カルミナ1
頭皮近くは完全に乾いていることを確認し、毛先へと手櫛をスライドさせていると、扉が開いて案の定カルミナが姿を見せる。女郎花色で無地の長袖長ズボンの部屋着に身を包み、髪は濡れていて首にかけたタオルで拭いている……が、左右の羊の耳、ではなくアホ毛は見事に健在だ。思い返してみれば、湯船に浸かっているときも跳ねていた気がする。
「あれ、プロティアもう髪乾いてるの?」
「うん、魔法でちゃちゃっと」
ほえー、と呆け顔をする様子を見る限り、カルミナもアトラさんと同様に普段は自然乾燥なのだろう。ふと、カルミナの適性はなんなのか気になる。
この学園には、恐らく適性関係なく生徒が集まっている。ボクのように魔法と剣に適性がある者もいれば、魔法を使うことが出来ず、剣に特化した人もいるだろう。場合によっては、弓矢やまだ作られていないだろうが銃のような中・長距離武器に適性がある場合もある。
それに、魔法が使えたとしても、人によってはちょっとした魔法しか使えない、という場合もあるだろう。胃の大きさで食べられる量に個人差があったり、汗をかく量が違ったりするし、同じように魔力器官が蓄えられる魔力の量や魔力腺が放出できる限度だったりが変わってくることもあり得る。
「カルミナは、魔法使えるの?」
「ん? うん、使えるよー。どっちかというと、得意分野かも。詠唱に失敗しない限りは」
にへらとはにかみながらカルミナが答える。得意分野、ということは適性は魔法寄りなのだろう。
「魔力切れを起こしたことはあるの?」
「え、うーん……何回かはあるけど、イセリ―との特訓でめちゃくちゃ使いまくった時くらいかなぁ」
もしそれが本当なら、カルミナの魔力器官は相当優秀なのではないだろうか。まだ魔力器官や魔力腺の働きをしっかりと理解していないから、何とも言えないが。
「じゃあ、武器は?」
「剣の練習はしてるんだけど、イセリ―に勝てた例がないんだよね~……弱いのかな、あたし」
「いや、どうだろう。カルミナが戦ってるところを見たことないし、イセリ―がすごく強いって可能性もあるから」
武器に関しては未知数、といったところか。これは武器を使った鍛錬が始まってから確認することになりそうだ。
「急にどうしたの、あたしのこと聞いてきたりして」
「え!? あ、えーと……せ、せっかく同室だし、これからパーティーとかも組むかもしれないからさ! 知っておこうと思って!」
「ふーん」
カルミナが疑うように目を細める。嘘を言っているつもりはないが、全くの本心というわけでもないため、申し訳なさで視線を逸らす。
その状態のまま数十秒が経つ。若干の気まずさが生じ始めたところで、革底の足音が近付いてくる。部屋の外ではなく、中で。つまり、近付いているのはカルミナであり、何かと思い視線を上げると――
「あたしは話したし、プロティアも何か教えてくれないと、割に合わないんじゃないかな?」
カルミナが両手でボクの頬を挟んで、面と面を向き合わせながら言う。ふわりとミルクのような甘い香りが鼻孔を擽る。目の前にカルミナの顔が迫り、不覚にもドキッとしてしまう。
にやりと笑みを浮かべ、ボクの目を真っ直ぐに見つめてくる。口角の上がった唇は可愛らしい薄ピンクで、ぷっくりとしている。プロティアより高い鼻が引っ付きそうなくらい近くにある。長い睫毛の下にある黒い瞳は、見詰めれば見詰めるほど吸い込まれそうだ。
家族以外の女子とここまで接近するのは、初めてと言っても過言ではない。プロティアが最初に受けた印象もあって少年っぽさを感じていたが、さっきのこともありつい異性として意識してしまう。いや、身体的には同性なんだけども。
少しでも距離を取ろうと手を後ろについて体を引こうとするが、カルミナが乗り出して来るため意味をなさない。むしろ、このまま引き続けたらボクがカルミナに押し倒される形になり、場合によっては勢い余って頭を打ったり、キスしてしまうかもしれない。つまり、ボクはもう何か話さないと離してくれないということだ。
逸る鼓動に急かされて、何を言うかの考えが纏まらずにいると、部屋の入り口が開いた。カルミナの顔で視界がほとんど塞がれる中、端っこで入ってきた人物を捉える。考えるまでもなく、アトラさんとイセリーだ。そしてもちろん、この部屋に入って一番に目に付くのはボク達だろう。カルミナの顔の向きが入口へと向かうと同時に、アトラさんがふふっと笑みを溢す。
「あら、いつの間にか随分と仲が良くなったのですね。お邪魔だったかしら?」
アトラさんの言葉を聞いたカルミナが、一度顔の向きをボクへと向ける。次の瞬間、さっきまで少し日に焼けた健康的な肌色だったが、今の状況を客観視出来たのか、目で見て分かるレベルで真っ赤に染まっていく。頬から始まり、耳まで真っ赤だ。
「ち、ちが……! うわっ!」
「のわっ!?」
ボクから手を離し弁明しようとするが、前屈みになっていたせいでバランスを崩して倒れ込んでくる。ボクはどうすることも出来ず、そのまま後ろに倒れる。カルミナが少しズレていたおかげて、頭を打ったりキスをするようなことはなかったが、体勢だけ見ればボクがカルミナに押し倒されているように見えるだろう。左側でベッドシーツに顔を埋めたカルミナが、薬缶が沸騰していそうな高い声で「やっちゃったぁ……」と零す。
「だ、大丈夫ですか?」
「あ、ああ、はい、一応」
アトラさんとイセリ―が駆け寄ってくる。胸に押し付けられる柔らかい感覚に意識を向けないようにしながら、ベッドシーツをぎゅっと握ったまま動きそうにないカルミナの代わりに答える。
とりあえず、今の状況を説明した方がいいだろう。二人に変な勘違いをされてもらっては困るし、どう話したものか。
上手い説明が思い付かず、脳内で言葉と場面をぐるぐるとさせていると、不意にカルミナが腕立て伏せをするかのように起き上がった。
「ごめん、プロティア! 足が滑っちゃって」
「あ、うん」
急に勢い付いたカルミナに圧倒され、何とも言えない返事をしてしまう。そして、周りに有無を言わさないとでも言うかのように、間髪入れず立ち上がり、近くに立つ二人に歩み寄り、両手の指先をそれぞれくっ付けて小さく開閉させながら、先程のボクとの状況を説明する。
「さっきのは、プロティアに色々と質問されて、その仕返しで詰め寄ったらああなっちゃったんです。なので、変な意味はないです!」
アトラさんの前ということもあり、敬語でキッパリと言い切る。お風呂以降の落ち着いた様子からは、まるで別人かのような声音だ。一切臆することなく、いつものカルミナに戻った。
「そうですか。すみません、私の早とちりでしたね」
アトラさんが眉をハの字に下げて、謝罪する。それを受けて、カルミナはえへへ〜とはにかむ。
「私、お手洗いに行ってきますね」
今の今まで黙っていたイセリーが、唐突にそう言って部屋を出ていった。てっきりカルミナに何か言うものと様子を見ていたのだが、ずっと何かを思案するかのように目を伏せてその後すぐに部屋を出たので、カルミナに怒っているのか、それとも他のことを考えているのか、何も分からない。
数分して部屋に戻ってきたが、そそくさとベッドに入ってしまったから聞くことも出来なさそうだ。関係するかは分からないが、朝のこともあるし、人にあまり聞かれたくないこともあるだろう。あまり触れないでおこう。
「ところでプロティアさん、覚悟は出来ていますよね?」
そう言って、アトラさんがボクの隣に腰を下ろす。なんのことか、と一瞬困惑するが、すぐに一昨日の夜のことだと思い至る。このままやり過ごしてしまいたかったが、そうは問屋が卸さなかった。
「分かりました……話しますよ、一昨日のこと」
「よろしい」
――ピクシル、魔法で音を遮断することって出来る?
『出来るんじゃない? あんたの知識があれば余裕でしょ』
お墨付きをもらったので、とりあえず方法を考えてみる。
音というのは、物質を介して波として伝わり、耳に届くことで、人間は認識する。物質は何でも構わない。気体、液体、固体関係なく伝わる。伝わる速度は原子が最も密集しているため固体が一番速い。今は関係ないが。
しかし、これは逆を言えば、物質がなければ音は伝わらないということだ。即ち、真空では音の伝達はない。宇宙では音は伝わらないから、宇宙は無音の世界だ、という話を聞いたことがある人もいるだろう。これは、宇宙はほぼ真空で音を伝達する物質がないからだ。
故に、ボク達を真空の層で囲んでしまえば、音は外に伝わることは無い。もちろん、そんな魔法を長時間使えば、空気の入れ替えがなくなるため酸素が減り二酸化炭素濃度が増してしまうが、短時間であれば問題ないだろう。今後も使うかもしれないし、一応改良点として脳内のメモに記しておく。
二十分程度を目安にしよう、と決めて、部屋の中を取り囲むように真空の層を魔法で作る。これで、大声で話したとしても外に聞こえることは無いだろう。
「一昨日の夜、街にゴブリンの群れが攻めてきました。今日の魔物の授業がゴブリンになったのも、それが理由だと思います」
結論を先に話す。三人の反応を見てみるが、アトラさんは予想通り知っていたのだろう、特に目立った反応は見せない。しかし、カルミナは大きな目を更に見開いて、視線をイセリーへと向けた。イセリーは掛け布団にくるまっており、こちらに背中を見せているため表情は分からない。
「いった、たたた……」
すると、急にカルミナが顔を顰めてお腹を押さえ、前屈みになった。
「ご、ごめん、急にお腹が……イセリー、トイレ着いてきてくれる?」
カルミナがそう言うと、横になっていたイセリーが起き上がり、短く息を吐いた。
「もう、しょうがないわね」
眠いのか、目は半開きだが、聞き取りやすい透き通った声でそう答える。ベッドから降り、靴を履いて、二人で部屋を出て行こうとするので、慌てて防音魔法(仮)を解除する。
二人がいなくなり、今度はアトラさんと二人きりになった。揃ってバタンと閉じた部屋の扉に視線を向けたまま、しばらく沈黙が続く。
「どうかしたのでしょうか? 魔物の授業でも、似たようなことになっていましたが」
「どうでしょう。あまり詮索はしない方がいいかもしれませんね」
自分にも言い聞かせるつもりで、アトラさんに答える。魔物の授業といい、今といい、話題はゴブリンだ。二人の様子から察するに、イセリーにゴブリンに対する何らかの問題があると見たが、心的外傷後ストレス障害、通称PTSDだとすれば安易に触れない方がいいだろう。パニック障害なんかを起こしては申し訳が立たない。
「向こうから話してくれるのを待ちましょう。一昨日のことについては、アトラさんにだけ話しますね」
どうせすぐに事実が広まるだろうが、それがいつになるかは分からない。西門のこともあるから、遅くても数日以内だとは思うが。
とはいえ、アトラさんは勝手に広めるようなことはしないだろうし、ここまで詰め寄られてはボクに拒否する勇気などない。防音魔法を再度展開して、続きを話す。
「地下牢で話した通り、ボクは魔物の襲撃を察知する能力があります。その力でゴブリンが攻めてくることを察して、戦うために学園を抜け出しました」
「私に嘘をついて」
根に持っているのか、軽く唇を尖らせ、半目で訴えるように見つめながら付け加えてくる。両手を上げて、ごめんなさいと謝罪をしてから、続きを話す。
「詳細は省きますが、ボクは衛兵さんと冒険者さんの力を借りて、ゴブリンの群れを殲滅しました。ただ、その後意識を失って、ボクが襲撃を前もって知っていたのは、この襲撃はボクが仕組んだものだからだ、と思った領主様がボクの身柄を拘束した、というのが、昨日までの流れです」
「そうでしたのね。そういえば、今朝、学園に向かう馬車から街での会話に耳を澄ましていたのですが、その中に『火炎大蛇』なるものを聞いたのですが」
なんだよその厨二病な名前は! 恥ずいわ!
心の中で叫ぶ。確かに、厨二なものはそれなりに好きだし、惹かれるものもあるが、いざ自分に向けられるとたまったものではない。恥ずか死してしまう。
「あと、その夜に炎の巨大な蛇を西門のあたりで見た、という話も聞こえました。どれ程のものかは分かりませんが、この街にそのような規模の魔法を使える方は思い当たりません。もしかして、プロティアさんのことではありませんか?」
「えーと、まあ……ボクのことですね。確かにそんな魔法使いましたし」
「やはりそうだったのですね。二つ名というのは名誉なことですし、これからは、火炎大蛇さんとお呼びしましょうか?」
「絶対にやめてください」
表情から揶揄う意図はないと分かるのだが、その呼ばれ方は呼ばれる度に死にそうなので、食い気味でお断りしておいた。