8-2.(2)
(……あ)
マスクをつけていてもわかる、華やかな顔立ち。
階段脇の植え込みの縁に腰掛け、肩越しにこちらを見上げていたリオが、軽く片手を上げた。
「焦っちゃった。なかなか出てこないから、講習の時間、間違えたかと思って」
大きな目を細めたリオが、ひょいと道路に降りる。
「……リオ!」
階段を駆け下り、息を弾ませてリオの前に立った菫に、
「久しぶり、スー」
マスクの上の琥珀色の目が、柔らかく微笑んだ。
「仲直りしよ?」
ストレートに言って、リオがふわりと首を傾げる。
「おうちまで送らせて? 千穂さんたちには言ってある」
「……ん」
胸がいっぱいになって、菫は懸命にうなずいた。
(傷つけたのは、私の方なのに)
まるで自分が悪かったみたいに、優しくしてくれるリオ。
謝らなくてはと思うのに、気を抜くとあふれてしまいそうな涙をこらえるのが精いっぱいで、言葉が出ない。
「車で来たんだ。ちょっと遠回りして、イルミネーション見ていこうよ」
リオに促され、菫はマスクの下でぐっと唇を結んだまま、少し離れた場所に停められた見慣れない大きな車に近づいた。
見慣れない、大きな――。
(え?)
気づいて、思わず菫の足が止まる。
驚きのあまり、涙はどこかへ行ってしまった。
(これって)
ぎょっとしてリオを見上げた菫に、
「だよねー」
リオが情けなさそうな顔になる。
ふたりの前の、やけに車体の長い目立つ車。
おそらくこれは――リムジンというやつだ。
車に詳しくない菫も、リムジンでの記念日デートや女子会プランを紹介するネット記事は見たことはある。
街灯に照らされた、つやつやの黒いボディ。巨大な車に、そばを通る通行人たちが一様に好奇の目を向ける。
「ごめんね、恥ずかしいよね。僕もだよ。父さんたちが、クリスマスに仲直りするならどうしてもこれにしろって」
耳まで真っ赤にしてリオが言った。
いつもひょうひょうとしているリオの珍しく弱った様子に、菫は笑いそうになるのを懸命にこらえる。
「乗っちゃえば、外から窓の中は見えないから」
早口で続けるリオに、菫は笑いをこらえながら励ますようにうなずいた。
「軽い食事も用意してるんだ。食べながら夜景見よう?」
こうして話している間にもひしひしと感じる、通行人たちの視線。
ふたりは逃げるようにリムジンに乗り込んだ。
「わあ、すご」
贅沢な内装と、ゆったりしたシート。
そしてなにより、カウンターに用意されたごちそうに、一瞬で菫は目を奪われる。
クリスマスらしいチキンやケーキの他に、カラフルなピンチョスやレンゲ状のスプーンに入った一口料理など、華やかで美味しそうなフィンガーフードたち。さすがKIRIYA社長夫妻の直伝プラン、「軽い食事」のクオリティーがバグっている。
仕切りの向こうの運転手が、なめらかに車をスタートさせた。
シャンパングラスに入ったジンジャーエールで乾杯したあと、
「ごめんね、リオ。この間のこと」
ようやく菫は頭を下げた。
「ううん、僕が感情的になりすぎた」
隣に座ったリオがさらりと言うと、
「しばらくスーから離れて、頭を冷やそうと思ったんだけど。もう限界」
いたずらっぽく笑う。
「ふふ、久しぶりのスーだ」
琥珀色の目に間近から顔をのぞきこまれて、菫はどぎまぎして目をそらした。
しばらく会っていなかったせいか、ダッフルコートを脱いだリオはやけに大人びて見える。
(気のせい、いや、服のせいだって)
リオに気づかれないように、菫は小さくかぶりを振った。
リオの白い肌に映える、カシミアらしき黒ニットとタイトなパンツ。大人っぽくてきれいめな恰好が、車内の雰囲気に合っている。
(かわいいかっこしてくればよかったな、私も)
着慣れたパーカーとゆるいブルージーンズ。クリスマスだからといってデートの予定もないのに張り切るのも変かと、普段着で来た自分を菫は少し後悔する。
そんな菫の様子を気にせず、
「あ、見て見てスー。スカイツリー、限定色だって」
口いっぱいにチキンを頬張りながら、リオが窓の外を指差した。
見た目はなんだか色っぽくても、中身はいつも通りのリオで、菫は肩の力が抜ける。
あちこちのイルミネーションを眺めながら、美味しいものを食べているうちに、車内はすっかりいつも通りの雰囲気になっていた。
「最近、茶道部の人たちはどう?」
食後のコーヒーを飲みながらリオに尋ねられて、
「あー……すごい静かかも」
菫は軽く首をひねった。
リオの悪口をやめるよう抗議したあの日以来、どういうわけか真百合たちはおとなしくなった。自分の抗議がそれほど効いたとは思えないけど、とりあえず快適だ。全然気にならないから、リオに尋ねられるまですっかり忘れていた。
「よかった」
リオがにっこりする。
「そういえばさ」
茶道部からの連想で、ずっと気になっていたことを菫は切り出した。
「倫香さんの事件のことだけど……ねえリオ、ほんとにいいの? あんな結末で」
見方によれば中途半端なままの、あの終わり方。




