3-2.(2)
「外してー?」
「えー、今? てか、それくらい自分でやんなよ」
部活の途中、しかも薄暗い場所で面倒なことを言い出した琴美に、未玖がためいきをつく。
「いいじゃん、すぐだからー」
甘えた声を出す琴美に、諦めた未玖がすばやく留め具を外すと、指輪がついたままのチェーンを渡した。
「サンキュー未玖」
機嫌よく言った琴美が、
「あっ」
直後に小さく声をあげる。
「え?」
未玖も琴美の手元に目をやった。
ふたりの目の前で、琴美が手にした細いチェーンが途中から切れた。
チェーンに通していた銀のリングが軽い音を立てて床に落ちると、壁際に置かれた箱の隙間に転がりこむ。
調理実習のときに未玖が言った通り、チェーンは脆くなっていたらしい。
「やば! ここだったよね?」
長い脚を折り曲げて素早くしゃがみこんだ未玖が、演劇部の大道具らしい大きな木の箱の隙間に手を入れた。
「あった?」
心配そうに背後でたずねる琴美に、
「わかんない。なんか、奥まで届くような長い物ないかな?」
指輪が転がりこんだ隙間に手を伸ばしたまま、未玖が答える。
「えっとー」
慌ててあたりを見回した琴美が、ぱたぱたと奥の方へと駆けだすと、しばらくして戻ってきた。
「これ、どうかな?」
手渡された長い棒を使って、未玖が再度箱の隙間を探る。
だが、肝心の指輪はみつからなかったらしく、
「……」
立ち上がった未玖は、無言で膝のほこりを払って琴美の顔を見下ろした。
「嘘……どうしよう」
棒立ちになった小柄な琴美の顔を、
「ねえ琴美」
眉を下げた未玖がのぞきこむ。
そのとき、
「おーい、マネージャー」
「まだー?」
男バス部員たちが、トレーニング道具を取りに行ったまま戻らないふたりを呼びに舞台のそばまでやってきた。
「あ! はーい」
それに大声で答えた琴美が、
「行こ!」
未玖の腕を取って、コートへと駆けだす。
「え? 指輪は?」
驚いた顔の未玖に、
「練習中だもんね。あとで探すよ」
前を向いたまま琴美が答えた。
「……」
未玖が、開きかけた口を閉じた。
その日の練習後、琴美は部員たちにも指輪の件を話して一緒に探してもらったが、先輩から贈られた指輪はどこにも見当たらなかった。
翌日からはクラスの友だちにも協力してもらい、皆で探し回ったものの、いくら探しても指輪は出てこない。
数日後、教室で友人たちが琴美を慰めているところに居合わせたリオが、事件について話を聞く羽目になった。
そして――。
「そこから先は知ってるよ」
リオの話に、菫が口を挟んだ。
「次の日の朝、リオが教室で琴美に返してあげたんでしょ? 指輪」
「うん」
リオが曖昧に微笑む。
――『ありがと、リオ君』
翌朝、リオに渡された指輪を大切そうに両手で包んで涙ぐんだ琴美に、
『舞台袖の、幕の間に挟まってた』
リオは答えた。
『昨日の話で思いついて、さっき体育館に寄ってきたんだ』
にっこり笑ったリオを、
『そうなの? 幕の方には転がらなかったと思ったけど、勘違いだったのかな』
きょとんとした顔で琴美が見上げた。
『じゃあ、別の場所で誰かに蹴られてそっちに転がったのかもね。掃除のときとかに』
さらりとリオは答えたのだが――。
「嘘なんだ、あれ」
リオの言葉に、菫が目をまるくした。
「どういうこと?」
詰め寄る菫に、
「えーとね」
リオが困ったように頭をかく。
「前の日に、教室で琴美ちゃんから話を聞いたとき。気づいちゃったんだよね。未玖ちゃんの表情に」
「表情? 琴美じゃなくて未玖の?」
一向に話が見えない菫に、リオが説明した。
「いつもなら、琴美ちゃんがなにか話すと隣で未玖ちゃんがフォローするでしょ? 琴美ちゃんってぽやぽやしてるし、特にあんな、彼氏にもらった指輪をなくして落ちこんでるときだったら」
「琴美のお世話役だもんね、未玖」
菫がうなずく。
「それが、違ったんだよねー。あのときは」
リオが続けた。
「むしろ未玖ちゃんの方が、琴美ちゃんより顔色悪いくらいで」
言葉足らずの琴美をフォローしてくれるはずの未玖が、ろくに口も開かず、琴美から少し距離を置いているようにさえ見えたのが、どうにも気になって。
そして、気になることといえばもうひとつ。
「琴美ちゃんの話を聞いてて、思いついたことがあったんだ。それについても確認したくて」
リオはその夜、未玖に電話した。
そこで判明した事実。
「……『魔が差した』って言ってた、未玖ちゃん」
リオが苦笑した。
「一番最初に、指輪が大道具の隙間に入り込んだとき。未玖ちゃんに言われて、琴美ちゃんが棒を探しにいったでしょ?」
「うん」
不思議そうにうなずいた菫に、なんともいえない表情でリオが告げる。
「実はその間に、未玖ちゃんは指輪をみつけてたんだって」
琴美と違って背の高い未玖は、腕も指も長い。要領の悪い琴美があたふたと探しものをしている間に、未玖は隙間から指輪を取り出すことに成功していたそうだ。
だが。
「咄嗟に、黙って指輪をポケットに入れちゃったんだって。未玖ちゃん」
「え?」
ぎょっとして、菫はリオを見返した。
当然、そのあといくら探しても指輪は出てこない。
その後、男バス部員やクラスメイトも巻き込んで、予想外に騒ぎが大きくなったため、怖くなった未玖は本当のことを琴美に打ち明けられなくなったそうだ。
涙ながらに告白した未玖から指輪を受け取ったリオは、翌朝の教室で、何食わぬ顔で琴美に指輪を返したのだった。
「そうだったんだ」
ぼうぜんとしたまま菫がつぶやいた。
「未玖、なんでそんなこと」
「……『嫉妬した』って言ってた」
リオが長い睫毛を目を伏せる。
「嫉妬? やきもちってこと?」
首を傾げた菫が、
「それって」
はっとして手で口を覆った。
琴美に指輪を贈った、男バスの先輩。
彼のことを未玖も……。
「ううん、そっちじゃないよ」
リオがあっさりとかぶりを振った。
「三角関係ってわけじゃない。未玖ちゃんは、琴美ちゃんの彼氏が好きだったわけじゃなくて」
一呼吸おいて続ける。
「琴美ちゃんが、先輩のことばっか優先するようになったのがしんどかったんだって。未玖ちゃん」
リオの言葉に、
「あー」
菫がうなずいた。
「ときどきいるよね。彼氏ができると、友だちよりそっち優先になる子」
「しかも、未玖ちゃんはああいう性格だし」
リオも苦笑する。
「ずっと琴美ちゃんのお姉さん役だったから、先輩のこと優先されて約束ドタキャンされたりしても、『しょうがないなー』って許すしかったんだって」
「寂しかっただろうね。ずっと一緒だったし」
うなずいた菫に、
「指輪は、ちょっと脅かしてすぐに返すつもりだったんだって。それまでに何度も、修理しなよ、大事にしなよって未玖ちゃんが言ってたのに、ずっと琴美ちゃんは聞き流してたから。脅かしたあとで、『ほらね、大事に扱わないから、なくなったかと思って焦ったでしょ』って言うつもりだったんだって。でも、最初のタイミングを逃したら、あっというまに大騒ぎになっちゃって」
リオが肩をすくめた。
「すごく反省してたしさ、未玖ちゃん。元々ああいう子だし、二度とやらないのがわかってたから、僕も協力したんだ」
「そっかー」
うなずいた菫が、
「すごいねリオ。人のことよく見てて」
ほうとためいきをついた。
「そういえば、さっき言ってた『確認したいこと』って何? 未玖と電話してわかったの?」
思い出して尋ねた菫に、
「うん、予想通りだった」
リオが静かにうなずく。
「最初から、指輪を隠したのは未玖ちゃんだと思ってたんだよね、僕。琴美ちゃんの話を聞いて」