7-4.(2)
「ねえスー、次の週末って空いてる? デートしよ?」
「ちょっとリオ、切り替え早すぎない?」
菫が顔をしかめる。
「えー、だってさあ。ずーっと調査ばっかで、せっかくスーと一緒にいてものんびりできなかったじゃん」
リオがむくれた。
「スーが足りないよー」
久しぶりに耳にするリオの直球に、
(なんか、昔のリオに戻ったみたい)
菫はくすぐったいような気持になる。
「リオのそういうのってさ、すりこみみたいなもんじゃないの?」
照れ隠しに、そんなセリフが菫の口からこぼれ出た。
「どういう意味?」
リオが不思議そうに尋ねる。
「だからー」
ちょっと口ごもった菫が、
「保育園の頃から好き好き言ってたでしょ? 私のこと。もうそれ、すりこみっていうか、思いこみじゃないかなって」
笑って肩をすくめた。
「ただの習慣じゃん」
菫の言葉に、戸惑うようにリオの瞳が揺れる。
「リオって、他の子に目が行ってないだけじゃない? もっとちゃんと、まわり見てみなよ」
からかうように言いながら、
――“釣り合ってない”
不意に、菫の脳裏に先日言われた言葉が浮かんだ。
(そうだよ。リオにはもっと、釣り合った子が)
嫌がらせだとわかっているのにあの言葉を否定しきれないのは、たとえほんの少しでも、それにうなずいてしまう自分がいるからだ。
リオはすごい。情けないところもいっぱい知っているけど、それよりずっとたくさん、自分にはないものを持っている。
それに有名人で、なのに驕らなくて、だから当然人気があって。
そんなリオが大事にしている幼馴染なら、彼と同じくらいすごい人じゃなきゃ納得できない。そんなことを言う人の気持ちも、ちょっとだけわかるのだ。
だけど、どんな子だろう。リオに釣り合う「すごい」子って。
……「釣り合う」って、どういうことだろう。
(わかんないけど)
きゅっと胸が痛んだ。
(私とは、全然違う人だよ。絶対)
胸の痛みをなかったことにして、菫は笑顔を作る。
「ねえリオ。もっと他にさ、私なんかよりずっと」
無理やり笑って隣を見上げた菫の目に、
「……なに言ってんの? スー」
見たこともない冷たい表情のリオが映った。
(え?)
思いがけないリオの反応に、菫の笑顔が凍りつく。
「まわりを観察するのは、僕の得意分野でしょ? ていうか」
息をのんだ菫を、
「僕のこと、何だと思ってるの? スー」
まっすぐな視線が貫いた。
「なに、って」
菫は口ごもる。
「リオは……なんでもできて。その気になれば、どんな相手でも。それに、進路だって」
「そんなわけないじゃん」
茶色い髪を激しく振って、リオが声を荒げた。
「なんでもなんてできない! 今だって、スーみたいに自分の道選んでとっくに走り出してる人もいるのに、僕は」
「ごめん、それはそうかもしれないけど」
リオの勢いに、慌てて菫が訂正する。
「でもさ。一度選んじゃえば、リオなら」
なだめるように触れたリオの肩が鋭く跳ねて、弾かれたように菫は手を離した。
「……選びたくないよ。まだ」
喉から無理に押し出したような声で、リオが言った。
「スーの方が少数派なんだよ。僕はまだ、選びたくなんかない。自由でいたい、他のみんなみたいに。父さんや母さんと関係なく、いろいろやってみたい。未来を、狭めたくない」
暗い目でリオが続ける。
「でもわかってる。今から本気で始めなきゃ、父さんたちみたいな場所へは辿り着けないってことも」
KIRIYAの跡取りとして、若い頃から様々な学びと交流を重ね、海外への業務の拡張を成功させてきた父親。国内外の音楽学校で研鑽を積み、世界に名を知られるオペラ歌手として今も活躍を続ける母親。
「それに、この名前でこの顔だしね」
リオがふと苦笑した。
「無理なのはわかってる。今さら、KIRIYAと関係なく周囲に見てもらうのは」
それなりの苦労もあるとはいえ、恵まれた環境で育ったことは事実だ。
「でもほんとに、わかんないんだ。何を選べばいいのか。だって勝手に変わっちゃうんだもん、気持ちの行き先が。これから先も絶対ずっと好きって、自信持ってそう言いきれることなんて、スーしかない」
「そんな」
菫は言葉に詰まる。
リオの興味の対象がくるくると変わるのは、幼い頃から見てきて十分知っているけれど。だからといって、そこで自分の名を挙げられても。
「ていうか、私なんて」
菫が口をへの字にした。
「料理が好きっていっても、新メニューいつもうまくいかないし。学校でも守ってもらってばっかで。……みんなと釣り合ってないのも、気づいてなくて」
「だからいいんじゃん」
リオが真剣な目で言った。
「転んでも、立ち上がって。争いごとが苦手なくせに、弱い者いじめは見すごせない。いつだって、自分の目標に向かってまっしぐら」
ふっと笑って長い睫毛を伏せたリオが、
「勇敢で、心のまま泣いたり笑ったり……昔から、スーは僕のヒーローだったよ。まぶしくて、キラキラ輝いてて。ずっとそばで見ていたい」
そっと目を上げて、菫を見つめる。
「言ってるじゃん。僕の趣味は、スー」
(……そんな)
胸がいっぱいになって、なにも言えず菫はうつむいた。
その隣で、リオが静かにベンチから立ち上がる。
「ごめん、スー。先に帰って」
「え?」
リオが菫を見下ろした。
「困らせてばっかだ。今日は笑顔にできそうにない、スーのこと」
口元だけで笑うと、
「……れんげ組の頃とは違うんだよ。僕だって」
リオはあごに下げていたマスクをかけ直し、菫に背を向けて改札に続く階段へと歩きだした。
紺のダッフルコートに包まれた華奢な後ろ姿に、
(――傷つけた)
菫の胸が、ぎゅっと痛む。
(リオ)
走れば、今なら追いつける。
(でも)
かけられた手を拒むように跳ねた肩。
こちらに背を向ける前に見えてしまった、うっすら赤くなった目元。
菫はベンチから動けないまま、遠ざかっていくリオの後ろ姿を、言葉もなく見送った。




