転生5
――ふん、ふふ~んふんふん、ふふふんふ~ん。
ぼやけた意識の中、近いのか遠いのかも分からない場所から鼻歌が聞こえる。聞いたことのない、でもありきたりなメロディだ。温かくて、少し寂しい雰囲気がある。
鼻歌が続く中、少しずつ意識が覚醒していく。頭を撫でられている? それに、仰向けで寝ているらしいが、頭の下側が今まで使ったことのあるどの枕とも違う。ほんのりと温かくて、程よい弾力があり、触り心地はまるで人肌のようで……
そこで一つの可能性に思い至り、目を開ける。
「あ、起きた」
鼻歌が止まり、可愛らしい鈴のような声が頭上から発せられる。
僕の視界には、赤い麻のシャツを着た、透き通った白い肌に深紅の瞳、シルクのような白い髪をした少女の上半身が映されていた。その周囲は眩しいくらいの純白だ。
思い至った可能性――膝枕は正解だったようだ。僕は今、転生先の肉体であるはずのプロティアという少女に膝枕をされている。
「君は……プロティアちゃん、だね」
「ちゃん付けなんてしなくていいですよ。私と空翔くんは、一心同体? なんですから」
「一心同体……それもそうか。じゃあ、プロティア、君も敬語は使わなくていいよ。それに、日本語も無理に使わなくていい」
「日本語は私が使いたくて使ってるの。ほら、新しいものって使いたくなるから」
えへへ、とはにかみながら、プロティアが僕を見下ろしつつ頭を撫でる。慣れない状況に少々恥ずかしさが込み上げてきたため、プロティアの膝枕から起き上がる。真っ白すぎて空間の限界があるのかは分からないが、手をゆっくりと動かして見えない壁なんかがないことを確認してから、プロティアから一メートルほど距離を取る。
「もうちょっとお姉さん気分味わいたかったのに」
そう言ってプロティアが頬を膨らませる。その姿は拗ねる幼い子供そのもので、お姉さんとは言い難かった。とはいえ、整った顔立ちの拗ね顔はとても可愛らしく、妹と母親以外の女性との交流がほとんどなかった僕にとっては、幼い少女と分かっていながら少し鼓動が早くなってしまった。
表情に出ないよう平静を装いつつ、一つ咳払いしてから話を切り出す。
「んんっ、そのうち、機会があればな……ところで、ここはどこなんだ? 神様と話した場所とどことなく似てるけど」
真っ白で何もない空間が同じというだけで、体の痛みや、僅かに感じた海辺に似た香りはない。強いて言えば、プロティアから香るミルクのような甘い香りくらいだ。だが、この真っ白で何もない空間は、どうしても神様と会った場所を思い起こさせる。
「んーと、精神世界? 頭の中? みたいな感じかな。あ、死んでないから大丈夫だよ!」
「リアルな夢の中みたいなものか。死んでないことが分かれば、十分だ」
「こんなことも出来るよ。むーん……」
超能力でも使おうとしてるのか、目を閉じて眉間にしわを寄せ、むんむん唸っている。かと思うと、唐突にそれ! と大きな声を出した。次の瞬間、瞬間移動でもしたのか、僕とプロティアのいる場所がどこかの一室――いや、実家の僕の部屋へと変わっていた。
勉強机も、ランドセルも、大量に買った本も記憶の通りだ。むしろ、記憶の通り過ぎて過去に戻ったかと錯覚するほどだ。
「なん……」
唐突な出来事に、そんな言葉にすらならない声しか出なかった。
「どう? 凄いでしょ。夢の中だから、なんでもできちゃうの!」
ふふん、と鼻を鳴らして薄い胸を反らすプロティアの言葉のおかげで、何が起きたかをなんとなく把握した。恐らく、プロティアは共有された僕の記憶を頼りにこの部屋を再現したのだろう。僕の記憶通りの部屋が現れたのは、それで説明がつく。記憶が共有されているのも、同じ体だからというので説明は十分だし、日本語を使っている時点で考えるまでもない。それに、僕にもプロティアの記憶があるのだから、プロティアにも僕の記憶があることは疑う必要もない。
「ああ、凄いよ。ここまで再現するとはな……ん? こんなに髪、短かったっけ」
感心した時の癖で右手で首を揉もうと触れると、死んだときにはあったはずの後ろ髪がなくなっており、かなり短くなっていた。寝起き――実際の体は寝ているはずだからこの表現が正しいかは分からないが――かつ慣れないことが続いたため気にも留めていなかったが、前髪も転生時には鼻先まで伸びていたのに、今は目の少し上で切りそろえられている。それに、手をよく見てみると最も記憶に新しい僕の手よりも肉付きがいいし、全体的に筋肉質だ。言ってしまえば、若返っている。多分、十代前半くらいの姿だろう。
「夢の中だから何でもできる……か。僕にとって一番理想に近かったのが、この頃だったんだろうな」
だから、こうして姿が反映されているのだろう。そう考えると、なんとなく納得がいった。
「空翔くん、これからどうするの?」
いつのまにか学習机の前の椅子に移動し、くるくる回っているプロティアが聞いてくる。随分と曖昧な質問だが、どう答えたものか。
「プロティアは、眠りに近い状態になるんだよな」
「うん、そうみたい。どう説明したらいいのかな……こう、魂の優先度? 強さ? みたいなので、私の体の主導権が空翔くんに渡るみたい」
魂どうのこうのは、オカルトに浅い僕では分からないが、そういうことなら仕方ないのだろう。正直に言えば、眠りにつくのが僕で、体の主導権はプロティアのまま、僕は必要に応じてアドバイスしたりたまに代わりに表に出たりするくらいの方が理想だったが。
「その魂とかの話って、誰かから聞いたのか?」
「んーとね、ちょっと前に神様を名乗るおじいちゃんが、夢の中で説明してくれたの。まあ、あんまりちゃんとは理解できなかったんだけど……でも、そうすることが世界のためになる、って言ってたし、私にとってもいいことだって言ってたから、じゃあいいかなーって」
なんとも子供らしい納得の仕方だ。もっとしっかり説明してもらい理解した上で判断した方が……と、インフォームド・コンセントのような考えが浮かんでくるが、恐らく今更どうすることも出来ないのだろう。思いつく方法としては、分身体みたいなもう一つの体に僕の意識なり魂なりを魔法で移すことで、プロティアの意識を表に出せそうな気はするが、まだそれを行うのは難しそうだ。知識的にも、技量的にも。
ならば、プロティアの人生を奪ってしまう僕が今できることは一つだけだ。それは、プロティアのしたいことを叶えること。
「そっか。で、僕がこれからどうするか、だったか。プロティアは何かしたいこと、あるか?」
「私のしたいこと? んー、そーだなー。まずは、友達と学園生活を楽しみたいかな。それで、今よりもっと強く、賢くなって、で、村を取り返すの。そのあとは……どうしよう。一番の目標が村を取り返すことだから、そこから先は分かんないや。でも、んー……はっきりはしてないけど、みんなを守りたいかな」
みんなを守りたい、か。本当にはっきりしていない回答だ。みんなが誰を指すのか、守るというのはどういう形でか、具体的なことは何も分からない。でも――
「分かった。プロティアの願いが、僕のこれからすることだ。神様に言われた、文明を進めるってのと並行で」
「いいの? せっかくの異世界なんだし、もっと俺つえええ! ってしないの?」
「どこでそんな……僕の記憶か。まあ、そうだな。プロティアの体と僕の知識があれば、しようとしなくても出来るだろうし、そもそも昔から似たようなこと言われ続けてきたから、興味ない」
「確かに」
小学校では神童だの天才だの言われてきたのだ。今更煽てられたところで何も感じない。プロティアも、僕の記憶を共有しているためか、同意を示した。
「私のやりたいことを代わりにやってくれるのは嬉しいけど、もし空翔くんがやりたいことを見つけたら、そっちを優先してね。私の人生を奪う、なんて思って罪滅ぼししようとしてるんだと思うけど、私は空翔くんがやりたいことをやってくれる方が嬉しい」
やはり記憶を共有したからか、こういった考えもお見通しのようだ。こっちもプロティアの思考はある程度分かるから、お互い様ではあるのだが。
「万が一見つけた時は、そうするよ」
見つかる可能性があるかと言えば、正直言葉にした通りないに等しいと思うが。とはいえ、プロティアがそう願っているのだ。無碍には出来まい。
「あ、もう一つしたいことあった」
くるくる回る椅子を足と床の摩擦で僕の方に向いて止めたプロティアが、慣性の法則で体と長い髪を揺らしながら言う。床に座ったままの僕は、プロティアを見上げる形のまま続く言葉を待つが、当の本人であるプロティアは口をもごもごさせ、少し頬を赤く染めながら続きを言うのを躊躇っている。
何かよく分からない間に僕が首を傾げていると、視線を右へ左へと泳がせていたプロティアが、俯きがちに僕を横目で見ながら、小さな声で言った。
「私、恋愛してみたい」
きゃっ、と小さく悲鳴を上げながら、耳まで赤くしたプロティアが両手で顔を覆う。そこまで恥ずかしがることか? と、思わずにはいられないが、僕の記憶を持っているとはいえプロティアはまだ精神的には十歳やそこらの少女なのだ。むしろ、僕の記憶でまだ知る由もなかったはずであろう知識まで取り込んだせいで、余計に恥ずかしくなっているのかもしれない。
「……誰かのこと、頭から離れないくらい好きになって、お付き合いして、手なんか繋いだりして、キスして……私にはまだまだ早いけど、そのうち、え、え――なこととかもしちゃったりして……そんな恋愛がしてみたい」
一部小声過ぎて上手く聞き取れなかった部分もあったが、プロティアが指の隙間から目を覗かせて僕を見ながら理想を述べる。恋に恋する乙女に微笑ましい気持ちになりながらも、そんな可能性も僕が奪ってしまうのだろうか、という考えで素直にいいねと言えない自分がいる。なんとももどかしい。出来ることなら神様に「もっといい転生方法あったろ!」と文句を言いたい。
ただ、悲観的に考え続けるのはやめにした方がいいだろう。これから僕は新たな人生を歩み始めるのだ、どうせなら楽観的になった方が前世よりも上手くいく気がする。
「そっか……でも、そればっかりは自分でやってくれ。何とかしてプロティアが表に出てきて普通に生活できるようにする方法を見つけ出すから。その後、思う存分大恋愛をしてくれ」
「そんなこと、出来るの?」
少し声の張りを取り戻したプロティアが、手の覆面は外れたが、未だ赤みを失わない顔をきょとんとさせて聞いてくる。
「分からない。ただ、可能性はあると思う。魔法はイメージである程度何でも出来るみたいだし、そもそも僕は魂だけをプロティアに埋め込まれたわけだ。つまり、魔法で魂を操ることも不可能ではないはずだ。その方法さえ見つかれば、やりようはあると思う」
「ほんと!?」
僕の言葉に、くりっとした垂れ目を目一杯大きく開き、瞳の周りにキラキラと星でも輝いてそうな視線を向けてくる。胸の前で握られた拳にはぎゅっと力が込められており、それだけ期待が大きいのだと僕に知らしめる。
「やれるだけやってみるよ」
「ありがと! 空翔くん大好き!」
満面の笑みを浮かべながら、プロティアがここ数分で一番大きな声で言う。予想していなかったうえにこういった言葉を言われ慣れていないため、「お、おう」と視線を逸らしながら言うことしか出来なかった。
しばらく慣れないむずむずした感覚が残っていたが、唐突に意識が引っ張られるような、眩暈のような金縛りのような、よく分からない現象が僕を襲う。全身の力が抜け、床に胡坐をかいて座っていた状態から後ろに倒れそうになり、右手を床について倒れないよう体を支える。
「なん、だ、これ……っ」
絞り出すようにしてそれだけを声に出す。プロティアが近寄ってきて隣に屈み、体を支えてくれる。
「もう、お目覚めかぁ……もっとお話ししてたかったな」
「……体が、目覚めようとしてる、のか」
「うん」
視界はぼやけ、すでにプロティアの白い髪と肌の境目すらあやふやになってきている。声も真横にいるはずなのに遠くにいる感じがして、少し寂しさが胸の中に生まれる。
「プロティア」
「なに?」
「いつでも、話せる、のか?」
「……分からない。もしかしたら、もうずっと話せないかも」
「んな……っ」
胸の中に生まれた寂しさが、広がっていく。プロティアの魂は眠りにつくのだ、自由にこうして意識を目覚めさせることは出来ないのだろう。そう思い至ると同時に、僕の体を支えるプロティアの右手に僕の左手を重ねる。本物なのか、単なる脳の、もしくは魂の錯覚なのかは分からないが、確かな温もりを左手に感じた。
「一つ、約束してほしい。必ず、プロティアの、普通の生活……取り戻すから。それまで、そばに、いてくれ……っ」
声になっているのかも分からない。すでに体の感覚は、左手の温もりを除けばほとんどなくなっていた。意識空間から現実の体へと、僕の意識が移行されているためだろう。
だが、僕の意識が完全に切り離される直前、左手が小さな手で握られ、少し動かされたかと思うと、柔らかい何かに触れ、そしてこくりと柔らかい何かが下、上の順番に動いた。その瞬間、僕の意識は完全に途切れ、左手の温もりは残っていても、触れる感覚は消えた。




