5-5.(2)
「……暗くなってきたね、リオ」
「……うん」
バスの終点で降りて、徒歩で山に入って数十分。
最初は元気いっぱいだったふたりだが、ムササビはおろか他の動物たちの姿もまるで見えない中、そろそろ疲れを感じ始めていた。
さっきまで明るく照っていた太陽は、少し前から雲に覆われている。
木々の葉も落ちて、あたりは絵に描いたような冬景色。街中より低い気温にもテンションが下がる。
午後の中途半端な時刻に来たせいか他のハイカーの姿もなく、周囲は静まり返っていた。
「そろそろ、戻ろっか」
「だね」
リオのひとことで、ふたりはとぼとぼと今来た道を戻り始めた。
普段着で歩ける整備されたハイキングコースではあるが、途中には山肌に沿って道幅が狭くなっている場所もある。
「気をつけてね、スー」
「オッケー」
それでも特に足を止めることもなく歩いていたふたりの背後で、パラパラと砂の落ちる音がしたかと思うと、
「ギャッ!」
突然、大人の握りこぶしほどの石が上の方から落ちてきて、菫は飛び上がった。
あと数メートル後ろにいたら、あの石に頭を直撃されていたかもしれない。
「なに今の?」
きょろきょろする菫のそばであたりを見回していたリオが、
「急ごう」
菫の手を引いて、足早に歩き始めた。
「リオ? どうしたの?」
つんのめりそうになりながら尋ねた菫に、
「ただの偶然だとは思うけど」
前を向いたままリオが言う。
「思うけど?」
「……スー」
足を止めずにリオが尋ねた。
「今日、僕と堅尾山に来ること、誰かに話した?」
「えっと多分、教室で」
菫が首をひねる。
「百葉と朔に」
「じゃあ、他の人にも聞かれてたか」
ひとりごとのようにリオがつぶやいた。
「となると、倫香さんにも茶道部から伝わってるかな。場合によっては瑞樹さんにも。けど……」
リオの厳しい横顔に、菫の中でむくむくと不安が膨らむ。
(まさか)
さっきの石は、事件の関係者の誰かが、自分たちを狙ったものということだろうか。
(でも、どうして?)
黙り込んだ菫に、
「ごめん、スー。そんな心配しないで」
立ち止まったリオが、手を離して苦笑した。
「びっくりさせてごめんね。さすがに偶然だと思うよ、さっきの石は。ドラマじゃないんだし、狙われるような心当たりないもんね、僕たち」
「だよね」
菫がほっとした顔になる。
「僕って、ファンも多いけど」
ごくあたりまえのことのようにリオが続けた。
「まあまあ敵も多いんだよね、この年齢にしては。でもそういう人たちって、わざわざ山まで僕のあとつけてきて、中途半端なサイズの石をぶつけたりはしないと思うんだ」
「……リオ?」
一体何の話が始まったのかと、菫が眉間にしわを寄せる。
「劇場型っていうか、どうせ落とすなら岩レベルみたいな? そもそも観客不在だし、さっきみたいなのは地味すぎるんだよ。だからさ」
「いいからさっさと帰るよ、リオ」
菫が無表情に話を遮った。
リオの態度も話の内容も、もはやどこから突っ込めばいいのかわからないが、
(とにかく、リオを守れればいいや)
菫はリオの手を引くと、それまでよりも速いペースで歩き出した。
登山口のすぐ手前、腰の曲がったおばあさんが店番をしている茶店の前で、ふたりはようやく足を止めた。
「疲れたー」
脚のストレッチをしながら菫が汗を拭う。
「ごめんね、スー」
しょんぼりしたリオに、
「や、リオのせいじゃないよ」
慌てて言って、菫が茶店ののぼりを指差した。
「ねえリオ、あそこでお茶飲んでいかない?」
幸い、小さな茶店の中はすいていて、すぐに座れそうだ。表に貼られた手書きのメニューによると、草餅が名物らしい。
ひとやすみすることにして、ふたりは藍色の暖簾をくぐった。
小さなテーブル席に着くとまもなく、大ぶりの草餅と香ばしいほうじ茶が運ばれてくる。
「いただきまーす」
さっきまでの披露困憊ぶりはどこへやら、菫が目を輝かせた。
「わあリオ、すごいよヨモギの香り!」
歓声を上げる菫の隣で、
「このお餅、手作りなんですか?」
リオが店番のおばあさんに声をかける。
「そうだよ。これはね、春に摘んだヨモギを冷凍しといたの」
藍色の上着とモンペ、白髪頭にパンダ模様のバンダナを巻いたおばあさんが、にこにこと答えた。
「春に摘みたてのを食べるのが一番だけどねえ、冷凍でも美味しいよ。お餅はうちでついたやつね」
「そうなんだー」
うなずいたリオが、
「この前来たときは、めちゃくちゃ怖いおじいさんがいたんですよ。僕、ぶたれそうになって」
思い出したように言った。
(シャベルの見回りおじいさん!)
熱いほうじ茶をすすりながら菫は思い出す。
「ああ、あの方はねえ」
わかるわかるというように、おばあさんがおっとりとうなずいた。
「いっつも怖い顔して、あちこち歩き回っててねえ。みんな困ってて」
「ですよねえ」
リオがうなすく。
「でも、こう言っちゃなんだけどねえ。もう大丈夫。先月のなかば頃だったか、珍しく二、三日見かけなくってね。腰を痛めてたって」
おばあさんが声をひそめた。
「まったく、無理するなって言っても聞きゃあしない。それで歩き回って勝手に具合悪くされちゃ、息子やお嫁さんはいい迷惑だよねえ。そうそうあの人、誰でもすぐ怒鳴りつけるから、孫も寄りつかなくて。けど、それがあだになったのかねえ。あのあと何日かはまたうろうるしてたんだけど、ああ、お客さんが出くわしたのもその頃かねえ。それが……」
のんびりペースのふたりの会話をBGMに、
(お餅もヨモギも美味しいなー。そうだ、今度はヨモギを使った料理もいいかも!)
草餅を頬張りながら、菫は新たなレシピに思いを馳せていた。




