カルミナ7
屋内修練場の隅っこで、髪を乾かす時と同様に、温風を魔法で作って服を乾かす。服で擦れないように、男としての尊厳を捨てる覚悟で転生直後からブラを着けているのだが、今回ばかりは着けていてよかったと思わざるを得ない。でなければ、確実にプロティアの見えちゃいけない色違い部が見えていただろう。それに比べれば、飾りっ気のないスポブラもどきを見られるくらいなんてことない。ごめん嘘、なんてことなくはなかった。さすがにちょっと恥ずかしかった。
「……乾いたかな」
さっきのこともあってか、エニアスも集中が切れて休憩に入ったようだ。壁に背をもたれかけさせて座っている様子は、歳の割に大人びて見えて、男目に見てもどこかかっこよくすら思える。
とはいえ、服も乾いたし、これ以上迷惑をかける前に退散するとしよう。
扉を開ける前にちらっとエニアスを見てみるが、こちらを気にする様子もないのでボクも特に何をするでもなく、彼を一人置いて修練場を後にする。
外に出る。視界の真ん中に、学園の塀越しにもハッキリと見える巨木が鎮座する。今まではそんな事は無かったのだが、最近この木が変に見えるようになってきた。後回しにし過ぎるのも疑問が残り続けて嫌なので、ピクシルに聞いてみることにする。
「ねえピクシル、あの木ってなんなの?」
赤い光球のような見た目をしているピクシルに、巨木を指しながら尋ねてみる。数秒もせずに赤髪赤眼の黒百合ドレスになったピクシルが、「あ〜、あれね」と呟いてから返答をくれる。
「あれは神樹よ。この辺の人は、神様が数千年前に植えた木だって崇めてるわ」
四国を守る神様かな?
とまあオタクな反応は少しだけにして。数千年ものの巨木か。日本にもそういった杉や楠なんかが存在するが、この世界もそのような木を神聖視する慣習があるのかな。これも、ボクの前にこの世界にいた日本人が根付かせたものなのだろうか。
ただ、木についてはそこまで気にならない。問題は、その周辺だ。
「……黒い靄は?」
そう。巨木──神樹が変に見えるというのは、その周囲に黒い靄が見えるようになったのだ。魔力を感じ取る練習を続けていたら見えるようになったから、魔力関連なのだろうとは思うが、実情は分からない。
「そういえば、たまに気にしてたわね」
「勝手に人の思考を読まないで」
「しょうがないでしょ、聞こえるんだから……あれは、負の感情よ。あんたでも見えてるんだから、余程強い、ね」
「感情……?」
感情が何故、魔力を通して見えるのだろうか。
「魔力っていうのは、頭の中で考えたことを元に形を変えて体外に出てくるの。つまり、感情や思考も、ある程度の強度を持てば魔力に乗って出てくるわけ」
「そっか。確かに、思考が乗るなら、感情が乗っても何らおかしくないな」
ピクシルが魔力を介して思考を読み取っているんだから、感情を読み取ることだって出来て当然だ。
「色は魔力の状態によって変わるのよ。だから、黒く見えてるの」
ピクシルのおかげで、ここしばらくの疑問が一つ解決した。ただ、あれだけの主張をしている存在が、今後何も無いとは思えない。ボクのオタクとしての経験がそう言っている。
とはいえ、今知りたいことは聞けたので、ピクシルにお礼を言って寮に戻るべく顔を寮のある北へと向ける。
不意に、少し強めの風が吹き抜ける。運動と服を乾かすための温風で温まった体に、涼しい風が心地よい。ふと、花のような身に覚えのある香りが鼻孔を擽る。風上が右側であることから、校門がある右へと顔を向ける。
「あら、毎日精が出ますわね、プロティアさん」
「おかえりなさい、アトラさん」
朝食の後に姿を消して以降、今日一日中姿が見えなかったアトラさんがちょうど帰ってきたところだった。校門の奥には、今まさに角を曲がろうとしている馬車の影が見えた。察するに、家に帰っていたのだろう。
「家に帰ってたんですね」
「ええ。今週でちょうど一か月でしたので、一度顔を見せておこうと思いまして」
「そうなんですね」
実際、休日に家に帰って家族に顔を見せる生徒も少なくない。家が遠い、それこそフェルメウス領外に実家がある場合は、春や夏の長期休暇しか帰ることが出来ない生徒もそれなりにいることはいるが。
ボクも、一度だけプロティアの血の繋がっていない姉であるユキナに会いに帰ったことがある。中身が入れ替わっているということを察せられないよう、とにかくプロティアを演じるのに必死で、会話の内容をほとんど覚えていない始末だ。これと言ったミスは犯していないと思うが、プロティアの人生の九割以上を共に過ごした相手なのだ、もしかしたら気付かれているかもしれない。杞憂に済んでほしいが、そう思うとユキナと会うことが少々億劫になってしまっている。
大変だなぁ、と思いつつアトラさんを見ると、どこか疲れているように見えた。身体的な、と言うよりは、精神的に疲れているように見える。なんと言うか、目の開き具合とか、息遣いとか、そういった部分がいつもと違うような感じがしたのだ。
「何かあったんですか?」
「な、何のことですか?」
「ちょっと疲れてるように見えたので」
「……何も問題はありませんわ。お父様とお姉様の相手をするのに、疲れただけですので」
ボクに見抜かれて少したじろいだのか、一瞬視線を彷徨わせたが、一度深呼吸をするとすぐにいつものアトラさんに戻った。
アトラさんのお姉さんは、父親であるフォギプトスの話から関わると大変そうだな、と想像はつくのだが、そのフォギプトスの相手が疲れるというのは意外だ。ボクの知らない親子間の何かがあるのかもしれない。部外者のボクが踏み込んでいいものか分からないから、ここでは触れないでおくが。
「そろそろ夕飯ですし、一度部屋に向かいましょうか。それとも、プロティアさんは先にお風呂でしょうか?」
右手を口許に近付け苦笑の表情を浮かべる。何の苦笑かと疑問に思ったが、考えるまでもなかった。襟で鼻を覆い、においを嗅ぐ。自分のにおいというのは、本来常に嗅いでいる状態であるため鼻が慣れてしまい分からないものなのだが、今回ばかりはほんの僅かだが汗の刺激臭が鼻孔を刺激する。
「……臭う?」
「嫌なにおいではありませんが、少し」
出来れば夜中にカルミナと入るつもりだから、今入ってしまうのは避けたいが……とはいえ、汗のにおいを漂わせたまま食堂に行くのもあまり喜ばしいことではないだろう。え? 美少女の汗のにおいなんて国宝級? キッモ。
ネットでありそうな声に嫌悪感ツッコミを入れるのはいいとして。この世界に汗拭きシートなるものはないし、体を洗う魔法も、今のところ裸にならないと使えない。部屋に戻ったら、せめて濡れタオルで拭くくらいはしておこう。
「……部屋に戻りましょうか」
「ええ」
そうして、二人で部屋に戻る。道中、汗のにおいがどうしても気になるので、なるべく人に近寄らないよう警戒しながらの移動だったから、アトラさんにまた笑われてしまったが。
部屋に入ると、ベッドに腰掛けて教科書に目を通しているイセリーに膝枕をしてもらいながら、カルミナが眠りこけていた。
「お帰りなさい」
「ただいま。カルミナは寝ちゃったか」
「うん。珍しく沢山頭を使ったから、思ってたより疲れてたみたい。プロティアが出て行ってから、すぐに寝ちゃった」
イセリーが苦笑を浮かべる。それからずっと寝てるとなると、既に一時間は優に超えて寝ていることになるが、夜に寝られるのだろうかこの子は。多分大丈夫か、カルミナだし。
適当に納得しながら、ロッカーを開けてタオルを取り出す。アトラさんはイセリーに近付き、二人で今日は何をしていたのか話を始めた。
アトラさんは事情を知ってるし、イセリーの注意を引いてくれているのだろう。今のうちに済ませてしまおう。そう思い、服を脱いで、魔法で作った温水で濡らしたタオルを使って上半身を拭っていく。背後から視線を感じはするが、気にしたら負けだと思い三人に背を向けたまま無心で腕や脇、お腹側に背中と拭き終える。こういう時、カルミナなんかは色んな意味で大変だろうなぁ、大きいから。
運動用の白いシャツと黒のズボンは洗濯行きの袋に入れ、赤色の寝間着に袖を通す。ボク自身はあまり派手な色は好きではないのだが、プロティアが赤色を好んで着ていたこともあり、持っている服の大半が赤色だ。冒険者になる際は、もう少し落ち着いた色の装備にしよう。
「終わりましたか?」
「はい。夕食に行くとしますか」
アトラさんは笑みで返事とし、イセリ―も一度頷く。カルミナは相変わらず寝ていて、イセリ―が揺すってみるが起きないので、かつて言っていた乱暴な起こし方――頬を抓る、を発動されるのだった。イセリ―曰く、これはまだ第一段階だそうなので、第二段階以降を拝見せずに済むよう気を付けなければ。何より、ボクが被害者にならないことを最優先で。
「うう、ほっぺ痛い……」
食堂へ向かう道すがら、カルミナは涙を目尻に溜めながら、ずっと抓られた右頬を両手で押さえていた。かなり強く指で挟んでいたし、正直頬が千切れるんじゃないかと心配になるくらいに伸びていた。お餅みたいだった、と言えば可愛げもあるが、本当にお餅の如くプチっと切れそうで怖かったくらいだ。
「自業自得ね」
「なんでぇ……寝てただけじゃん」
「十分だけ寝るって言ったのは、どこの誰だったかしら?」
「うっ……ね、寝ちゃったら自力で起きるとか、むりだもん……」
反抗するのは諦めたのか、カルミナは尻すぼみになりながら視線を逸らし、最後の言い訳を漏らした。唇を尖らすカルミナを見て、眉をハの字にして微笑を浮かべているあたり、イセリ―は本気でカルミナを責めているというわけではなさそうだ。まあ、自業自得というのも本音だろうが。
「そういうイセリ―も、寝てるカルミナを膝枕するの、満更でもなさそうだったよ」
「そ、それは……嫌なわけじゃ、ないもん……」
イセリ―は尻すぼみに言いながら、ボクのいない方へと視線を逸らした。あまりに同じ反応をするものだから、微笑ましくて無意識に笑みが零れてしまった。
「似た者同士、ですわね」
「ですね」
アトラさんとそう言葉を交わす。今日まで何度同じ言葉を交わしたか、もう忘れてしまったくらいにはカルミナとイセリ―はよく似た反応をする。ただただ、可笑しくて微笑ましい。アトラさんも、それについては同意見のようだ。いくら一緒にいる期間が長いとはいえ、一友達である二人が、こんなにも似るものなのだろうか。それとも、カルミナの二面性と関係があったりするのだろうか。ただ微笑ましい光景ってだけで済んでほしいなぁ。
そんな願望を思い描いていると、食堂へ着いた。既に人でごった返しており、注文するのにすら十分は下らなさそうだ。
「相変わらずの人口密度ですわね……」
「これでも、平日より少ないとか信じられないですね」
先にも言ったが、休日は家に帰る生徒も少なからずいる。そのため、食堂に集まる生徒の数は平日に比べれば一割程度は優に減っているのだ。しかし、それでもこの密度である。移動もままならない。
「三階の物置も食堂に改装すればいいのに……」
「私から話を通してみましょうか?」
「え、そんなこと出来るんですか?」
「承諾して頂けるかは分かりませんが、言うだけでしたらタダですので。それに、学園の経費はフェルメウス家も一端を担っていますので、少しは可能性が上がるかと」
「だ、だったら、他にもお願いしてもいいですか?」
せっかくだ、この際学園に言いたい文句を全てアトラさんに任せてしまおう。
「二人も、何かあったら言っておいた方がいいんじゃない?」
「うーん……私は、別に学園にはそこまでの不満を持ってないから、いいかな」
「あたしも。勉強とか鍛錬とかはすごく大変だけど……それを受けに来てるわけだし、みんなと過ごせるの、楽しいし!」
やめてくれ、ボクががめついみたいじゃないか。
「ふふっ。プロティアさん、改善の要求は私達だけでなく、将来の生徒にとっての利便性にも繋がります。遠慮なく言ってください」
「……はい」
アトラさんがボクの思いを察したのか、そうフォローを入れてくれる。優しすぎてちょっと惚れそう。冗談だよ、相手は子供なんだからガチ恋なんてしないよさすがに。
十五分近く並んだ末、四人とも夕食にありつけた。既に何度も食べてお気に入りのメニューに四人で舌鼓を打ちつつ、食堂の増設や運動着の導入といった、これまでに思い至った改善点をアトラさんに伝える。三人とも、ボクが言った内容には思う部分もあったようで、概ね賛同してくれた。これで、少しは改善してくれたらいいのだが。
そうして、夜は更けていった。




