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50%&50%  作者: 九曜
第3章
39/56

 〃  「夏の侵略者たち」(後編)

「……」

「……」

 4階にも拘らず窓から颯爽と登場した護星高校生徒会執行部会長兼治安維持部隊隊長、竜胆寺菜々ちゃんに、周と翔子はさすがに驚きを禁じえず、唖然とした。

「菜々ちゃん会長!?」

 やっと出てきたにしては芸のないひと言。

「や、ども」

 周たちの驚愕をよそに、菜々ちゃんは人懐っこい笑みを浮かべながら、片手を上げて応えた。

「何でここに、つーか、どうやってここまできたんですか!?」

「どっちから答えればいい?」

「個人的興味と防犯の観点から、どうやってここまで上がってきたかが知りたいです」

「それはね……ん? 冷気が逃げるから、とりあえず上がらせてもらおっか」

 そう言うと菜々ちゃんは履いていたスニーカを脱ぎはじめた。靴紐を固く結んでいるのか、まずは紐を解く作業から入る。そうしてスニーカを脱いでからリビングへ踏み込み、

「よいしょ、と」

 窓を閉めた。

「で、何の話だっけ?」

「……どうやってここまで上がってきたか、です」

「ああ、そうだったわ。……そこのベランダの横に、上から下まで取っ掛かりのない真っ平らな壁があるでしょ?」

「ありますね」

 周はマンションの外観を頭に思い浮かべながら相づちを打った。確かにそういう箇所がある。そこに見ただけではわからないような出っ張りがあったりするのだろうか? それで容易く登れるようであれば防犯上問題が出てくる。

「そこから10メートルくらい離れて、壁に向かってダッシュするわけ。で、その勢いのまま壁を――」

「走って登ってきたのかよ!?」

 単なる力技である。しかも、菜々ちゃんにしかできない。

 とりあえず防犯に致命的な問題があるわけではないことはわかった。これで次に窓から入られた形跡があった場合は、真っ先に菜々ちゃんを疑うことにしよう。周はそう頭に留めておいた。

「それで、ここには何しにきたんですか?」

 周は呆れて目を半眼にしながら尋ねた。

「そう、それなのよ。ちょっと聞いて。九条が仕事しろ仕事しろって煩いのよ。だから逃げてきたー」

「……」

 何でうちにくるんだよ。どっかよそに行けよ――と周は思うが、決して口には出さないし、出せない。

「でも、仕事をするのは当たり前では?」

「あによぉ。鷹尾までそんなこと言うわけ?」

 菜々ちゃんは口を尖らせる。

「こっちは夏休み返上で毎日学校で仕事してるのよ。たまには逃げたくなるときだってあるわ」

「そりゃあ、まぁ……」

 確かにその気持ちはわからなくもない。今だって制服を着ているところを見ると、今日も学校に詰めていたのだろう。

「そんなこと言って、毎日逃げてるんじゃないでしょうね」

「ね、うどん多いの? だったら、わたしにもちょーだい。お昼まだ食べてないのよね」

 菜々ちゃんはあからさまに聞こえない振りをした。

「ええっと……」

 翔子は困った顔で、意見を求めるように周を見た。

「いいんじゃないか。どうせ俺たちだけじゃ食べきれるか怪しいしな」

 たぶん3人で分けたら丁度よくなるだろう。それと、菜々ちゃんはのらねこと同じで、食べて満足したら帰るだろう的な計算もあった。

「ラッキー♪ あ、あたしのは少しでいいから」

「途中で拾い喰いでもしてきたんですか?」

「……鷹尾、あたしのことのらねこかなんかだと思ってない?」

 菜々ちゃんがジロリと周を睨む。

「イ、イエ、ソンナコトハ……」

 ないとは言い切れないかもしれない。

「考えてもみなさい。この体でうどんを3玉も4玉も食べたら、コストパフォーマンスが悪いでしょうが」

「まぁ、確かに……」

 しかし、見方を変えれば、SSサイズの体と人並みの食事であの馬力が出せるのだから、異常なエネルギィ効率の良さだと言えるだろう。

 尚、隣ではうどんとそばを3人分に分け直している翔子が、こっそり自分の取り分を減らしていた。

 

 そんなわけで思いがけず賑やかになった昼食がはじまった。

「こうやってざるうどん食べてると、夏を実感するよねぇ」

「早いもんだな。ついこの間クリスマスが過ぎたばっかりだってのに」

「鷹尾、時間感覚おかしいんじゃない?」

 菜々ちゃんは、さっき自分で言っていたように、その体に相応しい量を食べていた。翔子は何か思うところがあったのか、当初公言していたよりも少ない。そして、残りが周に回ってきたわけだが、それでも3人で分けただけあってだいぶ大人しい量になっていた。

「菜々ちゃん会長って、よく周くんちにくるんですか?」

 翔子はうどんを次々と飲み込みながら、その合間に質問を菜々ちゃんに投げかけた。

「ううん。まだ2回目ー」

 対する菜々ちゃんは、あぐあぐと少しずつ食べている。何となく心配になって、周はちらちらとそちらを見てしまう。

「2回しかきたことないのに、なんでうちに逃げてくるんですか?」

「2回しかないからよ」

 菜々ちゃんはきっぱりと言い切った。

「関係性が薄い場所の方が潜伏には向いてるのよ」

「潜伏って……」

 居座るつもりらしい。

 こうなったら頼りは九条だ。彼は菜々ちゃんがここにきたことがあるという事実を知っている数少ない人間。菜々ちゃんを連れ戻しにくることを期待しよう。

 

 そうして食事終了。

「ああ、美味しかった。お腹いっぱいだわ」

 菜々ちゃんは椅子の上で脱力しながら、満足げな声を上げた。とは言っても、食べたのは極少量なのだが。

「確かに美味しかった。うちは本場のうどんとは縁がないからなぁ」

「そうなんだ。じゃあ、また今度実家から送ってきたら持ってくるね」

 周と菜々ちゃんからよい反応が返ってきたのが嬉しかったのか、翔子は笑顔を見せた。

「いや、そんなに気を遣わなくていいから」

「ううん、大丈夫。うちって何かとすぐにおうどんを送ってくるんだ。切れたって死ぬわけじゃないのにね。だから大丈夫。それにここで恩を売っておけば、後々何か助けてくれるかなぁなんて打算もあるのです」

「おいおい……」

 でも、まぁ、いいか――と周は思う。翔子が困っているときには存分に利用されてやろう。もちろん、借りがなくとも同じことをするだろうが。

「さて、じゃあ、ちゃっちゃと片づけてしまおうかな」

 そう言いながら翔子が立ち上がった。

「あ、いいよ、翔子ちゃん。うちのもんは放っておいてくれたら」

 かと言って周が食器を洗うわけではなく、月子が帰ってくるまでほったらかしにするのだが。

「気にしないで。お昼につき合ってくれたお礼みたいなものだから」

 それを言ったら周だって同じなのだが、ここは厚意に甘えておくことにした。

 翔子は手早く食器を重ねて流しに運び、さっそく洗いものをはじめた。何から何まで任せっきりの周は、所在なさげに頭を掻く。

「鷹尾ー」

 そこに菜々ちゃんの呼ぶ声。見れば菜々ちゃんはいつの間にかリビングの方へ移動し、テレビの前にいた。四つん這いの構造で、テレビ台の中を見ている。いったい何をやっているのだろうか。周は、キッチンは翔子に任せて、そちらに行ってみた。

 菜々ちゃんが見ていたのは、テレビ台の中に押し込まれたコンシューマゲーム機だった。

「鷹尾って、オタク?」

「それ一台でそんなことを言われても、な」

 日本で最もメジャーな機種なので、標準的な男子高校生が持っていても特におかしいことはない。

「……おもしろいの?」

 菜々ちゃんは攻撃的な目で訊いてきた。先ほどの発言と合わせて推測するに、菜々ちゃんはこういうものとは無縁なのだろう。未知のものへの警戒は野性の本能か。

「暇潰しにはなりますよ。……やってみます? こういうのですけど」

 そう言って周が差し出したのは。つい最近買った格闘ゲームのケースだった。菜々ちゃんはそれを「む……」と小さく唸りながら恐る恐る受け取り、矯めつ眇めつしながら眺めた。

 そして――、

「わかったわ。つまり格闘戦のシミュレータなわけね。いい度胸だわ。ゲームとは言え、このあたしに格闘戦で挑もうなんて」

 先ほどまでの警戒心はどこへやら、いやに自信満々で言い放った。

 無謀だったか、と周は軽く後悔した。確かに相手は格闘技系クラブの部員と毎日趣味で戦っている実戦格闘の申し子みたいな菜々ちゃんだ。それこそゲームとは言え、そのセンスを如何なく発揮するかもしれない。

「ま、いいか。じゃあ、これが説明書です」

 周は菜々ちゃんに説明書を渡し、ゲーム機のセッティングをはじめた。その横で菜々ちゃんは言われた通り説明書を読んでいる。読みながら時折、ふむ、と納得したように頷いていた。真剣マジだ。

 そうして準備が整い、ゲームがはじまって、

 2秒後――、

「弱……」

「……」

 秒殺で周の勝ちだった。

 いや、確かに初心者と経験者の差もあるし、実は菜々ちゃんが強いかもしれないと警戒して本気でやってしまったが、それにしても弱すぎる。棒立ちのキャラを相手にするよりも弱いというのはどういうことか。

「はいはーい。わたしもやりたいでーす」

 そこに昼食の後片づけを終えた翔子がやってきた。じゃあここはいつでも遊べる自分が遠慮しようかと、周が場所をあけようとした。

「菜々ちゃん会長はどいててくださいね」

 しかし、それよりも先に翔子は、惨敗して放心状態の菜々ちゃんを脇に押しやった。フローリングだからよく滑り、菜々ちゃんが軽いこともあって、やけに簡単に動いた。

 因みに、菜々ちゃんは座標が変わっても構造はそのままだ。未だ放心状態。手放した意識が戻ってこないらしい。

「さ、どれにしようかなぁ? ……あ、このドリル持った女の子かわいい! これにするね」

 翔子は菜々ちゃんに構わずコントローラを握る。

 見た目とインスピレーションでキャラ選択をしているあたり、どうやら翔子も初心者のようだ。今度こそ手抜かりなく手を抜こうと周は決めた。

 そして、ゲーム開始。

「えい! どう! やあ! やっ、何これ!? うそっ、変なの出た!?」

 予想通り翔子は上手くなかった。しかも、操作しながら体も動く。テレビゲームに触れていない女の子ならこんなものだろうな。周は遊びを入れつつ、テキトーに相手をしてやる。

「あ、負ける! 負けそう! 負けるかもっ!」

 負けるのか。

 負けるのだ。

 謎の3段活用が飛び出すのだった。

「もうダメ! ……生パーンチ」

「おごっ」

 切羽詰った翔子がいきなり周へ直接攻撃ダイレクトアタック。ぐにっと顔を殴られた周はもんどりうって倒れる。痛くはないが、なにせ不意打ちだったので驚いた。

「なにすんだよ!?」

「だって負けそうだもーん」

 と言いつつも翔子は、動かない周のキャラに向かって攻撃を続けている。尤も、体力ゲージが充分に残っているので、まだKOされそうにないが。

「えぇい、くそっ」

 復帰した周が超必殺技を炸裂させてゲーム終了。非常に大人気ない勝ち方なのだが、翔子はわかっていないようだった。

「はるーん。負けた~……」

「まぁ、初めてだから」

 コントローラを床に置いて呆然と画面を見つめる翔子に、周は慰めの言葉をかけた。

 と――、

「次はあたしよっ。あたしにやらせなさいっ」

 菜々ちゃんが復活したようだ。

「じゃあ、俺がどくんで、ふたりで好きなだけやってください」

 周は今度こそ後ろに下がって見物に徹することにした。

 女の子ふたりがテレビゲームに興じているその背中を見ながら、そういえば最初はこれに近い図を想像していたなと思い出した。高校生活がはじまる直前までは、友人やクラスメイトを招いてわいわいやっているのを思い描いていたのだが、しかし、月子が乱入してきたおかげで迂闊に人を呼べない家になってしまった。

 ふと、月子にこういうものをやらせたらどうなるだろうかと考えた。やはり女の子だから下手だろうか。いや、それ以前に性格的に忌避しそうだ。でも、反対にむきになってのめり込む月子というのも容易に想像できてしまうから不思議だ。そのときはきっと勝つまでつき合わされるだろうし、手を抜いたら手を抜いたで怒られるのだろう。

 そんな益体もないことを考えつつ、時々翔子や菜々ちゃんに乞われるままにアドバイスなどをしていると、気がつけば時計は2時過ぎを指していた。

「あ、それ、翔子が使っていたキャラですよー」

「いいのよ。こっちの方が強そうだから」

 しかし、こちらはまだ終わりそうになかった。ついでにあまり上達もしていない。周は、少し早いがおやつでも用意しようかと、腰を上げた。

 キッチンに行って戸棚からスナック菓子を、冷蔵庫からジュースを取り出した。女の子の好みはよくわからないが、残ったら自分で食べればいいだろう。

「やったぁ。またまた翔子の勝ち!」

「なによ、これ。壊れてるんじゃないの?」

「壊れてねぇよ。……ちょっと休憩したらどうです? こんなものも用意したんで」

 周はリビングのテーブルにジュースとスナック菓子を置いた。

「なかなか気が利くわね、鷹尾」

 真っ先に反応したのは菜々ちゃんだった。一度に食べる量は少なくても、回数が多いのかもしれない。

 ふたりともコントローラを置いて、座ったままにじり寄ってきた。

「わぁ、ありがとー、周くん」

「いや、それはいいんだけど、翔子ちゃんって自分で自分のこと『翔子』って言うんだな」

「え、嘘!? 言ってた?」

 翔子ははっとして訊き返してきた。

「時々な」

「うー。お姉ちゃんにバカっぽいからやめろって注意されてたのに……」

 翔子は自分の迂闊さを呪うかのように、ため息を吐きながら言った。

「……鷹尾」

 その横で今度は菜々ちゃんが周を呼ぶ。

「あたし、オレンジジュースなら『れなちゃん』が好きだから」

「知りませんよ、そんなこと」

 オレンジジュースというだけでなく商品名まで指定するのは、やはりこれからもくるから用意しておけという意味だろうか。

 とっとと帰んねーかな、と周は何となく窓の外を見てしまう。九条が連れ戻しにくることを期待していたのだが、そんな気配はまだない。

「……鷹尾」

「なんですか、今度はっ」

「や、あの部屋は何かなと思って」

「あの部屋?」

 菜々ちゃんの視線が向かう先に同じく周も目を向けると、そこには別室に通じるドアがあった。月子の部屋だ。

「えっと、そこは俺の同居人の部屋で……」

「む……」

 周が歯切れ悪く答えると、菜々ちゃんはそれが誰のことかすぐにわかったようで、眉間に皺を寄せた。痛み分けに終わったあのときの戦いでも思い出したのだろうか。

 それにしても、と周は思う。ここにいるふたりはメイド姿の月子を目にしているわけだが、果たしてあれをどう思っているのだろうか。翔子に対しては月子は従姉だと言ってあるが、あの姿については何の説明もしていない。下手に話題にしても薮蛇になりかねないので黙っている。ふたりともコスプレ趣味とでも思ってくれているのなら、月子には悪いが僥倖だろう。

「はいはーい」

 翔子が元気よく挙手する。

「月子さんの部屋だよね? 翔子、ちょっと見てみたいなぁ」

「い、いや、それは……つーか、翔子ちゃん、また自分で『翔子』って……」

「いい。バレたし」

 開き直ったようだ。

「あたしも見たい」

「菜々ちゃん会長まで!?」

 なぜか菜々ちゃんまで興味を示した。

「でも、勝手に見たら殺すって月子さんに言われてるしな」

 さすがの月子でもそこまでは言わない。

「おとなしく殺されなさい」

「待て」

「というのもかわいそうだし、鷹尾だけ見なければいいのよ」

「ですです」

 隣で翔子も同意する。

「では、さっそく……」

 結局、周が止める間もなく、ふたりは行動を開始した。翔子にいたっては妙なテンションで「ふっふっふっふっ」と不敵な笑い声を零している。周は自分はどうすればいいのか判断がつかないまま、ふたりが忍び寄っていくのを見守っていた。

 ドアが開く瞬間、周は遠く離れているにも拘らず緊張した。実は拡散指向性地雷がセットされていて、今にもふたりの体が無残に爆散するのではないかと思ったり思わなかったり。

 細く開いたドアの隙間に、ふたつの頭が縦に並ぶ。もちろん、上が翔子で下が菜々ちゃんだ。中まで踏み込まないのは、やはり多少なりとも罪悪感があるからだろうか。

「ほっほぅ」

「これが月子さんの部屋かぁ」

 口々に感嘆の声が上がる。

「センスいいなぁ。さすが大学生って感じ?」

 思ったよりも普通の部屋のようだ。そうなると途端に周も興味が湧いてくるのだが、ここにきてまだ自分に対してだけ発動するトラップがあるのではないかと疑ってしまい、踏ん切りがつかなかった。

「あ、菜々ちゃん会長、あれ」

「む……」

「うわーうわー」

 いったい何を見つけたのだろうか。

 と――、

 不意に翔子と菜々ちゃんが、周へと同時に振り返った。4つの目を向けられた周は、思わず一歩後ずさる。

「……」

「……」

「……」

 ふたりは数秒ほど周をじっと見つめてから、再び部屋の方へ顔を戻した。

「鷹尾に見るなって言うのも当然ね」

「そうですねぇ」

「ちょ!」

 ふたりの会話に得体の知れない不安を覚える周。しかし、そんなのは無視して、翔子と菜々ちゃんは心ゆくまで部屋を見てから、ぱたん、とドアを閉めた。

「堪能したわ」

「わたしもこんな感じに模様替えしようかなぁ」

「……」

 しかも、以降、何を見たかまったく触れないあたり、さらに周の不安を煽る。本当に中に何があったのだろうか。

 ふと時計を見た。

「げ。もう3時じゃないか」

 思わぬ時間の経過にうめき声を上げた。

「周くん、3時に何かあるの?」

「月子さんが帰ってくる……、たぶん」

「え」

 今度は翔子が短く驚いた。

「じゃあ、そろそろ帰ろっかなー」

「そっちこそ何かあるのか?」

「うぅん。何となく月子さんと顔を合わせづらいし?」

 小首を傾げながら疑問形の文章を投げかけられたところで、周にはなんとも答えようがない。

「お台所勝手に使わせてもらったし、部屋も見ちゃったし……よし、逃げようっ」

 翔子はよくわからない理由でひとり納得し、腰を上げた。

「あたしも帰る」

「そっちもかっ」

 と言いつつも、実際に菜々ちゃんに居座られたら、それはそれで困るのだろう。月子と菜々ちゃんが鉢合わせしたら、また人外バトルが勃発しかねない。

「さすがにサボりすぎた気がするわ。九条が本気で怒ったら嫌だし」

「……」

 責任感があるんだかないんだか。まぁ、誰に強制されたわけでもない生徒会長の役に就いているのだから、それなりに責任感を持って臨んでいるのだろう。

「だいたい九条も九条よ。なんで呼びにこないのよ。ちゃんとあたしを探してんでしょうね」

 菜々ちゃんはなにやら文句を言いながら、八つ当たりのようにジュースを煽り、残りを一気に飲み干した。そして、グラスを置くと、入ってきたベランダへと向かった。靴を取りにいっただけかと思いきや、その場で履きはじめる。

「またそこから出て行くのかよ……」

「じゃあね、鷹尾。夏休みだからって羽目を外しすぎるんじゃないわよ」

 最後には生徒会長らしいことを言い残し、

「とうっ」

 4階のベランダの柵をひらりと飛び越えて去っていくという、人間らしくない退場の仕方を披露してくれた。

「周くん、わたしも帰るね。お邪魔しましたー」

「え? あ、ああ……」

 翔子は翔子で帰り支度を整え、にこやかな挨拶とともにリビングを出ていった。菜々ちゃんの行動については完全にスルーのようだ。

「……」

 そして、ここに菜々ちゃんの安全を確認した方がいいのか翔子を見送った方がいいのか迷った挙句、結局何もできなかった男が残された。

「ふたりとも帰るときはいきなりだな……」

 菜々ちゃんにいたってはくるときも唐突だったが。

 周は呆然と立ち尽くす。

 と、そのとき、玄関のドアの開く音が聞こえた。翔子が戻ってきた――わけではなかった。

「ただいま帰りました」

 月子だった。

「あ、おかえり、月子さん」

「……」

 しかし、月子はリビングに一歩入ったところで立ち止まり、黙り込んだ。

「ど、どうしたの?」

 月子のただならぬ様子に、周は恐る恐る問い返す。

「これはまたずいぶんと散らかしましたね」

「う゛……」

 月子の言う通りだった。ゲーム機は出しっぱなし、ジュースとスナック菓子もそのまま。ついでに、テレビの前のスペースを広く取るためにテーブルを動かしたりもしているので、リビングはかなり雑然としている。

 次に月子はキッチンに目をやった。

「こっちは片づいてますね」

 翔子の仕事だ。俺がやったと嘘を言ったところで、家事無能の周では苦しすぎるだろう。

 月子は、ぐりん、と首を巡らせ、周を見た。獲物を狙うターミネータの動きだ。右見て、左見て、「アスタ・ラ・ビスタ、ベイベー」。周は思わずエセ空手のファイティングポーズで身構えた。とは言え、T-800に素手で立ち向かうのが無謀であるのと同じで、周が武器を持ったところでこのメイドさんには勝てないだろう。

「誰かきましたか?」

「と、友達がふたりほどきたかな……」

「そのようですね」

 月子はグラスが3つあるのを見て言った。

「まぁ、周様のやることですから」

 そして、呆れたようにため息を吐く。どうやらもとより期待されていないようだった。散らかしても片づけないのが周のデフォルトだと思われているらしい。今からやるつもりだったとか、今さっき帰ったばかりだとか、言い訳なら多少あるのだが。

「……ごめん」

「今さらですね」

 月子は腰に手を当て、さてどこから片づけたものか、と部屋を見回す。

「そうじゃなくて、少しは月子さんの手を煩わせないようにしないとなぁとか思ってたんだけどさ」

 直後、その動きが止まった。そして、ゆっくりと周へと振り返る。

「というわけで――ごめん」

「……」

 しばらくして、月子は改めてため息を吐いた。ただし、そこには先ほどとは少し違う響きがあった。

「それこそ今さらですね。私はメイドですよ。これくらい仕事のうちです」

「いや、そうは言ってもなぁ……」

「周様も多少は進歩したということでしょうか。なら、次に期待させてもらうことにします」

「あ、ああ、うん……」

 周は照れくさい思いで、曖昧に頷いた。

 しかし、そういう気持ちを持ったというだけで褒められて満足しているわけにはいかない。ちゃんと行動して結果を出してこそだろう。

 月子が部屋に戻ろうとする。

 が、突然、その足がドアの前まできたところで止まった。目はじっとドアノブのあたりを見つめている。

「……」

「……」

 そして、黙り込んだ。

 タイミングが嫌すぎる。

 沈黙が周の上に重くのしかかり、背筋には死の気配がよぎった。

「……周様」

「お、おう」

 周はびくりと体を震わせた。月子が背を向けているからいいようなものの、明らかに挙動不審である。

「私の部屋を覗きましたか?」

 直感か、それとも何か仕掛けがしてあったのか。

「いや、見てないけど?」

 極力平静を装い、周は返事を返した。心の中でその言葉に「俺はな」と付け加える。

 月子が振り返り、周の顔を見た。

 周は尚も「俺は見てない俺は見てない」と一心に繰り返す。ほとんど自己暗示か、見方によっては悪霊退散の呪文だ。

「そうですか。どうやら私の気のせいのようです」

 気のせいではないのだが。

「前にも一度言いましたが――この部屋に無断で入ると警報が作動し、10分以内に私が駆けつけるようになっていますので。ゆめゆめお忘れなきよう」

「……」

 そうして月子の姿がドアの向こうに消えた。

 最後の警告は、周の心胆をただただ寒からしめる。今度自分が中を覗けば絶対にバレるし、無事ではすまないと確信した。

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