6-2.(1)
「ちょっと待ってー、ユキちゃん」
「ワッフ」
振り向いたユキが、歩くスピードを緩めた。
大型犬のユキのリードを左手に握った菫が、
「ありがと。賢いね、ほんといい子だね、ユキちゃんは」
目尻を下げる。
「ウワッフォン」
褒められたのがわかったらしく、ユキが得意げにふさふさのしっぽを振った。
「ご機嫌だなー、ユキ」
菫の右隣で、ユキのトイレセットを手にしたリオがあきれた声を出す。
夕方の閑静な住宅街。学校帰りにリオの家に寄った菫は、約束通りユキの散歩につきあっていた。
「あー! 白熊さんだ!」
すれ違った女の子が、真っ白なユキの巨体を嬉しそうに指差す。
「犬さんだよー」
母親と手をつないだその子に菫が言うと、ユキもちらりとそちらに目をやった。
「犬さん? こんなおっきな犬さん?」
幼稚園の制服を着た女の子が目を見張る。
「犬さん、バイバーイ」
ユキに向かって手を振った女の子に、ユキがすました顔ではたはたとしっぽを振ってみせた。
「賢いねー、ユキちゃん」
「ワッフォン」
ユキが菫を振り向いて甘えた声を出す。
「ありがとね、リオ」
不意に、菫がリオを見上げた。
「ユキちゃんと散歩してたら、なんかすっきりした。朝の机のこと」
「よかった」
リオがうなずく。
「ショックだったと思うけど、さっさと切り替えるに限るよ。スーはなんにも悪くない」
「そうだね。でも」
菫が口ごもる。
「リオの調査の手伝い、遊び気分で出かけてるって思ってる人もいたのかな。それに倫香さんは」
「はいストップー」
リオが菫の顔に手のひらを向けた。
「気にしたら思うつぼだよ? 嫌がらせの犯人の。まあ、あのひねりのない文言とタイミングから考えて、やったのは十中八九」
「當山さんたち、かなあ」
菫がリオの言葉を受け、ふたりは顔を見合わせて小さくうなずく。
「でも、旦那さんの件については、當山さんたちの言ってた通りあんまり進んでないっていうか」
「――それだけど」
菫からすっと目をそらしたリオが、一呼吸おいて、
「わかっちゃったかも、僕」
ぎょっとするようなことを口にした。
「……へ?」
菫がぽかんとした顔になる。
「わかったって……え? 旦那さんのこと?」
「んー」
煮え切らない表情のリオに、
「ちょっとリオ? 教えてよ!」
菫が詰め寄る。
ちょうどそこで、一行は霧矢家の勝手口の前に着いた。
勝手口とはいうものの、この間行った倫香の家よりずっと立派な門と高性能な防犯カメラのついた、一般的な感覚ではただの豪邸の門にしか見えない代物だ。
「はいユキ、とうちゃーく」
「ちょっと、リオ?!」
リオの声を合図に、菫の疑問はそのままで、ふたりと一匹は門をくぐる。
「お帰りなさいませ、菫お嬢様とリオ坊ちゃま」
門の内側で、ユキの世話係をしている父親の若手秘書が、リードとトイレセットをふたりからうやうやしく受け取った。
そのまま敷石を踏んで進むと、勝手口の分厚いドアが内側から開き、菫たちは使用人たちに迎えられて「第二の玄関」とでも呼ぶべき広い三和土に足を踏み入れる。
「キューン」
真っ白な大型犬のユキが、もっと遊びたいと菫をみつめて切なそうな声をあげたのに、
「ユキ、今日はもうおしまい」
あっさりとリオが告げた。
「遊びすぎると、あとで疲れが出るよ。気は若くてもおじいちゃんなんだから」
「ごめんねユキちゃん」
菫もユキに向かって手を合わせると、秘書にユキを任せてふたりは家の中に入った。
広い洗面所で手を洗い、うがいをして廊下を進む。歌手であるリオの母親の喉を守るため、この家では手洗いうがいは昔からの習慣になっている。
「お帰りなさいませ」
廊下で、郵便物の入った箱を抱えた別の秘書とすれ違った。
「これ、僕のだよね」
両親のものより薄い自分用の箱を手に取ったリオに、
「坊ちゃま、そちらは私があとでお部屋に」
秘書が焦った顔になる。
「チェックは終わったんでしょ? じゃいいよ、もらってく」
にっこり笑ったリオが箱から郵便物を取り出し、菫と並んで二階の自分の部屋へ向かうのを、
「ワフッ」
世話係に足を拭いてもらったユキが慌てて追いかけた。
リオの部屋にふたりと一匹が入り、ドアを閉める。
「リオ! さっきの話!」
まわりに人がいなくなった途端、菫が詰め寄った。
「倫香さんの旦那さんのことだよね? わかったの? どこにいるか」
「んー」
ぶらぶらと部屋の奥へ進んだリオが生返事をすると、デスクの上で郵便物をより分け始めた。
さっきまではしゃいでいたユキは、ふたりのやりとりをよそに、ドアの前で前足にあごを乗せて寝そべっている。




