4-1.(2)
「疲れた~」
その日の昼休み。生徒会に呼ばれて来春の新入生歓迎会の計画の手伝いをしてきたリオは、廊下を歩きながら小声でぼやいた。
「スーが足りないよ~」
今日はバタバタしていて、朝から一度も菫のクラスに顔を出していない。
足早に廊下の角を曲がろうとしたとき、
「ていうかー」
よく通る太い声を耳にして、リオは思わず足を止めた。
そっと壁の向こうをのぞくと、少し先を歩いているのは、思った通り真百合とその取り巻きたちだ。
距離をとるため、リオはそのまま壁に身を隠して時間を稼ぐことにする。
「甲斐さんって、やっぱムカつくけどさあ」
リオの耳に、真百合の半笑いの声が届いた。
「リオ君に近づけるなら、とりあえず使っとけって感じー?」
きゃはは、という三人の笑い声。
「……」
廊下の陰で、リオが無言で目を眇める。
「ここで倫香さんに恩売っとけば、シューカツの保険になるしねー」
得意げに真百合が続けた。
「製薬大手の副社長なんだよねー、倫香さんのお父様」
「ほんと?」
「それは美味しいかも」
取り巻きたちがすかさず合いの手を入れる。
「それに、リオ君の調査が成功したら、茶道部のOGにも名前売れちゃいそうだし」
「さすがマユちゃん」
「頭いい!」
三人の会話を聞いたリオの顔から、怒りで血の気が引いた。
ただでさえ白い整った顔は、表情を失い、まるで人形のように見える。
廊下でひとり立ちつくしている彼を、他の生徒たちが不思議そうな顔で追い越していく。
「でもさあ。結構しんぱーい」
馬鹿にした声で真百合が言うのが聞こえた。
「今日の態度で甲斐さんが勘違って、友だちぶってきたらどーしよ? ウザすぎー」
嫌そうに言う真百合に、
「あはは、鬼じゃんマユちゃん」
「てか、甲斐さんにリオ君引っ張り出させたあとで、甲斐さんだけハブればよくね?」
取り巻きたちが口々に言う。
「そっかー! その手があったか!」
機嫌よく言う真百合に、
「でしょー?」
媚びた声をあげる取り巻きたち。
その声を聞きながら、
「……ないよ、そんなもの」
腕組みして廊下の壁にもたれたリオが、無表情につぶやいた。
「スー!」
その日の放課後。帰り支度をする菫の元に、息を弾ませたリオが駆け込んできた。
「一緒に帰ろ、スー」
「どうしたの? そんな急いで」
珍しく朝から姿を見せなかったリオを見上げて菫が笑う。
「……スーが足りなかったんだもーん」
菫の笑顔に安心したように、リオが表情を緩めた。
昇降口を出て門へと歩きながら、
「ねえスー」
リオが慎重に切り出した。
「またなにか、よけいなこと言われたりしてない?」
「ん? 大丈夫だよ」
さらりと菫が答える。
(……昼間のことは、黙っとこ)
リオの隣で、菫は決心していた。
百葉と朔に言われた通りだ。これ以上、嫌がるリオに真百合の話を伝える必要はない。ついでに、自分への真百合たちの嫌がらせのことも。
(ちゃんと、私のところで食い止める)
それが幼馴染たるものの務め。リオを、余計なことから守らなければ。
――たとえ外野に、リオと釣り合っていないと言われようとも。
歩きながら、菫はぐっとこぶしを握る。
自分で自分を、リオの友人にふさわしいと思えるような。そんな自分でいたい。
校門の手前にある守衛室の前で、
「村木さん、さようならー」
リオがいつものように、中に座った守衛さんに声をかけた。
「ふたりとも、さよなら」
白髪頭の男性が、ふたりに向かって穏やかに微笑む。
リオの隣でぺこりと頭を下げた菫が、
「リオと一緒にいると、私までいろんな人と仲良くなれちゃうね」
ふふ、と笑った。
「違うよ」
不満げにリオがかぶりを振る。
「最初はスーの真似したんだよ、僕」
「え?」
目をまるくした菫に、リオが続けた。
「初等部に入ったばっかのときに、『まわりの皆さんに、元気よくご挨拶しましょう』って先生に言われてさ。スーが守衛さんに挨拶してたの見て、僕も真似したの」
「……そうだったんだ」
菫は頬が熱くなった。
初等部の一年生の頃のことなんて、ほとんど覚えていないけど。リオが自分の真似をした結果、今のように校内の様々な人と親しくなったというのなら、なんだか嬉しい。
並んで正門を出た菫とリオに、
「……あの」
背後から控えめな声がかけられた。
振り向くと、門の脇から華奢な女性がこちらを見ている。
(わ、かわいい人)
可憐なたたずまいに、菫はマスクの中で思わず口角を上げた。
「はい?」
失礼になるほどみつめないように気をつけながら、かわいらしい顔を菫は見下ろす。
(誰かのお姉さんかな?)
大学生だろうか。リオほどではないが色の白い、はかなげな印象の人だ。
身長は百五十センチあるかないかというところだろう。水色のワンピースに黒のトレンチコート、背中まである茶色い髪はゆるく巻かれている。スリムだが、ワンピースの胸には意外と存在感があった。
女性の潤んだ瞳が、おそるおそる、という風にふたりの顔を交互に見上げた。
「……もしかして、霧矢君と甲斐さん、ですか?」
「えっと」
菫はリオと目を見合わせた。セレブ家庭の子どもが多いこの学園で、見知らぬ人に名前をたずねられてあっさり答えるような生徒はいない。
「ああ、ごめんなさい。びっくりさせてしまって」
おっとりと口に手を当てて、女性が苦笑した。
「はじめまして。私、小早川倫香と申します」
「……あ」
菫は思わず声をあげた。
どうやら、目の前にいるのは、さんざん真百合に聞かされてきた、「茶道部OGの倫香さん」本人のようだった。




