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5-5.(1)

「……霧矢リオ君か。ひょっとして」


 色素の薄い顔をのぞきこんだ相手を、


「はい。父はKIRIYAの社長です」


 リオが微笑んで見返す。


 数日後の昼下がり。

 菫とリオは、T駅から西へバスで数十分の場所にあるファミリーレストランで、瑞樹の親友の戸田俊介と向かい合っていた。


 平日だが、俊介の休みと菫たちの高校の職員会議による午前授業がちょうど重なったため、急遽彼の住む社宅に近いこの店で会うことになった。


 学校帰りとはいえ、ふたりともジーンズやチノパンにスニーカーという私服姿。このあと予定している堅尾山での動物ウォッチングのため、さっきバスに乗る前に、駅ビルのトイレで歩きやすい服とスニーカーに着替えたのだ。


「やっぱり」


 表情を変えずうなずいた俊介に、


「瑞樹さんは、全然気づいてなかったみたいですけど」


 リオが軽く首を傾げた。


「あいつはちょっと、浮世離れしたとこがあるから」


 よく響く低い声で答えた俊介の顔が、表情は乏しいながらも友だちをけなされて若干むっとしているように見えて、リオの隣で菫ははらはらする。


 だが、


「親会社の社長と同じ名字だし、俺が気づくのはあたりまえだよ」


 意外にも穏やかに続けると、俊介はリオと菫の両方に均等に視線を向けた。


「KIRIYAの社長夫人がハーフの歌姫なのも、奥様に似て息子さんがとんでもない美少年っていうのも、うちの会社じゃ有名な話だ」


 俊介の勤務先は、KIRIYA系列の大手運送会社P。T駅の西側に位置する営業所へは、他のドライバーたちと同様、自家用車で通勤しているという。


 軽く微笑んだ彼を、


(この人が瑞樹さんと並んでたら目立つだろうなあ。でも、イケメンっていっても瑞樹さんとは違うジャンル)


 菫は感心しながら眺める。


 身長は百八十センチ以上あるだろうか。日焼けした肌に、眼光鋭い一重の目と短く刈られた硬そうな黒髪。宅配便のドライバーという重労働で鍛えられた太い腕と厚い胸板が、黒いVネックのカットソー越しにも見てとれる。


 感情をあまり表に出さない彼は、先日会った柔らかな物腰の瑞樹とは真逆の雰囲気だ。


(強面って感じ)


 つい固くなる菫と普段通りのリオの前で、俊介は事件の日の瑞樹との電話のやりとりを説明した。

 瑞樹から聞いていた通り彼は頭の回転が速く、ときどき挟まれるリオの質問への答えは簡潔で要領を得ている。


 ひと通り話が終わったところで、


「瑞樹さんって、意外と悪い男ですよね」


 リオが突然おかしなことを言い始めた。


(ちょっと、リオ?)


 菫は焦って隣のリオを横目で見る。

 必死のアイコンタクトに構わず、


「年上の人妻をつまみ食い。しかも、出会ったのはバイト先。昔からそんな感じだったんですか? 瑞樹さんって」


 半笑いで、リオが失礼な発言を続けた。


「それに出会いが本屋さんって、今どきリアル書店使う人もいるんですねー」


 馬鹿にしたような口調のリオに、


「本屋なら、俺もたまに行くな」


 俊介が鋭い視線を向ける。


「へえ。どんな本を?」


「売れてる本……ミステリーが多いかな。棚に飾られてるやつをぱらぱら見たり。会話のネタになるし、売り場を見て回ると社会の動きがわかる。仕事だけだと、どうしても視野が狭くなるから」


 俊介が無表情に続けた。


「瑞樹は顔がいいからな。あんな店員がいたら、目立つと思うよ。相手の女性はかよわい感じで、あいつのことだから頼られたら断れなかっただろうし」


「お会いになったことがあるんですね、倫香さんと」


 リオに尋ねられて、


「別に、紹介されたわけじゃない。瑞樹からつきあってる相手の話を聞いたら、たまたまそれがお客さんだったんだ」


 俊介がかぶりを振った。


「あのうちは集荷が多いから、俺は奥さんの名前と顔を覚えてたけど。向こうは俺のことも、まして瑞樹の友だちだなんてことも知らないはずだ」


 無表情に言った俊介が、


「瑞樹は……あいつは、研究以外趣味らしい趣味もないから。あの奥さんに頼られて、つい親しくなったってとこじゃないかな。自分から行く方じゃないんだ、昔から」


 友人をかばうようにつけ加えて苦笑した。


(友だち思いなんだなあ)


 感心する菫の隣で、


「かっこいいですもんね、瑞樹さん」


 リオがうなずく。

 その顔を無言で見返した俊介に構わず、


「おふたりとも、高校を出てからずっと東京なんですよね」


 リオが続けた。


「ああ」


 ホットコーヒーを口に運びながら俊介がうなずく。


「地元に戻らなくていいんですか? 家業を継がれたりとか」


 無邪気に尋ねたリオに、


「霧矢君とは違うよ」


 俊介が苦笑した。


「俺もあいつも、親はしがないサラリーマンだ。瑞樹は、できれば東京の大学で就職したいんじゃないかな。あいつは人の多いところは得意じゃないけど」


「ご実家は自然豊かなところなんですか?」


「いや、どこにでもあるベッドタウンだよ。昔ながらの商店街はシャッター通りになってて、幹線道路沿いにチェーン店が並んでる」


 あっさり言った俊介が、


「他に、聞きたいことは? こんな話でよかったのかな?」


 リオと菫の顔を交互に見た。

 ろくに発言していない菫にもきちんと気を配ってくれる俊介に、


(いい人!)


 菫の中で彼への好感度が上がる。


「はい」


 うなずいたリオが、


「ついでに、小早川さんがどうやって姿を消して今どこにいるのかも、お聞きできたら助かるんですけどねー」


 ふと思いついたように苦笑した。


「みつかりそうにないのか?」


 軽く身を乗り出した俊介が、切れ長の目でリオを見つめる。


「まあ、元々、ただの高校生にできることなんて限られてますけど」


 リオが眉を下げた。


「相当困ってらっしゃるんですよね、倫香さん。旦那さんが家を出たあと、事故や事件に巻き込まれた可能性もありますし」


「心配だな」


 俊介がテーブルの上に目を落とすと、


「でも、知っての通り、俺はその人の居場所なんて知らない」


 首を傾げて苦笑した。


「逆に、俺の方が教えてほしいくらいだよ」


「ですよねえ」


 頭をかいたリオの隣で、


(ほんと、それさえわかれば)


 菫も小さくうなずく。


「じゃあ、他に用がなければこれで」


 俊介に促され、三人は店を出た。


「お休みのところ、ありがとうございました」


 リオと菫は店の前で改めて俊介に頭を下げる。

 そのまま駅とは反対方向のバス停に向かうふたりに気づいて、


「おい、駅に戻るんじゃないのか?」


 俊介が後ろから声をかけた。


「その前に、そこの堅尾山へ」


 振り向いてリオが答える。


「ムササビとモモンガが見られるかもしれないんです」


 鼻息荒く言った菫に、


「ああ、ツアーとかやってるみたいだな」


 俊介が小さく笑った。


「でも、動物が見られるのは夜って」


「そうなんです、日没のあと」


 勢い込んで菫が答える。


「リオは以前、夜のツアーでいっぱい見られたそうなんですけど、私はそのとき都合がつかなくて。今日は昼間だけど、せっかくここまで来たし、もしかしたらって」


 そのために、わざわざ動きやすい恰好に着替えて、制服や荷物はコインロッカーに預けてきた。肩に掛けたちびリュックの中には、すり傷用の消毒セットや携帯食と飲み水も入っている。


「そうか」


 俊介が菫の顔をのぞき込むと、


「見られるといいな、動物」


 穏やかな笑みを浮かべた。


(……笑顔が! 優しい!)


 それまでの無愛想な顔からのギャップに、思わずキュンとした菫をよそに、


「じゃ」


 ふたりに背を向けると、俊介は歩き去った。



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