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7-2.(1)

 スマートフォンのアプリを閉じたリオに、


「……どういうことだ?」


 背後から、抑えた声がかけられた。


「どういうこと、とは?」


 振り向いたリオが、涼しい顔で相手を見返す。


「この状況がだよ」


 リオの背後で通話を聞いていた俊介が、小さなダイニングテーブルの向こうから、きつい目でリオを見下ろした。


「あの、リオ。俊介さんも」


 俊介と並んで立つ菫が、おろおろとふたりの顔を見上げる。


 菫たちがいるのは、1DKのアパートの小さなキッチン。


 櫻森学園高等部のあるT駅から、バスで数十分。先日会ったファミレスに近い俊介の部屋で、三人はテーブルを挟んで向かい合って立っている。


 ついさっき、立ったまま倫香たちとビデオ通話していたリオの後ろ姿を、事前の彼の指示に従い、菫は俊介と共にテーブル越しに無言で見守っていた。


 スマートフォンのカメラには映っていないから、電話の向こうの倫香たちは、菫と俊介の存在に気づかなかったはずだ。会話の内容からも、ふたりはリオが自分の部屋でひとりで通話していると思ったことだろう。


「あれ? 座って待っててくださいって言ったのに、ふたりとも」


 ひょうひょうとした顔でリオに言われて、


「あんな話を聞いて、座ってなんかいられるか」


 吐き捨てるように俊介が言った。


「調査のためにどうしても必要だと言うから、君たちを家に入れたんだ。わざわざ仕事を休んで。それがろくに説明もなく、瑞樹たちとのあんな電話を黙って聞くだけとは、どういうことだと訊いている」


 怒りのこもった声で言う俊介に、


「俊介さんは、納得しないと思ったからです。今の説明じゃ」


 表情を変えずリオが答えた。


「それにこれは、俊介さんのためを思ってのことなんですよ? 僕なりに」


「……なんだそれは」


 眉間のしわを深めた俊介に、まあまあ、というようにリオが微笑んだ。


「長くなりそうなので、よかったら座ってお話しませんか?」


 家主の俊介に断りもせず、リオが目の前の椅子を引いて腰掛ける。


 その正面に無言で腰を降ろした俊介に続いて、


(リオ、早く説明してよ~)


 菫はびくびくしながらそろりとテーブルを回り、リオの隣に置かれたスツールに座った。

 ただでさえ強面の俊介が不機嫌なのが、怖くて仕方がない。


 二人用のコンパクトなテーブルに、大人が三人。

 古びた狭いダイニングキッチンを、シンクのそばの小窓と、隣の部屋との境のガラス戸からの、弱い日差しが照らしている。

 窓の外から、小学校低学年くらいの少年たちのはしゃぐ声と、鳥の鳴き声が聞こえた。


 不意に立ち上がった俊介が、


「これ」


 不機嫌な顔のまま、冷蔵庫からお茶のペットボトルを取り出して、リオと菫の前に一本ずつ置いた。


「ありがとうございます」


 にっこりしたリオの隣で、菫もぴょこんと頭を下げる。


 自分用のペットボトルからひとくち飲んだ俊介が、


「それで?」


 リオに尋ねた。


「どうして俺は、妙な茶番につきあうはめになったんだ?」


「茶番?」


 リオが芝居がかった仕草で片眉を上げる。


「なぜそう思われたんですか?」


「なぜって」


 俊介が顔をしかめた。


「こんな、霧矢君があいつらと適当な話をするのを、陰でこっそり聞くみたいな」


「こっそりですか」


 白い顔に静かな笑みを浮かべて、リオが俊介を見上げた。


「舞台袖から、演技をのぞき見するように?」


(そう、そんな感じ!)


 菫が思わず大きくうなずく。


 さっきのリオの、倫香たちとの通話。どうにもあれはすっきりしなかった。報告内容は漠然としているし、煙に巻くというか、肝心なところをぼかしているようで。


 あまりものごとを突き詰めて考えなさそうな倫香や瑞樹は、あれで納得したのかもしれないが、リオと一緒に話を聞いてまわった菫には、あまりにも物足りない内容だった。


 無言でリオを見返した俊介に向かって、


「俊介さん。少し、僕の話をさせていただいてもいいでしょうか」


 静かな声でリオが言った。


「僕が倫香さんからこの事件の調査を頼まれたのは、先月、つまり十一月の中旬。旦那さんが失踪したのが十月中旬とのことでしたから、事件からおよそ一か月後のことです。依頼を受けた翌日には、倫香さんの家で瑞樹さんにもお会いしました」


 それがどうしたというように俊介がリオの顔を見る。


「その際のおふたりの話の内容はさておき。あのとき僕は、非常に強い違和感を覚えたんです」


 リオが困ったように眉を下げた。


「理由は……おふたりの様子が、あまりに自然だったから、とでもいえばいいでしょうか」


(どういうこと?)


 初めて聞く話に、菫はリオの顔を見上げる。


「一般に、秘密を抱えるというのはストレスのかかることです。とりわけ大きな秘密については、そのせいで心身に不調をきたす人もいるほど。だけど」


 当時を思い出そうとするように、リオが遠い目になった。


「あの日おふたりは、口では不安を訴えておられたものの、あまりに普通にされていました。ふたりとも、人を殺してしまったかもしれないと怯えたり、そもそも不倫関係だったりと、重い秘密を抱えていらっしゃるにもかかわらず。特に、倫香さんと違って瑞樹さんは、神経の細やかなタイプなのに」


 親友の態度をとがめるようなリオの言葉に、俊介が顔をこわばらせる。


「俊介さんもお気づきでしょうが、かよわそうな外見に反して、倫香さんには図太いところがおありです。なにしろ、事件のあったあの家に、その後もひとりで住み続けているくらいですから。しかも、経済的な支援を受けているご両親には内緒で、不倫の関係を続けながら」


 リオが肩をすくめた。


「もっとも、裏を返せばそれは、夫への殺意がなかった証拠と言えるかもしれませんけどね。あるいは、難しいことは考えないという単なる習慣によるものかもしれない。たとえば彼女は、瑞樹さんや警察から『かよわい女性に突き飛ばされたくらいで成人男性が死ぬわけがない』と何度も言われた結果、今ではほぼそれを信じていらっしゃるようです。事件の際にご自身で、旦那さんの呼吸がないことを確認されたのに」


 リオがよどみなく話を続ける。


「一方で、繊細にみえる瑞樹さんも、少なくとも僕の前ではきわめて落ち着いた態度を保っておられました。事件の翌日からいつも通り研究室に通い、バイトに行き、倫香さんとの仲もこれまで通り。……一体、これはどういうことだろう、と疑問を抱いていた僕に、彼は教えてくれたんです。俊介さん、あなたのことを」


 琥珀色の大きな目が、きらりと光った。


 無言で目を見開いた俊介に、


「なるほど、と思いました」


 リオが静かにうなずく。


「倫香さんの方は、事件のことを瑞樹さんをはじめご両親や警官、学生時代の友人にまで聞いてもらい、自分は夫を殺してなどいないと安心させてもらったことで、肩の荷を下ろして平常運転。むしろ、夫というストレス源がなくなり実家からの支援も得られたことで、それまでよりも楽しく過ごしておられる。ただし瑞樹さんとの不倫については、当初は僕らにも隠しておられましたが」


 リオが苦笑した。


「そして、彼女を支える瑞樹さんはといえば、不倫や事件のことを親友の俊介さんに包み隠さず話していたおかげで、やっぱり平常運転だったわけです。しかもこちらは、打ち明け話を聞いてもらうだけじゃなく、事件の直後にこのあとどうすべきかという具体的なアドバイスまでもらっている。二時間ほどたったら倫香さんと一緒に彼女の家に戻るようにと。パニック状態だった瑞樹さんは、さぞかし安心されたことでしょう」


 リオの向かいの席で、俊介が居心地悪そうな表情になった。



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