3-2.(1)
「はー、投げた投げたー」
毛足の長いラグの上に足を投げ出して、菫が大きく伸びをした。
「思いっきりボール投げするの、久しぶりー」
「お疲れ、スー」
向かいでリオが、ガラスのローテーブルに置かれたティーカップを口に運びながらにっこりする。
ユキとのボール遊びに疲れたふたりは、リオの部屋でティーセットを前にひと休みしていた。
二十畳以上はあるであろうリオの部屋は、つやのあるダークブラウンの床や家具に、青と緑を基調としたカーテンやラグが落ち着いた雰囲気を醸し出している。
セミダブルのベッドに、コンピュータ類に占拠された大きなデスク。片側の壁は一面ウォークインクローゼット、反対側の壁際には本棚とKIRIYAの最新モデルのキーボードが並んでいる。
ベランダに続く窓の向こうでは、日が沈みかけていた。
部屋に入ってすぐのスペースに置かれたローテーブルで、
「おかげでユキ、ご機嫌だったよ」
リオが優しく菫の顔をのぞきこんだ。
「私もすっきりした。身体動かして」
カップを手に、菫も見返す。
「それはなにより」
微笑んで、リオが続けた。
「ごめんね、スー。最近、僕に探偵ごっこやらせたい人たちがうるさくて」
「……そんな」
不意を突かれてうろたえる菫に、
「隠さなくていいよ。これは悪口じゃない」
リオが静かに言う。
「僕のいないとこで、いろいろ言われてるんでしょ? スー」
「平気平気。たいしたことないから」
勢いよくかぶりを振った菫が、ふと尋ねた。
「一応確認だけど。リオは引き受ける気ないんだよね? 當山さんの話」
「ないよ」
あきれたようにリオがうなずく。
「あれって、當山さんの従姉の友だちっていうか、うちの学校のOGの話でしょ? 十個上っていったら二十七歳か」
リオが顔をしかめた。
「そんないい年した大人の、さらに旦那さんの話だもん。行方不明だから探してほしいとか、そう簡単に言われても」
「警察には相談済みって言ってたね。家庭内のトラブルだからって、調べてもらえなかったって」
菫も眉をひそめる。
「OG、っていうか奥さんが、心配なのはわかるけどね……」
「消えた旦那さんって、どっかの社長なんでしょ? そのうち戻ってくるんじゃないの? 会社ほっぽらかしてるわけにもいかないし」
気怠げにリオが髪をかき上げた。
「それでも戻らないなら、本人的には覚悟の家出なんじゃない? ますますみつからないよね、お金持ってるいい大人の家出なんて」
「んー、じゃあ、警察がだめなら探偵とかに頼むとか?」
首を傾げた菫に、
「だねー。まあ、警察だって、時間がたてばさすがに動くだろうけど。その奥さんも、お金はあるんだろうからさっさとプロの調査入れればいいのに。他人がどうとか言ってないで」
あっさりとリオが言う。
「それをやらないってことは、口では心配って言いつつ、実際にはまだ余裕があるってことでしょ? そんなの僕が出ていく必要ないよね」
リオが肩をすくめた。
うなずいた菫が、焼きたてのスコーンにこんもりとクロテッドクリームを乗せながら、
「……それにしても。みんなまだ覚えてるんだね、琴美の指輪の話」
ふと思い出して言った。
「私はクラスが違ったからよく知らないけど。ねえリオ、そういえば、あの指輪ってどうやってみつけたの?」
「んー。どうだっけ」
リオが言葉を濁す。
「可能性があるところを、あたったっていうか」
「すごいねリオ。あんなに広い校舎の中で、ちっちゃい指輪一個を」
菫が改めて感心すると、
「そうかな……」
リオが目を泳がせた。
「リオ?」
菫が不思議そうにリオの顔をのぞき込む。
「……あのね、スー」
リオが決まり悪そうな顔になった。
「その件にはちょっと、込み入った事情が……内緒にできる? この話」
「え? うん、できるけど」
うなずいた菫に、
「実はね」
リオは、男バスマネージャー琴美の指輪紛失事件の真相について話し始めた。
ちょうど一年ほど前のある日の、家庭科の調理実習前の休み時間。
「未玖ー、後ろやってー」
エプロンと三角巾を身につけたクラスメイトたちの中で、小柄な琴美が親友の未玖に声をかけた。
細い首にネックレスをつけようと、琴美は留め具を両手に持ったまま未玖に背中を向けている。安価な銀のチェーンには、男バスの先輩である彼氏にもらったシルバーの指輪が通されていた。
アクセサリー類を禁止する校則のない自由な校風の櫻森学園高等部だが、調理実習の際には衛生のため指輪は外す決まりになっている。
外した指輪をなくさないよう、そんなとき琴美はこのチェーンに通して首から下げているのだが、自分では後ろを留めるのに時間がかかるため、いつものように未玖に頼んでいるところだ。
「ねえ琴美。弱くなってる、このチェーン」
琴美の後ろに立って留め具を受け取った未玖が、眉をひそめた。
「切れちゃいそうだよ。お店で直してもらうか、新しいの買うかしなよ」
「わかったからー」
適当に答えた琴美に、
「もう、前から言ってるのに」
あきれたように未玖が言う。
「知らないよ? 大事な指輪、落としても」
「ごめんごめん。今度のお小遣いで新しいの買うから」
琴美が甘えた声を出した。
「そうやって、すぐ先延ばしにする」
未玖が顔をしかめる。
「やめてよ? 落としたら、絶対私も一緒に探すことになるじゃん。その指輪」
「だよねー」
けらけらと琴美が笑った。
しっかりものの未玖は、のんきで天然な琴美のフォロー役。性格も身長も違うでこぼこコンビのふたりだが、中等部の頃からの仲良しだ。
事件が起きたのは、それから数時間たった放課後、男バスの練習中だった。
マネージャーであるふたりが、体育館の舞台袖にある道具置き場に足を踏み入れたとき、
「あっ、そうだ。指輪指輪」
調理実習のときに外した指輪を、首のチェーンに通したままだったことを思い出した琴美が、
「ねえ未玖、後ろー」
指輪をネックレスから外して指にはめ直そうと、首の後ろの留め具をいじり始めたのだ。