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50%&50%  作者: 九曜
第4章
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第32話 「ターニング・ポイント」(前編)

 その日は朝から曇っていた。

 何とも中途半端な天気。

 降水確率は40%と、これまた半端な数字だ。なお、午後も40%。これから晴れていく方向なのか崩れていくのか、判断がつかない。

 中途半端といえば、今の周も非常に中途半端な状態にあった。

 外に出かける準備をして、服もきちんと着替えているが、家を出ようと思っている時間はまだ先だった。それならリビングでテレビを見るなりして時間をつぶせばいいようなものだが、今はそうする気にもなれずにいた。ライティングデスクのキャスタ付きチェアに座り、体を背もたれに預けて、頭の後ろで手を組んだ構造で天井を見ていた。

 落ち着かない気分だった。

 それもそのはず。今日は日曜。月子とのデートの日だった。

 夏休み中に一度、「これはデートだろうか?」と首を傾げるようなシチュエーションはあった。が、今日はそれとは決定的に違う。正真正銘のデートであり、周から誘ったことだ。そして、何より気持ちが違う。

「あー、逃げてぇ……」

 逃げ腰の姿勢はあまり変わらないようだが。

 と、そのとき、ドアがノックされた。

「周様」

「お、おう」

 驚き、弾かれたように立ち上がった。体はドアのほうに向いているが、足は前に出なかった。

 数十秒の間があり、

「そ、そろそろ出ようと思います」

 月子は自信なさげな口調で切り出した。

「そ、そうか」

「……」

「……」

「えっと、ちょっと早くないか?」

「でも、どちらかが早く出ないといけませんから。どこかで時間をつぶしていようかと……」

「それもそうだな、うん」

「……」

「……」

 ぎこちない会話の末、また、間。

「で、では、先に行ってますので」

「あ、うん。気をつけて」

 そうして扉越しの会話は終わった。

 スリッパを履いた足音が遠ざかっていく。

 程なく玄関のドアの重い開閉音が聞こえ、月子の気配が消えてから、周は脱力したように再びイスに腰を落とした。

 結局、顔は合わせないままだった。

 朝から自覚できるほど落ち着かない気分だった周は、目の前のドアを開けて月子の顔を見る勇気が出なかった。途中、月子がどんな服を着ているのだろうかと考えたが、やはりドアの取っ手を掴むことはできなかった。

「ま、あと一時間もすりゃ嫌でも会うわけだしな」

 周はわざわざ口に出して言った。

 

 それから約30分ほど無為な時間を過ごした後、

「おしゃ。そろそろ俺も行くか」

 やはり発音して己を鼓舞し、周は立ち上がった。

 おそらく月子が一度は見ているだろうが、自分でもあちこちの戸締りを確認しておく。玄関で靴を履く段になって天気が悪いことを考え、折りたたみの傘をバッグの中に放り込んだ。月子の躾の賜物か。

 最後に玄関ドアの施錠を確かめてから、マンションの階段を下りた。

 エントランスを出て空を見上げると、やはり見事な曇天。今にも降りそうというほどではないが、今日は降らずにはすまないだろうなと思わせる空模様だ。

 さて――と前を向き、周が足を踏み出そうとしたそのとき、猫カイザーの名を持つ猫が前を通り過ぎていった。

 猫カイザー。

 誰がどう見ても黒猫である。

「……」

 何とも言えない不安な気分になる周だった。

 と――。

「おーい、ねっこカイザー♪」

 今度は翔子だった。

 通りの歩道に目をやろうとすると、呼ばれた黒猫が声に応えて戻ってきた。再度、周の前を横切る。

 重ねて言うが、黒猫である。

「おいおいおい……」

 さすがに今度は口に出してしまった。自分の毛の色を考えて行動しろよ。

「あ、周くんだ」

 本日のデートに不吉なものを感じる周とは正反対に、明るい声で呼びかけてくる。改めてそちらに目を向けると、Tシャツに迷彩色のだぼっとしたズボン姿の翔子。笑顔で歩いてくるその腕の中には、猫カイザーが抱かれていた。人懐っこい猫である。

「お出かけ?」

「ああ。まぁ、そんなとこ」

 さすがにデートをいう単語を用いるのは恥ずかしかった。しかし、翔子にとっては単に歯切れの悪いレスポンスにしか聞こえなかったようで、「ん?」と頭の上にクエスチョンマークを飛ばしていた。

「月子さんとちょっと、ね」

「ああ、なるほど」

 それだけで彼女は理解したようだ。

「それで、月子さんは?」

「先に行ってる。ほら、ちょっと前にできたシネコンがあるだろ? あそこで待ち合わせしたんだ。一緒に家を出てもそれっぽくないからさ。……やっぱ変だったかな?」

「ううん。そんなことないよ」

 翔子は嬉しそうに首を横に振った。

「周くん、やるぅ」

「そうかな……」

 何をどう褒められているのかイマイチわからないが、悪い気はしなかった。翔子にそう言ってもらえると、自分の決断が間違っていなかったのだと思える。

「じゃ、ちょっくら行ってくるわ」

「うん。頑張ってね。……はい、猫カイザーもお見送り。いってらっしゃーい」

 翔子は黒猫の前脚を持って振る。

 笑顔の彼女と、何を考えているのかわからない表情の黒い猫に見送られ、周はその場を後にした。

 翔子にも言った通り、待ち合わせは郊外型のシネマコンプレックスの前である。車に乗れない周が行くには、まずは徒歩で駅まで行き、そこからバスに乗ることになる。所要時間は30分程度といったところか。今から行けばちょうどいいはずだ。

 道中、これといったトラブルはなく、周は2、3本前には月子も乗ったであろう路線バスに乗って、そのシネコンに辿り着いた。

 入り口付近で待っているはずの月子を探す。見慣れているような見慣れていないような私服姿の月子だが、それはすぐに見つけることができた。

 月子は、長袖だが薄い素材で涼しげなデザインの白いチュニックブラウスに、七分丈で細いブルーのデニム姿だった。服は全体的におとなしめだが、着ている人間の素材が良いせいか遠目に見ても充分に華やかだった。そして、近くに寄ってみれば、ゆったりと余裕を持たせたブラウスの上からでもわかる体の起伏に、周は少々目のやり場に困った。

「悪い。いちおう時間通りだけど、待たせたかな?」

 月子の方が30分以上早く着いているので、どんなかたちであれ待たせたのは確かだろう。

「いえ、私もここにきたのは少し前ですから」

 そう答えた月子は心なしか不機嫌に見えた。

「えっと……何かあった?」

「男の人に声をかけられました」

「あー、そりゃ災難だったな」

 月子のことだから、しっかりと撃退したのだろうが。

 それにしても早いな、と周は思った。少し前にきたというのに、さっそく声をかけられたらしい。ここはシネコンのご多分にもれず専門店街なども併設していて、映画館以外にもこちらを目的としている客層も少なからずある。そういう女の子を狙って声をかける輩もいるのだろう。

「周様が別々に行って待ち合わせをするなどと言い出すから」

 不愉快な思いをしたせいか、月子はちくちくと責めるような口調でこぼす。

「いや、まぁ、その方が『らしい』と思ったからさ」

「そ、それはそうですが……」

 本日の趣旨を思い出し、頬に朱が差す

「……」

「……」

 そして、向かい合って黙するふたり。

「で、だ」

「はい」

「……月姉」

「はい?」

 月子が目を丸くした。

「できれば昔のように呼んでくれたら嬉しいんだけどな。俺もそうするから」

「ですが、私は周様のメイドで……」

 戸惑いがちに抗議めいたことを口にする月子。

「今日くらい忘れてくれ。メイドの格好はしてないんだからさ」

 周がそう頼み込むと、月子はしばし逡巡した後、うつむきかげんで小さく「はい……」と答えた。

「おけ。じゃあ……月姉?」

 その呼びかけの意図はすぐに察したようだった。

「……シュウ」

 躊躇いながら発音した月子は、顔を隠すようにしてさらにうつむき、さっきよりも小さくなっていた。

「んじゃ、行くか」

「……はい」

「……」

「はい」はねーだろ、と周は心の中で突っ込んだ。

 思い返してみればこれが初めてというわけでもなく、日常の中でもわりと「シュウ」と呼んでいたような気もするのだが、やはりあれは対外的な演技と割り切っていたり勢いで口走っていたから大丈夫だったのだろうか。

 ま、すぐに慣れるだろう――そう周は思った。

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