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50%&50%  作者: 九曜
第4章
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第33話 「私はメイドですから、と彼女は言った」

 周と月子――ふたり、ひとつの傘の下を歩く。

 言葉はなかった。

 つい先ほどまではそうでもなかったのに。この肩が触れるような距離が悪いのだろうか。

 周たちは、ショッピングセンターの前の駐車場を歩いていた。ここを抜け、シネコンの敷地を出ればバス停がある。目指すはそこだ。

 と、そこに自動車が水溜りを蹴って、走り抜けていった。

「げ」

 跳ねた水が周のズボンの裾をぬらす。

「いや、まぁ、今さらか」

 もとより小さな折りたたみ傘にふたりで入っているから、傘は十分な役目を果たしていない。はみ出した肩が濡れているし、足の先もそうだ。今さら多少その範囲を広げたところでたいして変わらない。

「月姉、大丈夫だったか?」

「え、ええ……」

 しかし、怪我の功名か、また言葉を交わす機会を得ることができた。周は再び歩き出しながら切り出す。

「今日はつき合わせて悪かったな。でも、おかげで楽しかったよ」

「私も、です……」

 月子がうつむき加減で、遠慮がちに答えた。その返事に周は確かな手ごたえを感じる。

「で、さ――よかったら、また遊びにいかないか? 次はもっと別のところに」

「……」

 しかし、今度は答えがなかった。伏せ気味だった視線はさらに下へと移り、アスファルトの上へと向けられている。押し黙る彼女の緊張が、隣にいる周にも伝わってきた。

「月姉?」

 呼びかけてみると、

「――ません」

「え?」

 月子の小さな発音は、雨とともにアスファルトの上へ落ち、周は上手く聞き取れなかった。問い返そうと口を開きかけたとき、月子が顔を上げた。

「それはできません」

 最初の言葉には葛藤があった。だが、今はそれがなかった。前を見据えながら、はっきりと周に告げた。

「えっと……ごめん。俺、何か気に障るようなことしたかな?」

 周は苦笑しながら聞く。

 何か不穏なものを感じつつも、それを気のせいとしたい自衛の働きが、周の顔に苦笑いをつくらせていた。

「いえ、周様は何も悪くありません」

 瞬間、ぴたりと周の足が止まった。半瞬遅れて月子も立ち止まる。彼女の顔は相変わらず前を向いたままだった。それは周と目を合わせまいとして、そうしているようにも見えた。

「じゃあ何でだよ!?」

 声を荒らげる周。

 反対に、月子は静かにその言葉を口にした。

「私は、メイドですから」

 と――。

「……」

「行きましょう」

「あ、ああ……」

 月子が歩き出し、促された周もそれに合わせる。

「今日は楽しかったって、さっき言っただろ」

「言いました。でも、今日限りにしましょう」

「なんだよ、それ」

 ふたりは肩を並べて歩く。しかし、実際の心のありようとしては、月子が先導し、周が不貞腐れながらついていっている構図だ。

「周様と私では身分が違いますから」

「……ますますわからねぇよ。身分って何だよ。大正時代の華族か? インドのカースト制度か?」

「私はただの家政婦の娘で、周様のメイド、ということです」

「……」

 だから何なのか。今日のことは分不相応だとでも言いたいのだろうか。周にはわからない理屈だった。自分はただ、また楽しい時間を分かち合いたいだけなのに。

 気がつけばシネコンの敷地を出て、もうバス停は目の前だった。

 バス停では10人ほどが、列もつくらず待っていて、周と月子もその端に加わった。道路のほうを向いて並んで立つ。

「シュウ」

 月子の口が周の愛称を発音した。

「子どものころのままではいられないこともあるの。わかって」

「……」

 周は答えなかった。月子の言うことを理解していないのだから、了承も反論もない。ただ黙っていた。

 やがてバスがきて、周は傘をたたんで乗り込んだ。ふたり掛けの座席の窓側に座り、続けてその横に月子が腰を下ろす。周はわずかに体を跳ねさせた。てっきり月子は別の席に座るものだと思っていた。どういう心境なのだろうか。かと言って、月子のほうを見ることもできず、窓の外へと目をやった。

 走り出したバス。

 周は雨の車窓を見て、改めて月子のことを考える。

 姉のように慕った年上の幼馴染。4年の空白を経て再会した彼女は、誰よりもきれいだった。強くて聡明で、有能なメイド。周はそんな彼女に自分が恋をしているのだと、遅巻きながら気がついた。

 月子が好きだと思う。

 いや、きっと幼いときからずっと好きだったのだろう。

 だけど、

 月子との間には自分の知らない壁があった。彼女はそれを『身分』と表現した。

(なんだよ、それは。んなもん知らねぇよ)

 心の中で悪態をつく。

 周は所謂いいところの子だ。そこは単に境遇でしかないので、謙遜しても仕方がないだろう。なに不自由なく生きてきたし、ほしいものはたいてい手に入った。

 一方、月子は母ひとり子ひとりの母子家庭。母親の藤堂がどういう経緯で鷹尾家の家政婦になったのかは知らないが、仕事で忙しい父や奔放に生きる母など、生活スタイルもバラバラな鷹尾家の一切を任されている。はっきり言って、周の家族がまともな生活を送れているのは藤堂のおかげだと言っても過言ではなく、正直、頭の下がる思いだ。

 そんな実状もあって周は、藤堂母子との上下関係を意識したことはなく、どちらかと言えば家族ぐるみのつき合いに近い関係だと理解していたように思う。

 だと言うのに、唐突に身分という名の壁が現れたのだ。そんなもの知るか、と愚痴りたくなるもの当然だろう。

 いつの間にかバスは、終点である駅に着きかけていた。乗っている間ずっと思考に没頭していたが、そのわりには情報量は少ない。思考は遠いところには行かず、近いところをぐるぐると回っていたらしい。

 バスが駅前のロータリィに停車すると、周はそこから降りた。バス停の小さな屋根の下、空を見上げると、車窓から見てわかっていたことだが、雨はまだ降っていた。

 雨足は強くはないが、長い雨になりそうな予感がする。

「……月子さん」

 周は持っていた折りたたみ傘を月子に差し出した。

「先に帰っててくれ。俺はそのへんテキトーにぐるっと回ってから帰るから」

 言って背を向ける。

「え? でも、傘は……」

「いい。いらね」

 背中越しに手を振りながらそう短く告げ、周は雨の中を歩き出した。

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