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7-1.

 リオの自宅に脅迫状が届いてから十日ほどたった、日曜日の昼下がり。


 呼び出し音のあと、スマートフォンのビデオ通話画面に倫香の姿が映った。


『もしもし、リオ君?』


 いつも通りの少女のような細い声に、


「こんにちは、倫香さん」


 左手で持ったスマートフォンに向かって、立ったままのリオが穏やかに答える。


『こんにちは。いただいたメールを見たけど、なにかわかったのかしら?』


「ええ、僕にわかる範囲のことは。それで今日は、メールではなくお電話でご報告しようと」


『そうなのね!』


 倫香が声を上ずらせた。


『さすがね、こんな短期間で。それで、主人は今どこに?』


「その前に」


 倫香を制するように、リオがスマートフォンの画面に向かって右手を上げる。


「そちらには今、瑞樹さんもいらっしゃいますか?」


『ええ。メールにあった通り、うちに呼んだわ』


『こんにちは、リオ君。僕にも聞こえてるよ』


 倫香の背後からちょっと顔を出した瑞樹が、また画面から消えた。


『あら。リオ君の背景、面白いわね』


 ふと気づいたように倫香が言った。

 リオの画面の背景は、モモンガのイラストに設定されている。


「今、周囲をお見せできない状況で」


 リオが恥ずかしそうに頭に手をやった。


『お部屋が散らかってるの? 意外ね。でも、普通の男の子らしいところが見られて、ちょっとほっとしたわ』


 楽しそうな笑い声をあげた倫香に、


「困ったな」


 リオが苦笑する。


「では、皆さんせっかくのお休みですし、手短にお話ししますね」


 リオが画面に向かって話し始めた。


「まず、先日倫香さんに名刺をいただいた、ご主人と駆け落ち疑惑のあった女性について。結論から言うと、クラブ・フルールにお勤めだった架純さんは、今回の件とは無関係と思われます」


『……本当?』


 疑うような声の倫香に、リオが説明する。


「ご本人に会ってお話を聞いたところ、盛り上がっていたのは旦那さんだけ、それも一時的なものだったようです。むしろ架純さんの方では、小早川さんは熱心に通ってくれるお客さんではあるものの、距離を置くようにされていたみたいで。例の置物も、わざわざ旦那さんのために用意したわけではなく、別のお客さんにもらったプレゼントの横流しでした。旦那さんからはそのお礼に、バッグをプレゼントされたとか」


 さすがに、「処分に困っていたえせスピリチュアルグッズを痛客いたきゃくの小早川に押しつけた」とは言わない。


「率直に申し上げると、旦那さんはあまりきれいな遊び方をされていなかったようなんです。トラブルにより、この四月からはあのお店に出入り禁止とされていまして。まあ、お店自体もコロナ禍で仕事にならなかったようですけどね。架純さんの方は、以前ママさんが倫香さんに話された通り六月に退職されていて、僕たちがお会いしたときは別のお仕事の準備で忙しくされていました。これまでに旦那さんと関係を持ったことは一度もなく、お店を出禁になられてからは連絡もとっていないそうです」


『そう』


 気の抜けた声で倫香が答えた。


『予想外ね。愛人じゃなかったのはよかったけど、主人が外でそんなみっともないことになっていたなんて聞くと、改めて気分が悪いわ。それに、使ったお金のことも。馬鹿みたい』


 不機嫌な声で続ける。


『それじゃ、主人は駆け落ちしたんじゃないのね。でも、銀座のお店のあとでどこかに通っていたなら、もしかしたらそっちで』


「その可能性もなくはないですが」


 倫香の言葉にかぶせるようにリオが言った。


「肝心の小早川さんは……ああ、これじゃ倫香さんとどちらのことかわかりづらいですね。失礼しました。はじめさんは」


 一呼吸おいて続ける。


「元さんは現在、たったひとりで、周囲のどなたもご存じない場所にいらっしゃると思います。僕の推理が正しければ」


 画面の中で倫香が息をのんだ。


「当分の間、倫香さんの前に姿を現されることはないでしょう。残念ながら」


 断定的なリオの言葉に、


『どういうこと? 当分って、どのくらい? どこなのそこは?』


 矢継ぎ早に倫香が尋ねる。


「少なくとも、春までは。具体的な場所は、僕にもわかりません」


『春? どうして?』


「そうですね」


 リオが軽く首を傾げた。


「いろいろと、新しいことが起こる時期ですしね、春って。雪が溶け、草木の芽吹く季節ですから。新年度でもあり、気持ちも新たに再出発される方も」


 なにかをほのめかすような言い方に、


『……戻ってくるってこと? 主人が』


 震える声で倫香がつぶやく。


「可能性は十分あります。けど、戻られないことも」


 どちらとも取れる言い方をしたリオが、


「申し訳ありませんが、僕の口からは、これ以上はっきりしたことはなにも。純粋に推理だけで、証拠と呼べるものはなにひとつありませんから」


 あっさりと話を終えた。


『そうなの? ……そうよね。警察じゃないんだものね』


 落胆の色を隠さず倫香がつぶやく。


『じゃあ、あの人が持ち出した通帳なんかのことも、わからないままなのね』


「ただの高校生ですから、僕は」


 答えたリオが、


「お力になれず残念です」


 画面に向かって頭を下げる。


『いえ、そんな。いろいろと助かったわ、リオ君』


 とりなすように言った倫香に、


「倫香さん」


 リオが口調を変えた。


「戻ってきてほしいですか? 旦那さんに」


『……それは』


 言葉に詰まった倫香に、


「質問を変えます」


 リオが静かに言う。


「本当に、すべてを明らかにしたいですか? ご自分だけでなく、周囲の方々に対しても。元さんのこれまでの暴言・暴力や、瑞樹さんとの関係も含め、すべてを」


 しばらく間が空いたあと、


『……わからない』


 電話越しに倫香がつぶやいた。


『そうよね、そうなるのよね、きっと。わからなくなってきたわ……』


 隣でふたりの会話を聞いているはずの瑞樹は、なにも言わない。


「そうですよね。それが当然だと思います」


 淡々とリオが言った。


「もしもこの先、すべてを明らかにしたい、してもいいと思われたら。もう一度、警察に行くことをお勧めします。元さんの失踪からこれだけ時間がたてば、そろそろ警察も動いてくれるでしょうし」


 そこで軽く首を傾げる。


「探偵を雇うのは……周囲にすべてを明らかにする必要はなくなる反面、非常に個人的な事柄を、個人に知られることになるわけですが。それもひとつの方法だとは思います」


 短い挨拶を交わして、リオは倫香との通話を終えた。


 最後まで、瑞樹は黙ったままだった。




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