2-2.(1)
「じゃあね、スー」
二年八組の入り口の前で、一緒に登校した菫と別れたリオに、
「おはようリオ君!」
飛び出すように教室から出て来た當山真百合が、媚びた声をかけた。
うしろには、いつもの取り巻きたち。三人とも、すれ違った菫には見向きもしない。
「……あ、おはよ」
一気に腰の引けたリオに気づいて、教室に入りかけていた菫は振り向いた。
そのまま廊下に戻り、
「……おはよう」
茶道部の三人に声をかけて、そっとリオの隣に立つ。
十一月上旬の朝。設備の整った校舎とはいえ、廊下はまだ肌寒い。
「あのさあリオ君。この前の、先輩の旦那さん探しのことなんだけど」
前回と同様、リオの隣の菫には目もくれず、真百合が切り出した。
「考え直してもらえない? やっぱ、リオ君しかいないと思うんだよねー、私」
謎の上から目線で話を蒸し返し始めた真百合に、
「……あの」
菫が思いきって抗議の声をあげようとしたところで、
「琴美だってそう思うよね?」
真百合が急に横を向いて、教室の中に声をかけた。
「うん、思う!」
無邪気な声と共に、ショートカットの小柄な女の子が廊下に出てくる。男子バスケ部のマネージャーで去年リオに指輪をみつけてもらった、藤井琴美だ。
「おはよう、リオ君スーちゃん」
教室の入り口前で真百合と向かい合う菫たちに、愛想よく笑いかけた琴美が、そのまま真百合の横に並んだ。
「……おはよう」
琴美に続いて、色白で背の高い女子生徒も廊下に出てくる。琴美と仲のいい、同じ男バスのマネの坂本未玖だ。長い黒髪を一つ結びにした真面目そうな未玖が、目を伏せたまま琴美の隣に立つ。
「ねえリオ君、やってあげなよ。先輩の旦那さん探し。私の指輪、あっという間にみつけてくれたじゃん」
黒目がちなまるい目で、琴美がリオと菫を交互に見上げた。
「スーちゃんもそう思うよね?」
「え、と」
言葉に詰まった菫の隣から、
「でも、それとこれとは別だからなあ」
柔らかな口調でリオが答える。
「なくした指輪を学校で探すのと、行方不明の知らない大人探すのじゃ、わけがちがうでしょ? そっちはもう、警察のお仕事じゃん」
「そっかー。確かに」
大きくうなずいた琴美が、
「でも、リオ君ならできると思うな! 私」
あっさりと、自由すぎるコメントを繰り出す。
「だってあのとき、ほんとすごかったもん。ねー、未玖」
琴美が隣に立つ未玖の顔を見上げると、
「うん、でも」
未玖が困った顔で口ごもった。
おとなしいがしっかりものの未玖と明るくて天然の琴美は、中等部の頃からいつも一緒にいる仲良し二人組だ。菫はこれまでどちらとも同じクラスになったことはないが、同じ内部進学生同士、顔見知りではある。
「……リオ君にも、予定とかあるんじゃないかな?」
切れ長の目をリオと菫にやりながら、おずおずと未玖が言った。
「そうなんだよねー」
未玖のいいパスに、すかさずリオが飛びつく。
「ごめんね、當山さんと琴美ちゃん。しばらく予定が立て込んでて。やっぱこういうことは、僕が首突っ込むより、ちゃんと警察に調べてもらった方がいいと思うよ」
ひといきに言うと、
「じゃあ僕、自分のクラス行くね。スー、またあとで」
今度こそ、リオはあっという間に姿を消した。
「断られちゃったね、マユちゃん」
あっけらかんと琴美が真百合を見上げる。
「じゃあ、私たちも帰るねー」
バイバイ、と一同に手を振って、琴美が未玖の手を引いて自分たちの教室へと立ち去った。去り際に、未玖が申し訳なさそうな顔でそっと菫に頭を下げる。
どうやらふたりは、真百合に頼まれて、リオを説得するためにわざわざ八組で待っていたらしい。
(そこまでやる?)
真百合の執念にあきれながらも、騒ぎが収まりほっとした菫を前に、
「……あーあ。また邪魔されたよ」
真百合と取り巻きたちが、こちらを見ながらわざと聞こえるような声で話し始めた。
「マジ、何なのあれ?」
「彼女気取り?」
「うちらリオ君に話してるだけじゃん。入ってくんなって」
自分への嫌がらせだと気づいて、菫は無視して教室に入ろうとする。
それを引き止めるように、
「てゆーかさあ」
真百合の声が大きくなった。
「朔は少林寺で関東大会出場だし、百葉はかわいい子揃いのダンス部だけど。甲斐さんはねー」
「……」
リオだけでなく友だちのことまで話題にされて、菫は思わず足が止まりそうになった。
(……気にしない)
ぐっと奥歯を噛みしめてまた歩き出した菫の背中に、意地の悪い声が投げかけられる。
「元料理部ー? 正直冴えないよねー」
「なんか、勉強も運動も普通だし。見た目はまあ、清楚系?」
「それなー」
「普通」を「ふっつう」と発音して、三人がクスクスと笑い声をあげる。
「地味ー」
「リオ君どころか、友だちとも釣り合ってなくない? あの人」
「言えるー」
(……そっか)
思いもよらない視点からの悪口を背中に浴びて、菫は怒るというよりショックを受けていた。
言われてみれば、料理部は大きな大会に出ることはなく、活動も週に一日だけだった。
菫自身は自主練とでもいうか、調理室の空き時間や家のキッチンを使って地道に新メニューの開発にいそしんでいたものの。活動時間を比べてみれば、朔の少林寺拳法部は当然、練習がゆるめの百葉のダンス部よりも短かい、確かに「地味」な部活だったといえる。
そしてそれは、菫自身にもあてはまるのだろう。
そのときどきで、やりたいことに熱中してきた菫には、周囲と自分を比べるという発想があまりなかった。
朔や百葉も、タイプは違うけれどそれぞれの世界を持っている。そんなふたりだからこそ、たまにあきれながらも、マイペースな菫と仲良くしてくれるのだと思っている。
でもそれは、傍目には――。
(釣り合ってないのかな、私。朔や百葉や、リオと)
自分の席に向かいながら、菫は目の前が暗くなるような気がした。