「霊魂」(10)
テラスへ続く廊下では、メネスを追ってきた呪士たちが次々に倒れていた。
その体からこぼれ落ち、風に舞うのは砂粒に戻った呪いの首輪だ。魔王の刻印を取り除かれ、人も魔物も恐ろしい洗脳から解放された。おなじ現象は、セレファイス近くの戦場にも広がっているはずだ。
戦いは終わった。
だが、立ち尽くすメネスの足もとでは、不吉なことがまだ続いている。
生首がしゃべっているではないか。それはフィアとの戦いで爆裂四散したニコラ、もとい魔王の残骸だった。ちぎれて故障した首から上の部品は、雑音のひどい機械音声でこう繰り返す。
「あなたが私の所有者ですか? 個人認証登録を行います。お名前をどうぞ」
血のにじむ肩をおさえたまま、メネスは悲しげにニコラの生首へ答えた。
「今度こそきっぱりお断りします。勝手に召喚しておいて申し訳ありません。ぼくが所有するのはフィアひとりなんです。そのままお引き取りください」
「あなたが私の所有者ですか?」
動くほうの腕を、メネスはまっすぐ横へのばした。ほのかに輝いたのは、掌の魔法陣だ。
鋭い響きとともに、ニコラの声は途絶えた。突き刺さった剣の先、自動人形はこんどこそ完全に機能を停止している。召喚したセレファイスの剣の柄から手をはなすと、メネスはニコラだったものに背を向けた。
「フィア……」
倒れたフィアのかたわらに跪くと、メネスは彼女の体を抱き起こした。見た目の損傷はこれまた酷いものだが、こんな状態からフィアはなんども生還している。今回もきっと召喚した予備部品を使って元気になるはずだ。
「よくがんばったね、フィア。こんなにぼろぼろになって。悪夢は終わった。さあ、帰ろう」
「…………」
血の跡をひくフィアの唇は、なにごとかをつぶやいて動いている。あまりに声が弱々しかったため、メネスはもういちど聞き直した。
「フィア? 無理しなくていいんだよ? じきに救助を呼ぶからね?」
「機能停止まで残り三分……」
「え?」
「ごめんなさい、メネス。いっしょに帰れそうにないわ、あたし」
「エネルギー切れか!? なら!」
あわてたメネスの手に、電撃がほとばしった。
それをそっと止めたのは、フィア自身の手だ。
「ありがとう、メネス。もういいの。充電はいらない。電力をためるバッテリーふくめた大事な機能のほとんどが、さっきの戦いで壊れた。あなたの優しさをもらいたくても、もう無理なのよ」
はかなく風にさわぐ草花を横目にしながら、フィアはささやいた。
「あたし、ほんとに嘘つき。ごめんなさい、約束をやぶってばっかりで。もうじきあたしは、この世界から消える。ほんとうに、ごめんなさい」
「そんな!」
悲愴な顔つきで、メネスは問いつめた。
「かわりの部品があればなんとかなるんだろ!? なあ、そうなんだろう!? いますぐ召喚するから! それまで死ぬんじゃないぞ、ぜったいに!」
「そうね。メネスなら、かわりのあたしだって召喚できるはず。でもね、それは見た目はあたしかもしれないけど、ぜんぜん別のあたしなの。この体が完全に停止するとき、あたしの心と記憶はいったん全部消えてなくなる。悲しいけど、組織の情報漏えい防止のためよ」
青空を流れる雲の切れ端が、フィアの澄んだガラス玉の瞳に反射していた。雨でもないのに、その頬に弾けるいくつかの水滴。機械にはない涙をこぼすだれかは、震える声を言葉にした。
「ぼくは、ぼくはいつも遅れる。また間に合わなかった。召喚は、遠くのものをあっという間に近くへ運んでくるのに」
「じぶんを責めないで、メネス。あなたは十分、約束を守った。あとあなたに託したいのは、この城の魔法陣をきれいに消して、二度とここに近寄らないこと。いいわね?」
「フィア、お願いだ……どこにも行かないで」
うつむいて咽び泣くメネスの頬に、フィアの柔らかい手が触れた。
「あたしはここにしかいない。ここにいたあたしを忘れないで。メネスの思い出は、あたしひとりだけのもの。あたしひとりが持っていく……これは最後のわがまま」
色とりどりの蝶がたゆとう視界をそっと閉じ、フィアはつぶやいた。
「機能停止まで残り五秒……ところでメネス、あたしはとても負けず嫌いなんだけど」
最後の力をふりしぼり、フィアはメネスの唇に口づけした。
「これで二対一……あたしの勝ちね」
フィアから、静かに力は抜けた。
どれだけ呼びかけて揺さぶっても、それきり目を覚まさない。その寝顔は、どこまでも安らかで穏やかに微笑んだままだった。
「ありがとう、フィア。ぼくも、きみのことを忘れない」
メネスが振り仰いだ大空には、数えきれない花びらが舞っていた。




