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50%&50%  作者: 九曜
第2章
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第12話 「戦うメイドさん」(前編)

「鷹尾っていいとこの子なのに、こんなものも食べるんだな」

 周がハンバーガーにかぶりつくのを見て、天根小次郎がそんな感想をこぼす。

「別にうちはよそより金持ってるってだけで、由緒ある家柄ってわけじゃないからな。普通に喰うよ」

 かと言って、好きなものを好きなだけ食べてきたかというと、それはまた別の話。愛情過多の両親のおかげでいいものを食べて育ってきたのは確かだが、逆にこういうものを口にする機会は一般家庭よりも少なかった。

 言い終えて、またひと口食べる。

 ――その日、6時間目の授業が急に休講になった。

 周はこれ幸いとばかりにさっさと学校を切り上げ、友人の岡本哲平、天根小次郎とともにファーストフード店で寄り道をしている最中だった。

 せっかく早く学校が終わったのだからストレートに帰路についてもよかったのだが、予定外の時間に帰るとまだ月子が大学から帰っていないような気がするのだ。……なぜここまでメイドに気を遣う必要があるかよくわからないが。

「お前ももの好きだーよな。家にいりゃなに不自由ない生活が保障されてるってのに、わざわざその家を出るなーんて」

 今度は岡本。

「不自由のない生活というのは、それだけで巨大な不自由を成してるんだよ」

「哲学的だーねぇ。どちらにしても勿体ない。いいよなぁ。大きなお屋敷だとメイドさんとかいたりするんだーろ?」

「……」

 一瞬、今もいるけど、と言いそうになった。最近のメイドさんは大きなお屋敷だけでなく、2LDKのマンションにも棲息するんだぞ、と。

「いるのはいるけど、どちらかと言うと家政婦って言葉が似合う人ばかりだな」

 特に月子の母親は程よく恰幅がよくて、妙に頼もしい雰囲気の人物だ。その娘があの月子だとはとうてい思えない。いろんな意味で遺伝子の神秘を感じさせてくれる母娘だ。

「そりゃーあ残念。でも、一度は言われてみたいよな。『お帰りなさいませ、ご主人様』とーかさ」

「……」

 それに似たフレーズが最近すっかり日常化している周。何となく凹む。

「しかも超美人で、にっこり笑って言われたら最高」

「だからそんなメイドはいないっつーのっ」

 思わず意味もなくむきになって否定してしまう。……しかし、いるのである、家に帰ればそこに。多少表情に乏しくはあるが。

「……鷹尾。大声出すとこっちまで恥ずかしいぞ」

 迷惑そうに言う小次郎。メイドにけったいな憧れを抱いたり、いきなり不可解なキレ方をしたりするやつらと一緒にされたくはないと言いたげだ。

「わ、悪い……」

 謝ってから、周は周りを見回した。

 しかし、話が盛り上がって大声を出すような高校生などファーストフード店には珍しくもないのか、こちらに注目しているものはほとんどいなかった。

 が――、

(って、あれ……)

 そこにそのメイドが、いた――。

 店内に月子の姿があったのだ。

 当然、エプロンドレスなどではなく、デニムのロングパンツにタンクトップとオフショルダーのロングTシャツという飾り気のないスタイルだったが、どことなく色気があって、普段見る彼女とはぜんぜん違った雰囲気だ。

 月子も周同様、友達と学校帰りにここに立ち寄った様子だった。同じテーブルには同世代の女の子が何人かいて、これまた家では絶対に見ることのないやわらかい表情で談笑している。

 ――ふと、月子と目が合った。

 瞬間、驚いた月子の口が「あ」の発音で開かれ、彼女はばつが悪そうに慌てて目を逸らした。周も周で見てはいけない場面を見てしまったようで、申し訳ない気持ちとともに視線をもとに戻す。

 こんなところで遭うとは、完全に予想外の事態だ。

 ふたりのクラスメイトが、月子が周の近しい人間だと知ったらどうなるだろう。まさかメイドだと見抜くことはないだろうが、バカの岡本は喜々として寄っていくかもしれない。

「……」

 それはあまり面白くない光景に思える。

 周は我知らずむっとしていた。

 幸い、月子は岡本や小次郎から見て背後に位置するので、振り向かない限り気がつくことはないだろう。気がつかれたところで知らない振りをすればいいだけのこと。周はこのまま最後まで黙っていることにした。

 とは言え、普段見ることのない月子の姿に、どうしても横目で追うのはやめられない。

(そっか。月子さんって普段はわりかし普通なんだな)

 考えてみれば当然か、と納得する。

 一方、周に見つかってからそわそわと落ち着かない様子の月子だったが、どうやら友達に別れを告げて席を立つことにしたようだ。周が予想外に早く帰ってきそうだからかもしれない。だとしたら悪いことをしたと思う。

 月子が立ち上がる。

 が、しかし、タイミングが悪かった。慌てていて周りをよく見ていなかったのか、立ち上がったと同時にちょうど横を通っていた男子高校生と接触してしまった。少年が持っていたトレイを肩で持ち上げるようなかたちでひっくり返してしまう。

 ハンバーガーのセットがトレイとともに盛大に散らばった。

「す、すみませんっ」

 月子がすぐに自分のトレイをテーブルに置いて、床に落ちてしまったものを拾い集めようとする。

 あるいは、ここまでならば「ドジだな」と笑ってすませられたかもしれない。

「なにすんだよ!」

 しかし、その男子生徒は虫の居所が悪かったのか、単にキレやすい性格だったのか――烈火の如く怒りを露わにしたのだった。一見して素行の悪そうな少年でもなかったので、これには周も驚いた。

「ざけんなっ」

「きゃっ」

 しゃがみかけていた月子の肩を少年が押して突き飛ばした。小さな悲鳴を上げて月子が床に崩れる。

「お姉さんさ、こんなことして謝るだけですむと思ってないよね?」

 少年は月子に近寄ると、ロングTを乱暴に引っ張った。元々オフショルダーで大きく開いていた肩の部分がさらにはだけて、下に着ているタンクトップが見える。

 そばには連れ合いらしき少年達もいたが、彼のこの豹変ぶりには驚いたようで、ただただ戸惑うばかり。止めるに止められない様子だ。

「ねえ、ちょっとつき合ってよ」

 その猫なで声の裏に何があるかはすぐにわかる。

 周もさすがにそれ以上は見ていられず、ほとんど反射的に席を立っていた。

「おいおい、そこまでにしとこうぜ」

「あぁ?」

 威嚇するように少年が周へと振り返る。

「シュ……」

 その向こうでは月子が周の愛称を呼びかけたのだろうが、途中で掌で口を覆うようにして言葉を飲み込んだ。

「その人も謝ってんだろ? ここは大人になろうぜ。笑って許せとは言わないけどさ、まあ、新しいの買ってもらって、それですませたらどうだよ?」

 他人の振りをし、月子を指して「その人」と言う。

「関係ない奴は引っ込んでろっ」

「ッ!?」

 気がついたときには少年の拳が周の腹にめり込んでいた。腹を押さえて周の体がくの字に折れ、そこを今度は顔面を殴られた。

「がッ」

 倒れて床を滑る。異性にあれだけのことができる少年は、同性にはさらに容赦がないらしい。しかも、何か格闘技でもやっているのか、やけに拳が鋭い。

「ぉらあっ」

 のろのろと上半身を起こしかけた周の胸板に次は蹴りが叩き込まれ、再び床を這い蹲らされた。

 ああ、失敗したな……――そんな思いが頭をよぎる。まさかここまでものわかりが悪くて暴力的だとは思いもよらなかったのだ。

 と――、

「シュウから離れなさいっ」

 月子の声が凛と響いた。

 いつの間にか清掃用のモップを持って立っている。

「おいおい、お姉さん。そんなもの持ってどうするつもりだよ」

 まだ周に暴行を加えるつもりだった少年が振り返った。

 少年の目には月子が震える手でモップを握っていると映ったのだろう。ヘラヘラと小馬鹿にしたような笑みを浮かべて近寄っていく。

 だが、決着は一瞬でついた。

 月子は素早くモップの止め具を外し、先端の雑巾の部分を丸ごと取り去ると、ただの棒になった柄を構える。少年はその姿に不吉なものを感じ、警戒の色を見せた。それこそ格闘技の経験からくる直感だったのかもしれない。

 が、すでに遅かった。

 喉の下に月子の初撃の突きが入り、ひるんだところに足を払われて無様に尻もちをつく。そして、とどめに鳩尾を突き込まれ、少年はあっさりと昏倒した。

 流れるような連続技。

 まさに瞬殺だった。

 呆気に取られながら周は、今後月子には決して逆らうまいと思った。

 

「あー、痛て……」

 曇り空の家路を周と月子が往く。

 周の頬には月子から借りたハンカチが濡らして当てられ、周はそれを手で押さえながら歩いていた。

「しっかし、月子さん、強いね」

「メイドの基本です」

 斜め後ろを歩く月子は、完全にメイドモードに戻っていた。

「そりゃ初耳だ」

 そんなところにメイドの基本があったとは驚きである。

「母は剣道、柔道、合気道等々合わせて三十一段でした」

「げ。そうだったのか……」

 周は恰幅のいい藤堂の姿を思い出すが、とてもそうは思えない。いつも豪快に笑いながら次々と仕事をこなしていて、そんな素振りは微塵もなかった。時折「早く勉強しないと大変な目に遭わせますよ」とか、「そんなことを言う子は二度と口答えできないようにして差し上げますよ」などと冗談めかせて言っていたが、今にして思えば密かに生命の危機にさらされていたのかもしれない。

「母が主に徒手空拳を得意としていましたので、私は武器格闘を中心に習得しました。弓道、剣道、薙刀、居合いなどです。無論、武器がなくても十二分に戦えますが」

 いったい誰と戦うつもりなのか。

「因みに、書道は三段です」

「ああ、月子さん、字がきれいだもんな」

「筆一本あれば空手家の正拳を受け止められます」

「書道は格闘技じゃねぇよっ」

 なお、後に周がその師範代と出会ったとき、彼は「まるで鉄板を殴ったような手応えだった。しかも筆も折れなかった」と語り、周は「あんた何で筆持ったメイドさんに正拳を打ち込もうと思ったんだよ」と突っ込んだという。

「おけ。今後は月子さんの言うことは素直に聞くことにするよ」

「そんなにかしこまらずともよろしいかと」

「そうか?」

「はい。多少反抗された方が私も仕事に喜びを見出せます」

「……」

 どんな喜びだ。

 周が振り返ると、月子はいつものように白々しく顔を背けた。

「……」

「……」

 無意味な沈黙。

 周は再び顔を前に向けた。

 そう言えば、月子は何かにつけて手が早いことを思い出した。このままでは周のほうが先に妙な悦びを見出してしまうかもしれない。

 周は何となく祈るような気持ちで天を仰いだ。

 と、その顔に冷たいものが当たった。

「……雨だ」

「そのようですね」

 月子も掌で雨の滴を受けて確認する。

「月子さん、傘持ってる?」

「いえ、残念ながら」

 首を横に振った。この雨は月子にも予想できなかったようだ。

 当然、周も持っていない。

「仕方ない。走ろう、月子さん」

「え?」

 すでに周は走り出している。

「ほら、早く。濡れて帰るつもりかー?」

 走りながら振り返り、早くこいと急き立てる。

 月子はそんな周を見て、懐かしいものでも見るかのように目を細め、そして、周を追って駆け出した。

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