カルミナとイセリー2
あたしは生まれてから三歳になるくらいまで、凄く病弱だった。それこそ、幼児のうちに罹る病気はほとんど全部罹ったんじゃないか、なんてお医者さんに言われるくらいだったらしい。
家どころか、部屋から出ることもほとんどなく、ずっと寝たきり。食事は、一歳半くらいからは元気な時は自分で食べられたけど、大体はママに食べさせてもらってた。人に会うのも、家族かお医者さんくらい。記憶はもう全然ないんだけど、辛かったことだけは覚えてる。
でもね、ママとパパ、お医者さんがすっごく、すーーーぅっごく頑張ってくれたおかげで、全部の病気が完治して、後遺症も全然残らなかったの。奇跡だって言われたんだって、お医者さんに。今まで治った症例のない病気もあったらしくて。
それからは、普通に生活できるようになったの。まあ、三歳までほとんど寝たきりだったから、筋肉とかあんまりなくて、歩く練習とかから始まったんだけどね。一年くらいはかかったけど、普通の同い年の子と同じくらいには、生活できるようになったよ。
なったんだけどね。ずっと部屋の中で生活してたから、あたし、外の世界が怖かったんだ。知らない人に会うのも、知らない場所に行くのも、知らないことをするのも、全部怖かった。もし何かがあって、また辛い日々に戻ったらどうしようって思っちゃってたんだ。だから、部屋にこもって、親がやってて安心して出来るから、服やお人形を作って、毎日過ごしてた。ママとパパも、そんなあたしのことを、文句の一つも言わないで、面倒見てくれたの。
そんな生活が、一年半くらい続いたのかな。あたしが五歳になる二週間くらい前の春の日に、開店前のお店の手伝いをしてると、あたしと同い年くらいの子を連れた男の人がお店に来たの。お店の入り口にはまだ「準備中」の看板が掛けてあったのに入ってくるもんだから、すごいびっくりしちゃって、持ってた商品落として慌てふためいちゃった。だって、あたしにとっては、パパとママ、お医者さん以外に会う、初めての人たちだったから。
「すみません、まだ開店前でして……」
「ん? そうか。あとどのくらいで対応できる?」
ママとお客さんの男の人はそんなやり取りをしてたかな。その間、女の子はじっとあたしを見つめてきてたの。ちょっと怖くて、見ないようにしながら落とした商品を拾ってたら、その子が男の人から離れてあたしの方に寄ってきて、手を差し出してこう言ったんだ。
「ねえ、一緒に遊ぼ?」
もう、頭が働かなくなっちゃって、最初は何を言われたのか分からなかったや。どうしたらいいか分からなくなって、ママに助けを求めて視線を向けたんだけど、行ってきなさいとでも言いたげな笑顔を向けられて、そのまま男の人の対応を再開しちゃって。訳が分からなくなってきて、あわあわしちゃって、そしたらその子があたしの手を握ってきて。
「あなた、名前は? 私はイセリ―!」
「え、ぅぁ……カル、ミナ、れす……」
「カルミナ……いい名前だね! よし、行こ!」
「うえ、うあっ」
そのままお店の外に連れ出された。ママが何か言ってたけど、よく聞き取れなかったことは覚えてる。
これが、イセリ―と初めて会った日のこと。そして、あたしが初めて家の外に出て、家族とお医者さん以外の人と関わった日のこと――
「ま、待って! ……ど、どこ行くの? 遊ぶって、な、何するの?」
引っ張られ、走りながら、そう尋ねる。ずっと引き籠ってまともに運動などしたことがなかったせいで、一分も持たずに息が切れてしまう。そんなあたしを知ってか知らずか、イセリ―はあたしの呼びかけに立ち止まる。そして、手を握ったままこっちに振り返る。
「んー、多分、あなたって引き籠りよね?」
「うっ……」
ずばり言い当てられてしまい、ちょっと怯む。
「私、結構な頻度で街の中を散策してるんだけど、あなたを見かけたことが一度もないの。それに、ちょっと走っただけで息切れしてるし」
「こ、降参、認めるからもう言わないで……」
あたしのダメさを突き付けられてるような気がして、両手を上げて負けの意思表示をする。
「よし、じゃあ今日は街の探索しよ! 案内したげる。あ、安心して。ちゃんと歩くから」
探索、案内……正直、家の外に出るのも、知らない人と会うのも怖い。でも、それと同時に、知りたい、行ってみたい、そんな思いが沸き上がってきた。
「わ、分かった、行く」
せっかく、外に出てしまったんだし、ここはもう勇気を振り絞って行くしかない。そう強く思った。
街の中はとても広く、居住区画だけでも二回休憩を挟んでもらうくらいだった。あたしの体力がなさすぎるせいでもあるけど。西側四分の一位を占める居住区の次は、東側の同じくらいの広さの商業区を回る。色んな食材や武器、あたしの家と同じ呉服店もある。お肉屋さんのおじさんにいきなり話しかけられた時はびっくりしたけど、タダで食べさせてもらった串焼きは、凄く美味しかったなぁ。
この日はここで、あたしの脚が限界を迎えたから、農業区とイセリ―も入ったことがないと言う貴族区には行かなかった。
お店に戻ると、イセリ―のお父さんだという男の人は既に姿はなく、ママに聞いたところとっくに服を買って帰ったそうだ。イセリ―はそのことについて特に気にしていないようで、「また遊ぼうねー」と言い残して、帰っていった。
脚はパンパンで、凄く疲れたけど、この日のことは昨日のことのように思い出せる、とても大切な思い出なんだ。
その日からも、イセリ―とは毎日のように一緒に遊んだ。初めて会った日のように外に出ることもあれば、お互いの家に行って一緒に服やぬいぐるみを作ることもあった。一度、森の中で遭難して夜遅くまで焚火の近くで引っ付いてたこともあったっけ。あの時は大変だったよ~、運よく大人の人が見つけてくれたから、朝までに街に帰ることが出来たけどね。
そんな感じの日々が、それから三年くらい続いたのかな。あたしはイセリ―に連れ回されたおかげで、体力もだいぶ付いてきてた。まあ、人との交流は相変わらず上手く出来なかったけど。
この頃はまだ冒険者学園に入るつもりはなくて、でもイセリ―の弟がたまにチャンバラで遊ぼって言うから剣には触れてたかな。魔法もちょっとは練習してたし。
そんなある日、イセリ―がシンド村に住んでるおばあちゃんのところに遊びに行くって凄く嬉しそうに教えてくれたの。これまでも何度かそういうことはあって、いつも嬉しそうにしてたなぁ。おばあちゃんっ子で、いつもは頼りがいがあるんだけど、おばあちゃんの話をしてるときはいつもの三倍くらい笑顔で、可愛くて。遊べないのはちょっと寂しかったけど、それくらい楽しそうにしてるから、あたしも嬉しくなっちゃって、いつも「楽しんできてね」って見送ってた。
今回も、帰ってきたら、おばあちゃんとこんなことしたんだって話、聞かなきゃな、なんて思いながら、イセリ―がシンド村に行ってる間、お店のお手伝いをしてたの。そしたら、夕方になって街の西の方が騒がしくなって、街行く人の話に耳を傾けてみたら、シンド村が魔物に襲われたって聞こえてきて。イセリ―のこと、凄く心配になってすぐに家まで走って行った。イセリ―は家には帰ってた。でも、部屋に籠っちゃって話が出来る状態じゃなかった。
一緒におばあちゃんのところに行ってた弟の方は、暗い顔はしてたけど話は出来る状態だったから何があったか聞いてみた。その内容は、ゴブリンが村に攻めてきて、イセリ―のおばあちゃんはイセリ―を庇って亡くなったって。それで、イセリ―は自分を責めて、閉じこもっちゃったって。
あたしは、大事な人が亡くなったことすらないから、イセリ―がどれくらい辛いのか、想像も出来なかった。ただ、何もしないでいるなんてことも出来なかった。あたしは、イセリ―のお陰で普通に生きていけるようになった。外の世界を知った。人との接し方を知った。たくさんの楽しいことを知った。イセリ―は、あたしの世界を作って、そして救ってくれた。だから、今度はあたしがイセリ―を救う番だ。何が出来るかは分からないけど、やらなきゃいけない、そう思った。
その日から、あたしは毎日のようにイセリ―の家に行くようになった。部屋の中に入ってもイセリ―の表情は虚ろで、会話なんて一つもなかった。あたしも、こういう時どうすればいいのかなんて全く知らないから、気まずい空気の中ただベッドの横に腰掛けているだけだった。たまに話しかけはするけど、
「ね、ねえイセリ―、久しぶりにお人形でも作らない? ほ、ほら、気分転換になるかもしれないし……」
反応は何もない。身動ぎ一つない。そのまま押し黙って、結局何もせずに帰る。そんな感じで、一週間くらいを無駄に過ごした。無駄じゃないって思いたいけど、多分無駄だったと思う。
どうしたらいいのかって考えてて、ここ数日はあんまり寝れてなかったなぁ。でも、一つだけ方法を思いついたの。イセリ―があたしを外に連れ出した時は、あたしに有無を言わさずほぼ無理矢理連れ出された。だったらあたしも、イセリ―みたいに強引に行けばいいんじゃないかって。ただ、ここで一つ問題があったんだ。普段のあたしじゃ、そんなことやろうと思っても出来ないって気付いた。
だから、あたしはイセリ―になることにした。活発で、ちょっと強引で、でも賢くて凄く優しい、そんなイセリ―に、あたしを変えてくれた、あたしにとってのイセリ―になることにした。
次の日、あたしはいつもと同じようにイセリ―の家に行った。いつもはしないけど、家の前で一度大きく深呼吸をする。
「ふぅ……よし。こんにちは!」
いつもはノックして入るところを、いつもとは違う溌溂とした声音で勢いよく扉を開けて中に入る。こんなことは初めてだからか、イセリ―のお母さんと弟が驚いた表情であたしを見つめる。お父さんは、奥の作業部屋にいるのか、姿が見えなかった。
「い、いらっしゃい。随分と元気ね」
「そうですか? いつもこんな感じだと思いますよ! イセリ―は部屋?」
「え、ええ……」
お礼を言って、リビングの奥へ続く扉へ向かう。二人は、そんなあたしを止めることはなく、ただじっと見つめていた。
この家の構造は、玄関からすぐにリビングがあって、右奥にキッチンもある。部屋の奥には扉があって、その向こうには右へと伸びる廊下があって、一番左の部屋から夫婦の部屋、イセリ―姉弟の部屋、お父さんの作業部屋と部屋が並んでいる。迷うことなく、二番目のイセリ―がいつも寝ている部屋へと入る。
いつもと変わらず、イセリ―はベッドに横になっていた。壁の方に向いているから、顔は見えない。いつもなら、ベッドの横に置いてある椅子の座って見つめたり、たまに話しかけたりするだけだけど、今日は違う。いつかのイセリ―のように、強引に行くんだ。
「イセリ―、散歩しよ! ずっと籠ってたら元気出ないよ!」
反応はない。いつもならここで引き下がるが、今日はそのつもりはない。ベッドに一歩近寄り、イセリ―の肩に触れる。ビクッと全身が跳ねる。
「いやっ!」
「っ!?」
部屋の中に数秒残るくらいに大きな声で、イセリ―は拒絶してきた。起き上がりながらあたしを振り払って、いつも優しく微笑みかけてくれた目は、鋭くあたしを睨んでいた。久々に見たイセリ―の顔は、本当に酷かった。痩せて頬骨がうっすらと浮いていたし、目の下の隈も何日寝なければそうなるのか分からないくらい濃かった。
イセリ―どころか、どんな人でもここまでの表情を見たことがなかったから、恐怖心が沸き上がってきた。それと同時に、悲しさも。こんな顔になるくらい、辛い思いをしたんだって。泣きたいのはイセリ―の方なのに、あたしまで泣きたくなっちゃって。無意識に、イセリ―を強く、強く抱きしめた。
「辛いよね、悲しいよね……あたしじゃ、イセリ―がどれだけ苦しいのか、分からない。けど……ううん、だから、教えて。全部受け止めるから。一緒に、背負うから」
イセリ―はあたしの胸の中で、何十分も、何時間も泣き続けた。泣きながら、何があったのかを話てくれた。目の前で、おばあちゃんがゴブリンに斬られたこと。おばあちゃんに言われて、ただひたすら逃げたこと。おばあちゃんが亡くなったのは、無理を言って村の端の方まで行った自分のせいであること。全部。泣き止んだのは、もう日が暮れ始めた頃で、泣き止むと同時に眠りに落ちた。話も聞けなかったし、散歩もいけなかった。でも、一歩前進。そう思えた。
次の日。
「イセリ―、昨日いけなかったし散歩行くよ!」
「……行ける状態に見える?」
「大丈夫、何があってもあたしが何とかするから!」
「……信用出来ない」
「なんでぇ!?」
イセリ―は会話はするようになったし、食事もちゃんととるようになった。ただ、以前のような活発さは微塵も残っていなかった。まるで別人のように、元々のあたしのように、それ以上に、暗く閉ざしてしまっていた。
あたしは、この前までのあたしを引き摺まわして何でもやる、元気なイセリ―に戻ってほしくて、あたしにイセリ―がしてくれたように、とにかく元気に強引に振る舞った。振る舞い続けた。振る舞い続けて――
――あたしは、少しずつ壊れて行った。
「よーぉし、今日は何しよっか!」
やめて。
「久しぶりにちゃんばらしようよ!」
気持ち悪い。
「ねえねえ、冒険者学園に一緒に行こ?」
あたしを。
「魔物に詳しくなって、強くなれば、きっと怖くなくなるよ!」
奪わないで。
「ぉぇ、ええぇ! ぇぇ……」
吐いた回数は、正直数えきれない。イセリ―に見つからないよう、いつも通りに振る舞って、トイレで吐いてた。あたしは常に、誰の前でもイセリ―を振る舞うようになり、やがて本来のあたしとの差に気持ち悪くなっていった。どんどん、あたしという存在が希薄になっていくように感じた。
イセリ―が元気になるまでの我慢。そう言い聞かせて、頑張り続けた。
少しずつ慣れて行って、吐くことも減ってきた。
『さようなら、あたし』
まるで、イセリ―を演じるあたしが、元のあたしにそう言っているような気さえした。ううん、言ってたんだと思う。元のあたしは、ここで死んだ。だって、もう元のあたしがどんなだったか、分からなくなっちゃったから。あたしは、ここで死んだ。
……死んだと、思ってた。プロティアと、出会うまでは。