7-3.(7)
「オッケー」
うなずいて立ち上がった菫が、大きく息を吸い込んだ。
「いや、ちょっと。甲斐さんも」
止めようとした俊介の目の前で、突然、
「ヤーーーッホーーー!!!!!」
菫の口から、とんでもないボリュームのソプラノが飛び出した。
逃げる間もなく至近距離で被弾した俊介が、椅子から立ち上がりかけた姿勢のまま硬直する。
平和な日曜の午後を突如襲った暴力的な音の圧に、古いアパートの窓のサッシがびりびりと震え、外で遊んでいる子どもたちの声がぴたりと止まった。
やがて爆音の余韻が消え、あたりがしんと静まり返る。
数秒後、ばさばさと激しい羽音を立てて、鳥たちが一斉に飛び立った。
直後に、
「やああっほー!」
「やあああっほー!!」
アパートのまわりで遊んでいた男の子たちが、嬉々として菫の真似をして叫び出す声が聞こえて来た。
「俺の方がでかいぜ! やああっほおお!!」
「すげえ! 声でけえ!」
「おい逃げろ! ヤッホーが来るぞ!」
「うわー!」
騒ぐだけ騒いたちびっこたちが、軽い足音をたててどこかへ走り去っていく。
「……」
俊介が、あっけにとられた表情で菫をみつめた。
菫の隣であらかじめ耳をふさいでいたリオが、耳から手を外して悪い笑みを浮かべる。
リオの言った秘密兵器。それは、オペラ歌手・霧矢エリカ――リオの母親に鍛えられた、菫の喉だった。
「……すごいね」
ようやく耳鳴りが治まったらしい俊介が、首を振って椅子に座り直した。
「すみません。お耳、大丈夫ですか?」
菫が謝るのに、
「いや、俺がリオ君を刺激したのが悪かった」
俊介が苦笑する。
「あれでレベル五か。最大は?」
「十です」
すかさずリオが答えた。
「初等部の一時期、スーはうちで母の薫陶を受けてたんです。スーの双子の弟と妹が生まれたばかりの頃、学校帰りのスーをうちで預かっていたので。最初は遊びでスーに歌を教えてた母が、僕より筋がいいって途中から目の色を変えて」
自慢げに言ったリオが、
「本気を出せば近所の人から警察に通報される音量ですし、窓ガラスにひびが入るかも」
にこりとする。
「大げさだよ、リオ」
リオの隣に腰を降ろして、菫が顔を赤くした。
「すごいな。大学は音大に?」
俊介に尋ねられて、
「いえ」
菫がきっぱりと首を振る。
「栄養科を目指してます」
「へえ。ちょっと、もったいない気もするけど」
俊介が驚いたように言う。
「でも、もう決めたんだね」
「はい!」
菫が輝くような笑顔になった。
「歌うのも好きだけど。料理や栄養は、もっと好きなので!」
まっすぐな目で言われて、
「……そうか」
俊介がまぶしそうに目を細めた。