鎖骨あたりであるから、胸は水中にあり、意識して見なければ光の反射もあって上手いこと隠れている。男の性たる胸への引力を精神力で引き剥がしながら、カルミナの顔を真剣な眼差しで見つめる。
「状況によって性格が変わるのは良くないと思うから、まずは誰の前でも元のカルミナを出せるように練習しよう」
「待って! ……元のあたしより、イセリーを演じてる今のあたしの方がいいと思う。弱くて、泣き虫で、臆病なあたしより、今のあたしの方が皆を笑顔に出来るし、迷惑もあんまりかけないだろうから……」
どこの世界でも、愛想が良くて元気な子の方が好かれることが多い。それは、この世界でも同じだ。カルミナも、そのことはとっくに感じ取っていたのだろう。そして、覚悟も決めているつもりなのだろう。じゃあなんで、そんなに力んで、苦しそうな表情をしているんだ。
全身に力が籠められ、肩はプルプルと震えている。眉間に皺が寄り、目は潤んでいる。数秒もせずに、目尻に涙が溜まりだした。口は横一文字に引き結ばれ、下唇をかんでいるため顎には梅干しが出来ている。
「カルミナ……」
「……プロティア。ちょっと、抱き締めてもらえないかな」
「ゔぇ!?」
予想外の提案に、変な声が出てしまう。抱き締めるって、ハグってことだよな!? 流石にそれは……いやでも、こんな状態のカルミナのお願いなんて、断れないし……何を迷ってる、ボクは大人だ! このくらいどうってことない!
ええいままよ! とカルミナの方に体ごと向けて、バッと両手を限界まで広げる。
「ど、どんとこい!」
「えへへ、なんでそんなに張り切ってるの」
ボクの様子がおかしかったのか、苦笑を溢しながら、カルミナもこちらに体を向ける。笑われはしたが、カルミナに少しでも笑顔が戻ったのならば本望だ。
緊張を隠すように平静を装いながら――多分隠せていないけど――、カルミナがゆっくりと腕を回すのを待つ。カルミナの両手がボクの背中に触れ、優しく抱き締める。それを感じ取って、ボクも抱き締め返そうと腕を曲げる。背中に触れる直前に本当にいいのかという一瞬の逡巡が生まれるが、ここで動きを止めてしまう方がおかしいだろうと思い至り左手を背中のほぼ中心に、右手を右肩辺りに触れるようにして、少し引き寄せる。すると、カルミナは顎をボクの左肩に乗せて、はぁと一つ息を吐いた。
胸に押し付けられる柔らかい脂肪塊は言うまでもなく、触れるカルミナの肌はいたるところが滑らかで、柔らかい。さっきまでは強張っていたが、今は少し落ち着いたのか、筋肉は弛緩しているように思える。ハグの効果だろうか。そうであってくれ、じゃないとボクの理性が報われない。
一分程、抱き合った体勢のまま時間が経過する。理性を最大限働かせてなんとか平静を保っているが、いつまでもつか分かったものではない。
「……生きてて、いいのかな」
「え?」
カルミナが発した言葉に、理解が数テンポ遅れる。
「弱いあたしが、生きてて、いいのかな。迷惑ばっかりかけて……今も、プロティアにぎゅーってしてもらわないと、苦しくておかしくなりそうなのに……こんなあたしが、イセリ―を真似した強いあたしじゃなくて、弱くて、泣き虫で、臆病なあたしが、生きててもいいのかな……?」
お風呂に入っていて上がっているカルミナの体温が、僅かに上昇したことを触れている肌から感じ取る。今の言葉も、上擦って、嗚咽が何度か混じっていた。
水を被ったかのように、ボクの思考は冷静になった。今、カルミナはこんなに苦しんでるんだ。性欲なんて働かせている場合じゃない。
どう、答えるのが正解だろうか。こと人間関係においては最弱者の自覚があるボクの、天才と呼ばれた頭脳をフル回転させて、答えを探す。
死にたがっている人を止めるには、どんな言葉を掛けるのが正解なのか。死んじゃだめだ、生きてりゃいいことある、そんな上辺の言葉じゃ意味がない。生きてていい、生きろ、本当にそれでいいのか? それで、カルミナの塞がれかけている心に届くのか? 今言うべきは理論じゃない。本当に人の心を動かすのは、理論じゃなくて感情――心だ。なら、今ボクが言うべきことはただ一つ。
「生きててほしいよ、ボクは。本来のカルミナに。だって、一緒にいると落ち着くんだもん。こんな風に思えるの、家族以外じゃカルミナが初めてだよ」
本心を伝える。いつも、カルミナと二人きりになって、落ち着いたカルミナに違和感を感じていはしたが、ここ最近はどこか安心感を抱くようになっていた。どう表現するのが正しいか分からないけど、波長が合うというか、無言でも嫌じゃないと思えていた。だから、いなくなってほしくない。中身だけ見れば、ボクの独占欲というか、自分のためのように聞こえるかもしれないけど、今大事なのは生きててほしい、それだけだ。独占欲は理由付けに過ぎない。
「でもっ、迷惑かけちゃう……」
「かけていいんだよ、友達なんだから。他の人はどうかは分からないけど、ボクは頼ってほしいって思ってる。それに、カルミナは自分が弱いって言うけど、弱くなんてないよ。イセリ―を元気付けようとしたのも、自分を失うかもしれないのに頑張り続けたのも、他でもない元のカルミナでしょ? 本当に弱い人に、そんな決断出来やしないよ」
そう、出来やしない。僕は弱かったから、出来なかった。でも、カルミナは出来たのだ。そんな子が、弱いわけがない。
「……プロティア」
「ん?」
「助けて……あたし、きえたくないよぉ」
ボクを抱き締めるカルミナの力が、少しだが強まる。左肩に乗った顎から、少しヒンヤリした水滴が数滴背中を伝う。やっと、カルミナの本心を聞けた、ということだろう。
「任せろ。一緒に、取り戻そう。カルミナも、イセリ―も」
ずっと溜まっていたのだろう。その後、逆上せないようにお湯から上がり、バスタオルを巻いた状態のまま、十数分に渡ってカルミナはボクの胸の中で涙を流していた。ボクは、昔妹にそうしていたことを思い出しつつ、優しく抱き締めながら頭を撫で続けた。
泣き止んだカルミナとボクは、無言のまま服を着た。他に誰もおらず、静まり返った脱衣所だったが、やはり嫌な感じはしない。カルミナと二人きりだからだろう。慣れた、というのもあるだろうが、カルミナといることがボクの安心感に繋がっていることもまた事実だ。
さて。ここまでの会話から考えるに、カルミナは恐らく本来の自分を残したいけど、イセリーを演じる自分も捨てたくない、と思っているだろう。何とかしてどちらも残す手法を探さなければいけないが……どうしたものか。
少なくとも、メインとなる性格は本来のものである方がいいだろう。その方が精神的な負担は少ないはずだ。やはりここは、最初に提案した通り、誰の前でもカルミナを維持出来るようにするところから始めるべきか。でも、後から組み込むのは厳しいか? 何らかの方法でどちらもを組み合わせつつ、カルミナの性格を一つに形作った方が確実だろうか。
それ以前に、いきなりカルミナを皆の前で維持するというのは、周囲の理解を得られたとしてもカルミナ自身の負担が大き過ぎる。ボクの前でだけは問題なくカルミナでいられる、という条件を上手く利用しなければ、それこそカルミナが精神的に参ってしまって本末転倒だ。
「プロティア。助けてって言ってすぐにこう言うのもあれなんだけどさ。やっぱりあたし、イセリ―を演じてるときのあたしもなくしたくないな」
寝間着を着終えたカルミナが俯きがちに横目に視線をこちらへ向けながら、どこか申し訳なさそうな表情でそう言った。
「そうだよね。今、そのことについて考えてたんだ。どうすればいいかなって」
「正直に言って、今のあたしをプロティア以外の前で出せる自信はない……かな」
やはり、ボクの前でのみ、という条件を使うしかなさそうだ。しかしまあ、どうすればその条件をみんながいる前で満たせるのだろうか。
「みんなの前でも、ボクの存在のみを意識する……とか?」
「なるほど……いつどんな時でも、プロティアと二人っきり! って思いこめばいいってこと?」
「うん。暫定的にはそうなるね。慣れてきたら、少しずつ周りも意識するようにして、上手く過去と今のカルミナを混ぜ合わしていけば、両立できる……かもしれない」
あくまで可能性の話でしかないが。そもそも、こういった医学的な話はボクは専門外なのだ。インターネットがなくググれない以上、推測で正解に近かろう答えを信じて進まない限り、どうにもならない。とにかく、しばらくはこの作戦で進むことになりそうだ。
「プロティアだけを意識かぁ……」
服の中に入って背中を冷やす長髪を出していると、隣でカルミナが腕を組みながら目を閉じてうぅむ……と唸り始めた。どうやってみんなの前でボクだけを意識するか、という方法でも考えているのだろう。そればっかりはカルミナにしか答えが出せないから、ボクはあまり変な方法を思いつかないことを祈るばかりだ。