転生3
「……思い出した」
頭の中に乱れている記憶が、少しずつ整理されていく。プロティアという名前の少女と、日向空翔という青年――僕の二人分の記憶が、混ざり合っていた状態から、分離され、それぞれの記憶として再構築される。
頭はまだ痛む。恐らく、一度に十数年分、記憶がある程度消去されていたとしても十年近い量の記憶が流れ込んだのだ。意識を保てているのが奇跡のようなものだろう。
ふらつきながらもなんとか立ち上がり、足元に落ちている直剣を拾う。刀身は約八十センチ、幅は細くゲームのロングソードとレイピアの中間くらいの見た目だ。分類としてはロングソードだろうが。重さは一キロに及ばないくらいだろうか。実際に中世で使われていたロングソードの重さは一キロ強のはずだから、少し軽めだ。幅を細くすることで、重量を削ったのかもしれない。この世界の騎士の装備がすでにフルプレートアーマーであれば、刺突のしやすいこの形状は理に適っている。
服装は、簡素な麻製のポロシャツと似た形状のシャツと紺色のスカート、その上に革製の防具を身に着け、革製の黒いロングコートを羽織っている。プロティアの記憶を参照すれば、コートの下は冒険者学園とやらの制服兼戦闘服のようだ。創立者、またはデザイナーの趣味がよく出ている。すごく動きにくい。慣れていないせいもあるだろうが。
「ティア、大丈夫……?」
聞き慣れたような、そうでないような声と言語が、僕の鼓膜を揺らす。この世界の言語は、もちろん日本語でもなければ英語でもない。言うまでもなく、地球上に該当する言語は存在しないだろう。そして、声の主はプロティアの義理の姉である、ユキナという少女だ。
「あ、えっと……」
振り返りつつ、この世界の言語をプロティアの記憶を頼りに思い浮かべる。幸い、記憶は完全に残っているようで、日常会話には問題なさそうだ。
「うん、大丈夫みたい。ちょっと、この戦いを終わらせてくるね」
プロティアの発声方法、イントネーション、動きを出来る限り再現しながら、ユキナに答える。ユキナが頷くのを見て、体に影響されたのか、少し安心感を抱きながら扉の方に向く。
足元に二体の緑の死体が転がっていた。種族名はゴブリン。そう、ゲームやラノベでおなじみのゴブリンだ。発音も、見た目もそのままだ。先程も言ったが、もちろんこの世界の言語は地球上のものとは違う。ゴブリンの由来である中世ラテン語やギリシア語なんかとも別だ。なのに、ゴブリンという名前。偶然とは思えない。推測だが、僕より前に地球人がこの世界に転生しており、命名に携わったのかもしれない。
「魔法か……」
小さく呟きながら、何も持っていない左手の掌を眺める。ケロイドになった傷跡が気になったが、プロティアの記憶にも正解がなさそうなので、いったん意識から取り除く。
どうやら、魔法を使うためにこの世界でも詠唱が必要らしい。だが、プロティアの記憶にある詠唱はほんの少しだ。それに、僕が目覚める前、プロティアはエネルギー切れになっていた。恐らく、MP切れのような意味合いだろうが、まだ使えるのだろうか。というか、毒はどうなったんだ。
今になっていろいろと疑問が浮かぶが、何ともなさそうなので一旦置いておく。
詠唱を唱えてもよさそうだが、異世界転生と言えば無詠唱で魔法を使って俺TUEEEEをするのが定番だ。もし僕にもそれが適応されているなら、やってみる価値はあるだろう。
試しに、掌の上に炎があるイメージをしてみる。火が生じる原理は、簡単なもので言えば、可燃物と酸素などの支燃物が結合し、その際生じた化学エネルギーが光と熱となって放出されるというものだ。他にも、プラズマだの核融合だのいくつかあるが、主だって生活に直結するのはこの場合だろう。
掌の上には空気しかないが、そこで高速の燃焼反応が起きているイメージを原子レベルで行う。簡単なのは水素と酸素、もしくは炭素と酸素だろう。メタンなどの有機物でもいいが、ここは念のため構造が簡単なものにしておく。
二秒ほど強くイメージしていると、掌の上に野球ボール大の火球が生じた。つまり、無詠唱魔法が使えた、ということだ。まあ、僕だけが使えるとも限らないし、魔法の原理は要研究ということで、今後の課題としておこう。
さらに炎の勢いを強くするイメージを行い、火球がバスケットボール大になったところで、ゴブリンの死体の片方にゆっくりと近付ける。移動もイメージで行えるようだ。
ゴブリンに触れたところで、さらに炎を大きくイメージする。すると、即座にイメージ通り炎は大きくなり、ゴブリン全体を包んだ。一分も経たないうちに死体は黒焦げの炭素の塊となり果てる。
火球へと戻して、炎を手元へと移動させる。同じ要領でもう一方の死体も燃やしてしまう。
「便利だな、魔法」
イメージでここまで使えるのだ。練習さえすれば、なんでもできるかもしれない。
ゴブリンの処理が片付いたところで火球を一度消滅させ、扉へと向き直る。
「じゃ、行ってくるね。ユキはここで待っててね。絶対、守るから」
プロティアと約束したんだ。絶対に守り抜く。
固く決意をしながら、「頑張ってね」と見送るユキナを置いて、一歩踏み出す。そして、二歩目を出そうとしたとき、左足で右の脹脛を蹴ってしまう。
「ぬわぁっ!」
何とか顔がつく前に肘をついて受け身を取ったものの、見事に正面からずっこけた。
「ティア、本当に大丈夫!?」
後ろでユキナが悲鳴に近い声で呼びかけてくる。
「だ、ダイジョブダイジョブ。あはは、ちょっと躓いただけだよ」
立ち上がりながらユキナへとそう返す。
「……体格が急に変わるとバランスがとりにくくなること、忘れてた」
身長はおよそ四、五十センチ近く縮んでいるのだ。いつもの感覚で動こうとすれば、こけるのも仕方ない。そんなに時間はかからないだろうが、慣れるまでは剣は使わず魔法だけで戦うとしよう。
扉の外れたアーチを潜ると、戦場真っただ中だった。一人の剣士が大剣を振るい、大きなゴブリン――ホブ・ゴブリンの棍棒を弾き返す。しかし、疲れか衝撃が大きかったのか、体の軸がずれて追撃は出来ないようだ。バックステップで距離を取ることで、ホブ・ゴブリンの攻撃に備える。
その少し離れたところでは、タンクが攻撃をいなし、バランスを崩したホブ・ゴブリンにもう一人の剣士が片手直剣で畳みかける。ホブ・ゴブリンが体勢を整えると、剣士はすぐに下がり、タンクがその間に入り防御する。
その周囲には、同じ軽鎧をまとった衛兵が数十体に及ぶゴブリンを相手している。後方からの魔法や弓矢による攻撃のおかげで何とか抑えているものの、ダメージを負っている者も数多く、いつまでもつかも分かったものではない。
「僕も手伝おう。ホブ・ゴブリンは一旦置いといて、雑魚を倒すか……いや、一体ずつやっても回復されるのか。やるとすれば、回復が追い付かないくらい一度に倒すか、蘇生すら出来ないくらい体を粉々にする必要があるな」
一番楽なのは、大規模な魔法で一掃してしまうことだが……そんな威力の魔法を使えるだろうか? プロティアの魔法の限界……試しにやってみるか。
先ほどと同じように、左手に炎を作り出す。そして、上空へ掲げてさらに大きくなるようイメージを膨らませていく。
「もっと、もっと大きく……!」
大きさの限界はイメージしない。とにかく、ただ大きくすることに魔力と意識を注ぎ込む。二十秒程経過する。左手と頭頂部に熱を感じながら巨大化させ続ける。
「おい、プロティア! お前、それを森に打ち込む気か!?」
ホブ・ゴブリンと鍔迫り合いをしている剣士の声を聞いて、僕は視線を上にあげる。その視線の先には、直径五メートルに及ぶ巨大な火球が生じていた。
「やべ、でかすぎ……!」
恐らく、まだ大きくすることが出来るだろう。だが、これをゴブリンへと打ち込めば、森へと延焼してしまう。
「プロティアの魔法、かなり強そうだな……いやいや、そんなこと言ってる場合じゃない」
このまま打ち込むのはやめておこう。何か変形を施してからの方が、安全かもしれない。
「巨大な炎……ゲームだと、こういうのは龍の形をしているのが多いな」
脳内で龍のイメージをする。トカゲのような頭に、長い髭と鬣が生えている。頭頂部には二本の角が存在を主張し、そこから後ろは長くうねる胴体が続き、それを大体三等分するくらいの位置に手と足がある。後方に行くほど細くなり、尾の先端は鋭く尖っている。そんな姿が浮かび上がり、そのイメージを火球にインプットする。
すると、火球の頂上から半径五十センチは下らない太さの棒が上空へと飛び出した。雲に接するかと思うと、その棒はぐにゃりと曲がり、うねうねと動きながらその長さを増やしていく。火球はどんどん小さくなり、やがて完全になくなった。
そして、僕の頭上に存在するのは、さっきまで存在した火球から炎の龍へと変貌を遂げた。
「これなら、多少は操りやすいだろう。せっかくだし、何か名前を……」
と、考えてみるものの、僕は昔から命名が苦手だ。工房に引き篭ってからも作った装置の命名は大抵機能のまんまだったし、小さい頃に妹に犬のぬいぐるみに名前付けて、と頼まれた時も、無難にポチと言ってしまったくらいだ。技名なんて、そう簡単に思いつかない。
「プロティア、どうすればいい!?」
ホブ・ゴブリンの棍棒を大剣で受けながら、剣士が問いかけてくる。その声で呑気に技名なんて考えてる場合じゃないことを思い出し、すぐに次の展開を推測する。
恐らく、ゴブリン達は森の中まではこの龍を撃ち込んでは来ない、と予想して、森の中に逃げるだろう。ホブ・ゴブリンは、逆に人間側に押し寄せて安全を確保するかもしれない。
「怯むな! 見せかけに過ぎん!」
ホブ・ゴブリンのものと思われる嗄れ声が聞こえてくる。この指示は、むしろ好都合だ。
「魔術師の方は、中央に竜巻を! 他の方は距離をとりつつ、攻めてくるゴブリンを倒してください! バランスを崩させて、竜巻の気流に乗せても構いません!」
僕が指示を飛ばすと、いくつかの了解という声が聞こえてきた。数秒もしないうちに、前線に出ていた人達はゴブリンを中央へ弾きつつ、防壁の近くまで移動する。それを見届けた瞬間に、ゴブリンが集まっている中央付近に、竜巻が生じた。上空へと巻き上げる気流が、身長百五十センチくらいのゴブリンを巻き上げ、その一点五倍はデカいホブ・ゴブリンの動きも止める。
しかし、竜巻の影響を受けるのはゴブリンだけではない。プロティアの体は小さく、かつ体重も軽い。そのため、僕の体も僅かに竜巻に引き寄せられていた。
まずい、と思ったのも束の間、体が後ろから抱き上げられる。首だけで振り向きつつ見上げると、先程までホブ・ゴブリンと戦っていた大剣使いが、僕を左腕で抱え、右手に持った剣を地面に突き刺して気流に飲まれないよう耐えていた。
「俺が支える。その魔法、撃ち込め!」
「はい!」
左手を振り上げ、龍へと意識を集中させる。そして、龍が地上のゴブリン、そして上空でもがいているゴブリンを巻き込んで燃やし尽くす光景をイメージする。
龍の温度は約二千度弱くらい、長さは数十メートルはいっているだろう。秒速五メートルで飛ばしても、数秒は熱を直接受けることになる。そうなれば、死なずともまともに動けないくらいの火傷は免れないはずだ。
「全てを燃やし尽くせ! 天獄炎龍・炎舞!」
ほぼ無意識に中二くさいセリフを口にしながら、空に向けて上げた左手を振り下ろす。それに続いて、炎龍も降下を開始した。
まずは地上を這うように進む。僕の左手の動きに続いて、左、右へと低高度で滑空する。飛ぶ原理は分からないが、恐らく魔法による位置操作みたいなものだろう。森に被害が及ばない範囲の地上のホブ・ゴブリンを含むゴブリンを殲滅したことを目視で確認し、次は竜巻で上空にいるゴブリンの掃討にかかる。
イメージとともに、左手を動かす。炎龍はそのイメージ通りに、僅かに遅れて動き、首を上空へと掲げて長い体をうねらせながら高度を上げていく。ゴブリンのいる高度に達したところで、旋回するような動きを炎龍へと送る。竜巻で乱れた気流により荒ぶる前髪の先で、炎からなる龍は竜巻で地面から離された時よりも暴れているゴブリンを焼き上げながら、竜巻の周りを蜷局を巻くように飛翔する。その光景は、文字通り、炎龍が竜巻を起こしているかのようだ。
上空にいるゴブリンも粗方全滅しただろう。まだ息がある個体もゼロではないと思うが、見た感じすべての個体が炭化している。とはいえ、竜巻の風のせいで若干目が乾いているし、開けるのも一苦労だから見落としは否定出来ないが。プロティアの使っていた索敵魔法のようなものの使い方が、なんとなくは分かるものの感覚的に掴めていないため、まだ使えないのがもどかしい。
炎龍を竜巻から遠ざけ、僕の上空――もちろん、温度をほとんど感じないくらいには離して――へと移動させ、火球に戻してから消滅させる。この威力の炎が自由に使えるのだとすれば、火力発電には便利だろうなぁ、などという感想を抱いていると、竜巻が徐々に収まっていった。僕が魔法を消したのを見て、役目が終わったことを察してくれたのだろう。
風が自然の微風だけとなったところで、僕を抱えてくれていた剣士が僕を放す。
「ありがとうございます」
「いや、あれだけの活躍をしたんだ、むしろこんなことしか出来なくてすまない……」
剣士が若干顔を下に向ける。
「いえ、僕をここまで鍛えてくれたのは皆さんですし、さっきだって、皆さんが来てくれなければ死んでいましたから。気を落とさないでください」
ユキナの時と同じように、プロティアの雰囲気を真似つつフォローを入れる。そうか、と僅かに笑顔を戻した剣士を見て安堵しつつ、森の中に避難しているゴブリンたちに視線を向ける。
まだ土埃が残っていて視界は不明瞭だが、影は僅かに見えている。最も大きいリーダー格と思われるホブ・ゴブリンとウィザードは存命だろうから、残るは……普通のゴブリンだけを見ても五体といったところか。逃げる前、早い段階で竜巻を起こしてくれたため、ほとんど殲滅することが出来たのだろう。ホブ・ゴブリンの指示も、こちらに良いように作用してくれた。
一歩、二歩とゴブリンたちへと歩みを進める。どうやら、体にはだいぶ馴染んだようだ。恐らく、まだ全力を出せるほどではないだろうが、少々激しく動いても問題はなさそうだ。
「おい、プロティア。あとは俺達で……」
剣士の呼びかけに、足を止めて少しだけ振り返る。
「やらせてくれませんか? もし危険だと判断したら、すぐに退くので」
「……分かった。師として、お前の成長を見届けよう」
剣士の答えを聞いて、小さく頷いてからゴブリンの方へと視線を戻す。
まず、最優先で倒すべきはウィザードだ。他のゴブリンを攻撃したところで、回復されてはジリ貧だ。幸い、プロティアの体は小さいし、筋力もある。一瞬で近付いて、ホブ・ゴブリンの攻撃を躱して、ウィザードを斬る。魔法は、あまり使わない方がいいだろう。さっきの天獄炎龍を使ってから、若干疲れを感じている。この感じは、激しい運動の後と似ている……恐らく、魔法を使う際に、本当にミトコンドリアが作るエネルギーを必要とするのだろう。だから、運動後の疲れに似た疲れを感じているのだと思われる。断定は出来ないが。
そのため、これ以上魔法を使うと、活動限界が来てしまう可能性がある。そうなれば、お荷物まっしぐらだ。それを避けるためにも、魔法は極力控えて、剣で戦うようにしよう。それに、プロティアの身体能力も確認しておきたかったし、ちょうどいい。
その場で数度跳ねて、体を温める。そうこうしているうちに、土埃も晴れたようだ。体も温まり、集中力も上がってきたところで、ジャンプをやめる。右手の剣を握り直し、右半身を引く。軽く腰を落として、正面に意識を研ぎ澄ませる。ゴブリンが一体、こちらに向かってきているのが見えた。
ゆっくり、深く息を吸って、
「シッ」
短く息を吐きながら地面を強く蹴った。