6-2.(2)
「ちょっと、リオ!」
菫はリオの隣に立ち、端正な顔を見上げた。
「まさか、教えてくれないつもり? よくある探偵ものみたく、『確かな証拠がみつかるまでは』とか言って」
「それは違うけど」
ようやく菫の目を見返したリオが苦笑する。
「どうしようかなって思って。スーって、思ったことが顔に出ちゃうでしょ? 嘘がつけないじゃん?」
「うん」
仕方なく菫はうなずく。うっすら馬鹿にされている気はするものの、言われたことは否定できない。
「もし今スーに話したら、ちょっと困ったことになるかもって」
申し訳なさそうにリオが言った。
「ごめんね、中途半端に教えちゃって。でも、さっきスーが言ったのは当たり。はっきりした証拠はまだないんだ。犯人、っていうとあれだけど、事件のキーパーソンに僕が疑ってることが伝わっちゃうと、あの日起きたことを知るのはかなり難しくなる」
「……そっか」
菫は小さくうなずいた。
小早川氏の失踪が家出なのか誘拐なのか、はたまた殺人なのかはわからないが、リオは真相にかなり近づいており、その鍵となる人物から何らかの手がかりを得るつもりらしい。
その大事な場面で、もしも自分があらかじめリオの意図を知らされていたら。おそらく、いや間違いなく、リオに言われた通り不自然な態度をとってしまうだろう。
「どっちがいい?」
ペーパーナイフで次々に郵便物を開きながら、リオが尋ねた。
「今ここでスーに全部話して、あの日起こったことがうやむやになるのと。今日はひとまず我慢してもらって、少しでも早く事件の真相をはっきりさせるのと」
「えー」
意地悪な二択に、菫は口をとがらせる。
「そんなの、はっきりさせる方に決まってるじゃん」
「だよね。じゃ、今日のところは我慢で」
にっこり笑ったリオが、最後に取り上げた白い封筒を開いた。
中からすべり出た二つ折りの紙が、デスクの上でひらりと開く。
「……!」
菫が息をのんだ。
――「ウセロ シロウトタンテイ」
白い紙の上に、定規で引いたような線で書かれたカタカナの文字。
ドラマで見たことしかないけれど、これは。
「リオ、これって」
「んー」
リオが、心底面倒くさそうな顔になった。
「脅迫状、かなー」
「かなー、って!」
菫が両手でデスクの天板を叩く。
「どういうこと? 脅迫って」
「キューン」
心配そうな声で、ユキが菫の足元に寄ってきた。
苦笑したリオが、
「スー、落ち着いて」
ぽんと菫の頭に手を置く。
「一応、警察には渡すことになると思うけど。この程度じゃはっきりした被害は想像できないよ。十中八九、ただのいたずら」
「だからって」
言い返す菫に、
「しょっちゅうだからね、こんなの」
リオが続けた。
「しょっちゅう? 脅迫状が?」
ぎょっとする菫に、
「それもあって、郵便物は開ける前にチェックしてもらってるの。テロ対策も兼ねて」
淡々とリオが説明する。
「普段なら、差出人の名前がない手紙は僕に渡さず担当者が開封するんだけど。さっきの彼、まだ来て日が浅くて、慣れてないんだ。ダイレクトメール風だったから、僕もうっかりしてた」
リオの言う通り、白い封筒には宛名の印刷されたシールが貼られているものの、差出人の名前は書かれていない。
「……」
怯えきった顔の菫に、
「ああ、しょっちゅうは言いすぎかな。年に何度かくらい? 最近なかったから、油断してた」
フォローするように言って、リオが困ったように頭をかく。
「リオ~。大丈夫なの? ほんとに」
菫がリオのブレザーの腕に手をかけて眉を下げた。
「机にカッターで傷つけるのとは全然違うじゃん。本物の脅迫状なんて」
手紙に目をやる菫を、
「まあまあ。確かにレアかもしれないけど、この紙見ただけでなにか起こるわけじゃないでしょ?」
リオがなだめる。
「それに、多分大丈夫だよ。この人は」
さらりと続けたリオに、
「……どういうこと?」
菫が眉をひそめた。
「そこに書いてある通りだよ。カタカナだとものものしいけど、要は、僕にあの事件の調査から手を引いてほしいだけでしょ?」
「だけ、って」
菫が大声を出す。
「だからって、脅迫状とか出さないよ? 普通」
「そうだね。けど、それしか方法がなかったんじゃない? 自分が誰だか知られたくないわけだから」
あっさりとリオが言った。
「それに、気持ちはわかるような」
「は?」
菫が目を見開く。
「もしかして、犯人の気持ちの話? 脅迫状の」
「あー、いや」
「誰が書いたかわかってるってこと? ていうかそれって、事件の犯人?!」
「スー、落ち着いて」
「ちょっとリオ!」
菫の大声に、遊んでいると思ったらしいユキが、ふたりの足元でぱたぱたとしっぽを振り始める。
「落ち着いてる場合?! ヤバいじゃんこの人。それに、倫香さんの旦那さんって」
「ワッフォン!」
「ごめんごめん。スー、とにかく大丈夫だから」
苦笑して胸元で小さく両手を上げたリオが、そっと腕から菫の手を外そうとした。
白い指が菫の手に触れた瞬間、
「……冷たくなってる」
リオの顔から表情が消える。
「や、そんな、大丈夫だよ」
菫が慌ててリオに握られた手を引き抜き、笑ってみせた。
「ちょっと、びっくりしただけ」
「……」
目を伏せたリオが、菫から顔をそらすようにデスクに向き直る。
「放っておいてあげたかったけど」
落ちついた手つきで脅迫状を封筒に戻しながら、ひとりごとのようにリオがつぶやいた。
「そういうわけにもいかなくなったな」
白い顔の中で、淡い色のふっくらした唇がゆっくりと弧を描く。
「僕の大事なスーを怖がらせた落とし前は、つけてもらわないとね」
整った顔に浮かんだあでやかな笑みと、決して笑わない琥珀色の瞳。
「……」
ぞくりとするようなリオの横顔を、言葉もなく菫はみつめた。