〃 「鷹尾周のどことなく長く感じる一日」(後編)
午後だった。
月曜日に提出期限のある課題を終えた周は、部屋を出てリビングに入り――、
そこでぎょっとした。
月子がリビングのテーブルの上に立っていたのだ。
「な、何やってんの……?」
「見てわかりませんか? 切れた蛍光灯の交換です」
「あ、あぁ、そうみたいだな……」
月子の言う通りらしく、彼女は手を伸ばして蛍光灯を外そうとしている最中だった。
「大丈夫かよ」
「問題ありません」
「ならいいけど」
周は月子の手から視線を下ろしていく。表情に乏しい顔、ぱっと見動きにくそうに見えるモノトーンのメイド服、テーブルを踏む足は背伸びをしていた。
そして、足を包むストッキングは黒で、
「げふっ」
そこから繰り出されるキックは強烈だった。月子のかかとが周の腹にめり込む。
「足を見ないでください」
「う、うぃっす……」
そろそろ自制しないと。これ以上やるともっと致命的なポイントを蹴られかねない。
こりゃ離れておいたほうが無難だな――そう思い、何か食べるものをとキッチンに体を向けたときだった。
「きゃ……」
と、小さくかわいらしい悲鳴が周の耳朶を打った。
振り返る。
そこで見たのは、テーブルの上でバランスを崩した月子の姿だった。
んなところで足なんか振り回すからっ。心の中で文句を言いつつも、考えるより早く体は動いていた。
月子の倒れる方に体を滑り込ませ、それを受け止める。が、いくら女性だから軽いとはいっても人ひとり。完全には支え切れず、周は月子もろともフローリングの床に倒れこんだ。
「痛ぇ……」
「……」
床の上に仰向けの周。
その周の上に、同じく仰向けの月子。
背中を受け止めた構図だ。
「シュ……」
そうやって落ち切った後にも拘らず、月子の口から言葉にならない悲鳴がもれた。
「へ?」
「シュ、シュウ……。手、手が……」
「手?」
手と言われたので、手を意識する。
ふにふに
「ひゃ……」
再度、月子の悲鳴。
周の両手が何か――やわらかくて、そのくせ弾力のあるものを握っていた。
すぐに己が何をわしづかみにしているか理解する。
うわ……。
と同時に、感動に似たものを覚える。
「ご、ごめんっ」
「いいから先に手を離しなさいっ」
「お、おう」
言われてようやく周はそれから手を離した。
月子が離れ、周も体を起こす。
「……」
「……」
気まずい沈黙がリビングを支配した。
周はもう一度謝ったほうがいいかとも考えたが、改めて話題にするような真似は避けたほうがいいようにも思える。かと言って、他の言葉も見当たらず――、
「あ、あー……」
まるでマイクの調子でも確かめるかのような周の発音。タイミングをはかる。
「後は俺がやるよ」
「え?」
月子は何のことかわからなかったらしい。周は立ち上がり、テーブルの上に乗った。蛍光灯の交換の続きだ。
「月子さんの背じゃ辛そうだもんな」
そう言う周は意外に長身だ。クラスで背の順に並べば、常に高いほうから3番目以内にはいる。
「し、しかし、それはメイドの仕事――」
「男がやることだよ」
周は月子の言葉に発音を重ねた。かまわず作業を続ける。
「外れた。はいよ、次」
「あ、はい」
外れた古い蛍光灯を月子に手渡すと、代わりに新しいものが返ってきた。さっそく取りつけにかかる。
「周様、スイッチを入れてもいいでしょうか?」
「やめろ。感電するわ」
なぜにこのタイミングで? さっきの恨みだろうか。
「おしゃ、終わり」
周がテーブルから降りる。
「あ、ありがとうございます」
「こんなもん礼を言われるようなことかよ」
と、そこでふたりの目が合ってしまった。思い出すのは先ほどのアクシデント。それぞれ慌てて顔を逸らす。
「えっと、じゃあ、俺は部屋に戻るからっ」
そのままぎくしゃくした動きで回れ右。周は逃げるようにリビングを後にした。
部屋に戻ってからしばらくして、
「あれ? 俺、何しに行ったんだったっけ?」
などと思い出す。
ああ、そうだ。腹がすいたから何か食べるものを漁ろうと思っていたのだった。思って出ていったら、そこで月子が蛍光灯を替えていて、そこからすべてを吹き飛ばすような出来事が起こったのだ。
「……」
周は考える。
今もう一度キッチンに出ていったところで、果たして台所の番人である月子が食糧の調達を許すだろうか。さっきの件の怒りが冷めなかったら、最悪夕食にまで影響が出かねない。
とは言え、考えていても埒は明かない。
とりあえず行って、月子さんの様子を見よう――と、臨機応変と言えば聞こえはいいが、ただ単に腰の引けただけの作戦を立てた。
「よし」
勢い込んで、しかし、そろっと部屋を出る。
と、
そこに月子がいた。
ちょうど向こうもリビングから出てきたところらしい。
「「 ッ!? 」」
ふたりともびくっと体を振るわせるほど驚きつつも、背中を見せることは堪えた。辛うじてその場に踏みとどまる。
「お、おー……」
「……」
無意味な発声をする周と、押し黙る月子。
両者とも何を言っていいかわからないという点では同じだった。
そこで周は月子が手にしているものに気がついた。
盆の上に、スナック菓子の入った器と、アイスレモンティらしき飲みもののグラスが乗っている。
「えっと、それ……」
「あ、はい。先ほどのお礼をと思い……」
月子がたどたどしく答える。
「それほどのことをしたつもりはないんだけどな。……でも、まぁ、ちょうど腹が減ってたからもらっとく」
遠慮なく盆を受け取った。
「で、では」
月子は一歩下がり、軽く一礼。踵を返してリビングに戻っていく。その動きだけはメイドのものだったが、どこかぎこちなかった。
そして、夕食。
本日は鶏肉のソテーを中心にした洋風のメニュー。
いつもなら「学校で何か変わったことはありましたか?」などと月子に訊かれ、周が面倒くさそうに「別に何も」と答えたりする会話が交わされるのだが、この日は何もなかった。
今日が日曜で学校がなかったというのもあるだろうが、単純に午後のあの件が尾を引いているのだ。
いったい俺は今日、何をやってたんだ……?
無言のメイドさんが脇に控える食卓で、周は一日を振り返る。
ぶっちゃけ、ろくに何もしていないし、ろくな目にも遭っていない。日曜らしくのんびり過ごしていたと言えないこともないが、少し泣きそうだ。
ただ、普段よりも月子のことはよく見れたと思う。
朝、起きたら朝食ができていた。昼に合わせて昼食を作り、こうして夕食も用意してくれた。家中の掃除をし、洗濯をして、必要ならアイロンもかける。当然そこには周が明日着るカッターシャツも含まれている。他にもよく気づき、よくやってくれていた。
ひとり暮らしをするんだと息巻いて家を飛び出た周だが、果たして同じことができるだろうか。
無論、月子は生活スキルに特化したメイドだ。同程度のことができるはずもない。だが、己で己の生活をきちんと管理し、維持できるのかと問われれば――正直、自信はない。下手をすると朝起きる段階で躓きそうだ。
不甲斐なさにため息が出る。
「どうかされましたか?」
凹み落ち込む周に、無表情メイドもわずかに心配顔。
「んにゃ。何でもねーよ」
と、一旦答えておいてから、
「あー、月子さんさ――」
改めて呼びかけた。
「……座ったら?」
「はい?」
月子は珍しくきょとんとした顔で、疑問形で返す。
「せっかく作ったもんも、すぐに食べなきゃ美味しくないだろ」
「ですが、私はメイドで――」
「いいから座って一緒に喰え。何より俺が落ち着かないんだよ、食べてる最中に横に立たれたら」
周は至極強引に力技で、月子の言葉を遮った。
「わ、わかりました……」
どうにか反論しようと言葉を探していた月子だったが、結局、そう戸惑いがちに肯いた。
自分の食事をひと通り用意して、周の正面に座る。
周はこれでようやく落ち着くと思った。こんな決して広いとは言えないダイニングキッチンで、メイドに立たれては気になって仕方がない。今までいったい何度ちゃぶ台返しをしようと思ったことか。
だから、これで落ち着くと思った。
が。
……。
……。
……。
おかしい。
やっぱり落ち着かなかった。
むしろ、例の事故の記憶が鮮明な現状、月子を視界の真ん中に入れることは逆効果なんじゃ……と気づく。見れば月子も落ち着かない様子で、不自然に周を見ないようにしながら食べていた。
しかも、どーすんだ、これ。
押しかけメイドを追い出すと言いつつ、やっていることは反対だ。
「……」
「……」
「……あー、もういいや」
周は投げやりにつぶやく。
「何か?」
「……いや、いい。気にしないでくれ」
そう短く返し、落ち着かない食事を続けた。
翌、月曜日。
一週間のはじまり。
鷹尾周は、いつも通りメイドに起こされ、ぎこちなく朝食をとり、登校の準備をして玄関へ向かった。後ろにはメイドの姿。
靴に足を突っ込む。
「んじゃ、いってくる」
「……」
なぜか返事がなかったので振り返った。
「なに?」
「いえ、別に。……いってらっしゃいませ、周様」
「ん」
そして、メイドに見送られ、いつも通りではなく家を出た。
ひとまずひと区切り。
更新も一旦休憩です。