表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/66

5-6.(1)

「えー、次に、このときの主人公『わたし』の気持ちについて。ここでは――」


 櫻森学園高等部、二年八組の教室。あと十数分で、四時間目の現代文の授業が終わる。


 窓際の席の菫は立てた教科書の陰で、


(えっとー)


 OGの倫香の夫・小早川氏の失踪事件について、これまでにわかったことをノートにまとめようとしていた。


(今までに会った関係者は、倫香さんとその恋人の瑞樹さん。それに、元ホステスの架純さんと、瑞樹さんの友だちの俊介さんか)


 うつむいた菫の横顔を、肩までの長さの髪が隠す。

 癖のない黒髪を耳にかけながら、


(……大人も結構、感情的になるんだなー)


 思い出して、菫はマスクの下でちょっと口をとがらせた。


 高校生の今は、毎日感情が忙しいけど。いろいろ経験して大人になれば、そういうことはあまりなくなるのかと思っていた。

 だけど大人にも、個人差とか地雷があるみたいだ。


 行方不明の旦那さんを除けば、事件の関係者たちは皆二十代。菫から見れば立派な大人だけれど、突っ込んだ話を聞いていると、それぞれ第一印象とは違うところが見えてきて。


 たとえば、昨日会った俊介は、クールに見えて愛が深いというか、なにかと親友の瑞樹のことをかばっていたのが印象的だった。それに、リオのおまけ的な立ち位置の菫のことも、ちゃんと気にかけてくれたし。


 ふんわりイケメンの瑞樹の方も、恋人の倫香より俊介の方をずっと信頼しているようで。


(嬉しそうに言ってたな、瑞樹さん。俊介さんが、将来は宅配ドライバーとして独立するつもりだって)


 互いに相手のいない場所で相手を大切にしているという関係性が、すごくいいと思った。きっと自慢の友だちなのだろう。


(私もそんな風になれたらいいなあ。百葉や朔と)


 だが、そんな瑞樹は、倫香に対してはそこまで誠実ではなさそうで。おまけに、金銭目的で彼女の犯した殺人を隠蔽した可能性まである。


(ほんと、人は見かけによらないよね。って、瑞樹さんや倫香さんが犯罪者って決まったわけじゃないけど。それにあの家って、リオに言わせれば“開かれた密室”だし)


 もしも事件が倫香による夫殺しで、犯行の舞台が自宅だった場合、リオの指摘した通り、遺体の処理が問題になるという。


(お隣のわんこがいるから、見ず知らずの人が出入りするわけにはいかないし。あの華奢な倫香さんが、ひとりで旦那さんを運べるわけないし。運ぶために遺体をバラバラにするとなると時間が……うわー、待って、無理!)


 自分の想像があっさり自分の限界を超えて、菫はぎゅっと目をつむって首を振る。映画やドラマでも、スプラッター物は苦手なのだ。


 それに、あの家には車もなかった。タクシーや自転車で遺体を運ぶわけにはいかないだろう。


『ケチなのよ、あの人。自動車は税金がどうとか言って』


 夫の文句を言っていた倫香の顔を思い出したところで、


(架純さんも嫌ってたな、小早川さんのこと)


 一時は彼の浮気相手と思われていた架純の顔が脳裏に浮かんだ。


(あの架純さんが、実は旦那さんとまだつながってて、このあとひそかにどこかで落ち合う予定……なんてことはないよね、さすがに)


 コーヒーショップで菫たちに見せたあの嫌悪感は、ガチだったと思う。


(ていうか就活中だったしな、架純さん)


 煙草をくわえる疲れた顔と、無個性な黒のスーツに全開のおでこ。あれが演技だったらやりすぎだ。


(そう考えるとほんと、いいとこなしなんだよね。小早川さんて)


 性格は悪い、見た目も残念、お金はあるけどケチで、仕事も最終的には放り出している。友だちも趣味もなく、行きつけだったお店からは出禁を申し渡されていて。


(倫香さん以外、ご家族もいないし。もうこれ悪いけど、仮に殺されちゃってても正直誰も悲しまないんじゃ……)


 不謹慎なことを考えかけて、いけないいけない、と菫は慌てて首を振る。


(あと、性格が悪いだけじゃなく、「異様にプライドが高い」って言ってたな、架純さん。小早川さんのこと)


 そんな相手と離婚するしないでもめたら、確かに厄介なことになりそうだ。


 架純によると、彼は酔うたびに、「俺はこんなちゃちな店で飲んでるような男じゃないんだ」とくだを巻いていたという。


 なんでも小早川家は、江戸時代はどこぞの藩の御典医という家柄。倫香の夫であるはじめの父方の祖父は、昭和初期の大病院の院長だったそうだ。


 だが、その後若くして病院を継いだ父親の代で、終戦とその後の混乱により家は没落。医者にならなかった元は、両親が相次いで他界したあと、父親の弟妹である叔父叔母と遺産相続でもめ、故郷を捨てて親戚とは絶縁したのだという。


 そこからベンチャー企業を立ち上げ成功するまでには、いろいろと苦労もあったことだろう。


(そういう話、知ってるのかなあ。倫香さん)


 ノートに書き込みながら菫は眉根を寄せる。

 もちろん、いくら苦労したからといって、妻へのDVが許されるわけではないけれど。


 夫の失踪をきっかけに、倫香は実家の両親から離婚を勧められ、経済的な支援も受けているという。菫たちに高級ティールームでご馳走してくれるなど余裕があったのは、実家のサポートのおかげなのだろう。


(でもなあ。倫香さんはさっさと離婚して再婚するって息巻いてたけど、再婚するにも肝心の瑞樹さんはあんなだったし)


 この状況だと、いっそこのまま旦那さんがみつからずに三年過ぎて、倫香さんと瑞樹さんの仲がもっとはっきりしたタイミングで離婚、っていうのが、一番平和かも。


(……って、それだとリオの調査が空振りってことになっちゃうか)


 いけないいけない、と菫は再び口をへの字にする。


 現時点で一番可能性が高いのは、リオの言った通り、あの日小早川氏が自分の足で家を出ていったというものだろう。彼が全財産に加えて例の“幸運の石”も持ち出していることも、その説に説得力を与えている。


 となると、その後の彼の足取りをつかむのは、架純や元の会社の関係者が空振りに終わった以上、警察でもなければ難しそうだ。


 それにしても、なぜ彼はそんなことを?


「んー、わかんない」


 小声で言って頭を抱えた菫の上に、


「何がわかんないの?」


 百葉の声が降ってきた。


「へ?」


 思わず声をあげて顔を起こすと、


「とっくに終わってるよ? 授業」


 腰に手をあてた百葉が、目の前でニヤニヤしている。


「授業中になんかこそこそやってた人は、気づかなかったかもしれないけどー」


「ええ?」


 驚いて周囲を見回すと、クラスメイトたちは既に立ち上がって、それぞれにお昼の用意を始めていた。


「スー、お弁当」


 大きなランチバッグをぶら下げた朔もやってきて、菫は慌ててノートや教科書をしまい立ち上がる。


「じゃーん。今日の新メニューはねえ」


 さっきまでの困り顔はどこへやら。

 三人でお弁当を広げながら、菫が得意げに説明を始めた。


「鶏レバーとキウイの、ヨモギモロヘイヤソースがけでーす」


 うっ、と百葉と朔が息を詰まらせる。

 料理名を聞いただけで消滅する食欲。新メニューの破壊力が半端ない。


「鉄分豊富なレバーの臭みを取るために、長ネギとショウガに加えて、隠し味にチョコレートを! そこにビタミンC豊富なキウイをあえて、ソースにはこちらも鉄分豊富なモロヘイヤをインしちゃった。風味づけにソースにヨモギも加えて、それを干し椎茸の出汁でー」


 止まらない魔料理のプレゼンに、


「あ、あのさあスー」


 菫の曲げわっぱから目をそらしながら、百葉が口を挟む。


「さっき、何悩んでたわけ? チャイムにも気づかないくらい」


 新メニューから菫の関心をそらそうとする百葉が、カッと目を見開いて全力で続けた。


「例の調査? OGのダンナの」


「うん。……でも、無理ー」


 思い出して、菫が机の上につっぷした。


「リオの話を聞けば聞くほど、いろんな可能性が出てくるんだよ。全員怪しく見えてくる」


「全員」


 巨大なおにぎりを食べながら、驚いたように朔がつぶやく。


「さすがにしんどそうだよねー、リオ君の本気の推理につきあうのは。頭の回転、半端ないもん」


 百葉も苦笑したところで、


「えー? 誰の頭の回転の話ー?」


 菫の耳に、聞きなれた中性的な声が届いた。


「リオ」


 振り向いた菫に、


「わあ、今日もまた独創的だね」


 背後に立ったリオがにっこり笑うと、マスクを下げて、机の上の曲げわっぱに手を伸ばす。


「ヨモギの匂いがするー。さては、昨日の草餅にインスパイアされちゃった? うん、おい、し……」


 懲りもせず顔を真っ赤にして倒れたリオが、息を吹き返すまでに三分ほどかかった。


「もうさー。ちょっとは学習しなよ、リオ君も」

「……懲りない」


「ごめんね、百葉ちゃん朔ちゃん」


 もらったペットボトルの水を飲みながら、


「まだまだ修行がたりないなー、僕」


 リオが、介抱してくれた百葉と朔に頭を下げる。


「大丈夫。慣れた」


 あっさり言った朔が、いち早くお弁当に戻った。


「リオ、大丈夫? 試食してくれるのはありがたいけど、食べる前にちゃんと椅子とお水準備しなきゃ」


 真顔で謎の説教をする菫に、にこにこしながらリオがうなずいているところへ、


「リオく~ん」


 妙によく通る声がかけられた。

 菫たちの前に、もはやお約束となった茶道部の真百合とその取り巻きが現れる。


 途端に、リオの顔からすっと表情が消えた。


「久しぶりー。元気だった? 倫香さんからいろいろ聞いてるよ?」


 息つぎなしで真百合に言われたリオが、


「うん」


 目を合わさずに答えると、開きかけていたランチバッグを手早くしまった。


「ねえリオ君、倫香さんがさーあ?」


 媚びた笑顔で話を続けようとする真百合に構わず、リオが立ち上がる。


「僕、七組に戻るね。じゃあスー、放課後また」


 真百合たちには顔を向けずに手を上げると、リオは足早に廊下に出ていった。


「えー? ちょっと、なにあれー?」


 遠ざかるリオの背中に、真百合が不満そうな声をあげた。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
小説家になろう 勝手にランキングに参加しています。クリックしていただけたら嬉しいです(ぺこり)
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ