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50%&50%  作者: 九曜
第3章
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第26話 「下心だらけの生活見直し作戦」

 月子の大学での前期試験も終わり、2LDKの住人が本格的に夏休みに突入したある日のこと。

 昼。

 周はメイドさんのいる生活で、いよいよもってだらけた日々を送っていた。今はリビングで扇風機の風を浴びながら、漫画雑誌を読んでいる最中だ。

「周様、お話があります」

 と、そこにメイド服を着た月子がローテーブルをはさんで向かいに座った。

 そうしてからおもむろに周りに目をやり、何ごとかを再確認したかのように「ふむ」と小さくうなずいた。

「こうして話すのも一年ぶりですね」

「いや、毎日顔あわせてるだろ」

 何を言ってるんだお前は、といった調子の周。

 すると月子は、今度は自分のメイド服の袖をしなやかな指でつまみ、

「外は冬かと思って冬ものを着たのですが……どうりで暑いと思いました」

「とっとと着替えろよ」

「着替えてもスカートの丈は短くなりませんよ?」

「知ってるわっ」

 周は投げやりに言い放った。

「……で、話って?」

 いいかげん話が進まないので、先を促す。

 月子は、コホン、と咳ばらいをひとつ。

「実家に帰らせていただきます」

「は?」

 瞬間、周が固った。

 そして、程なくしてゆっくりと回転をはじめた頭で思ったことがこれだった。

(ヤバい。俺、何したっけ……?)

 これはあれか、旦那に愛想を尽かした嫁が言う定番の台詞だろうか?

 周は胸に手を当ててみるが、残念ながら心当たりはいくらでもあった。直近では先ほどのセクハラだろうか? いや、あれは月子が勝手に犯罪者扱いしただけのような。

「え、えっと……いつ?」

「明日です」

 周が間の抜けた質問を投げかければ、月子はきっぱりと答えた。

「明日か……」

 急だ。いや、身支度そろえた上で、「実家に~」を言われなかっただけまだマシなのかもしれない。

「……わかった。まぁ、仕方ないな」

 周はよろよろと立ち上がると、覚束ない足取りでリビングを出ていく。

「あ、周様……?」

 月子が声をかけてきたが、今はかまわず部屋へと戻った。

 

「これはマズいな……」

 周は自室のライティンデスクに座り、腕を組んだ姿勢で天井を見上げながらつぶやいた。

 月子がいなくなると非常にまずい。何がまずいかと言うと、おそらく周の今の生活がたちまち立ち行かなくなる。ひとり暮らしをするために家を飛び出したわけだが、今や月子のいる生活が当たり前になってしまっていた。今さらひとり暮らしと言われても、である。

 だが、その一方で先にも述べた通り、月子が出ていくに足る理由は腐るほどあった。いちばん古いやつなどそろそろ腐りはじめている。

 何せ、朝は起こされるまで起きないし、家事は手伝わない。食べたら食べたまま、飲んだら飲んだまま、さっぱり片づけない。月子が脱衣所で服を脱いでいるときに、うっかり突入してしまう。月子の胸を鷲掴みにする。月子さんはただいるだけでエロいと思う。

 これでは愛想を尽かされても仕方がない。むしろよく今まで出ていかなかったものだと感心すらする。どうにかして引き止めないと。

 周は自問自答。

 問い。どうやって引き止めるか?

 答え。普段から月子に注意されていることを、ひとつひとつちゃんとこなせばいい。そうしたら月子も考え直してくれるだろう。

「ま、生活を改めるいい機会か」

 ここにきて周は前向きだった。

 だが、昔の偉い人は言ったものである。「前向きなアホの子ほど恐ろしいものはない」と。

 さて、まずは何からするかな――と、周は天井を仰ぎ見たまま視線をさまよわせると、快適な生活のために絶賛稼働中のエアコンが目に入った。

「よし」

 かくして、それは決まったのだった。

 

 約一時間後、

「み、水をくれ……」

 周は虫の息でリビングに這い出てきた。

「どうされたんですか、周様!?」

 見れば全身汗だく。まるで体育の持久走でゴールした直後のようだ。月子が思わず悲鳴じみた声を上げる。

「いや、節電しようと思って、部屋のクーラーをとめたんだ」

 普段から無駄な電気は使うなと口うるさく言われているのを思い出しての、作戦第一弾だった。

 月子の顔から表情が消えた。

「……周様」

 そのまま冷ややかな口調で語りかける。

「今日は今季一番の猛暑だそうです」

「マジか!?」

 周は知らなかったようだが、朝から天気予報やワイドショーでは熱中症にはくれぐれも気をつけるようにと、繰り返し呼びかけていた。だというのに、周はよりにもよって今日の、しかも、午後一時すぎという一日で最も暑い時間にクーラーを切ったのである。

「節電の意識も大切ですが、もう少し日を考えてください」

「お、おう……」

 周は、月子から差し出されたミネラルウォーター入りのグラスを、申し訳ない気持ちで受け取った。

 いきなり失敗だった。

 

「月子さん、何か飲むものくれ」

 そう言ってきた周は、別にまた死にかけているわけではない。部屋ではクーラーが動いていて、彼はすでに復活を遂げていた。テレビでも言っていたものである。節電よりも体が大事、と。

「コーヒーに紅茶、お茶、ジュース、常識的なものならひと通り用意できますが?」

「んじゃ、コーヒーで」

「ホットですね?」

「アイスだよっ」

 なぜかそこは常識的に考えないメイドさんだった。

 しかし、周の突っ込みなどなんのその。月子は淡々と用意ををはじめる。

「いやさ、今から休み明けにある実力テストの勉強をしようと思って」

「そうですか。それはいいことです」

 月子の発音に笑みが含まれていた。

 これこそが、尻を叩かれる前に勉強しようという周の次なる作戦だった。その手ごたえに、心の中でガッツポーズをとる。

「で、何か飲みもんでもあったほうが勉強も捗るかと思ってさ」

「そのあたりは一概に言えませんが、ないよりはあったほうがいいかもしれませんね。……よかったらサンドウィッチでも作りましょうか?」

 月子が問うてくる。

「夜ならそれもありかもな。でも、今はいいや」

 さすがに持久戦の構えを取るつもりはなかった。

「650円です」

「いらねぇし、高いっ」

 新幹線並みの価格設定だ。

「ところで、月子さんのほうは試験、どうだったの?」

 手際のよい月子の仕事ぶりを見つつ、周は聞く。

「さぁ、どうでしょうか。少し自信がないものもありますから、単位を落とした科目もあるかもしれませんね」

「おいおい、大丈夫なのかよ」

「心配ありません。大学なんて極端なことを言えば、最終的に卒業できるだけの単位があればいいのですから」

 月子らしからぬお気楽な意見に、「そんなものか?」と首を傾げる周。

「どうぞ」

 そうこうしているうちにアイスコーヒーの用意ができ、グラスにガムシロップ、ミルクの載った小さなお盆が周へと差し出された。よく見ればお茶請けに数枚のビスケットが添えられている。

「お、サンキュー。さぁて、張り切って勉強するかな。勉強勉強」

「周様」

 さっそく部屋へと戻ろうとした周を月子が呼び止める。

「ん?」

「勉強勉強とアピールしすぎです。小学生じゃあるまいし」

「……」

 先ほどの手応えが雲散霧消していく気がした。

 この作戦も失敗かもしれない。

 

 夕方。

「周様」

 自室のドア越しに、月子の声が耳に届いてきた。

 やればできるアホの子である周は、動機が不純であれ自ら進んで勉強をはじめたのがよかったのか、なかなかの集中力で勉強を続けていたのだった。

「どうした?」

 キャスタ付きのチェアから立ち上がり、ドアを開ける。

 と、その目に飛び込んできたのは、月子の豊かな胸だった。メイド服ではなく、Tシャツにデニムのロングパンツという装い。そもそもスタイルがいいのだが、こういうファッションに身を包むとそれが一段とよくわかる。

 慌ててそこから目を逸らすようにして視線を上げると、今度はそこに月子の端正な顔があって、またどっきりした。

「今から買い物に行ってきますので、少し留守番をお願いします」

「え? あ、ああ、買いものね。いってらっしゃい」

 と、そこまで言ったところで、周の頭に閃くものがあった。

「よかったら一緒に行こうか?」

「周様が、ですか?」

「だって、ほら、荷物がいっぱいになったら重いだろ?」

 もちろん、そんなことは建前で、本音はポイント稼ぎだが。

 だが、月子は疑わしげな眼で周を見る。

「……何も買いませんよ?」

「ちがうわっ。小学生かよ」

 何かほしいものがあってお供を申し出たと思われたらしい。

「因みに、今日は今季一番の猛暑ですが」

「う……」

 思わず声を詰まらせる周。

 すると、月子は困った子どもを見るかのようにため息をひとつ。

「ついさっき暑さで死にかけた人をつれていけるわけがないでしょう。お気持ちだけ受け取っておきます」

 そう言うと踵を返してリビングへと戻っていく。今すぐその足で出かけるわけではないようだ。

「あのさ、月子さん」

 あの背に向かって、周は思い切って呼びかけた。

「はい?」

「外、日差しがきついから、何かもう一枚羽織っていったほうがいいんじゃないか?」

 すると、月子はきょとんとした顔で、首を傾げた。

「え、ええ、そのつもりですが?」

「……」

 言うまでもなかったようだ。男がこじつけのように思いついた理由など、女性は普段から考えているということなのだろう。

 周は非常に恥ずかしい思いで部屋に引っ込んだ。

 

 

 以後もひたすら作戦は失敗続きだった。

 

 夕食時、テーブルに並べられた品々を褒めてみたのだが、慣れないことをしたもので実に白々しくなってしまった。

 あと、致命的に語彙が貧弱だった。

 

 食後、食器を流しまで下げたのだが、もうこの時点で月子は何やら周の様子がおかしいと確信していたらしく、一部始終を疑いの眼差しで見られてしまった。

 

 夜になって、月子が風呂に入るとき、「絶対に覗かないから安心してくれ」と爽やかに言ったら、無言で喉を突かれた。

 言わなくていいひと言だったようだ。

 なお、風呂から出た月子が仕掛けたトラップを回収しているのを、周は目撃している。

 

 

 夏休みに入ってからこっち、周は連日夜更かしをしていた。明日学校がないのだと思うと、早く寝ようという気にならないのだ。おかげで毎日、普段以上に月子にせっつかれて寝ている。

 だが、今日は早く寝ることにした。

 もちろん、いきなり生活リズムを改めたところで、体がすぐにそれに合わせられるはずもなく、逆にいつも以上に寝つけなかった。

 にも拘わらずと言うべきか、だからこそと言うべきか、早起きのほうは見事に成功した。起こす前に自分から起きてきて、月子にはたいそう驚かれた。

 だが、おかげで周は起きてから欠伸あくびばかり。気が緩むと、ついウトウトしてしまっていた。

 

 そうして昼過ぎ、

 

 月子が私室に引っ込んだと思ったら、次に出てきたときは身支度を整え、手には旅行鞄を提げていた。

「では、周様。お世話になりました」

「……」

 ローテーブルの向かいで深々と頭を下げる月子を、周は他人事のように見ていた。

 このまま行かせていいのだろうか?

 明日からの生活はどうなる。というか、もう今晩の夕食からさっそく困ることになるだろう。よしんば夏休みをどうにか乗り切ったとしても、新学期がはじまったあと規則正しい生活を送れる気がしない。

 いや、そうじゃない――と、自分の中にある何かが叫ぶ。

「つ、月子さん!」

 意を決して声を張り上げ――

 

 

 

 

 そこで周は目を覚ました。

「……は?」

 そして、今の自分の状況が理解できず、思わず間の抜けた声を発する。

 場所はリビング。

 どうやらうたた寝していたらしい。たぶん慣れない早起きをしたせいだろう。朝から眠くてしようがなかったのだが、ついにここにきて居眠りをしてしまったのだ。

「起きましたか、周様」

 月子の声。

「ああ」と答えつつ周は、自分が夢を見ていたことを理解した。

「これから家を出るというのに、周様が寝てしまうものですから。起こすべきかどうか迷いました」

「え?」

 その言葉にはっとして見上げる。

 と、そこにはメイド服ではなく私服、しかも、外出着であろう服に身を包んだ月子がいた。

「……」

 そうだ。今のが夢だとしても、月子が出ていくことには変わりない。彼女を引き留めるために弄した小細工もことごとく失敗し、ついにタイムリミットがきてしまったのだ。

「つ、月――」

「では、少し出てきますので」

「は?」

 再びマヌケ声がこぼれる。

「少し……?」

「はい。夕食には間に合うように帰ってきますので」

「……」

「……」

「……なんで?」

「帰ってこないほうがいいような言い方をしないでください」

 月子がむっとして睨んでくる。

「昨日、理由も聞かずに部屋に戻ってしまわれたので言うタイミングを逃しましたが――実は先日、母が健康診断を受けまして」

 と、月子は語りはじめる。

 曰く、彼女の母親が受けた健康診断の結果が思わしくなく、再検査になったのだそうだ。そして、その再検査の結果が出るのが今日。しかし、結果次第ではその場で入院になるかもしれないし、ひとりで聞くのが怖いから月子についてきてほしいと懇願してきたのだという。

「ふうん。あの藤堂さんがねぇ」

 もちろん、鷹尾家の家政婦である藤堂のことは、周もよく知っている。剣道、柔道、合気道等々合わせて三十一段という、格闘技のプロフェッショナルだ。その藤堂が健康診断で再検査とは……。いや、あの貫禄ある体格ならば、それもさほどおかしくないのかもしれない。

「そうか」

 どうやら最初から勘違いだったらしい。周はほっと胸を撫で下ろした。

「いやぁ、よかったよかっ――おぶすっ」

 月子の地獄突き(ヘルスタッブ)が飛んできた。

「よくありません。私の母です」

「す、すまん……」

 喉を抑えながら、涙目で謝る周。

 と、そこで比較的重要なことに気がついた。

「あ、あのさ、月子さん。俺、今さっき何か叫ばなかった?」

「え?」

 周のその問いに、月子が目に見えて挙動不審になった。目を泳がせ、周を見ようとしない。

「い、いえ、何も……」

 もうすでにその様子が如実に答えを語っていたが、周は言葉通りにとらえることにした。

「そ、そうか。ならいいんだ。ああ、うん。じゃあ、気をつけていってきて」

「あ、はい。い、いってきます」

 月子はパタパタとスリッパを鳴らし、逃げるように出ていった。

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