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「なにあれ! 超腹立つー!」
化学室への廊下を歩きながら、天井に向かって百葉が怒鳴った。茶色いツインテールと、ボタンを二つ開けたシャツからのぞく細い金のチェーンが、歩くたびに跳ね上がる。
「真百合がムカつくのは前からだけどさー! 偉っそうに、バカじゃねーの?」
「ほんと」
珍しく、朔も大きくうなずいて悪口に参加する。
「スー、気にすんな?」
ふたりに挟まれた菫の顔を、百葉が左隣から見上げた。
「ありえないしあんな話。旦那が行方不明とか、普通に警察沙汰じゃんね? 先輩のために協力してとか言って、自分がリオ君に絡みたいだけに決まってるよ、あのクソ女」
「だよねー」
菫もあっさりうなずいた。
百葉の言う通りだ。口では人助けと言っていたものの、実際のところ真百合は、これを機会にリオに近づきたいだけなのだろう。リオを取り巻くこの手のトラブルには慣れている。
でも。
「……正直、わかんないんだよねー」
ぽつりと菫が言った。
「なんでリオって、あんなに人気あるんだろ?」
「……えええ?!」
百葉が菫から身を引いて、ぎょっとした声を上げる。
「スー、今さらすぎん? それ」
「……」
反対側では朔も、細い目を無言で見開いている。
「そりゃまあ、かわいい顔してるし。お金持ちだし、有名人だし、いろいろ優秀だけど」
ふたりの顔を交互に見ながら、言いわけするように菫が言った。
「でも、あの泣き虫のリオがなあ」
菫の中では、保育園のれんげ組で一緒だった頃のリオのイメージがまだまだ強いのだ。見た目のせいで、いじめっ子に「ガイジン」と言われて泣いていた、小さくてかわいかったリオのイメージが。
「まあねー。それもわかる気はするけど」
菫の左隣で百葉がためいきをついた。
「スーはさ、もーちょっと、リオ君のこと男の子として見てあげなよ。保育園の頃とは違うんだよ? お互い」
右隣から朔も大きくうなずく。
「えー。そんな、無理だって」
「ないない」と顔の前で手を振って、菫が笑いだした。
「普通に女の子モデルにスカウトされちゃってんだよ? かわいすぎるでしょ、あの顔は。ていうか、隣にいる私の立場」
「わかるー。肌の透明感と涙袋エグいもんね、リオ君」
思わず同意した百葉を、
「……」
朔がじろりと横目で見た。
「――それはそれとして」
朔の視線に気づいた百葉が、話題を変える。
「推理とか、さっきのあれはさすがに無茶ぶりだよね。知らない人の旦那探しとか」
「ほんと」
菫がマスクの下で口をとがらせた。
「なに考えてんだろ、當山さん。去年の指輪のときとは話が違うよ」
「だよねー」
百葉もうなずく。
「てか、あれは推理っていうか失せ物探しじゃんねー。しかも瞬殺だったんだって? リオ君」
「……あのときのリオ君は、すごかった」
去年リオと同じクラスだった朔が、ぽつりと言った。
さっき教室で真百合に言った通りだ。去年の冬、男バスのマネージャーの琴美が周囲の生徒を巻き込んで悩んでいたあの事件を、リオはたった一晩で、しかも話を聞いただけで解決したのだ。
リオが琴美から指輪の話を聞いた、その翌日。
『おはよう、琴美ちゃん』
朝の教室で、リオはなにげない様子で琴美に話しかけたそうだ。
『なくした指輪って、これのこと?』
リオの白い手のひらで、窓から差し込む朝日にきらめいている銀の指輪。
その光景に、琴美をはじめクラスメイトたちは皆あぜんとしたという。