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「ミス研の、例会の課題図書」
眼鏡男子の神辺君が、読書中に話しかけられたのに嫌な顔もせずリオに答えてくれる。
「ブラウン神父ものの中でも有名な作品だし、霧矢君ならきっと知ってるよね。俺も一回読んだから、ネタバレしてもいいよ」
「いいの? あ、『見えない犯人』のやつか。面白いよねーこれ!」
マイペースなリオに、
「うん、面白いよね」
穏やかにうなずいて、神辺君が続けた。
「霧矢君、また遊びにおいでよミス研。霧矢君なら大歓迎だよ、みんな」
どうやら以前、リオは神辺君の所属するミステリ研究会に顔を出したことがあるらしい。
「えー、嬉しいなー」
無邪気ににこにこするリオに、神辺君も静かに微笑む。
「すごい盛り上がるからさ、霧矢君が来ると。いろんな本読んでて」
「え、僕、もしかして認められてる? マニアの皆さんから」
「そんな感じ」
「わー、光栄」
ふんわりしたリオの返事に、
「光栄って。大げさ」
神辺君が笑う。
「ありがと神辺君。またおじゃまさせてもらうね、ミス研」
さらりと言うと、リオは菫たちの机に戻ってきた。
「ただいまー」
「落ち着きないな、リオ君は。てか、アクリル板の意味」
食事中に歩き回るリオに百葉が笑うと、
「ほんと。雪弥と変わんないよ」
菫も小学生の弟を引き合いに出してあきれた顔になる。
「神辺君と友だちだったんだねー、リオ君」
意外そうに百葉に言われて、
「去年、ミス研の説明会行ったとき仲よくなったんだ」
二つ目のおにぎりに手を伸ばしながらリオが答えた。
「よかったね」
菫が笑顔でうなずく。
リオが女子に人気があることは十分すぎるほど知っているが、男子とも意外なつながりがあったとは。引っ込み思案だった保育園時代のリオのイメージがいまだに抜けない菫にとって、嬉しい驚きだ。
「入部はしなかったの? ミス研」
百葉に聞かれて、
「うん」
リオがあっさりうなずいた。
「だって僕、読むだけで書く気ないもん。ミステリー」
「へー。ミス研って、読むだけじゃなくて小説書くんだ?」
百葉が眉マスカラで仕上げた茶色い眉を上げると、
「……すご」
黙って皆の会話を聞いていた朔も、奥二重の目をちょっと見開いた。
そのとき、
「あっ! そういえば、もう一個あったんだ。スーに言い忘れてた話」
リオがくるりと菫を振り向いた。
「ねえスー、『サーティースリー』でモンブランのフレーバーが出たんだって。帰りにZ駅でお店寄らない?」
「行く!」
菫の目がきらりと光る。
大好きなサーティースリーのアイスクリームと大好きなモンブランのコラボとあれば、見逃すわけにはいかない。
「あーでも、朔ちゃんは今日も部活だよね。百葉は?」
友人たちの顔をのぞきこんだ菫に、
「あたしも、ダンス部でちょっと」
慌てた顔で百葉が手を振った。
少林寺拳法部ほどハードな部ではないが、ダンス部も年明けに引退公演を控えている。
「……ふたりで行ってきなよ」
もしゃもしゃとおかずを食べながら朔に言われて、
「わかった」
菫がうなずいた。
菫の左斜め前の、元々は朔が座っていた席から、
『ありがと』
リオが正面の百葉と左隣の朔に向かって、菫に気づかれないよう口の動きで伝える。
そしらぬ顔で百葉が軽く口角を上げると、朔も箸の動きは止めずに右手の親指を立てた。
ふたりがリオの菫へのアプローチをアシストするのはいつものこと。菫がリオの態度をまるで本気にしないからだ。
「じゃあ僕、このあと生徒会に手伝い頼まれてるから」
いつの間にか昼食を食べ終わっていたリオが、腰を上げた。
「お疲れー」
菫があっさり手を振る。
謎に広い人脈や音響機器に関するつてと知識のために、生徒会をはじめあちこちの団体の手伝いに呼ばれるリオの姿は、昔から見慣れている。
「お先にー」
にこにこと菫たちに手を振りあごのマスクを上げたリオが、軽い足取りで廊下に向かった。
人気者のリオに近づくチャンス! とばかりに群がってくる周囲の生徒たちを適当にかわしながら、あっという間に教室から姿を消した細身の後ろ姿に、
「ほんと、落ち着きないんだから」
菫は小さくためいきをついた。