カルミナ3
約四時間後、今日の鍛錬を一通り終えた。相変わらずのハードさでほとんどの生徒が倒れている。今日も人が増える前にお風呂を済ませたいし、一人で先に向かうとしよう。
「プロティア、今日もお風呂先に行くの~?」
「うおっ」
寮へと体の向きを変えた直後、後ろからカルミナが抱き着きながら――ほぼ全体重をかけてきているから、倒れ込むの表現の方が合っているかもしれないが――聞いてくる。背中の柔らかい感触に意識を向けないようにしつつ、答える。
「うん。なるべく人がいないうちに済ませたくて」
「そっかぁ。もしかして、あたしがいつも一緒に入ってるの、お邪魔?」
「……そんなことはないよ」
そんなことはなくもないのだが、お風呂に入っている時のカルミナは基本静かなので、意識をなるべく向けないようにしさえすれば邪魔ということは無い。それに、どのタイミングでお風呂に入るかは人の自由だ。寮のお風呂は共用だし、尚更。ボクが文句を付ける立場に居ないことは、確実だろう。
「じゃあさ、今日は初めから一緒に入ってもいい? 体力がついたのか分かんないけど、お風呂に入る元気くらいは残ってるんだ〜」
カルミナがボクから離れて、両腕を肩の高さまで上げて力こぶを作るようにむん、と力を込める。服で隠れていて見えないが、微笑ましさで頬が緩む。
「分かった。でも、お風呂に入っているときは抱き着かないでね」
「えー、入学式の日あんなに触って来たんだし、今更でしょ?」
「あれは、なんというか……テンションがおかしかったんだよ。忘れて」
「人のおっぱい散々触っておいて、なかったことにしてなんて不公平なことは言わないよね?」
「うぐっ……」
実際に触ったのはボクではなく少女プロティアだ。責任取れプロティア! と心の中で叫んでみるが、悲しいかな、反応は無い。
「と、とりあえずお風呂行こう!」
「あー、話逸らした〜」
言葉は追求するような内容だが、言い方はどこか楽しげで、本当はただボクを揶揄って遊んでいるだけかもしれない。とはいえ、このまま見過ごしてくれることもないだろう。カルミナが何かを要求してくるなら、内容次第ではそれを受けてもいいが……
「じゃあ、仕返しにプロティアのおっぱい揉ませて!」
「それはダメ」
「ええー」
予想通りの提案だった。そりゃ、揉んでいいのは揉まれる覚悟がある奴だけなのだから、本来は甘んじて受け入れるべきだろう。しかし、この一週間で試しに一度触ってみたことがあるのだが、少し刺激を入れるだけで全身の神経という神経が尋常じゃなく敏感になり、まともに立っていることすら出来なかったくらいだ。普段服が擦れたり、お風呂で体を洗っても何ともないことが不思議なくらいだ。恐らく、エッチなことをしているという意識が関係しているのだろうが。
自分で触るだけでこれなのだ。もし他の人に触られるとなれば、ただでは済まないという確信がある。それこそ、エロゲ―よろしく乱れに乱れて壊れてしまうかもしれない。
「エッチなこと以外は何でもしてあげるよ」
「ん? 今何でもって言った?」
「言った言った。エッチじゃなくて、ボクに出来ることなら何でも」
食い気味に聞いてくるカルミナに、あしらうように答える。正直、エッチなことでなければ大抵のことは何でも応えられるだろう。プロティアの魔法の才格は、そう思わせるだけのものがある。
「何でもかぁ。うーん」
カルミナが腕を組み、目を閉じて唸りながら深く考え込む。
「うぅぅーーーーん……」
背を逸らし、空を仰ぐ。目は閉じたままだ。
「うぅぅぅぅーーーーーーにゃっ!?」
「おっと」
猫のような声を出しながら、足が絡まってカルミナがこけそうになる。咄嗟に右手を出して受け止める。お腹で支える形になってしまい、体重のほとんどがお腹に乗ったカルミナが「ぐえっ」と濁声を溢す。
「ちゃんと前見て歩かないと、危ないぞ。今すぐじゃなくて、保留にしてもいいから」
「うん、じゃあそうする……えへへ、ありがと」
濁声のまま保留に同意し、自分の足で立ってからお礼を言う。ボクとしては、このまま忘れてくれたら御の字だが。
寮の自室に戻り、各々部屋着に着替えてから下着とタオル、ボクは髪留めの紐を持ってお風呂へと向かう。
カルミナと二人で誰もいない脱衣所に入り、浴室の入り口に一番近い籠に脱いだ衣類と替えの下着を入れ、紐を腕に巻いてタオルを持って中に入る。
かれこれ一週間以上、カルミナとはお風呂を共にしている。何をする、というわけでもなく、軽く雑談をしたり、日によっては一緒にお湯で温まったりしているだけという日もあった。最近は、自意識過剰かもしれないが、カルミナが狙ってボクと二人きりでお風呂に入っているのではないか、とすら思うことがある。童貞を拗らせた男の勘違いだ、と言われたらそこまでではあるが。
だが、根拠がないわけではない。平日は二人とも、他の人がばてているうちに済ませようとしているから一緒になるのも納得がいく。しかし、休日は逆に、他の人がほとんど皆入って終わっただろう夜遅くに入ったのだが、カルミナもそれに合わせて一緒に入ったのだ。お湯の張替えを手伝ってくれたから、正直助かった。って、そうじゃなくて。
これが休日二日ともだったのだから、カルミナが意図的にやっていると思うのも無理はないだろう。ちなみに、アトラさんとイセリ―は別で入った。
今は皆との仲を深めたい段階だし、向こうから来てくれる分にはありがたい。それに、ボクの予想では、ルームメイトの中で一番闇が深いのはカルミナではないか、と思っている。
ボクは医学に精通しているわけではないが、全く知識がないわけでもない。特に鬱に関しては、自分や家族の精神衛生上よろしくない時期もあったため、ネットで文献を読み漁り、動画を見まくっていた。その中で、朝に弱くなるというものを見たことがある。カルミナが朝に弱くなっていることは、イセリ―が言っていたから確実だろう。
それに、カルミナは雰囲気が大きく変わるときがある。お風呂に入っているときの違和感なんかがそれだ。二重人格とまでは言わないが、本当に同一人物なのかと疑問に思うくらいには変貌する。場面に応じてキャラクターを変えている結果なのだとすれば、精神的にはあまりよくないはずだ。
ボクになにか出来ることはないか、とも思うが、そんなことをする理由も、どちらがいつものカルミナなのかも分からない以上、今出来ることは何もない。強いて言うなら、カルミナとの親密度を上げることくらいだろう。前世でもっと人との関わり方を学んでさえいれば、今よりスムーズに行けたかもしれないのに。やはり人間関係を疎かにしてしまったことが悔やまれる。
「プロティア、体洗わないの?」
ほぼ流れ作業でお湯を作った後、そんなことを考えながら桶でくるくると小さく掻き混ぜていると、カルミナが聞いてきた。カルミナは既に、お湯を被って全身濡れている。頭の左右のアホ毛は倒れているが、数秒するとぴょんと立ち上がり双方に水滴がいくつか跳んだ。本当に頑強なアホ毛だな、と感心しつつ、お湯を桶いっぱい掬って頭から被る。
手で顔を拭い目に入ったり鼻を塞いだりする水分を取ってから、カルミナの質問に答える。
「最近、体を洗う魔法を作っててね。粗方完成したから、そろそろ実践しようと思って」
「何それ、あたしも使いたい!」
魔法の練習にもなるだろうし、人に教えられるくらいの質になったら教えてあげるのもいいかもしれないな、と思いつつ、直立して息を大きく吸って肺の中に空気を溜め、そのまま維持する。目を閉じて、頭の中で自分の体を思い描き、その体をお湯で包む。その瞬間、頭の先から爪先まで、全身が温かい流体に包まれる。
次に、お湯の中に無数の小さな泡、マイクロバブルを作り出す。初めはボディソープを作るとか、体の汚れを分解する、みたいなものを想定していたのだが、イメージだけでそこまでするのは難しいし無駄が多い、という結論になった。そして、ピクシルと話し合った結果辿り着いたのが、全身をお湯で包みマイクロバブルを使って汚れを落とす、というものだった。これなら水と風を操る応用で使えるし、無駄も少ないだろうとのことだ。
マイクロバブルはそのまま、体を包むお湯を渦巻かせる。しかし、ものの二分もせずに呼吸の我慢の限界が近くなる。魔法の維持が難しくなり、仕方なく体を纏うお湯を解放する。
「ぷぁっ……」
何度か深呼吸をして酸素を肺に送り込む。
「はぁ、はぁ……こりゃ、分割した方がいいな」
いくらマイクロバブルと言えど、全身を一分や二分で十分に綺麗にすることは難しいだろう。洗濯機のようにかなり激しくお湯を渦巻かせても、五分程度はあった方がいいように思える。そうなると、顔を覆って呼吸が出来ない状態で行うのは難しい。顔だけ短く済ませて、頭と体を分けて同時に洗った方が、いいかもしれない。何なら、風呂自体にマイクロバブルを作れば、体はお湯に浸かってるだけで洗えるのではなかろうか。
「……髪乾かしてるときから思ってたけどさ、プロティアって詠唱使わないよね」
改良点を考察していると、ほけーっとボクを見ていたカルミナがそう言った。
「ん? ああ、そうだね。別に使う必要もないからさ」
ピクシル曰く、詠唱は昔、人類が簡単に魔法を使うために作り出したものだそうだ。詠唱とイメージを連結させることで、魔法の精度を上げることが出来るらしい。確かに合理的ではあるが、いつの間にか魔法は詠唱で使うものという固定概念が生じてしまい、今となっては無詠唱で魔法を使うことは滅多になく、無詠唱は品性に欠けるとまで言われる始末だそうだ。
「詠唱は確かに魔法の精度を上げてくれる。でもね、それは同時に魔法の自由さを捨てているんだ」
「魔法の自由さ……」
「話は後にして、先に体を洗ってお湯に浸かろう。風邪引いちゃう」
「あ、そうだね」
体を洗う魔法はもう少し改良が必要そうだから、今日は諦めて手で洗うことにする。
カルミナと横並びで全身を洗い終え、ボクは髪を紐で纏めてから、お湯の中へ身を沈める。二人そろって長く息を吐き、脱力し、脚を前へ限界まで伸ばす。人がいないときの特権だし、せっかくだから堪能せねば。初めの頃、カルミナは膝を抱えてお湯に浸かっていたが、ここ数日はボクと同じように脚を伸ばして入るようになった。いい心掛けだ。
「それでプロティア、さっきの話だけど……」
「ん? ……ああ、魔法の自由さね。戦いの中、まあ日常もそうだけど、生きているうちは何が起こるか分からない。そうなると、魔法が使えるカルミナはこんなことを思うこともあるはずだ。『こんな魔法が使えたら』って」
「うん、何度かあるよ」
「でも、詠唱で使える魔法は限られる。詠唱を知らない場合もあるだろうし、それこそそんな魔法が存在しないかもしれない」
「あるあるだねぇ」
「これが、詠唱を使うことにより魔法の自由さが失われた状態だ」
「なるほどぉ~」とカルミナが蕩けた声で相槌をする。聞いているのか、と問い詰めたい気持ちが一瞬沸くが、かくいうボクも似たような状態で話しているため、そんな考えはコンマ一秒もせずに消え去った。
「んで無詠唱、もっと正確に言えばイメージだけで魔法を使えたら、その自由は基本失われることはないんだ。だから、こんなことも出来る」
両手でお椀の形を作り、お湯を掬いあげる。そして、魔法を使ってそのお湯を一本のバラの形に変え、凍らせる。
「わあ、すご!」
さっきまでトロンとした表情をしていたカルミナが、氷のバラが生まれると同時に目を輝かせて湯船にもたれかかっていた上体を起こした。
「まあ、イメージだけで魔法を使うのは色々とコツがいるから、一概にいいとは言えないんだけどね」
現象をしっかりとイメージ出来なければ魔法は精度に欠けるものになるし、燃費も悪くなる。どうも、現象のイメージが雑だと、魔力の状態が不揃いになり、目的の魔法を使うために余計な魔力とエネルギーを消費してしまうそうだ。
そのため、イメージのみで魔法を使う場合は、現象に対する十分な知見と具体的に脳内で描ける想像力が必要になる。ボクの場合は、前世で得た知識と、様々な装置を作ってきた経験のお陰でどちらの条件も満たしていたから、イメージ魔法を難なく使うことが出来ている。
手をお湯に浸けて、氷のバラが溶けていくのを二人で眺める。完全に消えてなくなったところで、部分的に冷たくなった箇所を右手で掻き混ぜて分散させる。
「魔法の自由さかぁ。考えたこともなかったな〜。魔法は詠唱をして使うもの、って思い込んでたし」
そう言って、カルミナが湯船にもたれかかる。右手をお湯から出し、前に突き出すと、眉間に皺を寄せて「ふんむむむむむ〜」と全身を強ばらせる。数秒もすると、ふはぁと息を吐いて脱力した。
「無詠唱ってどうやるの?」
はにかみながら、問いかけてくる。なるほど、今のは無詠唱で魔法を使おうとしていたのか。
「これから、練習していこうか。イセリーも誘って」
「お、いいねそれ。楽しそう」
頑張ろ〜、とふやけた声は、とても決意を固めるようには聞こえなかった。でもまあ、これくらい気楽にやる方がいいかもしれない。




