「霊魂」(9)
魔王城のテラス……
高層階の広場に咲き誇る草花は、いったいだれが手入れしていたのだろう。晴れ渡る空にゆっくり雲は流れ、色鮮やかな花たちは寂しげな音を鳴らして風に揺れている。
草花の庭園には、ところどころ奇妙な隙間があった。よく観察すればそれは、隙間と隙間が互いにつながり、巨大な五芒星の魔法陣を形成していることがわかる。
魔法陣の中心に、その人影はひとり立ち尽くしていた。暗い外套と髪をそよ風になびかせ、雪を頂くアラン山を遠く眺めている。
そのまま振り返りもせず、ニコラはうしろへ質問した。
「メネスくんはどうした?」
答えはあった。片腕の機関銃が、ニコラに照準を定める響きとともに。
「ひとり戦ってるわ。彼がここに追いつくころには、あんたは完全に破壊されてる」
「この状況でなお生きて戻れると思うほど、お互い強い信頼関係で結ばれてるんだな。どうやらタイプF、きみもちゃんと、この世界に自分の命を見つけられたようだね」
テラスの入口にたたずむフィアは、すでにぼろぼろだった。
道中に立ちふさがった呪士たちは、地呪の地割れにフィアを飲み込もうとし、水呪の幻惑で進路を狂わそうとした。不可視の風呪のかまいたちと、火呪によって生じた超高熱の溶岩弾も、彼女の機体に大きな損傷をもたらしている。制服は派手に裂けて、陶磁器のような顔と体はススと埃まみれ、全身で漏電を放つのはむき出しになった金属部分だ。
そんな壮絶な状態のフィアへ、ニコラは涼しい顔で言ってのけた。
「なかなかよくできてるだろ、この召喚の魔法陣」
「ええ、とてもきれいね」
静寂に、ただ鋭い風の音だけが響いていた。そばで舞い踊る蝶も気にせず、指摘したのはフィアだ。
「お花畑を切り抜いて作った魔法陣……あっち側の世界じゃとても実現できるものじゃない。でも、植物たちをすこし手でどかせばどうかしら? これまでの犠牲者の血で染め抜かれた大量の呪力文字が、下の床には見えるはずよ。違う?」
「やれやれ、すべてお見通しか。あとはこの場にメネスくんが加わるだけで、開門の儀式は完成する。でもあんなに強くはねつけられると、悔しいけどちょっとは妥協しなきゃいけないかな。これは言うことを聞いてくれるまで多少、彼を拷問する必要がある」
「あんたそのものだわ、このお花畑」
ひときわ強い風に、不凋花の花びらが舞い上がるのが最終決戦のきっかけだった。
「狂っているものは、どこまで行ってもやっぱり狂ってる」
花びらを散らして、フィアは地面を蹴った。
その進行方向、フィアの頭上と足下から突き出したのは数えきれない漆黒の刃だ。まるで噛み合わされる人食い鮫の牙。この場は三百六十度、マタドールシステム・タイプNの〝嵐の中を進むもの〟の支配下にある。
砂鉄で形成された電磁力の長剣たちはしかし、生じる端から砕け散った。
フィアの背筋から展開して絶え間なく火を吹くのは、対空迎撃用の強力な大型回転機関銃だ。失った電磁加速砲のかわりにこれを搭載したのは、ニコラの黒剣の雨への対策に他ならない。残り電力量と残弾ふくめて、今度こそフィアはほぼフル装備の状態にある。
フィアの両肩から放たれた大量のマイクロミサイルは、ニコラの周囲を爆炎で覆い尽くした。それだけではない。百個を超える黒剣の全方位照準が、ニコラの視界内で急にばらばらな場所へ暴れ始めたではないか。
人間でいえば、ニコラはいらだった。
「電波撹乱弾か。どこからこんなものを。これではたしかに、私の剣の狙いはつけられない。だがそれはきみも同じことだろう、タイプF?」
「ええ、そのとおり。でも」
猛烈な煙をゴールテープのようにひいて、次の瞬間、フィアはニコラの背後に現れていた。電磁加速砲すら食い止める砂鉄のバリアの、さらに内側へ肉薄してのけたのだ。片腕の機関銃をニコラの後頭部に向け、フィアは告げた。
「至近距離なら、あたしが有利!」
鋭い音がこだました。
ああ。振り向きざまに放たれたニコラの黒い長剣が、フィアの腹部を横薙ぎに一閃したではないか。切り裂かれた装甲から擬似血液をしぶかせ、フィアは膝をついた。ニコラの掌で反転した刃は、こんどはフィアの背中から胸までを即座に貫いている。
逆流した鮮血と漏電を吐くフィアを、ニコラはいまいましげに上から睥睨した。
「接近戦で不利、だと? この私が?」
「う……あ」
「忘れたか? マタドールシステムの能力を並列化するため、我々にはタイプSの剣の技術も組み込まれている。もっとも、それが機能するためには、強力な刀剣を装備せよという条件つきだが」
ニコラの磁場による固定作用を一極集中され、硬度・切れ味ともに倍増した魔剣を、さらにマタドールシステムの怪力が両手持ちにする。そのうえそこに、強電磁加速の凄まじい発射力をプラス。理論上は、あちら側の世界の戦車装甲すら断ち切ることは容易い。遠距離と範囲攻撃に特化したタイプNが、ゼロ距離という窮地に陥ってはじめて解禁する奥の手だ。
フィアの背中から、ニコラは無慈悲に剣を引き抜いた。ひざまずいたフィアの首筋にふたたび刃を置き、狙いを定めるように上下させる。ニコラは平然とささやいた。
「ご希望とあらば、きみの残骸はメネスくんの部屋に飾ってあげよう。ではおやすみ、タイプF」
「そう、予言なんかじゃない。すべて計算どおりよ、タイプN」
気づいたときには、もう遅い。
ニコラの両手は、握った剣の柄ごとフィアの指にがっちり掴まれている。ニコラの動きを封じた一瞬のうちに、フィアはテラスの入口へ叫んだ。
「いまよ! メネス!」
「フィアアアぁぁッ!」
怒号と詠唱をないまぜにした呼び声とともに、入口の闇は光に照らされた。まばゆい呪力の輝きを放つのは、メネスがまっすぐ前へかざした掌だ。
失われたままだったフィアの片腕の付け根が、強く輝くのは同時だった。正確には、そこに事前に描かれた魔法陣が召喚に反応している。セレファイスの武器庫で召喚の位置についた最後のひとかけらは、瞬時にフィアの新たな片腕と化して転送された。
これが昨晩メネスの提案した〝魔王の隙を突く〟こと……攻防一体の強固なバリアを越えてニコラの懐に踏み込むため、フィアは失った片腕をあえて都へ置いてきたのだ。
「小癪なまねを!」
悪態をつくや、ニコラはフィアのもとあった片手を振り払った。旋回した刃で、その手を手首ごと斬り落とす。鮮血とともに宙に舞ったのは、銀色の腕輪だ。
そう、それは、異世界の組織が彼女たち機械の猟犬に科した自爆装置。エイベルが破壊した魔王の腕輪とは違い、フィアのそれは今回正常に作動した。つまり、危険な赤い光とともに警告音を発したのだ。
みずから横へ身を投げ出しながら、フィアは残念そうに瞳をふせた。
「無断で腕時計を外した場合、爆発範囲は〝人ひとり分〟……組織のルールよ」
「し、しまっ……」
新たに召喚されたフィアの腕が変形し、現れたのは機関銃の輝きだ。
空中を躍る時計型の小型爆弾に銃口の狙いを定め、フィアは告げた。
「ポーズをつける手足が残るかしら? マネキン?」
轟音……立て続けに撃ち込まれた銃弾に押され、銀色の腕輪は〝嵐の中を進むもの〟のバリアを破ってニコラの体に触れた。憎悪と後悔と、爆発の光にゆがむその表情。
爆風を、無数の花びらが追った。




